>88さん
市区町村変遷情報に誤りと思えるところがありましたので報告します。
2 1890.06.05 町制 秋田県北秋田郡 鷹巣町 北秋田郡 鷹巣村
郡市町村廃置分合一覧表明治31年12月31日-明治36年12月31日(著・出版:内閣統計局、明39)では
明33(1900).5.28許可となっています。
まずは内務大臣の町制への許可に先んじて町制が実際に実施されることはないと考えられます。
別の資料を見てみますと
秋田県統計書明治32年では明治32(1899)年12月31日は「鷹巣村」、
新旧対照市町村一覧(編著:鍾美堂編輯部、出版:鍾美堂、明36.6)でも明治35(1902)年1月末は「鷹巣村」との記載があります。ところが
郵便区画町村便覧明治35年11月現在中巻(編著・出版:逓信省通信局、明35)では明治35(1902)年11月1日は「鷹ノ巣町」、
秋田県統計書明治35年でも明治35(1902)年12月31日は「鷹巣町」との記載になっています。
→ということはこの町制が実施されたのはおそらく明治35(1902)年2月1日から11月1日の間と私は推察しますがいかがでしょうか。
1 1890.07.28 新設/町制 愛知県西春日井郡桃栄町 西春日井郡 西堀江村, 須ヶ口村
郡市町村廃置分合一覧表明治31年12月31日-明治36年12月31日(著・出版:内閣統計局、明39)では
明33(1900).9.28許可となっています。
まずは内務大臣の町制への許可に先んじて町制が実際に実施されることはないと考えられます。
別の資料を見てみますと
日本帝国人口統計明治31年(著・出版:内閣統計局、明34.3)では明治31(1898)年12月31日は「西堀江村, 須ヶ口村」との記載があります。ところが
新旧対照市町村一覧(編著:鍾美堂編輯部、出版:鍾美堂、明36.6)では明治35(1902)年1月末は「桃栄町」、
郵便区画町村便覧明治35年11月現在上巻(編著・出版:逓信省通信局、明35)でも明治35(1902)年11月1日は「桃栄町」との記載になっています。
→ということはこの町制が実施されたのはおそらく明治33(1900)年9月28日~明治35(1902)年1月31日の間と私は推察しますがいかがでしょうか。
8 1892.09.29 新設 埼玉県児玉郡共和村 児玉郡 共和村, 吉田林村, 上真下村
郡市町村廃置分合一覧表明治31年12月31日-明治36年12月31日(著・出版:内閣統計局、明39)では
明33(1900).7.13許可となっています。
まずは内務大臣の町制への許可に先んじて町制が実際に実施されることはないと考えられます。
別の資料を見てみますと
埼玉県統計書明治31年には明治31(1898)年12月31日には「吉田林村, 上真下村」との記載があります。ところが
埼玉県統計書明治33年には明治33(1900)年12月31日には「吉田林村, 上真下村」との記載がありません。また
埼玉県治一斑明治32年(著:埼玉県、明34.5)でも明治32(1899)年には「吉田林村, 上真下村」との記載がありません。
→資料に食い違いが生じました。1892.09.29は誤りであることは分かりますが。
この町制が実施されたのはおそらく明治32(1899)年もしくは明治33(1900)年のいずれかなのではと推察するしかないようです。。。
13 1895.07.19 町制 秋田県雄勝郡横堀町 雄勝郡 横堀村
郡市町村廃置分合一覧表明治31年12月31日-明治36年12月31日(著・出版:内閣統計局、明39)では
明35(1902).5.31許可となっています。
まずは内務大臣の町制への許可に先んじて町制が実際に実施されることはないと考えられます。
別の資料を見てみますと
秋田県統計書明治32年では明治32(1899)年12月31日は「横堀村」、
新旧対照市町村一覧(編著:鍾美堂編輯部、出版:鍾美堂、明36.6)でも明治35(1902)年1月末も「横堀村」との記載があります。ところが
郵便区画町村便覧明治35年11月現在中巻(編著・出版:逓信省通信局、明35)では明治35(1902)年11月1日は「横堀町」、
秋田県統計書明治35年では明治35(1902)年12月31日は「横堀町」との記載になっています。
→ということはこの町制が実施されたのはおそらく明治35(1902)年5月31日から11月1日の間と私は推察しますがいかがでしょうか。
30 1899.02.15 町制 福岡県遠賀郡八幡町 遠賀郡 八幡村
郡市町村廃置分合一覧表明治31年12月31日-明治36年12月31日(著・出版:内閣統計局、明39)では
明33(1900).2.10許可となっています。
まずは内務大臣の町制への許可に先んじて町制が実際に実施されることはないと考えられます。
別の資料を見てみますと
福岡県統計書明治32年(著・出版:福岡県)では明治32(1899)年12月31日は「八幡村」との記載があります。ところが
新旧対照市町村一覧(編著:鍾美堂編輯部、出版:鍾美堂、明36.6)では明治35(1902)年1月末は「八幡町」との記載になっています。
また
北九州市八幡東区HPでは
明治33年(1900年)、八幡村は八幡町となり
とあります。
そこでこの町制が実施されたのは明治33(1900)年であると推察しますがいかがでしょうか。
39 1904.01.01 新設 福岡県京都郡犀川村 京都郡 南犀川村, 西犀川村, 東犀川村
郡市町村廃置分合一覧表明治36年12月31日-明治41年12月31日(著・出版:内閣統計局、明42)では
明38(1905).2.1実施となっています。
別の資料を見てみますと
福岡県統計書明治37年第1,2編(著・出版:福岡県)では明治37(1904)年12月31日は「南犀川村, 西犀川村, 東犀川村」との記載があります。ところが
福岡県統計書明治38年第1,2編(著・出版:福岡県)では明治38(1905)年12月31日は「犀川村」との記載になっています。
また、福岡県犀川町長であった
白石春夫氏は
明治38年には東、南、西犀川3村は合併して犀川村となり
と書いておられます。
→ということはこの合併が実施されたのは郡市町村廃置分合一覧表明治36年12月31日-明治41年12月31日(著・出版:内閣統計局、明42)の記載にある明治38(1905)年2月1日として特に問題はないと考えられます。
3 1907.07.20 町制 徳島県那賀郡鷲敷町 那賀郡 鷲敷村
郡市町村廃置分合一覧表明治36年12月31日-明治41年12月31日(著・出版:内閣統計局、明42)では
明41(1908).7.20実施となっています。
別の資料を見てみますと
徳島県統計書第18冊明治40年(著・出版:徳島県)では明治40年12月31日は「鷲敷村」との記載があります。ところが
徳島県統計書第19冊明治41年(著・出版:徳島県)では明治41年12月31日は「鷲敷町」との記載になっています。
→ということはこの合併が実施されたのは郡市町村廃置分合一覧表明治36年12月31日-明治41年12月31日(著・出版:内閣統計局、明42)の記載にある明治41(1908)年7月20日として特に問題はないと考えられます。
19 1909.09.01 町制 和歌山県伊都郡妙寺町 伊都郡 妙寺村
郡市町村廃置分合表明治42年1月1日-大正2年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大4)では
明43(1910).9.1実施となっています。
別の資料を見てみますと
和歌山県統計書明治42年(著・出版:和歌山県)では明治42(1909)年12月31日は「妙寺村」との記載があります。ところが
和歌山県統計書明治44年(著・出版:和歌山県)では明治44(1911)年12月31日は「妙寺町」との記載になっています。
→ということはこの合併が実施されたのは郡市町村廃置分合表明治42年1月1日-大正2年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大4)の記載にある明治43(1910)年9月1日として特に問題はないと考えられます。
213 1912.__.__ 町制 岐阜県可児郡豊岡町 可児郡 豊岡村
郡市町村廃置分合一覧表明治31年12月31日-明治36年12月31日(著・出版:内閣統計局、明39)では
明34(1901).6.10許可となっています。
別の資料を見てみますと
新旧対照市町村一覧(編著:鍾美堂編輯部、出版:鍾美堂、明36.6)では明治35(1902)年1月末は「豊岡村」との記載があります。ところが
郵便区画町村便覧第13冊明治35年11月現在中巻(編著・出版:逓信省通信局、明35)では明治35(1902)年11月1日は「豊岡町」との記載になっています。
→ということはこの町制が実施されたのはおそらく明治35(1902)年2月1日から11月1日の間と考えられます。
32 1913.07.01 町制 島根県那賀郡 江津町 那賀郡 江津村
郡市町村廃置分合表大正3年1月1日-大正7年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大9)では
大3(1914).7.1実施となっています。
別の資料を見てみますと
日本帝国人口静態統計大正2年(編・出版:内閣統計局)では大正2(1913)年12月31日は「江津村」との記載があります。ところが
島根県統計書大正3年第1巻(著・出版:島根県)では大正3(1914)年12月31日は「江津町」との記載になっています。
→ということはこの町制が実施されたのは郡市町村廃置分合表大正3年1月1日-大正7年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大9)の記載にある大正3(1914)年7月1日として特に問題はないと考えられます。
39 1914.05.12 町制 秋田県鹿角郡小坂町 鹿角郡 小坂村
郡市町村廃置分合表大正3年1月1日-大正7年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大9)では
大3(1914).5.15実施となっています。
小坂町HPでは大正3年(1914)のところに
小坂に町制施行(5/15、初代町長小笠原勇太郎)
と記載されています。
→ということはこの町制が実施されたのは郡市町村廃置分合表大正3年1月1日-大正7年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大9)の記載にある大正3(1914)年5月15日としてよいと考えられます。
57 1920.10.01 町制 千葉県君津郡大貫町 君津郡 大貫村
郡市町村廃置分合表大正3年1月1日-大正7年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大9)では
大7(1918).10.1実施となっています。
別の資料を見てみますと
千葉県統計書大正6年第1編(著・出版:千葉県)では大正6(1917)年12月31日は「大貫村」との記載があります。ところが
千葉県統計書大正7年第1編(著・出版:千葉県)では大正7(1918)年12月31日は「大貫町」との記載になっています。
→ということはこの町制が実施されたのは郡市町村廃置分合表大正3年1月1日-大正7年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大9)の記載にある大正7(1918)年10月1日として特に問題はないと考えられます。
24 1921.01.01 改称 徳島県那賀郡今津村 那賀郡 今津浦村
郡市町村廃置分合表大正3年1月1日-大正7年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大9)では
大4(1915).1.1実施となっています。
別の資料を見てみますと
徳島県統計書大正3年第1編(著・出版:徳島県)では大正3(1914)年12月31日は「今津浦村」との記載があります。ところが
徳島県統計書大正4年第1編(著・出版:徳島県)では大正4(1915)年12月31日は「今津村」との記載になっています。
→ということはこの改称が実施されたのは郡市町村廃置分合表大正3年1月1日-大正7年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大9)の記載にある大正4(1915)年1月1日として特に問題はないと考えられます。
45 1922.01.01 新設 東京府南葛飾郡瑞江村 南葛飾郡 瑞穂村, 一之江村
郡市町村廃置分合表明治42年1月1日-大正2年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大4)では
大2(1913).1.1実施となっています。
別の資料を見てみますと
東京府統計書大正元年第1巻(編著・出版:東京府)では大正元(1912)年12月31日は「瑞穂村, 一之江村」との記載があります。ところが
東京府統計書大正2年第1巻(編著・出版:東京府)では大正2(1913)年12月31日は「瑞江村」との記載になっています。
→ということはこの合併が実施されたのは郡市町村廃置分合表明治42年1月1日-大正2年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大4)の記載にある大正2(1913)年1月1日として特に問題はないと考えられます。
35 1926.11.03 町制 徳島県美馬郡半田町 美馬郡 半田村
郡市町村廃置分合表大正3年1月1日-大正7年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大9)では
大5(1916).11.3実施となっています。
別の資料を見てみますと
徳島県統計書大正4年第1編(著・出版:徳島県)では大正4(1915)年12月31日は「半田村」との記載があります。ところが
徳島県統計書大正5年第1編(著・出版:徳島県)では大正5(1916)年12月31日は「半田町」との記載になっています。
→ということはこの町制が実施されたのは郡市町村廃置分合表大正3年1月1日-大正7年12月31日(編著・出版:内閣統計局、大9)の記載にある大正5(1916)年11月3日として特に問題はないと考えられます。
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[63806]での4書がらみの書き込みは、ひとまずこれまでです。
(追記)
18 1897.04.01 町制 滋賀県栗太郡草津町 栗太郡 草津村
草津市史第三巻(編:草津市史編さん委員会、発行:草津市役所、1986)317頁には、明治28年6月22日に町制施行とあります。
その前後の頁には町制施行に至るまでの経過(草津村長の知事宛稟議書提出(M28.1.25)、県による郡長に異議ないことの確認(M28.5.7付)、県による草津村会に異議ないことの確認(M28.5.8付)、県による内務大臣宛申請(M28.6.10))が書かれており、同一頁には
内務省許甲第37号
明治28年6月10日内-発第969号申請滋賀県栗太郡草津村ヲ草津町トナスノ件
右、明治23年法律第77号ニ依リ之ヲ許可ス
明治28年6月18日 内務大臣子爵 野村靖
との内務省からの許可の文章をそのまま複写したものが掲載されています。
また、滋賀県HP
県内市町村のあゆみでもM28(1895).6.22に町制施行とあります。