[95384] ekinenpyouさん
なお、日生町寒河・寺山で地番の振り方に特徴が見られる点に気が付きました、
双方で番号を共有しているのかもしれません
(寺山の中途半端な地番は大字福浦の残部とか大量に合筆した結果と考えるのは少々難がある)
そういうこともあるのかな……、と思い
寒河と
寺山の住所一覧を眺めてみたのですが、少なくとも
寒河680番地と
寺山680番地の両方が存在し、それぞれ違う地点を指していることがわかります。
一方、
赤穂市福浦の住所一覧を眺めてみると、寺山に残った部分がすっぽり抜けているようにも見えます。
(旧福河村福浦の地番の付け方がどうしてこのようになったのかも含めて)真相は不明なのですが、寺山の中途半端な地番は大字福浦の残部と考えた方が妥当にも思えるのですがいかがでしょう?
寺山の住所一覧に表示される住所が少ないのは
・
[95367]でYTさんが示されたように現在の寺山自体が狭いこと
・
[95377]でYTさんが示されたようにもともと住んでいる人が少ないため家屋等の建物が少ないこと
・地番自体は家屋のような建物に限らず田畑のような農地や山林にも付けられていますが、農地や山林に付けられた地番の場合一般の地図サイトでそれを検索するというニーズがあまりないことから一般の地図サイトでは住所一覧に表示されないこと
によるものではないのでしょうか?(といっても本当のことは知りませんが。あくまで想像です(特に3番目)。)
ちなみに私は
明治の町村制施行前の所属は寒河村ではなく福浦村字「東山ハナ」で
(M22)福河村大字福浦→(S30)日生町大字福浦→(S38以降?)日生町大字寺山という
経過をたどり現在は備前市日生町寺山字「東山ハナ」なら納得が行くのですが・・・
という経緯をたどっているのではないかと思っています。
参考
4) 寺山 大字福浦に属する小字である。吉備温故に「寺山新田」とあるが、貞享年間(一六八四~一六八七)に福浦村に合併した。山脈に囲まれた山峡の小集落である。戸数十戸、人口二十八人。
戦国時代の末期に、戦禍からのがれて、仏法に入る者が多くなり、この地が山高く、気が澄んでいるため、座禅、修養に適し、大小寺院十三カ寺が建てられたことから、この地名が生まれた。現在は寺院の跡は見られないが、往古は人家も多く、盛んな時代もあった。
昭和三十八年九月、福浦地区の越県分離の際、この地だけ分離から除かれ、日生町にとどまった。
1 寺山地内の小字名
二本松 舟木谷 東山ハナ 前 入山口 背戸山 向ヒ田ノ奥 名畑
(
[95367] YTさんで紹介された『日生町誌』33頁より。一部変換ミスなどを修正)