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[86370] 2014年 9月 10日(水)04:38:30YT さん
第一次府県統合と、それそれの府県での人口上位3位までの都市人口
[86367] アクアさん、初めまして。

2.非最大都市規模で非明治政府領を県庁に置いた県

おそらく旧領石高と城下町に比例関係があると仮定して都市規模を算出しているのでしょうが、大隈重信蔵書「府藩県石高人口表」を見てわかるように、石高と人口の相関は必ずしも良くありません。それに第一次府県統合では、各地に散らばっている各藩の飛び地を抹消しているので、単純に藩の石高で統合後の規模に順番を振るのもどうかと思います(旧高旧領取調帳で調べているのでしたらすみません)。

そこで明治6年頃の都市人口による各府県の人口上位3位までの都市と人口をまとめてみました。都市人口は『日本地誌提要』(明治6年1月1日調人口、[68751][68752][68793][68794][68845][68846][68962][68963][68964][68965]参照)を基礎とし、『明治八年 共武政表』(明治5年~8年の本籍人口)の人口を用いると各府県別での都市人口順位が上がる場合には『共武政表』の人口で補正しました(●印をつけた都市)。但し明らかに人口に誤りがある場合(『日本地誌提要』の鹿沼の人口と『共武政表』の気仙沼の人口など)はこの限りではありません。また県庁所在地が4位以下の場合は別途記載しました。

使府藩県M5人口1位人口2位人口3位人口4位以下人口
開拓使123,668箱館28,825小樽3,903札幌1,785
東京府779,361東京595,905千住11,368品川10,293
京都府567,334京都238,663伏水22,334亀岡7,029
大坂府530,885大坂271,992天王寺16,560難波8,128
琉球藩166,789首里44,984那覇14,610久米9,800
神奈川県492,714横浜64,602神奈川10,660八王子7,675
兵庫県198,559神戸・兵庫40,900尼ヶ崎12,404西之宮8,699
長崎県630,487長崎29,656島原18,682福江17,787
新潟県635,484新潟33,152新発田18,312村上17,647
埼玉県426,989成田(忍)7,224岩槻5,077幸手4,294浦和1,750
入間県410,952川越9,357熊谷4,171本庄3,573
足柄県339,582小田原12,710浦賀●7,081鎌倉6,420
木更津県574,652木更津4,381一之宮4,215鶴舞3,126
印旛県456,689船橋9,494古河9,343佐倉6,681流山●1,946
新治県470,509銚子17,688土浦7,788石岡6,938
茨城県366,505水戸19,010那珂湊8,254下館4,947
群馬県382,697前橋15,063高崎11,285沼田3,828
橡木県388,934館林9,007佐野4,960鹿沼●4,201栃木3,968
宇都宮県234,124宇都宮15,061烏山2,435大田原2,284
奈良県418,326奈良21,158郡山14,988御所町3,507
堺県446,85238,838岸和田8,852佐野5,388
安濃津県413,86522,080桑名18,064上野12,385
度会県363,732山田22,473松坂8,781鳥羽4,746
名古屋県604,116名古屋125,193熱田15,211一之宮7,399
額田県606,252岡崎12,969大浜8,885豊橋7,506
浜松県414,928浜松11,103新居6,438横須賀5,516
静岡県368,505静岡31,555沼津10,684島田●7,461
山梨県360,068甲府15,529市川4,095鰍沢3,562
大津県305,232五別所・大津17,924膳所6,371膳所6,371
長浜県271,332彦根24,368長浜5,369高宮●3,754
岐阜県660,896今泉・岐阜10,800大垣10,158八幡5,364
筑摩県550,841松本14,275高山13,081飯田8,944
長野県466,652松代7,976長野6,928小諸6,152
仙台県404,577仙台51,998石巻10,325馬場谷地●4,964
福島県268,576二本松10,435白河7,250福島5,813
平県242,906三春5,0864,241白石●3,313
若松県203,722若松20,588坂下2,972高田●1,987
一関県372,562水沢5,166気仙沼4,377一之関●4,365
盛岡県319,486盛岡21,306遠野●5,175花巻4,426
青森県473,244弘前32,886福山16,092青森10,965
山形県299,291山形17,631新庄8,361谷地6,587
置賜県130,293米沢24,945宮内2,858上小松●2,331
酒田県203,676鶴岡24,964酒田18,619大山3,430
秋田県582,297秋田38,118横手8,169本荘6,423
敦賀県199,819小浜19,271敦賀11,476武生9,416
福井県346,700福井39,784大野9,052坂井9,044
金沢県403,357金沢109,685小松9,970大聖寺9,416
七尾県397,511高岡23,724新湊18,904七尾8,216
新川県480,638富山44,682魚津10,098八尾5,981
柏崎県718,249高田27,460長岡24,067柏崎14,081
相川県103,098相川12,632夷町3,400小木2,602
豊岡県505,073宮津9,398舞鶴9,073出石6,796豊岡4,926
鳥取県385,531鳥取20,782米子10,237倉吉4,809
島根県340,042松江37,808杵築7,674広瀬3,877
浜田県259,611津和野7,088浜田3,943益田●2,503
飾磨県635,791姫路24,521明石14,410赤穂7,134
北条県215,602津山15,411真島(勝山)2,747久世1,749
岡山県387,459岡山32,372日生●3,511牛窓3,219
深津県546,430福山17,643鞆津●8,495笠岡6,415
広島県919,047広島74,305尾道9,722三原8,565
山口県827,53645,318赤間関18,500岩国11,684山口9,279
和歌山県556,919和歌山61,124新宮9,134田辺7,485
名東県750,985徳島48,861洲本7,267由良5,935
香川県559,712高松32,736丸亀13,875坂出6,465
松山県418,561松山26,141今治12,000川江5,860
宇和島県357,413宇和島12,209外海●6,280吉田5,042
高知県524,511高知39,757高岡5,827安芸4,479
福岡県441,175博多20,985福岡20,650秋月5,178
三潴県391,535久留米20,381柳河8,865瀬高3,860榎津2,555
小倉県304,574中津11,538小倉7,459長洲4,500
大分県562,318臼杵10,738大分6,8215,975
伊万里県506,667佐賀21,660厳原8,806唐津7,987伊万里4,005
熊本県513,593熊本44,620長洲5,706川尻4,712
八代県439,444八代9,021牛深7,590御領●6,017
都城県310,121国府17,144加治木9,386都城7,390
美々津県201,798宮崎11,929延岡6,861広瀬●3,884美々津1,881
鹿児島県670,864鹿児島●89,374加世田31,595鹿籠24,902


平県(磐城平:都市規模4位/6藩)
更津県(桜井:都市規模15位/15藩、天領1)
群馬県(高崎:都市規模3位/8藩、天領1)
埼玉県(岩槻:都市規模2位/2藩、天領1)*
額田県(岡崎:都市規模3位/10藩)
豊岡県(豊岡:都市規模8位/9藩、天領2)
大分県(府内:都市規模3位/7藩)

都市規模としては平は1位と大差のない2位、桜井(木更津内)は1位、高崎は1位と大差のない2位、岩槻は1位と大差のない2位、岡崎は1位、豊岡はやや1位と差のある5位(4位は篠山の5,931人)、大分はやや1位と差のある2位です。

1番、2番、3番、それ以下の差異をどの程度考慮するかにもよりますし、また明治22年の市制町村制施行までは「都市域」の定義が曖昧であるため、資料によって集計範囲が異なるという難点がありますが、一部の例外(浦和、流山、榎津、伊万里、美々津)を除き、当時の県庁所在地はその地域の中心となる都市が選ばれていることが判るかと思います。

この掲示板等でも、県によっては人身一心の理由で県名を改めたということが言われていますが、具体的にどのような資料でそのようなことが書かれているのでしょうか?

これは多分中央にはまとまった資料がなくて、個々に地方史をあたらないとわからないと思います。宮武外骨の『[府藩県制史]』における賞罰的県名論も、細かいところで矛盾がありますし。
[86357] 2014年 9月 3日(水)21:20:39YT さん
蛇落地からの改名は江戸時代?
最近色々私的に忙しかったのですが、久々に投稿します。

先日広島の災害地について流れたニュースによると:

崩れ落ちて形が変わった山を眺める住民たちは「20年住んでいますが、こんなことはとても思わなかった」と話す一方で、山肌を指さしながら「あそこが水の通り道だと聞いていましたね」と語る。一帯は「蛇落地悪谷」(じゃらくじあしだに)とよばれていたという。

平野孝太郎さん(71)は「昔は蛇が降るような水害が多かったので、悪い谷・悪谷と名がついたそうです。八木蛇落地悪谷が八木上楽地芦谷と改名され、さらにいまは八木だけが残ったようです」という。名前が変わるうちに「土砂崩れ」の教訓も忘れ去られたらしい。

130年つづく浄楽寺の住職によると、竜がいて、その首をはねたところから「蛇落地」とついたという。「竜は水の神で、水害を収めたということかもしれません。記録にはないが、語り継がれてきました」

近くの光廣神社に残る絵には、竜を討伐した武将のかたわらを激流が走る。こうした伝えは水害への警戒を促すと解釈できる。

これについて、日本歴史地名大系や角川地名辞典を調べましたが、蛇落地という地名を確認出来ませんでした。また地図資料編纂会『正式二万分一地形図集成』を閲覧したところ、明治31年測量、明治33年印刷・出版の地形図が収録されており、これが今回災害のあった地域の地形図の最古のものと思われます。[86330]でペーロケさんが指摘されておりますが、この段階で「山手」「上楽地」「小原」という地名が書かれており、改名はこれよりも古いものと推測されます。また『広島県史』によると浄楽寺は
由緒 元和五年創立、貞享五年寺号免許、もと仏護寺末。
とあり、130年どころか400年近く前の元和5年(1619年)の創立となっており、また角川地名辞典にも、130年前よりも前の明治7年に境内で小学校開校とあり、記事がちゃんと調べられずに書かれているように見受けられます。

さらに『佐東町史』を閲覧したところ、宝暦12年(1762年)の「沼田郡八木村地こぶり帳」という、芸藩時代の近世村としての八木村の検地帳が収録されており、そこに既に字名として本百姓8人の名前が記載されている「字 上楽寺」(上楽地・浄楽寺ではない)や本百姓1人の名前が記載されている「字 山ノ手」、本百姓36人の名前が記載されている「字 小原」などの記述があり、一方で「蛇落地」などという字名はなく、仮に蛇落地から上楽寺/地への改名が事実としても250年よりも前のこととなります。むしろ浄土真宗本願寺派である浄楽寺から上楽寺という字名となり、それが上楽地となったと考える方が素直です。

『佐東町史』には八木村の村会議員の選挙定員を決める明治13年の公文書が収録されており、それによると
一ノ部 議員一人 字鳴ル渡リ/十歩一
二ノ部 議員二人 字真蒲/上細野/中細野/下細野
三ノ部 議員一人 字代/一ツ矢
四ノ部 議員一人 字迫田/細田/田中
五ノ部 議員二人 字関城/柏谷/室屋/野地
六ノ部 議員一人 字上楽地/浄光院/小原
七ノ部 議員二人 字市/土居
となっており、明治13年の段階では既に「字 上楽地」の漢字が正式なものとなっております。なお宝暦12年の字の数は大小50個ほどですが、上の明治13年の段階では20個程に統合されており(これら字名はほぼ全てが宝暦12年の検地帳に記載されている)、おそらく大区小区制がらみの字の統廃合があったものと推測します。また「字 山手」が消えておりますが、こちらは明治13年~明治33年の間に復活したのでしょう。

宝暦12年と明治13年の間を補う地理書として、1820年代に完成した『芸藩通志』がありますが、こちらには近世村毎の地図が100枚前後収録されています。地図には字名が全て書かれているわけではありませんが、ヘツ所(別所)、浄楽寺、ムロヤ(室屋)、ノシ(野地)、コハラ(小原)などの地名を確認できます。芦谷という地名は確認できませんでしたが、別所古墳発掘調査報告書収録の地図に足谷遺跡というのがあり、宝暦の頃には字名としてはありませんでしたが、幕末にはアシヤと呼ばれる字名があり、明治の時に上楽地などに吸収されてしまった小字であると推測できます。何れにせよ『明治前期全国村名小字調査書』や角川地名辞典には旧八木村の明治初期の字名が漏れており、これ以上詳しく調べることはできませんでした。

最後に蛇の伝説ですが、これは江戸時代初期に書かれた『陰徳太平記』の「香川勝雄大蛇ヲ斬ル事」に詳しく載っており、天文元年(1532年)に香川勝雄が阿武山山中にて大蛇を倒したという話が既に17世紀には完成しておりました。物語によると香川勝雄は、阿武山の山頂に近い大きなカヤの木で眠っていた大蛇の首を切り落とし、落とした首が七八町飛んで「太刀ノブ」という湿地帯に落下し、さらにそれが飛び跳ねて一町先の「蛇王池」または「蛇王子」に落ちたとあります。『芸藩通志』附録の地図によると、阿武山(阿生山)の頂きの一つに「龍王」という地名があり、そこに大カヤと「竜王二社」があることになっています。「タチノフ」は麓の地名ということになっています。

『佐東町史』で「蛇落地」という地名に関して唯一触れているのが「蛇落地観世音像」ですが、これは弘化4年(1847年)に阿武山山頂にあった観音像を麓に移したとのことで、『芸藩通志』収録の八木村の地図では「龍王」の近くにある建物のマークの一つということになります。浄楽寺の住職によると蛇落地というのは蛇の首を切った場所と解説していますが、蛇の首を切った場所は阿武山山頂付近であり、蛇落地は山頂の地名といことになり、ますます上楽地との関係が不明となります。

結局のところ蛇落地が上楽地に改名されたというのは怪しく、仮に事実としても250年以上前のことです。また300年以上前にはすっかり地元の有力者が先祖の功績を讃える大蛇退治の物語として完成してしまっており、そこから土石流の伝承を読み説くことは不可能に近いといえます。大蛇退治の物語も、『陰徳太平記』の記述が『芸藩通志』や『広島県史』、『佐東町史』で繰り返し引用されており、『佐東町史』では地元なら誰でも知っている伝説とまで書かれています。そもそも今回土石流が発生した区域は「字 上楽地」だった地域でも「足谷遺跡」のある所でもなく、「字 小原」だった地域です。いくら地名が過去の教訓を示すと言っても、場所が微妙に異なります。そんなことよりハザードマップを周知徹底させたり、土砂災害警戒区域を設定するなど、最新の科学に頼った調査の方がはるかに重要で、信用出来ると言えます。
[85707] 2014年 6月 8日(日)17:42:58YT さん
今後の予定
これまでの人口や面積のデータは、この一つのファイルに集約されていると考えてよろしいでしょうか。

送ったファイルは作業のために列の順番が入れ替わっていますが、その通りです。

ただ、1950年~1970年の沖縄県、1950年の奄美の面積はまだ数字の入力が流動的ですし、1935年3月31日調の面積は入力が40%程度しか済んでいません。また1995年以降は統計局のデータベースから数字を流し込んだ結果、市区町村名と人口・面積のズレが発生している可能性があり、簡単な再チェックが必要です。中身をみて頂ければわかるように、送ったファイルはチェック用のSum関数が入ったままのシートだけですので、一回中身をテキストファイル経由で別のエクセルファイルにコピーしないと加工しにくいかと思いますが、所属未定地のみが残っている1980年以降の人口・面積の表はすぐに作れると思います。

自分の予定としては、1935年3月31日現在の面積を入力した後、1944年・1945年・1946年の人口調査、1948年の常住人口調査の人口を再チェックし、各種地方統計書のデータを元に1950年の面積の分割案を作った段階で次のまとめた結果をデータ(ver.0.2)として公表しようかと考えています。

その後、国勢調査報告書に載っている1920年~1930年の市・郡別面積を入力し、各種地方統計書のデータを元に1935年10月1日の面積合同分の分割案を出し、1935年10月1日~1948年の面積を独自調査で入力し、この段階でまとめた結果をデータとして公表(ver.0.3)。

これが終わったら、国勢調査以前の5回分の現住調査の人口を再チェック、明治22年~明治30年前の人口について、『日本帝国民籍戸口表』記載の現住人口と官報による現住人口を入力、明治22年以前について郡区別面積と、明治14年の郡区別面積を入力、などと予定を建てていますが、どうなるかは分かりません。
[85705] 2014年 6月 8日(日)13:09:10【1】YT さん
xlsよりもcsv
[85703] オーナー グリグリさん

すみません。

(1) 落書き帳に書き込む前に、公開したいデータのエクセルファイルを私宛にメールで送付。

この部分を見落としていました。

とはいっても総ての情報をエクセルにするのは作業が煩雑になるので、例えばカラム数が8以上、または一部のセルが折り返し表示になってしまうケースについては別個のファイルとして公開ということでよろしいでしょうか?その場合ですと、別に計算式の入力も必要ないので、例えばCSV形式などのテキストファイルでの公開の方が安全かも知れません。

【追記】

すみません。

さきほどオーナー グリグリ さんに、現時点でまとめ終えた面積・人口の情報を送付しましたが、ファイルの圧縮を忘れたため、10 Mb越えのファイルを送ってしまいました。

メールが読めない場合には、あらためて圧縮したファイルを送り直します。
[85704] 2014年 6月 8日(日)12:55:06【1】YT さん
エクセルファイルの公開について
[85703] オーナー グリグリさん

そこで今回のご指摘を受けて、当面は次のようにしたいのですが、YTさん、如何でしょうか。

(1) 落書き帳に書き込む前に、公開したいデータのエクセルファイルを私宛にメールで送付。
(2) エクセルファイルを当サイトのサーバの然るべき場所に格納する。
(3) 格納場所のリンク(URL)をYTさんに連絡する。
(4) そのリンクを利用してYTさんが書き込みを行う。
(5) ファイルの差替えなどもメールで行う。

御迷惑をおかけしてすみません。ただ、エクセルファイルの公開を暫時行うにはいろいろ問題があり、誠にすみませんが対応できません。

まず最近書き込んだ内容は、最終的にエクセルに纏める前の段階のものです。面積の情報は人口の情報以上に中途半端で、富山県下新川郡宇奈月町・朝日町の面積([85587]参照)の例のように、所属不明以外の面積情報の問題も1975年まで続いています。そのため公開するにもこういった面積不明・所属不明の情報の纏め方もまだ統一した状態になっていません(そのための問題点を、[85559][85587][85604][85605][85609][85623][85624][85659][85673]にまとめたつもりです)。こういった「市町村の情報をまとめるための個別の情報」というだけで、面積に関するものだけでもすでに20個以上のシート(バックアップを含めると確実に100個以上)を作成しています。公開するとなるとそこに含まれるであろう膨大な数の情報の再チェックも必要となり、作業量が現状よりも大幅に増えてしまいます。

二点目は、エクセルファイルそれ自体のセキュリティの問題です。エクセルは別名でセーブする度に個人情報が追加されますし、なぜか同名のファイルで作業していてもいつの間にか個人情報が追加されることがあります。公開する際にはかならずセキュリティチェックをしており自分の個人情報を消しているつもりですが、適時修正となるとそのチェックに不安が残ります。将来的にはエクセル以外の形式を用いるというのも手ですが、現状では自分のパソコンで作業する際にはエクセルが一番便利です。

三点目はファイルのサイズが大きくなりすぎている点です。普段一番メインに修正しているファイルのサイズはすでに40 Mbに達成していますが、メインとなるシートだけで別名で保存したところ、それだけでファイルサイズが10 Mbを超えました。

というわけでエクセルファイル形式での公開は避けたいと思います。

なお面積の方の入力ですが、現在1950年から2010年までの国勢調査時の市区町村別面積と、1935年の『昭和十年 全国市町村別面積調』記載の面積の内、大阪府以西分の入力は終わっています。ただ1950年の面積情報、そして1935年の面積情報についても、市区町村に分割されていないデータがあり、1935年~1950年の間の面積情報の拡張も可能かどうか現状では判りません。


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