久々にボリューム感ある一人旅ができたので、まとめてみました。
折角なので各都道府県市区町村名は記号で伏せます(皆様なら簡単にわかってしまうと思いますが)。同一の地名は全て1つの記号と対応しており、複数の記号が同一地名だということはありません。
また、今回の旅程を踏まえ、経県値は既に更新済なので、そこを軸に考えたい方はお気を付けくださいませ。
まだ旅行気分が抜けておらず、長文となりますが、ご理解いただけますと幸いです。
■計画段階
今年は経県値を上げていきたい、という話を
[112972]でしましたが、直後にJALのセールがあったので、早速経県値アップに向けて計画を練ることに。私が未踏のエリアはまだ大分ありますが、今回は以前から行ってみたかった超有名な観光名所があることで有名な【A】市を目指そうと決めました。
遠隔地から【A】市に行こうとするとき、大多数は私同様飛行機を使うでしょうが、それとは別に一部の方々から大変人気な手段があります。それを使って行くことも夢見ていたのですが、それはまたの機会か…
また、私の大学の先輩が【A】市の属する地方とは隣の地方の【B】市に住んでおり、ちょうど良いタイミングでしたのでお邪魔することに。最終的には【B】市を目指す道中で、【A】市、【A】市の隣県で人口密度が県内最大の【C】市、やはり【A】市の隣県で、【B】市からのアクセスも極めて良好な【D】市の3県3市で宿泊経県値を稼ぐプランとなりました。都道府県経県値は12点増える見込。
■1日目(2/7)
午前で仕事を終え、荷造りを済ませたのち、【A】市行きの飛行機に乗ろうと羽田へ。18時過ぎの便に乗るため待機していたのですが、ここでまさかの欠航のアナウンス…。前日の便が問題無く運航していたこともあり、最強寒波を軽く見ていました。
この時点で早くも挫折しかけましたが、なんとしても【B】市には行かねばならない。そこで、急遽予定を組みなおすことにしました。【B】市を目指して宿泊経県を3県に付与するプランは何も1つだけではないのです。
半ばヤケクソ気味ですが、なんとかうまく行く目算を立てられた20時過ぎ、大急ぎで東京駅から新幹線に乗り、一路【E】市へ。
【E】市からこの日の最終目的地である【F】市への鉄道移動の選択肢は2つありました。すなわち、私鉄を使って【F】市駅を目指すか、JRで【F】駅に行くかです。まあ厳密には【F】市駅にも(【F】駅を経由して)JRで行けますが、終電が迫っているのでそんな余裕はなかった。当日取れるホテルを吟味したうえで、結局【F】駅を目指すことにしました。
【F】駅に着いたのは日付が変わって0時半過ぎのこと。とりあえず駅近くのホテルでチェックインを済ませ、体力を回復させるために夜食を食べに行くことに。ここ【F】市には、ご当地ラーメンの”【F】ラーメン”があるので、深夜でも営業している名店を訪問。【F】ラーメンは王道の醤油ラーメンではあるものの味は絶品で、今まで食べたご当地ラーメンの中でも最上級の評価を付けたいと思わされる、珠玉の一杯でした。
なお、この日は大変寒い夜だったようで、地元の方々が口をそろえて「こんな寒い日は滅多に無い」と言っているのが印象的でした。【F】市の観測地点のデータによれば、翌2/8の最低気温は-1.0℃。これは直近2年間での最低気温でした。
■2日目(2/8)
【F】市にも【F】城や有名なお寺があるようで、更に言えば【F】県には他にも世界遺産始め、様々な観光スポットがあります。本当ならもっと滞在したかったのですが、次の目的地【G】市方面での観光を優先したかったので、9時過ぎから移動することに。
1日目にも思いましたが、【E】市と【F】市って意外と離れているんですね。【F】県における【F】市の立地や、【E】がどちらかと言えば小さめな都道府県であることから、せいぜい30分くらいで行けると思っていましたが、鈍行だと1時間半くらいかかります。
ともあれ、【E】市まで行けば【G】市まで新幹線で行けるはずなのですが、当初のプランが崩壊し、既に予算オーバー必至なので、今回は全て鈍行で行くことにしました。
【E】市から【G】市まで鈍行で行こうとすると、途中の【H】駅で乗り継ぎをしなくてはなりません。【H】市はこの県の第二都市で、やはり大変有名な観光スポットが存在します。このスポット、私は運良く車窓から拝めたのですが、【H】駅のホームから見るのは結構難しそうです。いずれにせよ、この観光スポットは遠くから眺めるだけでは足りない気がするので、またの機会にちゃんと訪問したいです。
【H】駅からは山間の区間で更に1度乗り継ぎを挟みながら【G】駅まで1時間強で行くことができます。車窓からは見えませんでしたが、近くにあるということで個人的に心ときめいたのが”日本最古の庶民学校”である”○○学校”です。日本史が好きな私にとっては耳馴染みのあるワードでしたが(十番勝負のSVに採用されたこともありました)、そういえばこの辺のエリアでした。一応補足ですが、この”○○学校”が存在するのはかつての令制国【I】国の中にある【I】市です。
【G】市に着いたのは、14時前のことでした。【G】市から【A】市方面へ向かうルートもあるのでギリギリまではありましたが、そのルートも豪雪の影響で不通。ここで【A】市のことは完全に忘れて【G】市を観光することとなります。
【G】駅を降りて、まず驚いたのが【G】駅前(東口側)の栄え方。
無論【G】市は並の地方都市ではなく、様々な形で国内有数の大都市としての地位を与えられています。しかしながら、同じ地方に存在する【J】市の存在感が絶大であることや【G】県の人口規模が私の”地元”の県と遜色無いこと、前回訪問時に西口側に軽く寄った際の印象から、”舐めていた”のだと思います。
路面電車・バスが忙しなく行き交う様や、百貨店の本店、繁華街、地下街など商業地区の充実ぶりは紛れも無く”大都会”だと思いました。
さて、【G】市と言えば、誰もが思い浮かべる観光地があります。今回のお目当てはそこでした。この観光地は有名なグループの内の1つとしてカウントされがちで、私はそのグループの中で北陸のものには行ったことがあります。
“北陸のもの”と比べると、”【G】市のそれ”はアップダウンが少なくて周りやすかったです。何なら面積的にも”【G】市のそれ”の方が狭いのかと思っていましたが、若干”【G】市のそれ”の方が広いのですね。まあ、”北陸のもの”は酷暑の真っただ中に訪問したことが大分私の印象に影響しちゃってる気がしますが。(“北陸のもの”は来月再訪予定です)
“【G】市のそれ”に話を戻すと、エリアの端には桜林・梅林のエリアもあったのですが、今は真冬なのでちょっと寂しい光景でした。でもきっと数ヶ月もするとすっかり見ごたえある光景になっているのでしょうね。
この観光地から川を超えて反対側には別の観光地があります。”【G】○”です。この”【G】○”は外観が特徴的で、個人的に好きなデザインでした。外観から【H】市の観光地と対として扱われることもあるらしいですね。
この”【G】○”、なかなかに楽しめるスポットでした。私は日本史に関心があるので勿論なのですが、あまり日本史などに関心が無い層でもある程度楽しめる仕掛けがあるように感じました。子供たちが楽しめるようなちょっとしたギミックもそうですし、偶然にも(?)”【G】○”の主だった3家は、あの天下分け目の戦いでの立場がばらばらだったということもあり、例の戦いでの働きと、その後の彼らの人生・子孫の状況といったところにスポットライトを当てた展示が印象的でした。義務教育を受けていればあの天下分け目の戦いを知らない人はいないでしょうから、小学生でも楽しめること間違いなしだと思います。
【G】市の観光地が個人的に評価が高く、書きすぎてしまいました。
”【G】○”を去った後は繁華街へ行き、たまたま見つけた雰囲気よさげな店で、牡蠣やままかり(今まで知らない魚でした)を地酒と一緒に堪能し、〆に駅前の名店でまたもラーメンを流し込み、ホテルに戻ったのでした。
この晩の【G】市も相当寒く、2/9の最低気温は-4.5℃を記録しているうえ、この1週間くらいずっと最低気温-5℃~-3℃程度のようです。軽く調べた感じ、特定の一日だけを切り取れば-5℃~-3℃程度の日は年に数回はあるようですが、ここまで低温な日が続くのは極めて珍しそうです。
■3日目(2/9)
この日は移動一色になり、昼食をまともにとれないことが目に見えていたので、ホテルビュッフェを心行くまで堪能しました。地元の食材をしっかり食べられるタイプのビュッフェで、評判が良かったのでこのホテルを取ったというのはあります。勿論デザートには幼稚園児でも知名度が50%を超えてそうな例の白いやつを。濃厚で確かに力が漲る気がしましたね。
10時過ぎには【G】駅を経ち、西にある【D】市を目指すこととなります。勿論変に散財できないので鈍行です。
さて、【G】市から(世界遺産で有名な)【K】市までは数年前に列車移動をしたことがありましたが、日中の移動は未経験だったので新鮮な気持ちで車窓の景色を味わえました。
【G】市を出て数分もすると大分落ち着いた風景になり、あれれ?という感じでしたが、10分もするとまたかなり賑わった街が。この地方で【J】市をも凌いで人口密度最大の都市、【L】市です。【G】市と【L】市は本当に近いなあと感じました。
私は都市圏には詳しくないですが、この2市を核にした都市圏の人口はあの【J】都市圏の人口すら凌ぐレベルにあるというのですから驚きです。
【L】市から更にしばらく進むとやがて県境を越え、更に進むと、【L】市とほぼ同規模の【M】市に当たります。このような【H】市・【G】市・【L】市・【M】市・【J】市といった(私の”地元”には無いような規模の)都市がまずまずの距離間隔で配置されている様は、なかなかに興味深いものが有りますよね。
流石にこの日は移動時間が長いため、本を1冊読むことにしていました。それが湊かなえさんの『リバース』。私は湊かなえ作品が大好きなので旅のお供に…と思ったのですが、ちょうど舞台の一部がこの辺りの海沿いのエリア(【J】県から海を挟んだ【N】県)だったので車窓を眺めながら物思いにふけることができました。雪国を読みながら国境の長いトンネルを超えてみたり、伊豆の踊子を読みながら伊豆に向かったり、本を読みながらその舞台の場所に意図的に行くことはしばしばありましたが、このパターンは初めてでテンション上がりました。とはいえ、(数年前にドラマがやっていたのでご存知の方もいるかもしれませんが)、小説の話自体はテンションが上がるタイプの結末では無いです。この作家さんは基本そうですが(苦笑)
【K】市を超えると、いよいよ私の知らない世界です。ほどなくして遂に【O】県に入り、すぐに【P】市でこの旅最後の乗り継ぎをすることとなりますが、まだ14時過ぎ。【D】市着は18時前なので、いかに【O】県が広いかという話。
一応【G】市から【D】市は隣の隣の県という位置関係のはずですが、【J】県や、【D】市が属する【O】県が大分東西に長いため、乗り継ぎによるタイムロスは最小限のはずなのになんと8時間近くかかります。新潟県や【A】市の属する【Q】県は割と細長めな形をしているため、東西移動の困難さを理解できますが、【J】県や【O】県は自分で体験してみないとなかなか理解が追い付かないものです。
ところで【H】市よりも東側から続いているこの路線。海沿いを走るのはこれまでも珍しくなかったですが、【P】駅を出たあたりで明確に景色に異変が。海側に目を向けたときに煙突やクレーンが天に向かって複数本伸びている様をよく視認できるようになりました。自分が男子だからか、やっぱり工業地帯のゴテゴテ感は見ていて興奮しますね。
16時半ごろ、【O】県の新【O】駅で10分ほど停車しました。この新【O】駅、一昔前は別の名前でした。当時私もうっすら旧駅名を聞いた覚えがあります。旧駅名の自治体は【O】市と合併して消滅してしまいましたが、現地の国道の青看などでは今でも現役バリバリの地名です。
駅名変更は新幹線の速達列車の誘致狙いだったようですが、それにしても(部外者目線でしかありませんが)なんだか残念な気持ちを感じてしまいます。
新【O】駅から、この列車の終点【D】駅までは一連の旅の中で一番雪を見たタイミングでした。地理的にももはや日本海側か太平洋側か怪しい位置ではあり、日本海側中心に大豪雪だったここ数日においても結構しっかり降ったのでしょう。
そのうえ、遂にはリアルタイムで雪が降り始めたので驚きました。移動中の路線名を市名に含む【R】市を通過したあたりだったと思います。
とはいえ、【D】駅に着く頃には雪は止んでいました。
その後、【D】市のホテルに荷物を預け、最低限の荷物を持って【B】市の中心駅に向かい、大学時代の先輩と久々に酒を飲みかわしました。無論、〆には【B】市が属する県で間違いなく一番有名なご当地ラーメンをいただきました。
そういえば、その方が言うには「【B】市には【B】市ならではのB級グルメは無いんだよ~」とのことですが、本当かなあ。
まあ【B】市の中でもレトロ街が有名なエリアは焼きカレーを強烈に推していたりもするようでし、市内でも地域差があるのかもしれませんが…
この夜の【D】市の最低気温は2.5℃。ここ1週間では最高で、例年と比べてもあまり違和感のない最低気温です。
■4日目(2/10)
【D】市のホテルで7時に起床。7:45にはチェックアウトし、【D】駅から東側へどんどん進んでいきます。
この辺りは重要度が高めの史跡の宝庫で、【D】戦争(1863)で大砲が設置された場所、【D】条約(1895)が締結されたふぐ料亭、小鳥と鈴について詠った某女性詩人所縁の地など、徒歩で周れる範囲だけでもネタに事欠きませんが、何よりもやはり時の武士政権滅亡の地であることは忘れてはならないでしょう。巨大橋の脇にある合戦跡は、歴史的インパクトの割にどこかひっそりしていますが、それが逆に哀愁を誘います。近場には波の下の都に向けて旅立った当時の天皇の陵墓や武士政権の柱となった一門の墓地、合戦の最中に失われた三種の神器の一つを奉る神社などもあるので、それらと併せて訪問したほうが楽しめるはずです。
例の合戦は潮流の変化が戦況を大きく動かしたと言われていますが、実際に海峡内の海水の流れを見てみると結構な速さで驚かされました。そりゃ押される側は保たないよな…と言う感じです。
例の合戦場の目と鼻の先には歩いて【B】市に移動できるルートがありますので、当然寄りました。県境部分にはしっかりとサインがあったので跨ぎながら記念撮影。また、トンネルの始点と終点には”おにぎり”が有ったのできっちり撮影。ランニング中の方が多くて驚きましたが、来週末に【B】マラソンがあるようですね。市制50年を記念して誕生したイベントらしいですが、そういえば、ちょうど訪問している2/10は【B】市の62歳のバースデーでした。
【B】市で地上に出て最初に出くわす神社や地域の名前は難読だと思います。なかなか読めず、青看の英字表記を見てやっと納得できました。…なんですけど、海辺を飛ぶ鳥さんの大作
文字数逆転コレクションにはしっかり掲載されていたので、まだまだ勉強が足りないなあと。
しばらく散策すると、「老松公園前交差点」に到着。
国道1-10号、おまけで11号,12号については数字の並外れた若さもそうですが、そのルートが主要4島の概形を表しているという点で、個人的には他の2桁国道と比べても別格だと思っています。
そしてこの交差点はこの”別格”12本の国道のうち3本の起終点にあたるというとんでもない場所です。同様の場所は他にあの日本橋しかありませんし、なんなら徒歩圏内の【D】市にも更に1本の終点があるのですから、この地域の交通の要衝としての格の高さがうかがえます。
その後は上でも触れた「レトロ街」でお馴染みのエリアを散策したのですが、こちらは時間が足りなかった。街並みの雰囲気は大変良かったのでいずれ再訪し、各建物の中まで見たいです。そのまま近くの港からフェリーに乗り、【D】市に戻りました。
ホテルを出てからここまで3時間半くらい。ずっと徒歩だったにもかかわらず見ごたえのあるスポットがあちこちにあり、大変有意義な時間を過ごせました。
ところで、この地域が地理的にも歴史的にも特異的なポジションにいたことは間違いないのですが、一応【S】市などは2つの地域の接点・著名な海峡の存在・歴史区分の境(中世→近世)となる滅亡など、【D】市と近しい地歴的特徴があるうえ何なら大体上位互換な気もします。まあ【S】市は別格としても、それに近しいロマンを感じるのは事実でしょう。なお、当然【D】市と【S】市は姉妹都市提携をしています。(そういえば【D】市には十番勝負のSVヒントにも採用された姉妹都市記念公園がありますが、丁度【D】市街地から合戦跡方面に向かう道中で立ち寄れるので、記念に寄っていたりします)
その後は市場でふぐ・いか・たこなどをこれでもかというくらい堪能した後、シャトルバスで【O】【T】空港に向かい、そのまま飛行機で東京に戻りました。
そういえばですが、【N】県上空を飛行していたとき、【N】県の大部分が存在する島の南岸部分、即ち台風銀座として有名な【U】岬やこの島の南端がある岬、間に広がる【V】湾などが目視で確認できたのが面白いと思いました。陸上移動しようとするとなかなか距離があるイメージだったので、流石に難しいのではと思っていましたが見えるものですね。もっとも私は陸上移動を自分でしたことがない(そもそもこの島に上陸したこともない)ので、近いうちに来訪したいところです。
私が飛行機で旅行するとき、大抵は現地で夜まで過ごしてから最終便で東京に帰る形なのでこれまで気づきませんでした。
羽田についてからは爆速で自宅に戻り、そのまま不本意ながら差し込まざるを得なかった本業の会議に参加し、何事もなかったかのように数時間業務を行いました。やれやれ。
まとめ
出鼻をくじかれてからはホテルの予約だけ済ませ、それ以外はほとんど行き当たりばったりの旅でしたが、社会人となりある程度お金周りに余裕が生まれた今、こういうのも悪くないなあと思えるようになりました。久々の鈍行旅も楽しかったです。
また、【B】市・【D】市は以前から行きたかった地域の一つでもあったので終始大興奮でした。1泊だと足りないことがわかったので、次に来訪する際はもう少し時間を作っていきたいですね。
今回の旅での経県値変動を振り返ると、【F】・【O】県がそれぞれ4点増、【G】県が1点増の計9点増でした。まだまだ伸びしろがあるのでガンガン潰していきたいです。3-5月も東日本中心に増加を狙う予定。西日本はまとまった休みが取れたタイミングで一気に回りたいところ。
(閉じる)答え
【A】→出雲
【B】→北九州
【C】→米子
【D】→下関
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【F】→和歌山
【G】→岡山
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【S】→イスタンブール(笑)
【T】→宇部
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【V】→土佐