昨日は別件で図書館に行ったのですが、決め手の資料は見つけられませんでした。ああ上福岡。
そこで、ついでにみてきた瀬戸関連のお話です。
[18514]らるふさん
「瀬戸」と「海峡」って、どう違うんでしょうね?
「せとぎわ」などの言葉があることを考えると、「海峡」の最狭部が「瀬戸」なのかなと思いますが、「××瀬戸」と名前がついている海域を見ると必ずしもそうでもないですね。
ところで、愛知県瀬戸地方の「瀬戸」の由来は諸説あるようですが、海とは関係ないようです。
・「陶戸(すえと)」(陶器の産地から)
・「狭門(せと)」(山あいの地形から)
・「迫(せこ)」→「瀬戸(せこ)」(山あいの地形から)
[18525]uttさん
「灘」と「湾」の違いも気になりますね。
私の認識では、「灘」は沖合い、「湾」は入り江、です。
[18615]uttさん
江田島、東能美島、西能美島は同じ島なのに、部分によって別の名前が付けられていますよね?これは昔は別の島だったなんてことは考えにくいのですが、経緯が気になります。
[3009][12734]にも書いたのですが今回は図書館で調べました。祖父は嘘をついてませんでした。
平凡社「広島県の地名」から孫引きした「国郡志下調書出帳」によれば、江田島と能美島とはもともと別の島だったようです。経緯をまとめますと、
(1)もともとは別の島だった
(2)海峡が潮流の堆積作用により海が浅くなったので、海底を浚って船を通した→「堀越ノ瀬戸」と呼ばれた。
(3)さらに堆積が続き、飛び石を伝って行き来できるようになった→「飛渡瀬戸」と呼ばれた。
(4)ついには連接した→「飛渡瀬」の地名が残った。
(5)江田島町「飛渡瀬」は大柿町「飛渡瀬」と区別するために、江田島町「江南」に改称した。
ただし、大正生まれの祖父自身は飛渡瀬戸を跳んで渡ってはいないはずです。
一方、東能美島と西能美島とが別の島だったという記録は見つけられませんでした。これらは島内を細分する地域呼称に過ぎないような気がするのですが、だとすれば何故に国土地理院が島の名前として両方とも採用しているのかが不思議ですね。
[18618]U+3002さん
対馬(略)を分ける2つの「瀬戸」(略)が自然の水面ではなく、それぞれ江戸時代(1672)、明治(1900)に掘削された運河だそうです。
広島県の「音戸の瀬戸」は12世紀に平清盛がひらかせたという伝説が残っています。とはいえ、清盛がこの海域に手を加えたのは事実として、それ以前に倉橋島が本土とが地続きだったかどうかは怪しいです。浅く狭い瀬戸を深く広く拡張したというところではないでしょうか。
ところで、グリグリさんへ
上述「広島県の地名」には音戸の瀬戸の本土側を「休山(やすみやま)半島」としていました。