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都道府県市区町村落書き帳 from 1999.11.21
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[91511] 2016 年 9 月 26 日 (月) 09:42:52【2】 デスクトップ鉄 さん
 中部天竜他

[91503] Takashi さん
[91507] hmt さん
Wikipediaの記事は、「停車場変遷大事典」(JTB、1998)に準拠しています。
訓読みの「なかっぺ…」から音読みの「ちゅうぶ…」に改称した時期について、[43937]では戦時買収に伴うものと記しましたが、Wikipediaによると 1942年【買収の前年】届出とあり、出典も記されていました。
「大事典」によると、「なかっぺ」から「ちゅうぶ」への改称は、三信鉄道買収時(1943/08/01)となっています(鉄道省告示204号)。Wikipediaの記事は、その正誤表である梁山泊会所告示(5)に、「S17(1942).03.24届出。<典拠:三信鉄道営業報告書>」とあるのを引用して、
1942年(昭和17年)3月24日 - 中部天竜駅(ちゅうぶてんりゅうえき)への改称を届出[2]
としていますが、これは、佐久間から中部天竜への改称(1935/05/24)を届け出た日です。「なかっぺ」から「ちゅうぶ」への改称日は、買収時の1943/08/01が正当で、「日本鉄道旅行地図帳7号東海」(新潮社、2008)の改称日もこの日になっています。鉄道省が「中部」の読みを知らずに、「ちゅうぶ」とした可能性もあります。
前述のように、1934年三信鉄道開業時は佐久間駅で、所在する佐久間村からの命名です。なぜ、これを中部天竜に改称したのかも疑問です。中部(なかっぺ)村は、1989年3月の市町村制施行時に佐久間村を構成した旧村ですが、25000分の1地形図の 図幅名に使われるくらい著名な地名だったのでしょうか。

#鉄道省告示204号は、国会図書館のデジタルアーカイブで読めます。
官報(昭和18年7月26日)のコマ番号3からの記事で、買収した飯田線の営業開始の告示です。中部天龍にちゆうぶてんりうとフリガナを振っています。ここでまた新たな疑問が。「大事典」も中部天竜としていますが、天龍が天竜に変わったのはいつなのか。

[91500] 白桃 さん
[91506] mizutoh さん
会津、伊那、知多、木曽、郡上、碧海
木曽を除くと郡名ですね。南北や上下に分かれているところもありますが。
ただこの場合、旧郡名の「碧海」が冠された駅名という捉え方とは別に、以前名鉄西尾線を保有していた「碧海電気鉄道」の会社名を接頭語に使用したという考え方も可能です。
西尾口駅は、1928年碧電西尾口(仮駅)として社名を冠して開業、その後1933年碧海西尾口に、1944年西尾口に改称されました。碧海古井、碧海堀内、碧海桜井は1926年の開業時から「碧海」でした。したがって、「碧海」は会社名ではなく、郡名と思われます。

[91510] 2016 年 9 月 26 日 (月) 09:37:44 白桃 さん
 Re:碧海古井

[91509]ぺとぺと さん
それにしても、なぜ1駅だけ改称しなかったのでしょうね。所在自治体も同じなのに。2駅を改称した理由よりもそちらの方が気になります。
あのあたりはよく知らない土地にもかかわらず、横合いから口を出してすみません。
最初は同名回避からではないかと単純に考えていましたが、美濃加茂市の「古井駅」は「こび」と読むのですね。(初めて知りました。)
それに、変更になった「桜井駅」は奈良県桜井市にも、大阪府箕面市にもあるので、同名回避というのは理由になりません。
結局、南桜井駅ができたときに、「碧海桜井」をいっそのこと「桜井」で良いのじゃないか、ついでに「碧海堀内」を安城市が造った公園に敬意を表し「堀内公園」にしたのではないでしょうか。
つまり、「碧海古井」については改称する積極的理由がなかった。
まさか、安城町が成立したときに加わった「古井村」より、安城市成立後にが編入した「桜井町」を重んじた訳ではないでしょう。

[91509] 2016 年 9 月 26 日 (月) 07:18:05 ぺとぺと さん
 碧海古井

[91506]mizutohさん
実際、同路線にかつて存在した「碧海」の付く2駅も2008年に改称されています。
全て改称されたのだと勘違いしていましたが、1駅だけ残っていたのですね。それにしても、なぜ1駅だけ改称しなかったのでしょうね。所在自治体も同じなのに。2駅を改称した理由よりもそちらの方が気になります。

[91508] 2016 年 9 月 26 日 (月) 03:21:26 ニジェガロージェッツ さん
 神戸市についての書き込みを続けます

I. 長田区について

[91496] ペーロケ さん
その頃はちょうど新長田駅前の再開発ビルが建設中で、周囲も焼野原から復興に向けて加速していた頃と記憶しています。すべて元通りにはならないけど、街が発展する、いい方向へ向けて進んでいる、と、当時の私の目にはそう感じていました。しかし、見た目には綺麗な建物が建ち、街が発展しているように見える一方で、ケミカルシューズ業界がそれほどまでに元気がない状態のままとはショックです。


当時,でるでるさん,両毛人さんと共に,新長田駅前から大丸新長田店(平成25年1月閉店,同年9月,東急プラザ新長田開店)に入り,新長田一番街から大正筋商店街へ向った記憶があります。いずれも,当時神戸市が進めていた新長田駅南地区震災復興再開発事業のエリア内です。皆さんと一緒に歩いた平成15年9月当時では,新長田一番街では再開発着手前(平成19年頃完成),大正筋では再開発ビルが完成間近(平成15年11月頃完成)で,まだ復興途上の夢のあった時代でした。
神戸市の計画では,新長田駅から大正筋の南端までの7〜800メートルほどの空間に,10棟以上の再開発ビルをつなげ,地下,地上,2階の三層構造での商店街の建設で,その通りのものが完成しました。しかし,そもそも人口の減少している長田区において,商店街においても人通りはまばらで,地上1階のメインストリートでさえ,各商店の経営難からシャッター街になろうとしているさまで,特に2階部分には人通りはなく,当初より分譲は埋まらず,今では非常に厳しい状況になっています。市では対策として,売れなかった店舗を格安の家賃での賃貸に切り替えたため,不動産価格の暴落が起こり,既に分譲で購入した商店にとっては,本来ならば最終手段として店舗を売却することも出来たものが,それも無理となって困窮している状況と言われています。これを,学者は「復興災害」と呼んでいます。

なお,ペーロケさんに新長田でお会いしたあの日に,皆さんには「長田村」と揶揄される,長田区のディープな部分をご案内していません。
この新長田駅南再開発事業区域からは,ケミカルシューズ業界は完全にシャットアウトされました。事業区域内の若松町3,4丁目一帯は,昔からケミカルシューズの卸売問屋が集積していた地域で,「長田村」[91427]のコアとなる部分を形成していましたが,震災では一様に焼け野原となり,再開発を機に神戸市はこれを潰した格好です。これも長田のシューズ業界凋落の大きな原因となったと言われています。

II. 灘区について

東灘区と灘区の違いを一言で表す、となるとなかなか難しいです
灘区と東灘区の違いを一言で表すと,インナーシティ(灘区)と,そうでない街(東灘区)です。
灘区の区域は,昭和4年に神戸市に編入されたのですが,その翌年の昭和5年国勢調査では区人口85,909人だったのが,神戸市が人口100万人を突破した昭和14年(後述します)には16万人になっています。つまり,街並みのベースとしては,戦前期に市街地化が完了した地域であり,数次にわたる神戸大空襲による市街の破壊を経た直後の,昭和20年11月1日の人口調査でさえも70,636人の人口が記録され,昭和45年国勢調査で記録された170,730人が最盛期人口となりました。
その後は震災に至るまで人口は減り続け,その推移は,程度の差こそあれ,インナーシティ問題がより深刻であった長田区のそれ(拙稿[7736])に似ています。

一方,東灘区においては,昭和50年代に人口増加の停滞を経験したものの,大幅な減少はありません。平成になってからは六甲アイランド完成による人口増加がありますが,それを差し引いても,震災による減少以外では微増傾向が続いています。

このように,人口推移を見れば,両区の性質が全く異なっていることが窺えます。これは数値化されたその街の履歴ですから,その違いは街並みに表れます。灘区が東灘区よりも古い市街地であることから,今でも庶民的な雰囲気の残る街並みが感じられます。
また,神戸市全体の発展から見た場合,灘区は「中央5区」,すなわち,戦前の神戸市域を形成した,現在の須磨区,長田区,兵庫区,中央区,灘区の一つであり,神戸市街と一体となっての発展した経緯から,昔の葺合区(現在の中央区東部)の延長にある街の印象が濃いと感じます。実際,震災前は葺合区脇浜海岸通に川崎製鉄阪神製造所と神戸製鋼所脇浜工場が,その東隣の灘区日出町に神戸製鋼所岩屋工場と続き,西郷の酒造地を挟んで,東には神戸製鋼所神戸製鉄所がある,鉄鋼の街の印象があります。

東灘区は戦前期には神戸市外で,酒造業も栄えた裕福な土地柄で,特に住吉村は関西財界のお歴々が別荘を構える「お金持ちの村」として有名でした。神戸市編入は昭和25年のことですが,街並みのベースには戦前の裕福な時代ものがあり,今でも高級住宅街として認識されています。

ですから,小生には,ペーロケさんのように灘区と東灘区を同じようなイメージにはどうしても持てないでいます。確かに,海岸沿いには工業地帯で,共に酒造地がある。住宅地には南から阪神,JR,阪急が並行して走り,阪急線の北側には灘区に神戸大学を筆頭に学生街が,東灘区に甲南大学を筆頭に,などと,表面的には似ているのかもしれません。

震災後は,灘区は復興の過程でインナーシティ問題を克服しつつあると推測され,人口は復興後も増え続けており,今では昭和57年頃の人口にまで戻っています。最盛期の17万人まではさすがに無理でしょうが,場合によっては14万人を超えるところまで回復すると思料します。
以下,両区の人口データを提示します。比較の参考までに長田区の人口も添えておきます。
---------------------------------------
調査日灘区人口東灘区人口うち六甲Is.備考長田区人口
1930.10.185,90960,102昭和5年国勢調査181,015(林田区)
1935.10.1128,18670,240昭和10年国勢調査216,213(林田区)
1940.10.1155,49887,191昭和15年国勢調査229,356(林田区)
1945.11.170,63655,349人口調査112,992
1950.10.1114,40183,937昭和25年国勢調査167,109
1955.10.1138,214108,464昭和30年国勢調査189,806
1960.10.1155,694134,342昭和35年国勢調査202,266
1965.10.1168,973155,898昭和40年国勢調査214,325
1970.10.1170,730171,109昭和45年国勢調査210,066
1975.10.1157,892183,836昭和50年国勢調査185,971
1980.10.1142,312183,284昭和55年国勢調査163,949
1985.10.1133,746184,738昭和60年国勢調査148,590
1990.10.1129,578190,3545,136平成2年国勢調査136,884
1995.1.1124,538191,716震災95.1.17直前の推計人口129,978
1995.10.197,470157,59914,200平成7年国勢調査96,807
2000.10.1120,505191,30414,833平成12年国勢調査105,467
2005.10.1128,050206,03717,711平成17年国勢調査103,791
2010.10.1133,451210,40818,837平成22年国勢調査101,624
2015.10.1136,130213,727平成27年国勢調査速報値97,952
2016.9.1136,627214,190推計人口97,271
【註】東灘区人口は,1945年までのものは武庫郡御影町,住吉村,魚崎町,本山村,本庄村の,1950年のものは東灘区と武庫郡本山村,本庄村のそれぞれ合計値。六甲アイランド人口は町丁別人口より算出できるものは提示した。埋め立て途上の1985年の人口は不明だが世帯数1の記述あり。
また,灘区と東灘区(および兵庫区)との境界は,昭和47年6月1日の「六甲山移管」により,山域で灘区が拡大する形で変更があった。
戦前の長田区人口は林田区のもので代用した。ただし林田区と長田区ではその区域が大幅に異なる[75507]
---------------------------------------

ところで,余談ですが,震災後に新都心「HAT神戸」として生まれ変わった,製鉄所の跡地である中央区脇浜海岸通から灘区日出町にかけて,脇浜海岸通は町名をそのままに1,2丁目に分割したものの,日出町は摩耶海岸通と改称したうえで1,2丁目に分割されています。
なんで町名変更したんでしょう?「日出町」のほうが画数も圧倒的に少なく,悪い名前でもなかったろうに。

追記1:
「神戸市が人口100万人を突破したのは昭和14年?」

国勢調査では,神戸市人口が100万人を超えたのは,昭和35年調査で初めて達成したことですが,神戸市では,それを昭和14年であると言っています。(近代神戸略年表)
これは,神戸市の推計人口によるもので,昭和14年10月1日のものを下表に提示しておきます。
市区昭和14年10月推計人口昭和15年10月国調人口面積km
神戸市1,006,100967,23483.06
林田区242,200229,35610.60
灘区160,000155,49819.48
兵庫区152,100149,3634.00
葺合区129,400123,8467.56
須磨区109,600113,21224.74
神戸区92,70079,8507.68
湊東区67,80062,3822.04
湊区52,80053,7276.96
現在の「中央5区」に相当する,狭い旧市域のみでの100万人です。しかも面積の4割ほどは山域です。

追記2:
ペーロケさんへ

お忙しい中,拙稿へのレス恐縮です。拙[91491]では,ペーロケさんのご質問の真意がわからず,特に後半ではきつい表現になってしまいました。
小生へのレスなど全く急ぎませんから,どうぞ,お時間のある折に,お考えが纏まってから,ご寄稿いただければ幸いでございます。
拙稿[91386][91427]にしても,投稿まで2週間以上の時間をかけて書いています。

[91507] 2016 年 9 月 25 日 (日) 23:54:30 hmt さん
 謎の駅名・中部天竜(続編)

[91503] Takashiさん
駅名の接頭語ではないのですが、飯田線「中部天竜駅」の「中部」が登場したので、フォローしておきます。
タイトルに続編と書いたのは、2005年の過去記事[43937]を踏まえたものだからです。

[91503]に記されているように、「中部」は駅の対岸にある地名です。
地名としての読み方は、現在では「なかべ」が普通に通用しているようですが、元々は[43384]で示されている「なかっぺ」が現地での正式の読み方であったようで、25000分の1地形図の 図幅名は 「なかっぺ」となっています。

開業当初は「なかっぺ」と読んでいたらしいのですが、

Wikipediaにあるように、1934年に三信鉄道が開業したした当初は、【初代の】佐久間駅で、翌年に中部天竜駅(なかっぺてんりゅうえき)に改称したようです。
訓読みの「なかっぺ…」から音読みの「ちゅうぶ…」に改称した時期について、[43937]では戦時買収に伴うものと記しましたが、Wikipediaによると 1942年【買収の前年】届出とあり、出典も記されていました。

タイトルは、落書き帳にも度々登場している『時刻表名探偵』(石野哲 1979)p.218から借りたものです。
この本には、逆順のように思われる 中部【地名】天竜【修飾語】の語順の謎が示されていますが、名探偵も「…謎は残る」と結んでいます。

[91506] 2016 年 9 月 25 日 (日) 23:49:08 mizutoh さん
 駅名の接頭語と旧碧海郡

[91493]こちらこそまだ未熟者ですが、同じ福岡の者としてよろしくお願いします。

[91500]白桃さんの記事を読み、接頭語が用いられた駅名が気になり調べたところ、名古屋鉄道西尾線に「碧海古井駅」(愛知県安城市)があるのを発見しました。碧海と言えば、安城・刈谷・高浜・知立・碧南の5市を含む広域地名で、旧郡名でもあるものとして知られています。全国でも、旧国名、現存する自治体名などが接頭語となる例は数多見受けられますが、名自治体名や自治体内の地名にも現存しない旧郡名が接頭語として用いられる例はかなり珍しいのではないかと思います。実際、同路線にかつて存在した「碧海」の付く2駅も2008年に改称されています。
ただこの場合、旧郡名の「碧海」が冠された駅名という捉え方とは別に、以前名鉄西尾線を保有していた「碧海電気鉄道」の会社名を接頭語に使用したという考え方も可能です。

ただ、このように消滅したように思われた広域地名を持つ旧碧海郡5市が平成の大合併の際に対等合併・新設市制し「碧海市」を設置するという構想も一部では噂されていたそうですから、ほとんど現存しない地名が地域のつながりに関わっているという見方もできそうです。

[91505] 2016 年 9 月 25 日 (日) 23:46:08 伊豆之国 さん
 "Supertown"歩き & 「(にわか)領地」訪問はお預け(天気予報に振り回されたみちのく独り旅)

去る21日より2泊3日で、宮城・岩手両県の旅。今回はその道中記を。
今回の道中、夏休み中に本業の多忙(八王子市の物件([91416])もその一つなのですが)で取れなかった休暇をこの時期になってようやく取れたことによるものでした。けれども折からの台風の接近を初め、とにかく天気予報がころころ変わり、直前になって宿と泊まる日だけは決めてきてネットから予約は取り、訪れる場所は既に決めていたものの、スケジュールははっきり言って出発当日の朝まで「ほとんど白紙状態」だったのでした。
初日は、ともかく「晴れ間は出る、雨の確率は低い」と言うことで、「町歩き」を。東京駅から新幹線で、福島駅で降りて在来線に乗り換え、白石駅で下車。40年ほど昔、その白石市にある「小原温泉」に一泊し、「蔵王のお釜」を見たり、遠刈田温泉にあるこけし工房を見学したりした記憶が残っているのですが([90481])、 そのとき素通りした、伊達家重臣・片倉家の城下町、白石の市街地の町歩きから。(「にわか領主」である)掛川城と同様、木造で平成7年に天守閣が再建された白石城(白石市HPより)、市内で唯一残ったと言う武家屋敷豪商の屋敷を回り、名物の「温麺(うーめん)」(私は小原温泉に泊まったときよりも前、子供のころから知っていたのですが、実際に味わったのは40何年ぶり…)をご馳走。でも、駅前通から中心市街の印象はというと、人影もまばらで店じまいして久しいような商店も目立ち、やはり千本桜さんが危惧されていた通り([90177])
白石は仙南の中心都市から脱落
と言うのも案外当たっているような感じも見受けられ、新幹線の駅が白石駅に併設されなかったこと、その新幹線駅「白石蔵王駅」も町外れの田んぼの中にあって利用客数も伸びず、1日の乗降客数は1000人にも満たず「閑散駅」の地位に甘んじたままになっているようです。
ところで、この白石城主として、戦国末期より明治に至るまでこの地を治めてきた片倉氏。伊達政宗の幼少時代から後見人として仕えてきた初代・片倉小十郎景綱の子、二代目小十郎重長は、優れた武勇で名を轟かせ、「大坂夏の陣」ではあの真田信繁(幸村)と激闘を繰り広げ、「鬼小十郎」と恐れられた武将でした。その信繁が死を前にして、重長を「敵ながら大した者だ」と褒め、自らの子女をその重長に託し、そのとき預かった阿梅は、後に重長の後妻となっています(白石市HPより)。私が白石駅で降りて町のほうに出たとき、「『真田丸』ゆかりの町」の幟が立っていたのを見て、「何でやねん?」と怪訝に思ったのですが、白石城のすぐ下にあった「探訪ミュージアム」を見てきてその関係を知ったのでした。
白石駅からは再び「鈍行」で大河原駅で降り、いよいよ千本桜さんの地元、”Supertown”大河原の市街地に出ます。駅前の印象では、白石のそれよりも栄えている印象で、白石川に架かる橋を渡って旧街道沿いの中心街へ。豪壮な商家もあり、「町」としては結構栄えているな、という印象を受けましたが、明らかに店じまいしたような感じの商店も多く、千本桜さんがおっしゃる通り([90177])、人口こそ微増しているものの、繁栄に「陰り」が見えているような雰囲気にも思えたのでした。それから繁昌院にお参りした後、白石川を再び渡って、この町のシンボルでもある土手の桜並木へ。曇り勝ちの天気で、遠くに見えるはずの蔵王連峰は雲の彼方でしたが、桜の葉が青々と茂り、薄暗い土手の道を延々と歩いて行くのも、心地よい気候とあいまって、それはそれでまた風情があるものだな、と思ったのでした。やがて町境を越えて柴田町に入っても桜並木はなお続き、右手からは東北本線の線路も並行。今も結構な本数が走っている長い編成の貨物列車と、2〜4両の短いローカル鈍行列車との対比に、今の東北本線の地位と役割が見えてきたのでした。今年の春にできたばかりの陸橋「しばた千桜橋」を渡って東北線と県道を越え、新幹線がなかった頃にはいつも気になっていた風景であった、「伊達騒動」を基にした小説「樅の木は残った」で名高い船岡城址へ。足元を見ると、真っ赤な彼岸花が今まさに花盛り…。曇り空で方角もよくわからず、ともかく坂道を下りて平地に出ると、「しばたの郷土館」があったので、資料館の中を見学。市街の中心部、船岡駅の方角と思しきほうへ向かって歩き、やが県道が見えてそちらに出て、駅に向かって歩くことに。交差点を左折したところが駅なのですが、この船岡駅の駅舎、「第一印象」では「昔の役所か、学校か、武道場か?」と言ったように見えて、これが「駅」だとは一瞬信じられないような戸惑いを抱いたのでした…。船岡駅周辺の印象も、柴田町自体が槻木との「中心が2つある町」であるせいなのか、大河原よりは少し小さい、むしろ仙台のベッドタウンの色彩が強い、と言った感じに見受けました。
船岡駅から東北線で白石駅に戻り、バスで遠刈田温泉のリゾートホテルに。夜遅くに露天風呂に入ると、外は雨…。雨は翌朝起きたときも降り続いていましたが、直行バスで仙台に戻ったころにはすっかり上がっていて、仙台駅からは市内の観光地巡りのバスで青葉城址へ。伊達政宗の銅像の前で、「(戦国市盗り合戦の)初代青葉城主の座を目指しての挑戦([91287])」を「宣言」したのでした(笑)…。既にお昼を過ぎたので、名物の「牛タン」定食で空腹を満たすことに。先のバスが片道の環状ルートで、仙台駅に戻るまでに行きの倍の時間がかかるため、待っていたタクシーに乗り、仙台駅からは仙石線で、これまで何度も訪れているとは言え、やはり「定番」の松島を目指したのですが、既に雨が降り出し、松島海岸駅に着いた頃には本降りになっていたため、湾内一周の観光船で再び松島海岸に戻ることに(塩竈行きの船もあったのですが、30分後の出航で、しかもこの天気では近くの名所巡りも億劫で…)。本塩釜で降りての鹽竈神社への「(にわか)領地獲得御礼」参りも、「この雨の中、しかも前日からの長い歩きで足がガタガタでは…」と、この時点でほぼ断念(翌日に回すことも決して不可能ではなかったのですが、どう見ても日が暮れてからになりそうなので)。仙台駅に戻り、新幹線で2日目の宿泊地・花巻へ、と言うことにしたのですが、荷物を預けていた仙台駅の構内の広さに道に迷い、次に北上・新花巻に停まる列車まで1時間待ち。この間に宿に「予定より遅れる」旨の電話を入れ、地下の売店で「どうしても買っておきたかった」名物「九重」([60404])を買い、北上駅で「鈍行」に乗り換えて花巻駅へ。この時間帯にバスがないので、タクシーで花巻温泉へ。この豪華な高級ホテルの和室が、直前のネット予約で1万円を切る値段で、しかも一泊2食付で泊まれるとは、「価格破壊もここまで進んだとは…」と驚いたものでした。ホテルでは隣接する同一グループの宿と合わせて温泉の「梯子」、館内には昔の風景も展示され、この地を走っていた「軽便電車」(HP,[73249])の写真も…。ちなみにこのホテル、同じグループの経営する3軒のホテルが渡り廊下でつながっていて、実質的には1軒の巨大ホテル。しかし、渡り廊下でつながっている各棟は、傾斜地に建っていることもあって、渡り廊下でつながる同じレベルの階が、それぞれ「1階」「2階」「3階」と異なっていて、ちょうど私がこの旅に出る直前に話題になった「建物の階数の数え方論争」を思い出していたのでした。
ところで、花巻と言えば、その花巻東高校出、「二刀流」の日本ハム・大谷選手。でも、楽天に入れなかったことで、「もし楽天に入っていれば、田中マー君がメジャー入りしてからこんなに弱くなるようなことはなかったのでは…」と複雑に思っている東北人も多いのでは、と妙なことも思ったりしたのでした…。
翌朝、起きてみたら外は雨でしたが、9時過ぎに宿を出た頃には上がり、時折晴れ間も出て汗ばむ陽気。送迎バスで新花巻駅に出て、宮澤賢治記念館を見学。地図を見て新花巻駅の近くにあることを知り、歩いても行けなくはない距離でしたが、駅前は閑散としていて本当に何もないような殺風景、どの方向へ歩いたらよいのかよくわからないので、駅前で待っていたタクシーを使うことに。「雨ニモ負ケズ」や童話の世界で子供の頃から親しんでいた賢治でしたが、文人としてだけではなく、鉱物、農業、天文、音楽など、幅広い分野の知識を豊富に備えた「マルチ人間」だったと言うことを、今更ながらその多芸多才ぶりに感心したのでした。
新花巻駅に戻り、新幹線とは対照的な狭いホーム1本だけの釜石線乗り場から「鈍行乗り継ぎ」で平泉へ。過去2度訪れているのですが、今回は実に30年ぶり、もちろん世界遺産になってからは初めて。毛越寺はその当時の印象がすっかり抜け、中尊寺にしても、金色堂まで続く長く薄暗い参道のイメージぐらいしか残っていなくなっていて、実際に歩いてようやく当時の記憶が蘇ってきた、と言う感じだったのでした。  
本堂を過ぎ、拝観券の売り場まで来て、財布を見ると…残り1千円を切っている!金色堂だけは何とか見られる金額なのですめが、宝物殿・秘仏拝観と共通券が買えない…。ここまできたのに万事休すか…」と慨嘆…身軽で歩くために、平泉駅のコインロッカーに重いバッグを預けていたのですが、その中に万札が入っていたのでした…。でもすぐに振り返って横を見ると、信用金庫のATMがあり、郵貯カードも使える!これぞまさに「地獄で仏」。郵貯カードを持ってきていたので、必要金額を引き出し、無事共通券を買って、大震災以来5年ぶりに公開された秘仏→宝物殿→金色堂の順に拝観を済ませ、土産物屋が軒を並べる、バス停のある麓に戻ってみると、既に雨が本降りに。参道を歩いているうちは鬱蒼と茂る並木が雨除けになっていて、雨天になっていたのを感じさせなかったのでした。
予定外のタクシー利用が続いたことなどもあって、平泉駅から鈍行乗り継ぎで、帰りの新幹線は仙台駅からと決めることに。ここまで昼食抜きできたこともあり、最初の乗り継ぎ駅・一ノ関駅で、既に冷え切っていた売れ残り?の駅弁。一ノ関駅からは小牛田行きとまたも細切れ、しかも悪評高い「701系」の長椅子式車両。でも空腹に耐え切れず、昨年の東海道中([88822])と同様、弁当を頬張るのを強行。小牛田駅で仙台方面へと乗り継ぐのですが、仙台行きの電車が出発する直前、忘れ物に気づき、さっき乗ってきた電車が折り返して一ノ関行きになる電車に大急ぎで戻ると、その忘れ物が無事すぐに見つかり、結局次の電車に乗り換えて仙台駅に。新幹線に乗り換えて東京駅に着き、新宿で小田急に乗り換え…。嗚呼、帰り道は遠刈田、いや遠かった…。

♯書き込みの途中で誤操作したため、いったん削除した上で改めて書き込みし直しました。

[91504] 2016 年 9 月 25 日 (日) 20:03:30 futsunoおじ さん
 ひすいを「日本の石」に選定

日本鉱物科学会は24日、「日本の石」に翡翠(ひすい)を選定したとのことです。これは同学会が一般社団法人化したことを受けた記念事業で、最終候補5種類から総会に出席した会員による審査・投票によるものです。 (日経新聞読売新聞

なお5月の日本地質学会選定「県の石」では、ひすいは「ひすい輝石岩」として新潟県の石として選定されています。 (都道府県の石

[91503] 2016 年 9 月 25 日 (日) 17:38:24 Takashi さん
 西に中国勝山あれば東に……

[91500] 白桃さん

でも、忘れてはならないのが「中国」で、真庭市の中心駅?である「中国勝山駅」ひとつしかありませんが、私、以前[5554]で、
普通なら「美作勝山」となるべきところを「中国勝山」としたのは、「ミマサカカツヤマ」となると同じ美作の主邑、津山と間違うのでは
と書き込みましたが、某インターネット百科事典によると、「美作なんてケチくさいこと言わないで、中国地方の勝山でいこう」と町会議員が言ったかららしいです。

の記事を読んで思い浮かぶのはJR飯田線の「中部天竜駅」です。

……ただ、この中部天竜駅の中部は中部地方に由来するものではなく、駅の対岸にある静岡県浜松市天竜区佐久間町中部に由来するもので、しかもこの読みは「なかべ」と読むそうです。某インターネット百科事典によると開業当初は「なかっぺ」と読んでいたらしいのですが、手元に参考資料がないためその真偽はちょっとわかりませんでした。

[91502] 2016 年 9 月 25 日 (日) 12:31:13 オーナー グリグリ
 第五回クイ図五番勝負(開催予告)

富谷町が10月10日に市制施行することを記念して、第五回クイ図五番勝負を10月10日午前0時に開始することとします。富谷市誕生に合わせて深夜の開催となりますが、多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

[91501] 2016 年 9 月 25 日 (日) 11:03:47【1】 オーナー グリグリ
 1日の記事数ランキング

[91492] 白桃さん
昨日は、祝日、しかも全国的に雨模様であったせいか、20件をカル〜く超える記事投稿がありました。
そこで、オーナーはじめ皆様にお伺いしますが、落書き帳史上、最多記録は何年何月何日か、お判りになったら教えてください。
[91495] ニジェガロージェッツさん
2007年4月1日の174件では。記事番号[57501][57675]まで。57604は缺番
[91500] 白桃さん
四月バカと十番勝負開始日が重なったのですね。それにしても多いです。

落書き帳には記事数の推移という分析メニューがあることはご存知だと思いますが、見栄えやレイアウトを少し改善しました。上記の最多記録を含め、この機会に書き込み数が100件以上の年月日を洗い出し、要因(イベント)や記事番号を一覧にしてみました。まず、年月日順です。

年月日記事数イベント記事番号
2003年2月28日(金)111記事番号10000番達成[9939]-[10049]
2003年3月2日(日)101[10147]-[10247]
2003年3月9日(日)100[10778]-[10878]
2003年4月13日(日)111[12993]-[13104]
2003年4月23日(水)113[13759]-[13874]
2005年5月5日(祝)128第七回十番勝負(0時開始)[40638]-[40767]
2005年7月23日(土)136第八回十番勝負(前日22時開始)[43240]-[43376]
2006年7月16日(日)118第十二回十番勝負(8時開始)[52185]-[52303]
2006年10月29日(日)134第十三回十番勝負(6時開始)[54628]-[54761]
2007年4月1日(日)174エイプリルフール&第十五回十番勝負(12時開始)[57501]-[57675]
2007年7月16日(月)147第十六回十番勝負(10時開始)[59781]-[59927]
2007年10月7日(日)109第十七回十番勝負(20時開始)[61537]-[61645]
2008年4月5日(土)148第十九回十番勝負(9時開始)[64219]-[64366]
2008年8月17日(日)107第二十回十番勝負(7時開始)[66062]-[66168]
2009年1月1日(祝)104第二十一回十番勝負(0時開始)[67817]-[67920]
2009年7月26日(日)100第二十三回十番勝負(前日22時開始)[70979]-[71078]
2009年11月28日(土)106第二十五回十番勝負(9時26分開始)[72971]-[73076]
2010年4月3日(土)115第二十七回十番勝負(7時開始)[74549]-[74663]
2011年1月1日(祝)123第三十回十番勝負(0時開始)[77154]-[77276]

やはり十番勝負イベントがほとんどですが、2003年の3月と4月は月の記事数が2000件を超えている月です(月別推移を参照)。ついでに記事数の多い順に並べ替えてみました。

順位年月日記事数イベント記事番号
12007年4月1日(日)174エイプリルフール&第十五回十番勝負(12時開始)[57501]-[57675]
22008年4月5日(土)148第十九回十番勝負(9時開始)[64219]-[64366]
32007年7月16日(月)147第十六回十番勝負(10時開始)[59781]-[59927]
42005年7月23日(土)136第八回十番勝負(前日22時開始)[43240]-[43376]
52006年10月29日(日)134第十三回十番勝負(6時開始)[54628]-[54761]
62005年5月5日(祝)128第七回十番勝負(0時開始)[40638]-[40767]
72011年1月1日(祝)123第三十回十番勝負(0時開始)[77154]-[77276]
82006年7月16日(日)118第十二回十番勝負(8時開始)[52185]-[52303]
92010年4月3日(土)115第二十七回十番勝負(7時開始)[74549]-[74663]
102003年4月23日(水)113[13759]-[13874]
112003年2月28日(金)111記事番号10000達成[9939]-[10049]
2003年4月13日(日)111[12993]-[13104]
132007年10月7日(日)109第十七回十番勝負(20時開始)[61537]-[61645]
142008年8月17日(日)107第二十回十番勝負(7時開始)[66062]-[66168]
152009年11月28日(土)106第二十五回十番勝負(9時26分開始)[72971]-[73076]
162009年1月1日(祝)104第二十一回十番勝負(0時開始)[67817]-[67920]
172003年3月2日(日)101[10147]-[10247]
182003年3月9日(日)100[10778]-[10878]
2009年7月26日(日)100第二十三回十番勝負(前日22時開始)[70979]-[71078]

最近の十番勝負では100件を越えることはなくなりましたが、難易度が高くなっていることもあるのかもしれません。書き込み件数はひとつの目安としていますが、数が多ければいよいと言うことでもないでしょう。白桃さんが最多書き込みに興味を持たれたように、最近は書き込みがそこそこ活性化しているようにも感じています。今後ともよろしくお願いいたします。

[91500] 2016 年 9 月 25 日 (日) 03:03:55【1】 白桃 さん
 旧国名以外が駅名の接頭に用いられる例は?

杖立オフ会以降、デスクトップ鉄さんのHPにハマって夜も眠ることができません。(~j~)
特に、「旧国名が接頭語に用いられる駅名」に関するデータと解説は「凄い」の一言に尽きます。で、今夜はデスクトップ鉄さんの向こうを張るつもりは毛頭ありませんが、タイトルにある駅について触れてみようと思います。
旧国名以外と言っても、「上州」「信州」など旧国名の派生語、あるいは「群馬」などの県名、北海道の旧支庁名、「伊豆急」「西武」の電鉄会社名も除外しましょう。

ちょっと中休み…
「伊豆」が接頭語につく駅の数は???、と聞かれたら答えは簡単。伊豆きゅう(九)です。

本題に戻って、一番多いのは、やはり「会津」でしょうね。
次が「伊那」、それから「知多」「木曽」「郡上」あたり。
でも、忘れてはならないのが「中国」で、真庭市の中心駅?である「中国勝山駅」ひとつしかありませんが、私、以前[5554]で、
普通なら「美作勝山」となるべきところを「中国勝山」としたのは、「ミマサカカツヤマ」となると同じ美作の主邑、津山と間違うのでは
と書き込みましたが、某インターネット百科事典によると、「美作なんてケチくさいこと言わないで、中国地方の勝山でいこう」と町会議員が言ったかららしいです。そんじゃ、私も対抗して、「東かがわ市駅」にするぐらいなら「四国三本松駅」に改称するよう市長に直訴しよう。(※三本松駅に改称の動きがあるわけではありません。)

[91495] ニジェガロージェッツ さん
2007年4月1日の174件では。記事番号[57501][57675]まで。57604は缺番
早速お知らせいただき、どうもありがとうございます。四月バカと十番勝負開始日が重なったのですね。それにしても多いです。


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