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[91505]2016年9月25日
伊豆之国

[91505] 2016年 9月 25日(日)23:46:08伊豆之国 さん
"Supertown"歩き & 「(にわか)領地」訪問はお預け(天気予報に振り回されたみちのく独り旅)
去る21日より2泊3日で、宮城・岩手両県の旅。今回はその道中記を。
今回の道中、夏休み中に本業の多忙(八王子市の物件([91416])もその一つなのですが)で取れなかった休暇をこの時期になってようやく取れたことによるものでした。けれども折からの台風の接近を初め、とにかく天気予報がころころ変わり、直前になって宿と泊まる日だけは決めてきてネットから予約は取り、訪れる場所は既に決めていたものの、スケジュールははっきり言って出発当日の朝まで「ほとんど白紙状態」だったのでした。
初日は、ともかく「晴れ間は出る、雨の確率は低い」と言うことで、「町歩き」を。東京駅から新幹線で、福島駅で降りて在来線に乗り換え、白石駅で下車。40年ほど昔、その白石市にある「小原温泉」に一泊し、「蔵王のお釜」を見たり、遠刈田温泉にあるこけし工房を見学したりした記憶が残っているのですが([90481])、 そのとき素通りした、伊達家重臣・片倉家の城下町、白石の市街地の町歩きから。(「にわか領主」である)掛川城と同様、木造で平成7年に天守閣が再建された白石城(白石市HPより)、市内で唯一残ったと言う武家屋敷豪商の屋敷を回り、名物の「温麺(うーめん)」(私は小原温泉に泊まったときよりも前、子供のころから知っていたのですが、実際に味わったのは40何年ぶり…)をご馳走。でも、駅前通から中心市街の印象はというと、人影もまばらで店じまいして久しいような商店も目立ち、やはり千本桜さんが危惧されていた通り([90177])
白石は仙南の中心都市から脱落
と言うのも案外当たっているような感じも見受けられ、新幹線の駅が白石駅に併設されなかったこと、その新幹線駅「白石蔵王駅」も町外れの田んぼの中にあって利用客数も伸びず、1日の乗降客数は1000人にも満たず「閑散駅」の地位に甘んじたままになっているようです。
ところで、この白石城主として、戦国末期より明治に至るまでこの地を治めてきた片倉氏。伊達政宗の幼少時代から後見人として仕えてきた初代・片倉小十郎景綱の子、二代目小十郎重長は、優れた武勇で名を轟かせ、「大坂夏の陣」ではあの真田信繁(幸村)と激闘を繰り広げ、「鬼小十郎」と恐れられた武将でした。その信繁が死を前にして、重長を「敵ながら大した者だ」と褒め、自らの子女をその重長に託し、そのとき預かった阿梅は、後に重長の後妻となっています(白石市HPより)。私が白石駅で降りて町のほうに出たとき、「『真田丸』ゆかりの町」の幟が立っていたのを見て、「何でやねん?」と怪訝に思ったのですが、白石城のすぐ下にあった「探訪ミュージアム」を見てきてその関係を知ったのでした。
白石駅からは再び「鈍行」で大河原駅で降り、いよいよ千本桜さんの地元、”Supertown”大河原の市街地に出ます。駅前の印象では、白石のそれよりも栄えている印象で、白石川に架かる橋を渡って旧街道沿いの中心街へ。豪壮な商家もあり、「町」としては結構栄えているな、という印象を受けましたが、明らかに店じまいしたような感じの商店も多く、千本桜さんがおっしゃる通り([90177])、人口こそ微増しているものの、繁栄に「陰り」が見えているような雰囲気にも思えたのでした。それから繁昌院にお参りした後、白石川を再び渡って、この町のシンボルでもある土手の桜並木へ。曇り勝ちの天気で、遠くに見えるはずの蔵王連峰は雲の彼方でしたが、桜の葉が青々と茂り、薄暗い土手の道を延々と歩いて行くのも、心地よい気候とあいまって、それはそれでまた風情があるものだな、と思ったのでした。やがて町境を越えて柴田町に入っても桜並木はなお続き、右手からは東北本線の線路も並行。今も結構な本数が走っている長い編成の貨物列車と、2~4両の短いローカル鈍行列車との対比に、今の東北本線の地位と役割が見えてきたのでした。今年の春にできたばかりの陸橋「しばた千桜橋」を渡って東北線と県道を越え、新幹線がなかった頃にはいつも気になっていた風景であった、「伊達騒動」を基にした小説「樅の木は残った」で名高い船岡城址へ。足元を見ると、真っ赤な彼岸花が今まさに花盛り…。曇り空で方角もよくわからず、ともかく坂道を下りて平地に出ると、「しばたの郷土館」があったので、資料館の中を見学。市街の中心部、船岡駅の方角と思しきほうへ向かって歩き、やが県道が見えてそちらに出て、駅に向かって歩くことに。交差点を左折したところが駅なのですが、この船岡駅の駅舎、「第一印象」では「昔の役所か、学校か、武道場か?」と言ったように見えて、これが「駅」だとは一瞬信じられないような戸惑いを抱いたのでした…。船岡駅周辺の印象も、柴田町自体が槻木との「中心が2つある町」であるせいなのか、大河原よりは少し小さい、むしろ仙台のベッドタウンの色彩が強い、と言った感じに見受けました。
船岡駅から東北線で白石駅に戻り、バスで遠刈田温泉のリゾートホテルに。夜遅くに露天風呂に入ると、外は雨…。雨は翌朝起きたときも降り続いていましたが、直行バスで仙台に戻ったころにはすっかり上がっていて、仙台駅からは市内の観光地巡りのバスで青葉城址へ。伊達政宗の銅像の前で、「(戦国市盗り合戦の)初代青葉城主の座を目指しての挑戦([91287])」を「宣言」したのでした(笑)…。既にお昼を過ぎたので、名物の「牛タン」定食で空腹を満たすことに。先のバスが片道の環状ルートで、仙台駅に戻るまでに行きの倍の時間がかかるため、待っていたタクシーに乗り、仙台駅からは仙石線で、これまで何度も訪れているとは言え、やはり「定番」の松島を目指したのですが、既に雨が降り出し、松島海岸駅に着いた頃には本降りになっていたため、湾内一周の観光船で再び松島海岸に戻ることに(塩竈行きの船もあったのですが、30分後の出航で、しかもこの天気では近くの名所巡りも億劫で…)。本塩釜で降りての鹽竈神社への「(にわか)領地獲得御礼」参りも、「この雨の中、しかも前日からの長い歩きで足がガタガタでは…」と、この時点でほぼ断念(翌日に回すことも決して不可能ではなかったのですが、どう見ても日が暮れてからになりそうなので)。仙台駅に戻り、新幹線で2日目の宿泊地・花巻へ、と言うことにしたのですが、荷物を預けていた仙台駅の構内の広さに道に迷い、次に北上・新花巻に停まる列車まで1時間待ち。この間に宿に「予定より遅れる」旨の電話を入れ、地下の売店で「どうしても買っておきたかった」名物「九重」([60404])を買い、北上駅で「鈍行」に乗り換えて花巻駅へ。この時間帯にバスがないので、タクシーで花巻温泉へ。この豪華な高級ホテルの和室が、直前のネット予約で1万円を切る値段で、しかも一泊2食付で泊まれるとは、「価格破壊もここまで進んだとは…」と驚いたものでした。ホテルでは隣接する同一グループの宿と合わせて温泉の「梯子」、館内には昔の風景も展示され、この地を走っていた「軽便電車」(HP,[73249])の写真も…。ちなみにこのホテル、同じグループの経営する3軒のホテルが渡り廊下でつながっていて、実質的には1軒の巨大ホテル。しかし、渡り廊下でつながっている各棟は、傾斜地に建っていることもあって、渡り廊下でつながる同じレベルの階が、それぞれ「1階」「2階」「3階」と異なっていて、ちょうど私がこの旅に出る直前に話題になった「建物の階数の数え方論争」を思い出していたのでした。
ところで、花巻と言えば、その花巻東高校出、「二刀流」の日本ハム・大谷選手。でも、楽天に入れなかったことで、「もし楽天に入っていれば、田中マー君がメジャー入りしてからこんなに弱くなるようなことはなかったのでは…」と複雑に思っている東北人も多いのでは、と妙なことも思ったりしたのでした…。
翌朝、起きてみたら外は雨でしたが、9時過ぎに宿を出た頃には上がり、時折晴れ間も出て汗ばむ陽気。送迎バスで新花巻駅に出て、宮澤賢治記念館を見学。地図を見て新花巻駅の近くにあることを知り、歩いても行けなくはない距離でしたが、駅前は閑散としていて本当に何もないような殺風景、どの方向へ歩いたらよいのかよくわからないので、駅前で待っていたタクシーを使うことに。「雨ニモ負ケズ」や童話の世界で子供の頃から親しんでいた賢治でしたが、文人としてだけではなく、鉱物、農業、天文、音楽など、幅広い分野の知識を豊富に備えた「マルチ人間」だったと言うことを、今更ながらその多芸多才ぶりに感心したのでした。
新花巻駅に戻り、新幹線とは対照的な狭いホーム1本だけの釜石線乗り場から「鈍行乗り継ぎ」で平泉へ。過去2度訪れているのですが、今回は実に30年ぶり、もちろん世界遺産になってからは初めて。毛越寺はその当時の印象がすっかり抜け、中尊寺にしても、金色堂まで続く長く薄暗い参道のイメージぐらいしか残っていなくなっていて、実際に歩いてようやく当時の記憶が蘇ってきた、と言う感じだったのでした。  
本堂を過ぎ、拝観券の売り場まで来て、財布を見ると…残り1千円を切っている!金色堂だけは何とか見られる金額なのですめが、宝物殿・秘仏拝観と共通券が買えない…。ここまできたのに万事休すか…」と慨嘆…身軽で歩くために、平泉駅のコインロッカーに重いバッグを預けていたのですが、その中に万札が入っていたのでした…。でもすぐに振り返って横を見ると、信用金庫のATMがあり、郵貯カードも使える!これぞまさに「地獄で仏」。郵貯カードを持ってきていたので、必要金額を引き出し、無事共通券を買って、大震災以来5年ぶりに公開された秘仏→宝物殿→金色堂の順に拝観を済ませ、土産物屋が軒を並べる、バス停のある麓に戻ってみると、既に雨が本降りに。参道を歩いているうちは鬱蒼と茂る並木が雨除けになっていて、雨天になっていたのを感じさせなかったのでした。
予定外のタクシー利用が続いたことなどもあって、平泉駅から鈍行乗り継ぎで、帰りの新幹線は仙台駅からと決めることに。ここまで昼食抜きできたこともあり、最初の乗り継ぎ駅・一ノ関駅で、既に冷え切っていた売れ残り?の駅弁。一ノ関駅からは小牛田行きとまたも細切れ、しかも悪評高い「701系」の長椅子式車両。でも空腹に耐え切れず、昨年の東海道中([88822])と同様、弁当を頬張るのを強行。小牛田駅で仙台方面へと乗り継ぐのですが、仙台行きの電車が出発する直前、忘れ物に気づき、さっき乗ってきた電車が折り返して一ノ関行きになる電車に大急ぎで戻ると、その忘れ物が無事すぐに見つかり、結局次の電車に乗り換えて仙台駅に。新幹線に乗り換えて東京駅に着き、新宿で小田急に乗り換え…。嗚呼、帰り道は遠刈田、いや遠かった…。

♯書き込みの途中で誤操作したため、いったん削除した上で改めて書き込みし直しました。


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