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白桃さんの記事が5件見つかりました

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[100195] 2020年 8月 26日(水)16:56:49【1】白桃 さん
「日和佐町史」「赤河内村郷土誌」を読む
タイトルの2冊を国立国会図書館、と言っても、その図書館送信参加館となっている浦安市中央図書館で見てきました。
まず、最初にわかったことですが、徳島県が推進する市町村合併に対して、赤河内村は当初消極的であったということです。日和佐を取り囲むように広がる赤河内は、林野面積も広大で、特に徳島県を代表する樵木(こりき)林業の里として知られており、畑違いの日和佐と合併してもデメリットの方が大きいと考えていたのかもしれません。
さて、ここから本題です。
「日和佐町史」には、両町村から徳島県へ出された「合併申請書」が掲載されていました。
海部郡日和佐町を廃し、その区域を昭和31年9月30日から海部郡日和佐町となるべき海部郡赤河内村に編入し、昭和31年9月30日から施行するようお取り計らい願いたく(以下略)
はっきり言って変な文章だと思います。が、言いたいことは分かります。つまり、「日和佐をいったん赤河内に編入したことにして、その日から新しい日和佐町をスタートさせたい。」ですよね。ただ、不思議なのは、この合併申請書には「赤河内町」という文言が出てこないのです。
そこで、「赤河内村郷土誌」を見ることにしました。そこには、赤河内村議会で決議された事項のうち、まさに私の関心事である3つの議案が掲載されていました。
第21号議案
町制施行について
海部郡日和佐町を廃しその区域を昭和31年9月30日から海部郡赤河内村に編入することになる赤河内村を赤河内町として昭和31年9月30日から施行する
白桃、頭が痛くなりました。アタマが悪くなったのでしょうか?解り難くするのだけが目的のような文章です。「魏志倭人伝」も顔負けです。でも「赤河内町」という文言は出ていますね。
第22号議案
町の編入について
海部郡日和佐町を廃しその区域を昭和31年9月30日から海部郡日和佐町となるべき海部郡赤河内村に編入し昭和31年9月30日から施行することを徳島県知事に申請するものとする
とにかく、日和佐を赤河内に編入するのですね。
第23号議案
町の名称を変更する条例
海部郡日和佐町を廃しその区域を昭和31年9月30日から海部郡赤河内村に編入することとなる海部郡赤河内町を日和佐町に改める
新町名を「日和佐町」とすることは合併協議における最初からの「お約束ごと」でした。

以上から感じたことは、赤河内側にとって重要なことは、「赤河内町を名乗ること」と「日和佐を編入した形をとること」の二つで、その順序はどうでも良かった、あるいは、意識もしていなかったのではないかということです。奇しくも議案の順番通りに総理府告示が出されていますが、757号が「日和佐町を赤河内村に編入」、758号が「赤河内村→赤河内町」となっていたとしても赤河内側からは文句が出なかったのではないかと考えています。
[100194] 2020年 8月 25日(火)23:19:14白桃 さん
赤河内町と伏黒町
[100193]MI さん
はい。調べてあります。総理府告示では以下の通りになっています。
DIDの変遷を復刻していただいたときもそうですが、私が大いに悩んでいたときに、MIさんには思ってもいない「天の助け」をいただいております。本当に感謝申し上げます。また、改めて「市区町村変遷情報」の正確性について敬意を表します。
ただ、美波町役場の方に読み上げていただいた町史には、「徳島県海部郡日和佐町を廃し、その区域を赤河内村に編入」と書いているようなので、この点からも、「赤河内単独町制説」に関して私はまだすっきりしていないのです。まさかとは思うのですが、徳島県から総理府に届ける際、何かの手違いがあったのではないでしょうか・・・。ある「事典」には「日和佐町:1956年赤河内村を編入」となっていますが、事実上はそのとおりですから、形式的な事柄はあまり気にしない方が良いのかもしれません。

伏黒村が伊達町になる際、いったん、「伏黒町」となっていたのですね。気が付きませんでした。
[100190] 2020年 8月 25日(火)15:23:18白桃 さん
1956年9月30日、日和佐町を編入したのは赤河内村?
タイトルの件、「市区町村変遷情報」では以下の通りになっています。
変更年月日都道府県変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容
1956(S31).9.30徳島県町制/編入/改称海部郡日和佐町海部郡 赤河内村, 日和佐町
つまり、順序として
1.赤河内村を赤河内町とする
2.日和佐町を赤河内町に編入する
3.赤河内町を日和佐町とする
となっているのですが、[82395]
「赤河内に花をもたせる」だけなら、以下の通りで良かったのではないかというのが私の考えです。
日和佐町を赤河内村に編入する→赤河内村が町制施行→赤河内町が日和佐町に改称
(つまり、福島県で同じ時期に行われた伊達町/伏黒村パターン)
と書いているように、この流れになんとなく違和感のあった私は本日、美波町役場に問い合わせを致しました。
私の不躾な質問に対し、親切にも役場の方は「町史」(たぶん、日和佐町史でしょう)で調べてくれました。
結果は、私が予想していたように
1.日和佐町を赤河内村に編入する
2.赤河内村を赤河内町とする
3.赤河内町を日和佐まちとする
でした。
一日に起きた出来事なので、順序なんてどうでも良いことかもしれません。また、これでもって、「市区町村変遷情報」の記載が誤っていると決めつけるわけにはいきません。官報で調べらることが出来ればよいのですが、とりあえず、ご報告まで。
[100184] 2020年 8月 21日(金)07:54:36【2】白桃 さん
全国の町十番勝負の感想プラスあるふぁ
問九は私も「関西本線」に乗りました。答えているのが、デスクトップ鉄さんとNさんだし、これは間違いないと思ったのですが、敢え無く脱線。
しかし、「三菱UFJ銀行」は良い問題だと思います。それにしても、前身の前身が東海銀行だから、蟹江や武豊、それに田口(設楽町)に支店があっても不思議では無いのですが、王寺は流石にびっくりです。でも考えてみれば、連担するDID人口は87,928人でありますから、都市銀行の一つや二つがあっても不思議ではありませんね。JR王寺駅前の景観は大河原もビックリの「都会」そのものです。[97563]で、
DID名メインDID所在自治体DID人口種別構成(形式)DID
葛駒奈良県王寺町※87,928斑鳩、大和三郷、王寺、上牧、河合
とし、
碧海以上に核なきDIDである【葛駒】ですが、葛城の「葛」と生駒の「駒」からとった名称です。また、構成(形式)DIDの中で、DID人口トップは斑鳩ですが、DID発生が一番古い王寺をメインとしています。(もう一つの理由;うちの桃娘は、「斑鳩」を読めない。)
と書いておりますが、この際、DID名も「葛駒」から「王寺」に改称いたします。

改称と言えば問六です。「『駅』や『宿』から『町』への変更」を、「『狩太町』から『ニセコ町』へ」のような本来の改称と同じ扱いにするのはどうなんでしょうか。

ついでに[100078]
ギャンブル好きの方に、スピンオフ問題です。
笛吹市にもありますが、北海道の釧路町、青森県の田舎館村、福島県の西郷村にもあるものなあに?
答えは、「日本中央競馬会(JRA)の場外勝馬投票券発売所(ウインズ)がある」でした。そう言えば、石和オフ会のとき、石和ウインズに寄られた方がいらっしゃいました。誰だったかは忘れましたが・・・
[100170] 2020年 8月 19日(水)15:12:36白桃 さん
全国の町十番勝負
問九:福島県三島町


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