都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
千本桜さんの記事が10件見つかりました

… スポンサーリンク …



[101411] 2021年 2月 21日(日)20:07:09千本桜 さん
「本山町街」ってなに? 「日光市街」ってどこ?
[101408] 駿河の民 さん
私は本山町に訪れたことがありますが、嶺北の中心地となっており、大きな高校や病院があったことが記憶に残っています。

私は昔々、大豊町の国道32号を自転車で走ったことはありますが、本山町には行ったことがありません。そこで、ストリートビューで模擬ドライブしてみました。出発点は大豊町高須の国道32号と439号の交差点付近。道路案内板は、直進32号「高松・三好市」、左折439号「本山」と標示しています。左折して439号を本山へ向かいます。

やがて大豊町域を過ぎて本山町域に進入。439号は本山の市街地を迂回するバイパスですが、バイパスと旧道の分岐点に、右折439号「田井」、直進「本山町街」の道路案内板がありました。直進すると本山の市街地(町場・街並み)に到達するのは理解できるのですが、「本山町街」という標記に違和感を感じました。「本山市街」と表示するのが正しいと思うのですが、皆さんは「本山町街」の標記をどのように思われますか。「町街」って、なに?

高知県の案内板は、町村部に「市街」を用いないのかなと思い、いの町を調べてみました。すると、国道33号枝川ICの所に、直進「松山・佐川」、左折「四万十市」、右折「いの町市街」の案内板がありました。町であっても「市街」と標記してあります。しかし「いの町市街」の「町」は不要でしょう。「いの市街」で良いだろうに、と思いました。個人的感覚が許されるなら「伊野市街」にしたいところです。

次に富山県南砺市を観察します。南砺市には福光・井波・福岡・城端の市街地があります。国道304号を北進し、福光駅前の交差点に近づいてきました。案内板には、直進「金沢・砺波」、右折「福光駅」、左折「福光市街」と書いてありますが、「南砺市街」とは書いていません。次に、福野を目指して県道20号を走ります。福野の町場入口に近づくと、左折「高岡・砺波」、直進「福野市街」の案内板がありました。あぁ良かった。「南砺市街」なんて書いてあったら頭にくるところだった。ついでに井波も観察しましたが、やはり「井波市街」と書いてあります。市街地名を標示するときは、市町村名にとらわれなくても良いというのが、私の考えです。

ついでに、日光市の国道119号をJR日光駅に向かって西へ走ります。すると、121号との交差点を過ぎたところに、直進「日光の社寺11km・日光市街3km」の案内板が。日光駅は10km先なのに、「日光市街3km」は変ですね。もう、おわかりの方もいるでしょうが、「日光市街」とは今市の市街を指しているのです。すると、日光駅前から神橋にかけて広がる旧日光市の市街地は日光市街地ではないことになります。私の感覚では、旧今市市の市街地は「今市市街」と書き、旧日光市の市街地を「日光市街」と書いて欲しかったと思います。
[101391] 2021年 2月 9日(火)17:47:22千本桜 さん
伊予石城駅
[101384] ekinenpyou さん
武蔵大和駅のように旧国名が複数連続する鉄道駅をお答えください

旧国名の定義次第ですが、奈良時代に短期間だけ存在した石城国がOKなら、伊予石城駅も該当しますね。
[101350] 2021年 1月 26日(火)19:45:24千本桜 さん
びびらずに定説を覆す
[101339] オーナー グリグリさん
家向き俗説、拝読しました。徹底した検証が説得力があり、たいへん興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。
お読みいただきまして、こちらこそありがとうございました。城下町や東海道・中山道の宿場町と違って、金ヶ瀬宿の場合は資料や痕跡があまり残っておらず、少し苦労しました。定説を覆すのですから、ぬかりがあってはならないと、20数年かけて調査しました。(笑
[101332] 2021年 1月 22日(金)22:29:30千本桜 さん
金ヶ瀬宿の「家向き俗説」
金ヶ瀬(かながせ)は奥州街道に発達した宿場町で、本町と新町から成る。本町は白石の片倉家、新町は仙台の伊達家の領地である。町の長さは、およそ1,100メートル。途切れのない一連の町並みだが、町の中央を境に家向きが一変する不思議な町だ。この町には、誰もが信じて疑わない俗説がある。本町と新町は互いに反目し、背中合わせに家を建てたと言うのだ。本町は片倉様の白石城へ、新町は伊達様の仙台城へ向かって玄関・縁側を配置したと言うのだから面白い。この俗説は、大河原町史や角川日本地名大辞典にも史実として記述され、今では動かぬ定説となっている。だが、その真相はいかに!
 定説を覆すのは難しい。下手をすると変人扱いされかねない。しかし、定説といえども間違いは間違い、嘘は嘘である。金ヶ瀬宿の「家向き俗説」に関する調査レポートを作成しましたが、図版を多用しているため落書き帳に書き込めませんので、ここに貼らせて頂きます。 金ヶ瀬宿の「家向き俗説」
 たとえ権威のある地誌でも、間違いはあるということです。

白桃さん、快復を祈ってますよ。
[100873] 2020年 12月 6日(日)07:52:58千本桜 さん
古川と北上
[100867] 白桃さん
神風※「そうですね。玄人好みの好取組です。地力では古川だと思うのですが、北上は付け人の江釣子の力も借りており、全く予想できません。」

付け人ですか〜 言い得て妙!
江釣子が北上に一途な付け人だとすると、古川の付け人たる三本木は時々隠れて仙台へ浮気する、そんな感じでしょうか。鹿島台などは古川と別部屋だと思っている節があるから、大崎部屋をまとめるのは大変でしょう。
古川と北上は優劣付け難い成長都市で、独自の都市圏を形成しながら市街地を拡大してきましたが、微妙な違いを感じます。古川が下位の力士と対戦して勝ち星を増やしてきたのに対し、北上は花巻や水沢といった上位力士と戦って現在の地位を勝ち取った。そこに北上のダイナミックさを感じます。いずれにしても2020年国勢調査の発表が待ち遠しいですね。
[100866] 2020年 12月 2日(水)06:42:29千本桜 さん
「平成の大合併」なかりせば。古川VS北上を希望
[100865] 白桃さん

「平成の大合併」なかりせば。
東北地方における2つの成長都市、旧古川市と旧北上市の推移を対比したいので、ご協力お願いします。
1・旧古川市VS旧北上市
2・「旧古川と旧三本木を併せた古川」VS「旧北上と旧江釣子を併せた北上」
3・現大崎市VS現北上市
以上、3種類を[100865]の書き込みと同じパターンでお願いします。
[100855] 2020年 11月 24日(火)06:22:17千本桜 さん
Re:消えゆく「商業高校」
[100854] 白桃さん
アレ、もう一つ何処だっけ???(笑)

ソレ、スーパータウン大河原のことでしょう。
県立高校が2校ある少し珍しい町ですが、令和5年度には大河原商業高校と柴田農林高校が統合するので1校になる予定です。
新高校名を募集しているとは聞いていませんが、募集するとなれば皆さん、「千本桜高等学校」で1票投じてくださいますようお願いします。
[100101] 2020年 8月 14日(金)17:04:43千本桜 さん
花巻は総合都市
[100078] 白桃さん
花巻を「温泉都市」というのもヘンですね。では、花巻を何の街と呼べば良いのでしょうか?

昭和時代に育まれたイメージですが、花巻はコンパクトな市街地(DID)に商業機能がぎゅっと詰まった濃密な商業都市のイメージがあります。中心街の上町・吹張町・鍛治町はアーケード街でデパートが2店あり、黒沢尻(現在の北上市)からも集客していました。さらに工業も盛んで交通の要衝、そして地域文化の発信基地でもありましたから、複合都市または多機能都市と呼ぶべきでしょうか。以上は私の主観ですが、客観的にはどのように評価されていたか。昭和60年発行の角川日本地名大辞典岩手県には「県央の中核総合都市」と書いてあります。なるほど「総合都市」か。大正・昭和の花巻を的確に言い表わしていると思います。

角川地名大辞典は、中・南部の内陸都市を次のように評価しています。南から順に、一関市は「県南の雄都」、水沢市は「県下第一の穀倉地帯」、北上市は「内陸部の工業都市」、花巻市は「県央の中核総合都市」です。水沢市だけ異なる目線で書かれていますが、他と合わせるなら「県南最大の商業都市」と書くのが良いのでは?

東北本線に沿って一列に並ぶ一関・水沢・北上・花巻の団子4兄弟は、私にとって昔も今もパワースポットです。この4都市を思うと力が湧いてくるのです。仙台や盛岡に呑み込まれまいとする自立心。そして一関は両磐の、水沢は胆江の、北上は和賀の、花巻は稗貫の中心都市としての強い自負心がある。地域に深く根を張った姿は地方小都市の鑑のような存在です。

性格も規模も似通った団子4兄弟。力関係が微妙に揺れながらも均衡を保ってきましたが、この均衡を破ったのが北上です。昭和の頃は一関・水沢・花巻の下位に置かれた北上が大躍進。今では中・南部の最大都市に成長し、その煽りで花巻の影が薄くなりました。昭和40年代と現在の都市の大きさを見比べてみましょう。自治体やDIDの大きさではありません。概ね市街地に相当する区域に集積した都市産業から弾き出した都市の大きさです。こういうのは細かい数値を出しても意味が無いので、大まかに出します。

昭和40年代の都市の大きさ/最大都市水沢を100とした場合、花巻95、一関90、北上60
現在の都市の大きさ/最大都市北上を100とした場合、水沢69、一関66、花巻65

一関・水沢・花巻は常に優劣つけがたい同規模都市ですが、北上が大変貌を遂げました。大正・昭和の頃は一関・水沢・花巻が親分で北上が子分。しかし今では北上が親分で一関・水沢・花巻が子分になってしまいました。都市に感情は無いけれど、そこに思いを寄せる人には感情があります。花巻に思いを寄せる人には無念の思いがあるのではないでしょうか。
[100066] 2020年 8月 6日(木)06:40:58千本桜 さん
Re:案外健闘している温泉地に関する問題
[100065] 白桃さん
D市は、案外盲点かもしれません。東海地方の市で、市域には4つの温泉街があります。その4つは、もともと別の町にありました。
確かに盲点だと思います。あの大県では最大の温泉場なのでしょうが、私の住んでる地方ではかなり知名度が低いです。ひらがなで書くと濁音が2つあるので語感がゴツいですね。
[100053] 2020年 8月 1日(土)22:10:05千本桜 さん
メッシュ統計で遊ぶ 〜金融・保険業の集積〜
地域メッシュ統計を用いて、宮城県南部の中心・拠点となる都市を探ってみました。
基礎となるデータは、平成28年経済センサスから抽出した金融業・保険業の従業者数です。金融業・保険業に的をしぼったのは、都市の中心性・拠点性は金融業・保険業の集積に端的に現れるのではないかと考えるからです。
対象地域は、仙台市以南の全市町です。自治体人口の多い順に並べると、名取市(79,141人)、岩沼市(44,378人)、柴田町(38,728人)、亘理町(32,884人)、白石市(32,863人)、角田市(28,154人)、大河原町(23,683人)、丸森町(12,481人)、山元町(11,757人)、蔵王町(11,449人)、村田町(10,601人)、川崎町(8,478人)、七ヶ宿町(1,254人)になります(令和2年7月1日推計人口)。この地域には335,851人が住んでいますが、風格のある中心都市がないのが特徴です。

集計は次の手順で行いました。
1・宮城県南部の地図に3次メッシュ(1kmメッシュ)を掛けます。
2・平成28年経済センサスを基に、個々の3次メッシュに金融業・保険業の従業者数を記入します。
3・辺が接していることを条件に、従業者数1人以上のメッシュを連結し、金融業・保険業集積地域を画定します。
4・金融業・保険業集積地域を都市とします。
5・各都市に従事する従業者数を算出します。
6・各都市に名称を付します。
6・各都市の中心地点にマークを付します。中心地点の特定は各種要素を基に判断しました。

上記集計の結果、宮城県南部で金融業・保険業の従業者数が最も多いのは大河原で、名取・岩沼・白石・角田と続くのが解りました。ただし、この大河原には柴田町船岡の市街地も含まれています。大河原市街の端と船岡市街の端は至近距離にあるため、同じメッシュに覆われます。しかし、人家の無い丘陵で隔てられた2つの市街地を1つにまとめて良いものか、引っ掛かります。そこで、参考までに大河原と船岡に分割してみました。その結果、大河原299人、船岡108人となりました。
また、辺は接していないが角だけ接したメッシュも取り込んで集計すると、船岡、名取、岩沼の数値が少し増えます。これを「緩めの集計」としてカッコ書きで記載しました。

都市名金融保険従業者数緩めの集計中心地点摘要
大河原407人(416人)ここ大河原町の中心市街地
※大河原299人(299人)ここ大河原町の中心市街地
※船岡108人(117人)ここ柴田町の中心市街地
名取400人(429人)ここ名取市の中心市街地
岩沼298人(302人)ここ岩沼市の中心市街地
白石243人(243人)ここ白石市の中心市街地
角田202人(202人)ここ角田市の中心市街地
亘理83人(83人)ここ亘理町の中心市街地
永野41人(41人)ここ蔵王町の中心市街地
村田26人(26人)ここ村田町の中心市街地
丸森23人(23人)ここ丸森町の中心市街地
川崎21人(21人)ここ川崎町の中心市街地
山下20人(20人)ここ山元町の中心市街地
槻木18人(18人)ここ柴田町の副次市街地

1kmメッシュの性格上、船岡市街を巻き込んでトップに立った大河原ですが、明治初期の警察署設置を振り返れば、これも納得できる結果なのです。明治初期、宮城県は仙台、古川、石巻、大河原に警察署を設置しました。その時の大河原署は、今回取り上げた宮城県南部の全域を管轄していました。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示