[75125] MasAka さん,レス有難うございます。
日本語の「思う」には多種多様な用法があり,使う場合には非常に使いやすい言葉です。
「思う」にはいろいろな意味があるからこそ便利に使えてしまうので、私も話し言葉ではかなり多用してしまいます
確かにその通りですが,私の場合はだからこそ,その使用を極力控えています。
使うのは使いやすいのだけれども,聴き手,読み手にとっては,いちいち「思います」の用法を判定しなければならず,「参加したいと思います」のように,その判断が難しい場合もあります。話し手,書き手には便利でも聴き手,読み手の側に負担をかける言葉であり,最近の私の場合は,「推測します」「感じます」のような言葉に出来る限り意識して置き換えています。
子供(「子ども」ではない)の頃はあまり経験しないでしょうが,社会に出ると上司や顧客から「『思う』では困るんだよ」と突っ込まれた経験は誰にでもあることと思います(←推測)。
もちろん,言っている当方はあやふやな憶測で「思います」と言っているのではなく,考察の根拠ある結論としての「思う」だったり,ある場合には確固たる意思の表明の「思う」,また丁寧な言葉使いで「思います」と付け足したりしているのですが,相手はそこまで汲み取って解釈してくれるかといえばそうではなく,逆に「思う」という言葉に不安を感じて懸念を表明されているということでしょう。
「頑張りたいと思います」「感謝したいと思います」「謝罪したいと思います」は決意・決心の意味にとらえるべきで、推測や願望という意味でとらえるのは誤りだということになります。
引用した部分の前半には同意できますが,後半は同意できません。
確かに,インタビューで高校球児やゴルフの石川さんが「これからも頑張りたいと思います」と言えば,それは決意や決心を表明していると解釈できます。そのように捉えるべきです。
しかし,私のような中途半端な人間が「頑張りたいと思います」と言っても,取り敢えず(その場では)そう言っておこうという,逃げ口上が見え隠れします。その場合,願望という意味で捉えるのは誤りだとまでは言い切れません。
感謝や謝罪の場合については,素直に「感謝(謝罪)します」と言い切ったほうが相手に伝わります。意思の表明で「思います」を付けたにしても,それが余計で,折角の意思表明が薄れてしまいます。
場合によっては「個人的には謝罪したいのだけれども,本当に謝罪してしまうといろいろ関係者がうるさいんだよ。だから今の時点では謝罪はしないぞ」という意味で「謝罪したいと思います」と言っているのかもしれません。
では,「参加したいと思います」はどうでしょうか。
決意や決心を表明して「参加するぞ」と言っているようにも,「参加したいのだけれども,まだ日程などの調整もあり思案中です」と言っているようにも,どちらにも聞こえます。
これを聞かされた幹事さんは,「はて,この人は来るのだろうか?」と人数のカウントに困ってしまいます。
決意の表明で「参加したいと思います」と言っている人に,「まだ思案中ですよね? 早く出欠を決めてください」と言えば,相手はむかつくでしょう。しかし,幹事としては尋ねないわけにはいかず,気まずい雰囲気になってしまいます。
読者は文章を瞬間的に全部読むわけではなく
ほとんど瞬間的に全部読めてしまう場合にも使われています。
「それでは解答したいと思います。 ○○市」
ただ,いずれにしましても,「思います」の多用が,文法的に間違っているわけではないので,人それぞれ,自由に使えばよいことです。
誤解してもらいたくないのは,ここで他人が「思います」と書くことを非難しているのではなく,「ニジェはこう考えている」と表明しているに過ぎません。書くのも自由,冒頭に「思います」で始めている記事を読み飛ばすのも,これまた自由です。