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ニジェガロージェッツさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[60616]2007年8月16日
ニジェガロージェッツ
[60613]2007年8月15日
ニジェガロージェッツ
[57118]2007年3月2日
ニジェガロージェッツ
[57101]2007年3月1日
ニジェガロージェッツ
[57051]2007年2月26日
ニジェガロージェッツ

[60616] 2007年 8月 16日(木)01:19:54ニジェガロージェッツ さん
昭和76年の神戸市 ― (2)
前稿[60613]の続編です。
31年前の冊子「新・神戸市総合基本計画のあらまし―2001」についての雑感をお話したく、一気に書き綴るつもりでしたが、あれこれと書いているうちに話が長くなり、2稿に分割しました。
それにしても、[60613]を投稿した後で、書込ランキングで前稿の文字数を確認すると3752文字。こういうことがいちいち確認出来るグリグリさんの「落書き帳」の付加機能はホンマに凄い。楽しくなります。
但し、文字数の多さは過去の議論からオーナー様の望むところではないので注意しなければなりません。3752文字は多すぎです。個人的には、半年間に渡って[57177]「田井(ママ)して意味も無い」「紙面のムダとしか」思えない投稿や、「南濃(ママ)知的発展性も無いと」思われるような、調子に乗った雑談は控えてきたことに免じて、どうぞお赦し下さい。

さて、本題。

【鉄道】
件の冊子の巻末に収められている地図(以下[60613]と同じく、巻末地図と称します)には、[新幹線]、[国鉄]、[私鉄・その他]、[新しい交通システム]、の4種類の鉄道路線が描かれています。
そのうち、新幹線については当時と現況が変わることなく、国鉄線においても、現在のJR線(東海道本線、山陽本線、福知山線)と変わりはありません。実際に設置された甲南山手駅などJR新駅については、駅についての細かな図示がないため、ここではコメント出来ません。
ただ、現在においても廃線になることなく存続している兵庫―和田岬間の和田岬線が描かれていません。昭和76年においては廃線が見込まれていたのでしょうか。

「私鉄・その他」については、ちょっとした違いがあります。
巻末地図に描かれてれている私鉄路線は、阪急神戸線、阪神本線、山陽電鉄、神戸電鉄、神戸高速鉄道で、これらは現在神戸市内を走っている現況と(当時も含めて)同じです。
但し、実際に存在する新神戸―谷上間の北神急行電鉄(昭和63年4月1日開業)は描かれていません。
一方、神戸市営地下鉄線は現在存在する西神線(新長田―名谷:昭和52年3月13日開業)、山手線(新長田―新神戸:昭和58年6月17日部分開業、昭和60年6月18日全通)、西神延伸線(名谷―西神中央:昭和60年6月18日部分開業、昭和62年3月18日全通)に加え、実在しない東部線(布引―鶴甲)が描かれています。海岸線については、後述しますが別の記号で描かれています。
西神延伸線の山手線の新神戸駅以北、および西神中央駅以西には更なる延伸を思わせる矢印が付してあり、新神戸駅以北の矢印をそのまま延長させると谷上付近に達し、これが現在の北神急行電鉄に相当するとみなされますが、当初は山手線の一部として造るつもりだったのでしょうか。西神中央駅以西については、後に押部谷(西区)、西明石(明石市)、神野(加古川市)への延伸についての議論がありましたが、巻末地図には、いずれも図示されていません。

問題の東部線ですが、神戸市が海岸線などと一緒に当初プランしていた路線は山手線(プラン当初の終点は「布引駅」)の延長上にあり、布引―原田(現在の灘区王子公園あたり)間としていました。それが巻末地図では「原田」から更に東へ、篠原(灘区)を通り鶴甲団地(灘区)に達しています。かなり思い切ったプランですが、鶴甲の先、六甲山中へも矢印が書かれ、それをそのまま延長すると有馬方面へ抜けることになります。本当に造る気だったのでしょうか。

「新しい交通システム」については、3本の路線が引かれています。
新神戸とポートアイランドを結ぶ線、国鉄住吉と六甲アイランドを結ぶ線、および新長田―和田岬―三宮―脇浜―灘浜―住吉川口を結ぶ線の3本です。
ポートアイランドへは神戸新交通ポートアイランド線(三宮―市民広場―北埠頭―三宮:昭和56年2月5日開業)、六甲アイランドへは同六甲アイランド線(住吉―マリンパーク:平成2年2月21日開業)として現実に存在しています。
現在のポートアイランドでは、開業当初の環状運転のみではなく、神戸空港への延伸(市民広場―神戸空港:平成18年2月2日開業)がありますが、巻末地図では神戸空港はおろか、ポートアイランド2期(南公園以南の埋立地)さえ存在していません。
ただ、新神戸駅がポートアイランド線の起点になっているのは興味深いところです。
一方、六甲アイランド線の起点が住吉にある点では現行世界と同じですが、六甲アイランド内の路線がポートアイランドと同じく環状運転になっている点が違っています。

さて、「新しい交通システム」に分類された、現在の地下鉄海岸線に相当する路線ですが、実際の地下鉄海岸線(新長田―和田岬―三宮:平成13年7月7日開業)は従来の地下鉄とは規格の違う「ミニ地下鉄」だそうで、それを「新しい交通システムだ」と言うのであれば、強ち間違いではありません。昭和40年代に神戸市が描いた当初のプランでは西神線、山手線、東部線とともに「普通の」地下鉄としての構想でした。それにしても、住吉まで海岸線に沿っての建設とは、こちらも本当に造る気だったのでしょうか。

実際に開業した地下鉄路線は、都心の三宮からみて西に偏りすぎで、当初からそのように西へしか造らないつもりだったのを、それでは東部の市民が納得しないから、東部線とか海岸線の東への延伸とか、「リップサービス」のつもりで描いたのかと勘繰りたくもなります。


【埋立地】
前述しましたが、現在実際にある神戸空港やポートアイランド2期が描かれていません。南公園が海に面しているポートピア81当時のポートアイランドのままです。
そればかりか、神戸港では中突堤~メリケン波止場間の船溜りの水面を「メリケンパーク」として埋め立てたを筆頭に、摩耶埠頭、新港第五~第八突堤間、兵庫突堤の突堤間の水面を埋め立てられていますが、港内の埠頭に関しては昭和51年当時のまま埋め立てられることなく昭和76年を迎えています。
ただ、ポートアイランドと六甲アイランドの間、ちょうど摩耶埠頭の沖合いに小さいながらも現実には存在しない人工島が描かれています。また現実の六甲アイランドは東西非対称ですが、巻末地図では西側にも東側と同じように船舶のための水面が描かれています。
あと、西では垂水区の東垂水の浜に沖に突き出した「逆コの字」型の大きな埠頭が描かれています。


さて、まだまだ道路状況など(現実に存在する港島トンネルが計画されていない。兵庫・長田・須磨沖に高速道路が走っている。・・などなど)、書きたいことはいろいろあるのですが、キリがないのでこれくらいにしておきましょう。

最後に、今回話題にさせていただいた「新・神戸市総合基本計画」は昭和51年に21世紀に向けての神戸の都市としてのあり方を規定した「マスタープラン」と呼ばれるもので、このプランはその後も改正を重ね、現在のものは神戸市のサイトからも概略が閲覧できます。
震災後の平成7年10月に策定された「第4次神戸市基本計画」をみて見ると、目標年次2010年の設定人口を170万人にしていたり、「ちょっと」と感じるところはありますが、神戸市の考え方が書かれています。
[60613] 2007年 8月 15日(水)20:22:27ニジェガロージェッツ さん
昭和76年の神戸市 ― (1)
ご無沙汰を重ねております。半年振りの書き込みにもかかわらず、地元ネタにて恐縮です。

昨年、転宅した際にダンボール箱へ押し込んでいた雑誌類を今になって整理していると「新・神戸市総合基本計画のあらまし―2001」という懐かしい冊子が出てきました。
タイトルからは6年前の冊子のように感じられますが、実は31年前の1976(昭和51)年に当時の神戸市企画局総合調査課から発行されたものです。要するに、昭和50~51年当時に神戸市が夢見た21世紀初年の2001(昭和76)年の未来の神戸を、多くのイラストや地図を添えて描いたものです。
圧巻は巻末にある折込の地図で、ここには「えっ」と思うような所に地下鉄が通っていたりする一方、現実の21世紀の現在には存在するものが影も形も描かれていなかったり、今にしてみると随分面白い地図です。
昭和51年というと、既に高度経済成長時代は終わり、当時は「安定経済成長時代に入った」と言われていました。ご存知のようにその後の時代の流れは円高不況や造船不振、地価高騰やバブル経済などなど、特に神戸においては平成7年の震災による都市の破壊を経験し今日を迎えていますが、そ~んなことは一切関係なく2001(昭和76)年を迎えた神戸市の姿です。
当時小生は中学生でした。この冊子を見て25年後の昭和76年の神戸市を想像し、「ものすごい街」になると感動したのを覚えています。

この冊子は「緑と、心のふれあいと、生きがいのまち・こうべ」とサブタイトルが付けられており、都市空間のプランから福祉、市民生活など当時の神戸市の考え方などが書かれていますが、ここでは地理に関連しそうなものをいくつかつまみ出してみたく存じます。

【人口】
人口規模について、市域を北神地域(現在の北区)、西神地域(現在の西区)、既成市街地域(北区の西区を除く全て)の三つに分けて計画しています。
昭和50年 136万人(既成市街地域116万、北神地域13万、西神地域7万)
昭和60年 160万人(既成市街地域120万、北神地域23万、西神地域17万)
昭和76年 180万人(既成市街地域120万、北神地域30万、西神地域30万)

実際の人口の推移は
昭和50年 1,360,530人(既成市街地域1,156,620、北神地域135,697、西神地域68,213)
昭和60年 1,410,834人(既成市街地域1,122,839、北神地域177,221、西神地域110,774)
平成13年 1,503,480人(既成市街地域1,041,030、北神地域224,853、西神地域237,597)
平成19年 1,530,088人(既成市街地域1,056,038、北神地域226,287、西神地域247,763)
注】昭和50、60年は10月1日国勢調査人口、平成13年は10月1日の推計修正値、平成19年は7月1日推計人口

神戸市は昭和50年代前半は人口増加の停滞が生じ(拙稿[12405]にちょっと状況が分かるデータがあります)、昭和50年代後半からは再び増加に転じましたが、昭和50年代半ばには、さすがに昭和60年に「160万人」になる可能性は無いと断じ、昭和60年は146万、昭和76年は160万人に修正されました。
もともと、将来人口180万人というのも、「180万人を限度として・・・」とあり、あくまで上限値であり、それ以上の人口を市域に抱えてはいけない、という尺度ですが、現実の人口の推移を見ると・・・
論評は控えさせていただきます。


【行政区】
昭和40年代に計画された「行政区再編成」ですが、昭和51年の時点では六甲山上の灘区への移管(昭和47年6月1日)、兵庫区より北区の分区(昭和48年8月1日)は実現していましたが、垂水区名谷団地の須磨区への移管(昭和52年6月6日)以降の変更は実現していません。

昭和76年の神戸市は11の区が描かれています。(昭和51年以降の)プランとしては
1)生田区と葺合区の統合 (実現:昭和55年12月1日に中央区発足)
2)垂水区から西神地域の分区 (実現:昭和57年8月1日に西区発足)
3)北区の北部地区を分区 (実現せず)
4)須磨区・垂水本区の新規開発地を分離し新区の創設 (実現せず)

北区の北部については、1983(昭和58)年9月16日に開かれた市会本会議にて、当時の宮崎辰雄神戸市長の答弁で「今すぐではなくて、十年はかかる話」と断った上で、「北区は将来、二つに割るべきだ。山田町以南と以北で区を作りたい」と、構想を明かしていました。(1983年9月17日付、神戸新聞より)
ですが「十年」どころか、答弁から24年を経た現在においても、分区を考えていません
昭和76年の将来人口を30万人としている北区の人口は、2007(平成19)年7月1日現在 226,287人で、分区の境とされる本区(同、144,487人)と北部(同、81,800人)では、震災後は本区は緩やかな減少傾向、北部では緩やかな増加傾向にあり、区全体としては横ばいの状況が続いています。
注】本稿で北区の「北部」と表記した、当時の宮崎市長の言う山田町以北については、現在では「北区北神」と言われています。
本稿では昭和51年当時「北神」と呼ばれていたのは現在の北区全域であることから、混同を避けるために敢えて「北部」としました。

須磨区・垂水本区の新規開発地に新区を設ける話については、昭和51年当時は垂水区に属していた造成途上の名谷団地を1977(昭和52)年6月6日に須磨区に編入し、須磨区の北半分を須磨区役所北須磨支所として、須磨区は「本区・北須磨」に分けられました。
1985(昭和60)年2月1日には「垂水本区の新規開発地」の総合運動公園(緑台)、流通業務団地(弥栄台)を須磨区北須磨に編入し、その後も流通業務団地の西区へのはみ出し部分が須磨区弥栄台に統一されるなど、北須磨は拡張して現在に至っていますが、本格的な須磨区からの分区については、話題さえも存在していません。
なお、冊子に載っている区分地図には、現在の垂水区のうち、第二神明道路以北・神戸淡路鳴門自動車道以東が「北須磨区?」に入っています。


【地域中心核】
「地域中心核として、都心―副都心―衛星都心―生活都心―まち住区中心―近隣住区中心を設定し、商業・業務機能、ターミナル機能などを整備します」とあり、生活都心以上のものは、具体的に以下のように地名が列挙されています。
都心:三宮~神戸
副都心:六甲、大橋~板宿
衛星都心:二郎、西神ニュータウンの中心
生活都心:住吉、湊川、須磨、垂水、須磨ニュータウンの中心、鈴蘭台

都心については、おおよそ現在の神戸市においても大きな違いはありませんが、ただ都心の一角に含まれても良い、1992(平成4)年に神戸駅浜側に商業地としてオープンしたハーバーランド地区は巻末地図にも描かれておらず、この地域には「ウォーターフロント緑地」とされています。

副都心においては、昭和40年代ごろより「東の六甲道、西の新長田」と言われていましたが、それをちょっと拡大したようで、巻末地図を見れは「六甲」には阪神新在家~国鉄六甲道~阪急六甲周辺まで、「大橋~板宿」には国鉄新長田周辺一帯と山陽板宿駅付近が連なった商業核のように描かれています。
現在の状況を見ると、六甲道、新長田ともに平成7年の震災では壊滅的な被害を受け、それぞれ六甲道駅南地区新長田駅南地区において、震災復興市街地再開発事業が実施されており、復興途上にあります。
ただ、「六甲」においては新在家から阪急六甲に至る大規模商業核には成長しておらず、「新長田」においても地下鉄新長田駅から駒ヶ林駅にかけては再開発ビル群として復活した大正筋商店街などで一体性のある商業地にはなっていますが、板宿(須磨区)との連帯感はなく、新長田―板宿間は震災前は住工混在地域、震災後の焼け野原を経て、現在は住宅街として整備されています。

衛星都心として名が挙げられている北区の二郎については、「二郎いちご」として神戸では有名なイチゴの産地で、昭和51年当時は神戸電鉄二郎駅も人里離れた長閑な田園地帯にありました。
そうような二郎ですが、巻末地図では二郎駅より南は神鉄の東西両側に大規模な住宅街が形成され、北側には工業地帯が描かれています。そして駅の西側に商業核が計画されています。
現在の状況を見ると、実際に衛星都心として整備されているのは二郎ではなく、神鉄にして2駅南の岡場駅周辺です。岡場は藤原山を削りニュータウンとして開発された藤原台の中心駅となり、かつては地上にあった田舎駅でしたが高架駅となり、当時とは様変わりしています。

一方、「西神ニュータウンの中心」とは、現在の地下鉄西神中央駅の場所に一致しています。こちらは計画通りの実現です。

生活都心として名が挙げられている「須磨ニュータウンの中心」とは、現在の地下鉄名谷駅です。昭和51年当時は市営地下鉄開業前でした。(開業は昭和52年3月13日)
住吉、湊川、垂水、名谷、鈴蘭台は、確かに生活都心と言っても良いと思いますが、須磨だけはとても生活都心とは言えず、今日においても手付かずの状態に感じます。
[57118] 2007年 3月 2日(金)00:03:42ニジェガロージェッツ さん
海上渡橋歴など
3月に入りました。この冬、神戸(神戸海洋気象台)では最低気温の記録が2006年12月29日の0.0℃で、まだ一度も氷点下になっていません。恐ろしいほどの暖冬です。
さて、以下まとめレスにて恐縮です。

[57060] ペーロケ さん
日本が主張する領土とは裏腹に、実権を持って支配している範囲はどんどん狭くなっていますね。

そうですか? 小生など能天気なもので、横浜市内の米軍施設が返還されたりして、逆だと思っていました。

地球温暖化で沖ノ鳥島はいつまで持つのか気になります。
これは本当に怖いですね。あれは「岩だ」と言い出す国もあるようですから、領土保全のためにも何とかならないものかと思います。
ところで、「岩」と言えば、宗谷海峡にある「二丈岩」という、別名「危険岩」と呼ばれる岩があり、文字通り船舶の衝突事故が多発したために、灯台を建設したとか。
その灯台が気になって、稚内から宗谷海峡を横断した時に、その灯台を探したのですが、見当たりませんでした。

[57062] グリグリ さん
容量問題は現在はほぼないと考えていただいて結構です。時代が変わりました。(笑
有難うございます。2003年7月にあった18000番台の、あの時の議論はもう時効と考えて差し支えないですか?
とはいえ、やはり容量が無限になったわけではありませんので、書き込みの際にはあの時の議論をこころの片隅に留めおいて、望みたく思います。

[57094] まるちゃん さん
見島といえば、自衛隊とマグロです。
あの島はマグロの島でしたか。(←知らなさ過ぎ)
リンク頂いた写真は見事なマグロですね。
小生の島達度には、舳倉島や見島など、釣り好きかと思われるような島がありますが、釣り好きではないばかりか、釣りをしたこともありません。
学生時代に、夏休みには六甲登山仲間と「島へ篭る」という、変な企画を毎年やっていました。81年=友ヶ島、82年=舳倉島、83年=直島、と来て、84年に見島を選びました。

[57106] 星野彼方 さん
東二見橋は徒歩専用(現在車も渡れるように工事中)であそこを渡るのは地元民と釣り人以外では思い浮かばないような橋です。
あれは震災の前の年でしたが、自動二輪に乗って取引先へ機械の修理に行った際、予想外に早く仕事が終了し、余った時間に近辺の海岸巡りをやりました。
記憶違いでなければ、東二見橋を強引に自動二輪で突破し、南二見人工島に渡ったと思います。その後、二見大橋を通り南二見人工島を離れ、播磨大橋([57101]には「新島橋」と書きましたが、まちがい)を通り播磨町新島(人工島)に渡りました。

[57110] 小松原ラガー さん
走るたびに路面からカタカタ音がして「いかにも」という仮設の橋だったのを覚えています。
そうでした、そうでした。徒歩で歩いて仮設大橋を渡っていると、震災復旧工事の大型ダンプが通る度に橋全体が揺れ、落橋しそうなスリルがありました。
この時は、ポーアイの「バンドール」という大型商業施設(現在はありません)に旅支度に買出しに行った際に渡橋しました。今思い出したのですが、「バンドール」でスーツケースに目星を付け、後日にそのスーツケースを買いに車で再訪しました。従って[57101]の仮設大橋は○ではなく◎でした。
仮設橋を実際に歩いて渡ると、落橋のスリルも手伝ってか地図で見るよりもずっと長距離に感じました。再訪したときに写真に撮っておこうと思いましたが、その直後に神戸を離れて人口140万人の「Nという町」で暮らし、1年後神戸に帰ってきたときには既に仮設橋は撤去されており、果たせず仕舞いに終わりました。残念です。
[57101] 2007年 3月 1日(木)01:50:02【3】ニジェガロージェッツ さん
海上渡橋歴
[57062] グリグリ さん
交通整理は後回しにしてさらに加速してみましょうか。[57022]で書いた「海上架橋」です。

とりあえず地元中心ですが、思い出す限り海上渡橋歴を挙げてみます。但し、海上を通る高速道路に架かる架橋などは名称が分からないものもあり、結構適当です。
◎徒歩、交通機関利用とも渡橋歴あり、○徒歩のみ、●交通機関利用(車・自動二輪・電車)のみ

【兵庫県】 ●尼崎東海岸、●甲子園浜、●西宮港大橋、●南芦屋浜、●深江浜、●東神戸大橋、●六甲アイランド大橋(以上、阪神高速5号湾岸線)、●住吉浜渡り橋、◎六甲大橋、●六甲大橋(六甲ライナー橋)、●灘大橋、●灘浜大橋、●摩耶大橋、◎神戸大橋、●神戸大橋(ポートライナー橋)、●神戸空港連絡橋(ポートライナー橋)、○仮設大橋、●浜手バイパス、○モザイク北側、◎苅藻橋、◎明石海峡大橋、●東二見橋、●二見大橋、●新島橋(播磨町)、●高砂大橋
【兵庫県―大阪府】 ●中島川橋(阪神高速5号湾岸線)
【大阪府】 ●神崎川橋、●正連寺川大橋、●天保山大橋(以上、阪神高速5号湾岸線)、●港大橋、●南港大橋、●新浜寺大橋(以上、阪神高速4号湾岸線)、●関西国際空港連絡橋、●平林大橋
【三重県】 ●麻生の浦大橋、●的矢湾大橋(以上、パールロード)
【兵庫県―徳島県】 ●大鳴門橋
【徳島県】 ●小鳴門橋、●撫養橋
【岡山県】 ●片上大橋
【岡山県―香川県】 ●下津井瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道・JR線)
【香川県】 ●櫃石島橋、●岩黒島橋、●与島橋、●北備讃瀬戸大橋、●南備讃瀬戸大橋(以上、瀬戸中央自動車道・JR線)
【高知県】 ●浦戸大橋、●宇佐大橋
【広島県】 ●尾道大橋、●因島大橋
【長崎県】 ●平戸大橋
【樺太】 ●大泊港連絡橋

まだあるかも知れませんが、取り敢えず以上です。このうち、仮設大橋(9ページ写真6下 神戸新港第三突堤―第四突堤)のみ現存しません。


[57099] 小松原ラガー さん
私も上記3つは全てクリアですが、実は3つとも自分の足で、というか正確には「人力で」クリアしたことがあります。
小生も同じ体験をしております。小松原ラガーさんは更に仮設大橋の渡橋歴もお持ちなのでは・・?
[57051] 2007年 2月 26日(月)20:31:09【1】ニジェガロージェッツ さん
渡島歴
続々と続くことが予想され、容量問題からオーナーさんに遠慮して[56986]に「やめとけ」と書きましたが、[57022]グリグリさんご自身より「面白そうですね」とあるので、遠慮なく書き込みさせていただきます(笑)

島の基準は[57040]太白さんご紹介のサイトに準じました。
主要五島○樺太、○北海道、◎本州、○四国、○九州
石川県●舳倉島
三重県○答志島、●賢島
滋賀県●竹生島
和歌山県●沖ノ島(友ヶ島)
兵庫県○淡路島、●家島、●坊勢島
岡山県▲頭島、▲鴻島、●大多府島、△前島、●犬島
広島県○仙酔島、●向島、●因島、●生口島
山口県○見島、●青海島
徳島県▲大毛島
香川県○小豆島、○直島、●女木島、▲櫃石島、▲岩黒島、△与島、▲鍋島
長崎県○平戸島
宮崎県●青島

ついでに、番外になりますが人工島についてもやってみました。拙稿[24523]に挙げた埋立島+神戸空港より拾い集めました。
東京都▲新木場
大阪府●関西空港島、▲高砂、▲南港南、●南港北
兵庫県-神戸を除く▲甲子園浜、▲西宮浜、▲南芦屋浜、▲南二見、▲人工島
兵庫県神戸市●東部第四工区、▲東部第三工区、●東部第二工区、●六甲アイランド、
●ポートアイランド、●神戸空港、●苅藻島

こうしてみると、先の拙稿[56966]の「港歴」から(【6】回も修正を重ねたにもかかわらず)◎鞆の浦、◎田ノ浦(仙酔島)=ともに広島県福山市、が完全に漏れていました。
また、岡山県日生諸島の頭島港を◎としていましたが、この港は寄港のみで、実際には大多府島が◎でした。
また、[57018]まるちゃんさんをびっくりさせてしまった山口県の見島の上陸港は「本村」ではなく、山を隔てた北側の「宇津」でした。島内で探検と称して、南の本村まで山越えした経験があります。 宿は宇津の民宿に確保していましたが、この島には自衛隊の基地があり、最終日は自衛隊員の集団宿泊が急遽あり、宿主の別宅のようなところへ移された記憶があります。


[56988]いっちゃん さん
疑惑の航路
私の経港歴にも該当するものが有るような、無いような・・・。
道理で・・・分からなかった筈です(笑)

小生の場合、「疑惑」というほどではありませんが、「敦賀」の相手港は「浦塩」です。
また「長田」の相手港は淡路島の「浦港」でしたが、何分にも昭和40年代前半の幼少期の経港のため、記憶が確かではありません。長田港をフェリーで出港した記憶は鮮明にありますからカウントしましたが、どこか覚えていない港は挙げようがありません。

[56996]魚熊 さん
アンカレッジ経由のヨーロッパ便がなくなりました。そのため我々の世代が
アンカレッジを知る最後の世代といえるでしょう。
当時は1ドル=280円位でしたか。とても気軽に海外へ出かけるような時代ではなかったですね。そのあたりも、アンカレッジ経由の経験が少ない理由かも。
因みに小生の初海外は、円高になった1989年8月に稚内港からソ連統治下の樺太真岡港に渡った時でした。
(ワ! 樺太を海外と言ってしまった!)


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