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じゃごたろさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[65519]2008年6月15日
じゃごたろ
[65241]2008年5月25日
じゃごたろ
[65227]2008年5月24日
じゃごたろ
[65226]2008年5月24日
じゃごたろ
[65210]2008年5月21日
じゃごたろ
[65143]2008年5月16日
じゃごたろ
[65084]2008年5月11日
じゃごたろ
[64809]2008年4月19日
じゃごたろ
[64761]2008年4月16日
じゃごたろ
[64755]2008年4月16日
じゃごたろ

[65519] 2008年 6月 15日(日)15:51:39【2】じゃごたろ さん
石を投げれば「佐藤」に当たる?
こんにちは、じゃごたろです。

名字の話題を一度はじめたら、多分のいつまでも続くのでしょうが、私も一つ。かつて居住していた山形県庄内地方には、多数派の名字がいくつかありました。そのなかでも「佐藤」は群を抜いていたかもしれません。同姓が多いので名字(姓とか名字とかの使い分けには意味はありません。一応)で呼ぶことは殆どありませんでした。普段から、名前の「○○さん」「○○ちゃん」「○○くん」と読んでいましたね。当然同姓同名もありますけど。


[65518] Issie さん
「海野」は東御市の,「望月」は,いつの間にか佐久市の地名ですね。
南佐久には「海ノ口」とか「海尻」とかありますし、北佐久にも「海野」などという地名がある。古代、佐久平は大きな湖で、それを干拓して現在の佐久平になったという説を聞いたことがあります。これは長野県の「○○平」と呼ばれる地域に共通していたような。「海野」の「海」も、この「湖」と関係がある地名なんだろう、という気がしています。


[65484] 桜トンネル さん
学級代表:「規律、気を付け、礼。」
クラス全員:「おねがいします。」
素朴な疑問。これでは、いつ座るのでしょうか? それとも立ったまま授業を受けるのでしょうか? 私の学校では「起立、礼、着席」だったので、などと思ったりしました。単なるネタレスでして、あまりたいしたことではありませんので、お気になさらずに。
[65241] 2008年 5月 25日(日)15:30:27【3】じゃごたろ さん
続仮称・南部市
こんにちは、じゃごたろです。

[65228] 揖斐の山 さん
そもそも、八戸ってどちらに向いているのでしょうか。
[65229] 日本人 さん
たぶん青森県ではないでしょうか。
[65234] k-ace さん
南部藩だった、歴史的経緯からすると、岩手県になるんじゃないのでしょうか。
[65238] MasAka さん
元・南部地方住民(岩手県盛岡市&青森県七戸町)ですが、この組合せだと合併新市は青森県とするのが妥当ではないかと考えます。

どうも反応ありがとうございます。こちらの皆さんのご意見が分かれるように、私の意見・感想を言わずに「どちらに所属するのだろうか。」としたのは、どっちになるか予測が付かないと思っています。

八戸市民の意向というものを聞いたことはありませんが、私の考えていること及び巷の風聞からすると、揖斐の山さんの「八戸の動向」としては「親岩手県」、というよりは「反津軽(青森市)」ということで岩手県への所属の可能性が高いようにも思えますが、そこが政治の世界。それと「南部」を意識しない世代が増えてきているでしょうから、なんともいえないでしょう。



さて、「南部氏」がらみで。

[65238] MasAka さん
南部地方を南北に貫く国道4号線ですが、標高最高地点は青森県と岩手県の県境ではなく、岩手県の十三本木峠(奥中山付近)にあり、
多分、戦国期以前の南部氏の勢力はこの十三本木峠が境だったのでしょう。それ以南は斯波氏勢力。斯波氏とは、岩手県の紫波を名字にしたとされており、高水寺を中心として岩手郡までを勢力化に治めていたようです。逆に言うと、戦国以前の南部氏と、江戸期の南部藩としての南部氏は同列で語ることはできないと思います。

余談ですが、二戸には「南部美人」という地酒がありますね。
ありますね。うちの母校のすぐ下にありますよ。


[65235] Issie さん
なお,南部氏が本当に甲斐国の南部郷の出身かと言うと,あまり当てにはならない,つまり「ウソ」っぽい,という説もあります。
最近、少なくとも南部藩の祖となった「三戸南部氏」は甲斐出身ではなく、もともといた土豪の氏族ではないかと思ってます。いわば甲斐南部氏の土豪代官が、そのうち「南部氏」そのものを名乗るようになったんじゃないかな、と。

盛岡タイムス」へのリンクを設定しますが、三戸南部家以外に一戸氏、七戸氏、四戸氏、九戸氏、八戸氏が五家とされていますが、この中で八戸氏のみが後代になって糠部に下向とあります。正確ではないとしても、歴史的な断片が残されていると考えると、もともと糖部は土豪の代官に治めさせていたが、実際に甲斐南部氏が移り住んだのが八戸氏であり、三戸氏含めた氏族はそれとは関係のない土豪集団であったのではないか。

ネット、その他で知り得た範囲では、戦国期に権威のあったのは三戸南部家の他は九戸氏と八戸氏です。その頃の一戸氏は、鹿角平定の功績で二戸領を賜った九戸氏の勢力化であり、七戸氏もそれだけの発言権もなく八戸氏と歩調をあわせていたと思われます。また四戸氏は、軍事的に勢力を拡張してきた九戸氏への抑えとして現在の二戸市に移され、それが金田一氏のとなったとも言われています。現在地名として失われた「四戸」ですが、二戸市内に「四戸城跡」があるのもそのためと考えられているわけです。

さて、九戸氏は九戸政実に代表される武力によって権威を強化してきたわけですが、八戸氏はというとそれだけの実力があったかは定かではありません。しかし八戸氏は三戸氏と同格であり、三戸南部家に嫡男が無い場合には八戸氏から養子を迎えて南部家を継がせるという慣例があったとされますから、八戸氏がただならぬ存在であることはうかがえます。

南部家の中でも異色の八戸氏の存在は捨ておくことはできないものと感じてます。

「本家本元の南部」とはどちらか…,なんてね。
以上からも、「本家本元」を争うのは三戸か八戸かであって、岩手県北部はあまり関係ないと思います。もちろん、南部藩の居城があった「盛岡」が、八戸と対向するのは仕方がないかなと思いますけど。

個人的には、高橋克彦氏によって「九戸政実」が小説化され、「二戸市にある九戸城」の知名度が上がったことが一番の好事ですけと。一応「九戸城址」は国指定の史跡なんですよ。


ついで。

[65236] 伊豆之国 さん
ところで、「平泉」の世界遺産登録に「待った」がかかった、という新聞記事がありました。
岩手県といえば、かの野党の大将の地元。それで政府筋が圧力をかけた、というのはうがち過ぎでしょうか?
正直言って、日本の文化財に世界遺産に登録する必要のあるかが疑問です。「世界遺産」は全世界的な遺産が政治その他の理由で消失のおそれがあるので、世界的な援助によってそれを保全するのが目的のはず。しかし、日本の世界遺産登録の目的は「世界的な観光資源としてのステータスのシンボル」というのみえみえであり、はなはだいかがわしい。それも最も然とした理由付けする人々はもっといかがわしい。

日本の文化遺産は、文化財保護法の強化と、それの正当な適用で十分に保全できればそれでいいと思うんですよ。
[65227] 2008年 5月 24日(土)11:12:38【2】じゃごたろ さん
仮称・南部市
引き続きまして。

[65217] 揖斐の山 さん
将来の合併の枠組みとして八戸市が県境合併に意欲を示し岩手の久慈・二戸両市を視野に入れているようです。

こういう話がでてきたんですね。三市に加えてそのエリアにある三戸郡、二戸郡、九戸郡の全ての町村が合併して成立したとしたら人口約45万人、東北地方では仙台市についで第二の都市になるということですか。

でも、その前に三戸郡に残っている各町村を先に纏めて合併した上で越境合併を検討するのが筋ではないのかい?

市町村合併は机上のパズルとは違いますから、そんなに簡単なものでもないと思いますけど。キーとなるのは、市長の発言で、
「歴史的、経済的に深いつながりがある。道州制も見据え、一つの都市になった方が経済的にプラスだ」
ということ。道州制の枠組みとして北東北三県での一つになったと仮定すると、その州都となる存在感はかなり大きいと思います。「道州制も見据えて」という発言は、この辺を意識しているのじゃないでしょうか。そのためには三戸郡をまとめるだけでは十分ではなく、久慈市や二戸市を巻き込む必要があるでしょう。またまとまらなかった三戸郡も二戸市を巻き込むことで、まとまりやすくなるんじゃないでしょうか。三戸郡西部なんかは二戸・三戸エリアとして一つのエリアを形成することが可能ですから。

それにしてももし成立したら、青森県と岩手県のどちらに所属するのだろうか。
[65226] 2008年 5月 24日(土)10:42:34じゃごたろ さん
県道路線名と施設名のそこはかとない関係
おはようございます、じゃごたろです。

[65216] hmt さん
「空港整備法」の制定(昭和31年)より後、松本飛行場から松本空港への改称に伴なうものでしょうか。

hmtさんの調査とそれをまとめる構成にはいつも感心させられます。

さてちょっと調べてみたところ、「松本空港線」については「空港整備法」とはあまり関係ないようです。まず松本空港が供用されたのが昭和40年であり、「空港整備法」施行からだいぶ経たあとでした。それに伴い、その前年の昭和39年に「松本飛行場線」が認定されています。ですからこの時はあまり「空港」か「飛行場」かということは気にしていなかったのでしょう。この手の施設を「飛行場」と呼ぶのか一般的という考え方だったのでしょうか。

その後長野自動車道が開通して、松本空港~塩尻北IC~国道19号を結ぶ「松本空港塩尻北インター線」が昭和54年に認定されましたが、「松本飛行場線」の名称はそのままです。これが「松本空港線」と改称されたのは平成8年ですから、だいぶほったらかし状態だったわけですね。

ついでにですが、施設名と路線名が一致しない例として「療養所上野線」というのがあります。これは認定当初、長野市上野(うわの)にあった「国立長野療養所」を結ぶためのものですが、現在この「長野療養所」は「東長野病院」となっております。現在では存在しない施設名がそのまま残されています。

上の「療養所上野線」は現存しないとしても、まだ名称が変わった施設が残されているわけですが、施設そのものが無くなった例では「馬曲木島停車場線」というのもあります。「木島停車場」とは、かつての長野電鉄河東線木島駅のこと。河東線の信州中野駅~木島駅間は平成14年に廃止されたため、「木島停車場」という施設は既に存在しないわけですが、県道の路線名として現在でも生きているわけです。

もともと長野県は路線名を変更することにそれ程積極的でないようです。お隣の山梨県なんかは、合併にともなって「北杜」「南アルプス」「中央」「笛吹」「甲州」なんていう名称が含まれた路線にすぐに変更しています。それのお付き合いでの変更はありますが、県内で合併にあわせて一斉に変更したのは千曲市に関係する路線だけでした。
[65210] 2008年 5月 21日(水)23:00:22【1】じゃごたろ さん
飛行場
こんばんは、じゃごたろです。

前にも触れたことですが、昔の県道を調べていたら「長野飛行場線」というのが昭和初期に認定されていました。今の大豆島の犀川沿いにあったらしいです。で、調べてみたところ、なんと平成2年まで存在していたそうな(参考「滑走路探検隊」)。平成2年といったら、すでに私は長野県にいたはずなのにまったく知りませんでした。その頃の行動範囲は今とは比べようがなく狭かったのですね。ところで現在の「松本空港線」も以前は「松本飛行場線」から改称されたものですが、「飛行場」と「空港」の違いはなんなんでしょう。

さて、

[65199] KK さん
迷走?茨城空港
名称はともかくとして、かつて見聞きした範囲では、羽田空港よりも成田空港に対するアクセスを良くして(直行バスなどを運行して)、成田空港と国内空港の中継を担う的な文言がありました。しかし、成田空港の需要の低迷と羽田空港の国際便の増加傾向など、なかなか目論みどおりにはいっていないということでしょうか。でも当初の目論見なら国内限定のハブ空港化であり、国際的な知名度は必要ないと思うですが。まあ結局、空港を作ることが最優先で、理由を後付しているだけなんでしょうね。

名称ついでに、「新東京タワー」の六つの名称候補からの投票が開始されるらしいが、これまでの「東京タワー」に敬意を表して、そのまんま「新東京タワー」でいいと思うのだがなあ。

[65203] Issie さん
「三里塚軍事空港」
これが理解できるのは私あたりがぎりぎりかもしれませんね。そのころには世の中では既に下火になりつつあった闘争でしたが、その時期未だに白いヘルメットをかぶった方々がなんやかんやと学内を騒がせていたのはもう20年も前のことです。
[65143] 2008年 5月 16日(金)21:07:47【1】じゃごたろ さん
アドバイス
こんばんは、じゃごたろです。

アドバイス、示唆、指摘、指導。。。
なんでもかまわないのですが、それを実行するかどうかは個々人の判断によるものです。アドバイスの甲斐が無いと思えば黙殺することもありだと思います。ただ、本人はアドバイスのつもりでも、それがトゲトゲしい表現になってしまい、アドバイスを受けている人物以外にも不愉快な感じを与えるようなやりかたはいかがなものかな、と感じたために[65084]のような書き込みをしました。

私はというと限りなく黙殺の方向に近いですが、上記のようなトゲトゲしいアドバイスには黙認できないという性質なもので、ある一定の限度を超えたと感じると口出ししたくなってしまいます。。。
[65084] 2008年 5月 11日(日)20:11:21【2】じゃごたろ さん
おとなとこども
こんばんば、じゃごたろです。
連休中に九州遠征を行い、経県値が10ポイントアップし、メンバーのランキングでもトップ40内に入りました。まだ空白地帯がありますが、今年中には一度訪れたいと思います。

さて本題。またまた皆様に嫌われる様な内容ですが、言わせていただきます。

前にも書き込んだことですが、「おとなにとっては常識的なこと」でも「こどもにとっては新たな発見」ということは多々あります。それを大人目線で切り捨てるような発言をするのはいかがなものでしょうか。ここは確かに「おとなな掲示板」ですが、「こどもにも開放している掲示板」であることは、オーナーも認めていることです。私はなるべくそういう雰囲気にならないようにある程度「こどもな発言」を擁護する立場にたっていますが、その甲斐がないなと感じることも多々あります。しかしやはり、「こどもな発言」を切って捨てるという雰囲気にはなっていただきたくないな、と思います。

それを、「いかにしてまともな話題」にとりあげるかというのが、本当のおとなというものではないでしょうか?

追記ですが、「こどもな発言」に対し、自分が同じ年代だったころにどういうことを言っていたか想像したことがあるでしょうか。本当に「自己申告している年齢」どおりなら、年相応の発言ではなかろうか、と思うことも多いです。ただ、他人からの注意や指摘を、ただ受け流しているだけで行動に反映されていないというのも見受けられるのは、私もフォローのしようがありませんけど。
[64809] 2008年 4月 19日(土)12:33:32【1】じゃごたろ さん
桜満開
今週の暖かさで桜が一気に満開となりました。諏訪インターから杖突峠に向かう道路は、高遠城址へと向かう観光バスがひっきりなしに通過しています。

[64808] MasAka さん
問題[64765]を改めてもう一度よくご覧下さい。ヒントを言うなら意外な市のどれか、です。

ああなるほど。トンビが油揚げさらうようで申し訳ございませんが、滋賀県と京都府と奈良県に接する、忍者の里ですね。
[64761] 2008年 4月 16日(水)19:51:22じゃごたろ さん
レス
[64759] 日本人 さん
ウィキってみましたら土井さんは、「つちい」さんと書いてありました。「つちい」さんじゃないですか?

はい、そうでした。私は「ひらがな入力」なので、入力の順番が逆のまま投稿してしまうことが間々あります。訂正します。
[64755] 2008年 4月 16日(水)13:06:02【1】じゃごたろ さん
土井晩翠
かの「荒城の月」の作詞者である土井晩翠さんは、「つちい」が本来の読みで、周囲から「どい」と言われてもその都度「つちい」と言い直していたにもかかわらず、「どい」と呼ぶ人が絶えないことにあきらめて、「どい」という読みに改称してしまったというエピソードがあるそうですね。

例えば私の名字が「茨城(いばらき)」さんで、相手が「いばらぎ」さんと私のことを呼んだとします。それを私が『「いばらぎ」じゃなくて「いばらき」です』、と言い直したときに「どっちでもいいじゃない」と言われたらかなりカチンときますね。「高田」でも「宮城」でも一緒です。

一般的な「茨城」は「いばらき」でも「いばらぎ」でもどっちでもいいかもしれませんが(というより、どっちの読み方もあるという方が適切じゃないかと思いますが)、「茨城県」に限定した場合は、県が「いばらき」と名乗っているのですから、「どっちでもいい」というのは少々乱暴な気がいたします。


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