[57339]hiroroじゃけぇさん
以前読んだ芥川龍之介の随筆に、夏目漱石について語った文章がありました。手元に本がないのでうろ覚えですが、こんな話です。
ある弟子が「夏目先生が稲を知らないのに驚いた」と言っていたのを聞いた芥川が漱石に尋ねたところ、「なに、稲は知っていた」と言う。では彼が言っていたのは嘘なんですかと聞くと、「あれも嘘じゃないがね」と言う。漱石先生いわく、「僕だって稲から米が取れることくらいは知っていた。田んぼに稲が植えられているのも見たことがある。しかし、その田んぼに植えられた稲が、米の取れる稲だということがわからなかったんだ」
江戸っ子の漱石先生には田んぼは見慣れたものではなかったでしょうが、学識豊かな明治の文豪でも、こういったことがあったのですね。
それはともかく、この話は「机上の知識はそのままでは役に立たない」ということの典型であるように思えます。
わが身を省みると、漱石先生のことも藺草を稲と間違えたおば様のことも、笑うことはできそうにありません。
畳表が藺草から作られることは知っている。岡山県が藺草の産地であることも・・・ごめんなさい、知りませんでした。でも知っていたと仮定して、それで早島界隈の藺草畑を見て、それを藺草とわかるかというと、(藺草と稲が似ていることを抜きにしても)全く自信がありません。漱石の例と同様、机上の知識はそのままでは役に立たないのです。
これは私の勉強の仕方に問題があるわけですが、知識は現実の事物と結びついて初めて活用できるものなのですね。
とは言え、
[57286]EMMさんご指摘の、
そのおば様方は「稲がいつ田んぼにいるものなのか」と言うことを十分認識していないのではないか
には、私も驚きです。机上の知識を云々する以前に、初夏の田植えから秋の実りに至るサイクルは日本人の季節感として刷り込まれているものだと思いこんでいましたから・・・。
田植えの時期に関心はなくとも、初夏には田植えの話題がニュースに上りますし、秋には新米が店頭に並びます。こればっかりは無関心ではいられないだろうと思っていましたが、かのおば様にはそれすら「机上の知識」でしかないのでしょうか・・・。