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faithさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[61815]2007年10月10日
faith
[61756]2007年10月9日
faith
[61557]2007年10月7日
faith
[61543]2007年10月7日
faith
[61508]2007年10月4日
faith

[61815] 2007年 10月 10日(水)23:16:00faith さん
地名の決定権
[61799] 千本桜 さん
何と答えたら良いのやら、そのような論理で地名を考えたことがないんですよ。自分が生まれる前から地域があり、地名があり、その地域や地名を当然のものとして育ったものですから、地名の継承を強制されているという感覚が私にはありません。
自分たちの住んでいる自治体が合併でなくなるなど、新たに地名を与える契機があって発生することだと思います。そういう契機がなければ、そんなことを考えないのは当然のことです。(これについては後述)
faithさん、本当にそう思うのですか?。もし、その行く先に "まずい" ものが見えたなら、誰かが「ストップ!」と声を上げるのが筋だと私は思うのです。それからもう一つ。「住民に最終決定権を与えるべき」とおっしゃいますが、それは住民が責任を負うことを前提にしなければ成り立ちません。理想じゃなくて現実を見た場合、責任を持って地名と取り組める住民は極めて少数です。みんな忙しいのです。そして何より、地名に関心が薄いのです。そのような一般住民に責任を負わせるのは酷です。
はい。「まずいものが見えても」住民に最終決定権を与えるのが正しいと私は本当に考えます。
この問題は実は地名だけではありません。関心の薄い住民だって含まれているでしょう。それでも、住民の意思を問う以外に、誰もが認めうる、手続き的な根拠がないでしょう、ということです。

呆れられているようですが、1つお考えになって下さい。
今回の「藩政村の地名を継承すべき」というのは、「自分たちの住んでいた自治体の名前を地名に残したい」という意見に比べて、万人にとって「正しい」のですか。
いずれも、地名を決定するのにあたっての、1つの立場でしかないように思えます。
だから、いずれを採用するかについては住民に決めさせるしかないでしょう、と申し上げているのです。
千本桜さんから見れば、正しい決定が常に行われるものではないと思います。でも、自分たちの住む地域の名前をそうでたらめに付けるはずもありません。(どちらかというと、「でたらめ」に近い名前は、行政の側から出ているような気がします。)

自治体名を地名に残したい、だけど日常使うので、長い地名は嫌だ、
と思うのはそんなに愚かなことでしょうか。
人間として自然なことではないでしょうか。私だってそう考えるでしょう。
そこで、この地名はこのように残した方が良いものだから、という啓蒙はなされても良いと思います。ただ、後者の立場を強制するのは、現代では無理がありますね、と申し上げているのです。(それが「歴史的地名の継承を強制することはできない」ということです)
石巻市は藩政村の和渕を残し、和渕小学校の住所を石巻市和渕字佐沼川としました。小字を抱えた地域では、大字たる藩政村を残すのが最良です。藩政村を残すことで小字の同名回避を図ることができます。このような地名の決定に一般住民の一人一人が決定権を持ったなら、こんがらかって話が前に進まなくなるのではないでしょうか。
「こんがらがって」の意味が分かりません。住民に意思を問うにあたって、合理的な案があるなら、それを示せばよいことです。その説得力が十分あればそれが選ばれるでしょうし、それが選ばれないということは、合理的だと住民が思わなかったか、それ以外に他の案を選好する、もっと強い理由があったということになります。
「こんがらがって」どころか、当たり前のことが起きるだけと思うのですが。
その動きに賛同した八戸市が市名を日本市に改称しました。これをもって、日本の名を残せて良かったねと喜べるでしょうか。どこでもいいから名前さえ残せば日本という国が存在したことの証明になると言うものではありません。ふさわしい場所に引継がれてこそ歴史を伝えられるのであって、ふさわしくない場所にその名を残すと、何百年後、何千年後に歴史を紐解く妨げになりかねません。大内町大字松崎の一部を大字大内に改称したのも、その類に思えるのです。
ではどこだったら「日本」という名前を継承してよいのですか。(まさか橿原市ではないですよね(笑)。)日本である以上、八戸市も京都市も同じだけの権利はあると思います。
済みません。ちょっと理解できません。松崎に位置するのだから松崎で良いと思いますが・・・。
工業団地が大内という名前を継承するのが正しくないのであれば、もともと工業団地が「大内町」と呼ばれる地域に含まれているのも間違いということになるのじゃないかと思いました。
(対偶ももちろん正しいと思います。)
だからといって、それが最良な出来事だったとは思えません。これから新たに地域と地名を構築していく際に、そのような事例を参照しても意味を成さないと思います。
これは私にとっては本質的なことと思います。
地名はこれまでも変わってきたはずです。文字による記録がなされる前からもそうですし、それからも自然に発生したり、なまったり、新しく成立した権力によって命名されたりといろいろです。
それなのに、なぜある時期に成立した地名に基づかない決定は間違いとされてしまい、住民はそのような決定ができないから、といって意思決定から排除されてしまうのでしょうか。

以上、意見の一致を見るような気がしないですが、こういう考えもあります、ということで書かせて頂きました。
[61756] 2007年 10月 9日(火)13:47:24faith さん
地名の決定権
[61653] 千本桜 さん
早速の丁寧な回答をありがとうございます。
大字界と大字名の変更を望むなら、その結果、周辺大字との係わりがどのように変化するかを知った上で要望するのが望ましいのです。
自体は、私は賛成ですし、そもそもそのような変更自体、むやみに行うべきではないと考えます。
ただし、そのような歴史的な地名の継承を、現在の住民に強制できるのか、といえば、手続き的には明らかに現代の社会ではNo です。それが、ここで問題にされているような事例を生んでいるわけでしょう。

意見が分かれるのはおそらくここからで、
たとえ、上記の見地からいって、まずい決定がなされる可能性があっても、住民に最終決定権を与えるべきと思うのがfaith なのに対して、そうではなく、
自分のことだけでなく、広く地域全体を見ることのできる人
が決めるべきとお考えなのが千本桜 さんであるわけでしょう。

[61194] 千本桜 さんが取り上げられている実例については
東かがわ市に引継がれる引田、白鳥という地名は引田町、白鳥町の意味じゃないんだよ。あれは、藩政村の引田、白鳥の意味なんだよ。大内町には藩政村の大内はないでしょう。だから、東かがわ市に引継ぐ大内という地名はないんだよ
という考え方と
引田町、白鳥町の名は残るのだから、大内町の名も残して欲しい
という考え方のいずれを優先するかは、やはり住民に最終決定権が与えられるべきことと思います。(東かがわ市になる前は「大内町」だった地域に暮らしていた人たちが「大内町」の地名を残したいというのは、藩政村の地名がどうあれ、自然なことと思います。)

もし、百歩も千歩も譲って どうしても大内の地名を残すとしても、あの場所のあの区域に大内と言う地名の継承を委ねるのは地理的・歴史的にいかがなものか
ということを言うのであれば、そもそも
大川郡大内町松崎
という地名を工業団地が名乗っていたこと自体もおかしいということになります。
推測の域を出ないのですが、地名が記録されるようになる前には、
これまで知られていた土地Aに隣接していた土地が、いつのまにかAと呼ばれるようになり、やがてAといえば後の方の土地を指すようになった、
などという例はいくらでもあったと思われます。
藩政期の地名を可能な限り保存して、それを基準に地名を決定するという考え方も1つの考え方と思いますが、現在の住民が、現在の状況(この例では、東かがわ市になる前の状況)を基準にして新しい地名を考えるのは自然なことであり、それを「誤りである」と決めつけることはできないと考えます。

最後に。暢気なことを言うなと叱られそうですが、このようにして(不本意な事例を含みつつも)地名が変わっていくから、[61175]88さん
試行品は、藩政村(≒大字)と現在の町・大字名との対比をも目的としています(究極の目標は、この表を全国に展開することですが)。
のような地理的な趣味も成り立つのではないかとも思いますがどうでしょう(笑)。
[61557] 2007年 10月 7日(日)19:13:06【1】faith さん
地名の決定権
[61551] 千本桜さん
[61545] 88 さん
転居してきてまだ5年とか、地区の生い立ちを知らないとか、地域全体の中における地区のアイデンティティーを考えたことがないとか、そういう類の町民を含んでの住民意識調査結果を楯に、住民から多数要望があったとして地名変更を画策した某町のやりかたに、疑問を超えて憤怒を覚えるのです。
心情的には理解できますし、昔から伝わる地名を理由もなく変えて欲しくないと私も個人的に思っていますが、ここまでくると、(不穏当な言葉かも知れませんが)「選民意識」というものに近く、私には受け入れにくいものを感じます。
どのような人の意見だったら「正しい」のですか。

地元の人だったら嫌がるだろうなと思う名称が、(おそらく他地域にお住いの方から)無邪気に提案されているのを見たこともあります。
もちろん、地名の歴史についての啓蒙はなされるべきですが、地名については、その地域で実際に生活して、納税して、地名の影響を直接に受ける、当の住民たちに最終決定権があると私は考えます。
それに、1000年前の地名だったら正しく、今の人が自然と思う名前より優先されるべき、というのも、考えておられるほど、万人に通用するロジックではないように思います。
いつの時代も、人々は自然と思う名前で周囲の土地を呼んできたはずです。狭い範囲の地名がいつの間にか広い範囲に転用されることなどいくらでもあったでしょうし、いつのまにか範囲がずれていることだってあったはずです。似たことが、少々違った形ではありますが、現代に起きているということではないでしょうか。

###こういう意見の方がこの掲示板では勇気が要りそうですが(笑)

矛盾と思われるかも知れませんが、[61545] 88 さんの
「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。
自体は、深い洞察を含んでいるように思われ、一概に否定するわけではありません。

※第1センテンスの表現を少し改めた。「いつの時代も…」以下を追加。[61545]への言及を追加。
[61543] 2007年 10月 7日(日)02:47:45【3】faith さん
島嶼部の旧富士銀行支店
[61400] ぺとぺと さん
[61375] KK さん
旧富士銀行の支店について、同行発行の「富士銀行の百年」(以下「百年史」)にて調べることができたので報告します。
百年史には以下のようにあります。
築地支店大島出張所 大島町元町四丁目
昭25・7 築地支店大島派出所を設置 昭31・9 大島出張所として開店
浜松町支店八丈島出張所 八丈島八丈町三根
昭39・11 芝浦支店八丈島出張所として開店 昭45・3 浜松町支店八丈島出張所
富士銀行の1998年版ディスクロージャー資料INFORMATION2--組織・ネットワーク(PDF/300KB)
にある大島特別出張所、八丈島特別出張所とは住所が一致していますので、これが富士銀行ではこの時点まで引き継がれていたものと思われます。

なお、八丈島出張所については現在のもの(八丈町大賀郷)と住所が異なっています。
富士銀行の2000年版ディスクロージャー資料DATA FILE Part 1(PDF/233KB)では、住所は表示されていませんが、
町役場前
とあり、このあたりで移転したようです。
三宅島の方の出張所については百年史では記述が見当たりませんでした。

八丈島出張所が新設された背景については、百年史には以下のようにあります。
こうした情勢(faith注:都市周辺部の発展を指す)をふまえて、大蔵省の店舗行政はさらに弾力的になった。三十七年度からは普通支店、三十八年度からは出張所の新設を認めることになった。このあと四十年の不況によって四十一年度に店舗行政は抑制に転ずるが、それまでの四年間に当行は次の支店と出張所の認可を受け出店した。
(中略)三十九年に小金井、小松川、経堂、府中、成増、金山橋の六支店と、東京中央市場内、八丈島の二出張所(略)

なお、
出張所(三宅島)と、特別出張所(大島、八丈島)の違い
については私も良く分かりませんでした。
他行でも、出張所、特別出張所が双方存在するところがあります。母店が本店であるか支店であるかに関連しているというわけでもなさそうですし、他行の例ですが、特別出張所だから母店が存在しないというものでもなさそうです。
三菱東京UFJ銀行 東松原特別出張所
東京三菱UFJ銀行がわずか5店だけ特別出張所を残しているところを見ると、行政的には意味のある区別なのでしょうか。

※「なお、八丈島出張所については…異なっています。」を追加
※※「最後まで」→「この時点まで」
※^3 誤字、脱字訂正。最後の引用部分を縮小。
[61508] 2007年 10月 4日(木)23:03:48【1】faith さん
奈良電&金沢
[61500] 2007 年 10 月 3 日 (水) 22:47:28 KK さん
近鉄に吸収された奈良電が京都線になったのは、
単純に、近鉄にはすでに奈良線があったから、
ではないでしょうか?
[61482]にも書いたように当時の事情は分からないのですが、おっしゃるようにすでに「奈良線」がある以上、旧奈良電の路線が「奈良線」と命名されるはずもありません。
[61482]では、そういう当時の社内的な事情についてではなくて、命名法としては近鉄京都線も、旧国鉄奈良線も、近鉄、旧国鉄それぞれの路線名の命名システム内では整合性が取れているのではないでしょうか、ということを言いたかったのでした。


[61485] むっくん さん
[61496] だんな さん
まさかここまでの学都であったとは。認識を新たにした次第です。
私も実は驚きました。正直に書きますと、最初は「金沢って学都?それは戦前のことじゃないの?」と思いつつ、一応現状を調べてみたら実は今でも「とっても学都」でした、恐れ入りました、というところです。
こういう特色を持った有力な地方都市があるのはとても好ましいですね。

※誤記訂正(「近鉄奈良線」→「近鉄京都線」)


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