愛媛代表、今治西。実は県内でも松山東に次ぐ進学校で有名な高校です。文武両道って素晴らしい!!
[18691]太白さん
日本国内で、本流より支流の方が長い(または、流域面積が大きい)川の例はあるのでしょうか。もし例外があれば、どうしてそうなったのでしょうか。
確かに揖斐川より長良川の方が長そうですが、合流後は「揖斐川」と称していますね。(国交省河川局によれば、共に木曽川水系だそうですが。。。)
(国交省)
http://www.mlit.go.jp/river/jiten/nihon_kawa/data/tyuubu/kisogawa/kisogawa.html
「RVW」さんと「静岡県南葛市長」さんは、某常連さんと文体が同一のようですね…。
私も、あの方を彷彿とさせるものを感じました。
[18638]ゆうさん
私の認識では、「灘」は沖合い、「湾」は入り江、です。
おお、そう考えれば分かりやすいですな。もちろん島原湾のような例外もありますが、「湾」の方が閉鎖性の強い地形でがんじがらめにされていて、「灘」は湾に比べてそれほど厳密に区分されるでもなく、ただなんとなく島がなく水面が広がっている空間に対して名付けた、といったところでしょうか。だから伊予灘と周防灘のように、どこから区分されるかといった明確な線は引けないものなのでしょう。もしかしたら、灘とは線を引くものではなく、同じ海域を山口や九州側から見たら周防灘、愛媛から見たら伊予灘、と呼ぶような気もします。そういや大分では「豊後水道」と呼ばれている海域は、愛媛では「宇和海」と呼ばれています。その線も明確には引けませんね。(少なくとも地図を眺めているだけでは。。。経験豊かな漁師さんは潮の流れで明確な区別をしているかもしれませんが。。。)
江田島と能美島とはもともと別の島だったようです。
江田島町と大柿町の境界を形作っている地峡は狭く、海であったと言っても不思議ではないですが、能美島を東西に分ける地峡はそんなに狭くなく、ある程度の標高差があって峠のような地形になっていた記憶があるので、東・西能美島が海で隔てられていたと考えるには、なんだか不自然ですね。
広島県の「音戸の瀬戸」は12世紀に平清盛がひらかせたという伝説が残っています。
確か、わずか一日で開いたとか。。。もちろん当時の土木技術を考えれば、かなりの尾ひれがついているでしょうが。。。