まずは、のっけから敬愛する白桃おじ様のデビュー記事のタイトルをパクってしまい不徳の致すトコロだとお詫び申し上げる次第です・・・
では、名瀬私の記事に「南越前町」が出てくるかと言うと、自身の曽祖母の実家が町内にあったからに他なりません。一応ドコの大字かは伏せさせて下さい。(ヒント:旧自治体で言うならば○○蕎麦で有名な所でした。)まあ、所謂「ふるさと」とは言えませんが、繋がりがあると言う事で親しみを感じている地なのです。
そこで、
[60428]千葉の民間人さん
北陸州(金沢):富山県,石川県,福井県,
と仰ってお見えですが、
[60433]熊虎さん
「歴史的なつながり」VS「現在のつながり」
の双方を勘案してみても福井県は嶺北と嶺南に確実に分断されるでしょう。何故なのかといえば、歴史的な観点からみると都道府県草創期には仰る様な北陸州の枠組みとほぼ同一の「大・石川県」が設置されたからです。(名前は金沢県だったかも・・・違いましたね。)その際、嶺南にあたる4郡(大飯郡・遠敷郡・三方郡・敦賀郡)は石川県(敦賀県)から離れ、滋賀県に所属していました。この事からも「嶺北と嶺南」は異質であった事が窺えます。また、何故「敦賀県」が存在し、なおかつその枠組みが現在も継承されている訳は、敦賀の地が明治期から戦前にかけて軍港の一翼を担ったためだと私は推測します。
また、現在に於いても天気予報区分も言うに及ばず、湖西線の敦賀駅までの電化・新快速の乗り入れ(ですよね?)が実現し、一方、高浜町は舞鶴都市圏に属するなど近畿地方により接近していっています。また、「嶺南市」構想など福井県の枠組みから独立・分離の動きも活発になっています。現実的にも若狭・敦賀地域に立地する原発の電力も近畿圏で消費されているにも関わらず、福井県が分離を拒む理由も原発収入に負う所が多いと言うのが実情でしょう。地形的にも木ノ芽峠の476号線のトンネルが開通したのがたった数年前であるなど、険しい地形の場所であるにも関わらず北陸の大動脈を通すと言う大義の下、国道8号・北陸自動車道・旧北陸本線(杉津経由)・現北陸本線(北陸トンネル)など多数が通過しています。もし、敦賀港が存在していなければ、その内の幾つかは現365号線の栃ノ木峠を経由していたかも知れません。(当時の技術では不可能かも知れませんが。)
ですから、母祖の地である南越前町は北陸州に入れども、州都からはかなり離れてしまいます。当然、嶺南地域が分離すれば、それこそ「州の端っこ」に過ぎなくなるでしょう。時代の趨勢だと言われればそれまでですが・・・あと、そう言えば、輸送機器の進歩によっての速達が可能だからと言う反証も出来ない訳ではないです。しかし、北陸新幹線の南越駅までの延伸にはまだかなりの時間が掛かると予想出来ますし、実現性もかなり?です。
私には、
市町村と道州は設置の目的が違う
と言うのは何となく理解できます。しかし、地域の実情にあったきめ細かいサービスに関しては、その殆どを基礎的自治体である「市町村」に委譲すべきだと思います。(市町村合併はそのための「手段」に過ぎません。)道州はあくまで広域的な問題・事業に専念するだけであって、道州域全体を道州都に画一化する存在であってはならないと思います。(あたかも、東京に画一化される様に・・・)地方分権とあっては、生活のより身近な場所にサービスの窓口があった方が好ましいと思いますので、市町村役場のそれも支所や地域事務所などの機能拡充・新規設置・積極活用が望まれると考えます。
また、
国土をいかに統治すべきか
と言われても私には「(国若しくは州が)州の端っこの地方・地域をどうやって統制するか」としか聞こえません。国土と言うのは細かく見ると何処でもすべからく小さな「地域」で構成されています。(ですから、YSKさんは地域と言う存在を強調されているのだと思います。)それがもし道州制によって地域が掻き消され淘汰される事態が起こり、また加速されないとも限りません。その点では「木を見て森を見ず」と言われても一向に構いません。それに、どんなに地域間の繋がりの現状を最大限勘案してみた所で「州の端っこ」に位置する地域はどうしても出てきてしまいます。(バッサリ区切った所で解消される県境と強化される県境の2つに分かれるだけです。地域間の様々な繋がりが顧みられないのは同じか・・・近接すれば何処でも多少の繋がりが生じる。繋がりの僅かな強弱の差で割るのは無謀では?)それなら、いっそ道州に組み替えるのではなく、近接する基礎自治体相互が緩やかに連合する形が良いと私は思います。(国の出先機関の管轄は適宜設定する。勿論、大幅なズレが生じたなら調整が可能な物である事。)
[60438]白桃さん
区割りが好きなヒトには道州制は魅力的なテーマだと思いますが、事なかれ主義あるいは我田引水的なものがマカリ通ったらたまったものではありません。
私も上記の意見とかなり似通った考えをしていて、恣意的な州都レースには飽き飽きしています。それに道州の区割り若しくは市町村合併の枠組みの議論(特に都市部に関して)は「いつでも」出来ますが、地域の今後に関しては地域が崩壊してからでは遅すぎて元も子もありません。その上でむしろ、「地方で出来る事は地方に」の地方分権では中央(省庁)対地方(政界)と言う構図の感情的な対立を招く場合があるので、「地域で出来る事は地域に」の『地域分権』を提唱した方がイメージが掴みやすいと思いますが。それとも、道州並びに市町村は生活圏の地域単位と多少不整合があっても、その性格・機能の面に依り住民生活の実態からかけ離れて・無関係な存在だと割り切って、また仕方がないと諦めた方が良いのでしょうか?
以上、若輩者である私が母方の「カタイナカ」を思いながら感情的に愚説をつらつら書いてみました。