[12668]Firoさん
現行の都道府県の枠組みを越えた形での合併を志向しているケースがあります。
岐阜県中津川市と長野県山口村のケースや、埼玉県幸手市と茨城県五霞町のケースでは、法定合併協議会もできていますね。
越県合併の場合、双方の属する県の議会の議決を経なければなりませんので、県土が縮小されることになる側の抵抗も予想され、やはり難しい面もあるわけですよね。現在検討されている越県合併のケースは、いずれも編入合併ですので、編入される町村の属する県が、編入する市の属する県に、自ずから変更されるということになるわけですが、これが新設合併となると、都道府県の境界変更に関する地方自治法第6条第1項が適用されて、特別法の制定が必要になりますので、現実には極めて困難です。実際、1947年に地方自治法が日本国憲法と同時に施行されて以降、昭和の大合併の時期も含めて、越県の新設合併は1件もありません。まぁ、そこで、その間の県境がそもそもなければよかったのに‥ということで、両側の県の合併(=道州制?)なんて云うことも、考えられたりするのでしょうね。
さて、その県の合併ということはひとまずおくとして、市町村の越県合併による都道府県の枠組みの一部変更については、私も、その市町村が望んでいるのであれば、別段構わないと思っていますし、県の意向よりも、地元市町村の意向が尊重されるべきだとも思っています。そうした意味で、国も、合併推進の旗を振るのであれば、越県合併に関する障害(例えば新設の場合の特別法など)を除去する方向での制度改正を、真剣に考えるべきなのではないかとも思っています。
そうした意見をもっておりますので
一部の枠組みの変更に関しては否定するものでなかった
のですが、そのようには受けとめられなかったのであれば、それは私の説明の足りなさによるものかと思いますので、こちらこそ、説明不足をお詫び申し上げます。
さて、以上を踏まえた上で、もう少し自説を展開したいと思います。
kenさんが
[12676]で、
少なくとも機構としては、都道府県は無視しないと、道州は導入する意味がないと思います。
廃県置州ですから。
とおっしゃっている点に関してです。
このご意見は、極めてラディカルな意見なのではないかなぁと、思うのです。
もちろん感覚的には、静岡県の遠州は東海地方と、駿豆は関東地方と、それぞれ結びつきが強いとか、伊賀は東海ではなく関西だとかいうのは、発想として大変よくわかるのです。
ただ、機構を無視することは難しいと、私が申し上げたのは、それぞれの都道府県の職員の身分の問題等をどう考えるかといった視点も要るのではなかろうかということを感じたからです。明治新政府による廃藩置県や、占領軍による戦後改革などとは異なり、今日、道州制を導入しようという場合、革命的な手法が正当性を持ち得るとは思えません。
小さな町村の所属が、越県合併で他県に移ることになっても、県の職員の異動は、基本的には生じないはずです(それでも、選挙区の再編を迫られかねない県議の反発などは予想されます)。でも、従来の都道府県という機構を無視してこれを廃止して、まったくマッサラなところから新しい機構(道州庁?)を考えるとなると、全国何十万人もの都道府県職員の方々は、一体どうなってしまうのでしょう?
『大きな「五霞町」』というようなアナロジーでは片付けられない問題だと思うのです。彼らが路頭に迷う心配を抱くことなく安心して暮らせるような改革でなければ、当然大きな社会不安を招いてしまいますので、政策として支持されることは難しく、実現可能性は極めて低いのではないかと思うのです。
#ちなみに私は、都道府県職員でも都道府県の関係する外郭団体等の職員でもありませんよ!
そうした観点から、道州制の導入ということを考える場合、現実的には
原則として、都道府県の合併とその合併後の都道府県への国の出先機関の権限の移譲・統合といった形にならざるをえないのではないか
と申し上げた次第です(拙稿
[12504])。
もっとも、誤解のないように申し上げておきますが、「お遊び」としては、
九州を2つに割る場合、南北2州ではなく、東西2州、すなわち、福岡県を東西に割って、鹿児島本 線沿い、日豊本線沿いの2州に
といった発想は、好きなんですよ。人それぞれの、地理的な空間の捉え方が表れて面白いですし‥。ただそれは、私から見ると、「名古屋ナンバーを分割するとすれば」という「お遊び」と本質的な違いを見出しにくいなぁと感じるのですけれどもね!
甚だ長文になってしまいまして、申し訳ありません。