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スナフキんさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[51985]2006年7月4日
スナフキん
[51952]2006年7月2日
スナフキん
[51779]2006年6月16日
スナフキん
[51735]2006年6月12日
スナフキん
[51725]2006年6月12日
スナフキん
[51661]2006年6月5日
スナフキん
[51534]2006年5月29日
スナフキん
[51474]2006年5月25日
スナフキん
[51452]2006年5月23日
スナフキん
[51339]2006年5月15日
スナフキん
[51292]2006年5月12日
スナフキん
[51018]2006年4月26日
スナフキん
[50823]2006年4月15日
スナフキん
[50649]2006年4月10日
スナフキん
[50639]2006年4月10日
スナフキん
[50519]2006年4月7日
スナフキん
[50483]2006年4月6日
スナフキん
[50445]2006年4月5日
スナフキん
[50420]2006年4月4日
スナフキん
[50127]2006年3月28日
スナフキん

[51985] 2006年 7月 4日(火)10:10:58スナフキん さん
えびの市成立にかかる問題
[51968]白桃さん
私は人口にかかる話題があまり得意でないのでなかなか話についていけないのですが、えびの市成立時のすったもんだについて資料室長から入れ知恵をもらったので参考までに。

[51976]でsuikoteiさんがフォローされていますが、私が聞いた話によればえびの市成立の際には、1966.01.20に出てきた各町の国勢調査人口数値の合計33,101人でもって自治省を納得させたのだそうです。この時点はもちろん私は生まれていないので事情をよく知らないのですが、当時は新聞などでも「それはずるいのではないか」などとかなり叩かれたのだそうです。その証拠を示せと言われても、さすがにそこまで昔の新聞スクラップは保存していないので、あくまでも「伝聞」に過ぎない不確実な情報ですが…。

白桃さんの書かれた時系列年表を見ながら、あくまでも個人的な見方として考えますと多分、えびの市成立時点では、国勢調査がその2ヶ月前に実施されていた事実はあっても、そこで市となる人口要件3万人を割り込んでいたかどうかの結果が判明していなかったために、その5年前である昭和40年の国勢調査数値で3万人を越えているから、と納得させざるを得なかった、というえびの市の言い分が見えてくるような気がします。

勝手なこじつけですが、えびの町が誕生した1966年からえびの市へ昇格した1970年までの間に、1968年この地域に甚大な被害をもたらしたとされるえびの地震発生の記載が、勤務先の資料から見つかりました。要件云々以前に、震災復興のため財政基盤強化を計りたく市制施行を推し進めざるを得なかった、とか言う事情はあったのか、なかったのか…。
[51952] 2006年 7月 2日(日)20:29:53スナフキん さん
北埼玉ネタに、ちょっと便乗
私も今日、レンタカーを借りて北埼玉・行田まで行ってきましたのでちょっと話題に便乗。

ブログにもしたためた通り、知り合いに届け物をするのが主目的なのですがそれだけでは面白くないので、20年以上ぶり(小学生以来)にさきたま風土記の丘に行ってみました。もちろん行田名物古代蓮も気になったのですが、知り合いの「1時間前にもうだいぶ閉じてた」の言にスッパリアキラメ。早起き早寝なんですね、蓮って。以前に1度、行ったこともあるし…その時は屋外で「生ダークダックス」(大汗)に遭遇し、小林亜星氏を間近で見て感動したんですが(笑)。

古墳へ行ってびっくりしたのは、鉄剣出土で全国的に知られた稲荷山古墳、小学生の頃は円丘部分しか残っておらず学芸員にわざわざ「ここは前方後円墳だとされています」と説明されたはずなのに…何と前方後円墳になっていました! 当時あった環濠は埋められて玉砂利が敷き詰められており、資料館学芸員に尋ねると昨年度中に復原事業が完成したとのこと。他にも、当時は立ち入りができなかったはずの将軍塚古墳に、展示室を埋設構造で設置してあったりしていました。資料館内部の展示も、小学生だった頃には発見もされていなかった埋蔵物がガラスケースに入っていたりします。まったく、数千年の時の流れを研究する考古学に向き合って、たった20年ばかりのタイムラグをここまで実感させられるとは…文字通りの「浦島太郎」状態です(汗)。公園内の環濠に、「古代」かどうかは分からないけれど蓮が浮いていて花をつけていました。まぁ今日のところは行田の蓮ってことで、これでいいかなと。名物と言われる「ゼリーフライ」も食べたし(爆)。

武蔵水路を北上するルートは当時の社会科見学で利根大堰へ行ったのと同じ。学芸員さん曰く「今でもそのコースで回る団体はいますよ」とのこと。時代は変わっても、古墳群も武蔵水路も、重要度は少しも昔と変わっていないようで妙に安心します。武蔵水路の長野サイフォン・白鳥田サイフォンは今回も素通りしてしまいましたが、小学生の時分にこの設備に異常に執着して、しばし図書館に入り浸った(アヤシイ…)ことをちょっと思い出しました。埼玉の小学生は多分かなりの確率でこの武蔵水路を、重要な飲料水供給ルートとして教わるはずですが、同様に荒川から取水しているはずの東京都ではどうしているんでしょうねぇ?

帰りは、熊谷市内で整備中の環状道路の一部、荒川を渡る(沈下橋に代わる)久下永久橋が気になって遠回りしてでも通ってみました。いやぁ、部分的高速道路(笑)。高崎線をまたいでから荒川の橋本体まで、距離はわずかですが分岐・合流のランプウェイを有し、事情を知らない人ならまず対面通行の高速道路と思ってアクセル踏みまくるはず。かく言う私も、メータが80指しているのにしばらく気づかなかったりして(自爆)。

自宅に最も近いであろう広域農道をフル活用しての往復でしたが、帰りは道の駅いちごの里よしみに寄り道。ここ、吉見町民会館が必要以上に大きくて、逆に道の駅の施設群は実際よりもずっと小さく見えます。これらハコモノをジャカスカ作って税金使い込んで、財政状況が悪化したために東松山との合併で肘鉄を食らわされたのですから、猛省してもらわにゃいけませんね。

蒸し暑い一日でしたが、頭も体も動かした、健全な日曜日でした。
[51779] 2006年 6月 16日(金)00:08:56スナフキん さん
東京駅のこと
[51767]N-Hさん
すでに[51772]でsuikoteiさんが書き尽くしていますが、念のため私のお宝である1972年11月号(suikoteiさんのものより、8ヶ月あと)の時刻表でも当たってみました。ちなみに私のものは復刻版でなく、実物です。紙はすでに変色し、文字も潰れかかっているものが散見されて見にくいことこの上ありませんが、これで徹夜しろと言われたら、やり通す自信はあります(爆死)。

特急に関しては、suikoteiさんの記述から若干の変更が見られます。ただ、東北線方面の青森・盛岡・秋田・仙台へは変わらずに直通特急が走っていますし、高崎線方面でも新潟・長野・直江津へやはり直通便があります。熱海-前橋の普通便も見えました。この他定期便で県庁所在地に絡むところでは急行「日光」が宇都宮、といったところでしょうか。

まあこれらに関しては、今の社会情勢とはまったく異なる時代の状況だけに一概に良い悪いを判断するのは難しいと思いますが、ただ1つ、いまよりもはるかに時はゆっくり流れていたであろうことは確かだと思います。
[51735] 2006年 6月 12日(月)12:59:40スナフキん さん
超高層、フォローありがとうございます
[51727]YSKさん
ここまで書いてきて違う場所だったら恥ずかしい
大丈夫です、その公開生放送、モデルルームを見学後に見てきましたから(笑)。てっぺんから足元を(こわごわ)見ると、人だかりがしていたので何事かと思って急行したら、ラジオ局の腕章をつけた人たちが「撮影禁止」の札を持ってウロウロしていました。私、最上階からこの人だかりを撮ってしまったんですが(自爆)。ただ残念なことに、私の行った時間帯が中途半端だったために、最上階からのラジオ中継とは前後してしまって鉢合わせすることはありませんでした。

たくさんのショップともつながった
生活圏が近接しているので、自分と関係のない店舗を除いて全部の店を一通り利用していますが…一応モール形式にはなっていますけど、「たくさん」という感じはしないなぁ(苦笑)。

高崎市役所も24階建てですよ
ああっ、やっぱり…。高崎市内には超高層、あるかもしれないなと思いつつも、前橋よりもはるかに訪問回数の多い高崎駅周辺に飛び抜けて背の高いビルがあった印象がなく、つい県庁まで遠望してしまいました(苦笑)。住宅地図で調べたら、地上は21階のようですね。おっ、うちの超高層の方が高いぢゃん、と思いきや高さは102.5mで、約95mのこちらよりも高かったり。オフィスビルは天井高が異なるので、フロア数=建物高さにはなりません。では群馬県庁はと住宅地図を開くと…建設中(ガッカリ)。ホームページを見たら33階! そんなに高かったかなぁと感心してしまいました。
[51725] 2006年 6月 12日(月)00:10:36スナフキん さん
ちょっと超高層ビルを考える
先週から、自宅近くの駅前に完成した超高層賃貸住宅のモデルルーム公開が始まりました。オープンは来週末まで続きます。今や都心部では超高層ビルは当たり前であり、何をもって「超」なのかは意見が分かれそうですが、自分はおおむね20階建て以上なら超高層かな、とかあいまいに考えています。もっとも、昨今の高層化はこれを上回る規模で進んでいて、都心部ではもはや30階建てクラスも珍しくなくなってきており、20階では基準が甘いかもしれません。特に、今まではオフィスビルが圧倒的に多かった超高層ビルに、賃貸または分譲のマンションが次々と加わっていますね、時代は変わったものです。

私は、山登りの経験があるにもかかわらず高いところはあまり得意でないのですが、それでも飛行機搭乗中に上空から、超高層ビルの上層から、周りの景色を眺めるのは結構好きです。真下を見ちゃうともうダメですが、視線をなるべく水平にすれば、多少へっぴり腰(汗)でも長いこと眺めていられます。あるいは、地図屋たる職業がそうさせているのかもしれませんが、メンバーの中にもたぶん、そんな人がいるのでは?

しかも新しもの好きな私は、モデルルームオープン初日に最上階へ行って、新調したてのデジカメでもって手当りしだいに景色を撮りまくってきました。警備で巡回している人からは「なんじゃこいつ?」みたいな目で見られはしましたが、絶景なることこの上なかったです。ましてや、この建物は立ち上がる前から、私がほぼ1週間ごとにでき上がり高くなっていく様子を画像で記録し続けた建物。たぶん眺める景色は他の人とはまた違うように見えたことでしょう。

都心部では増殖した超高層ビルも、埼玉のこの辺りまでくるとさすがに相当まばらになります。まとまって背の高い構造物が望めたのは、さいたま新都心と大宮駅周辺、隣のふじみ野駅周辺と新所沢駅周辺くらいなもの。よく考えたらこの建物より北側には、ここ以上に高い建物ってないのかもしれません。さすがに新所沢変電所が立地する土地柄、高圧線の鉄塔はやたらに林立していますが、ビルとなると…ひょっとしたら沿線はおろか、終点の寄居を通り越してさらに北、群馬県庁くらいまで超高層ビルはないのではないか? というくらい、逆に北側の眺めは遮るものも少なく、すばらしいものでした。

間取りがまた、最上階の天井高を活かしたデュアルフロア構造で、ロフトがあったり床下収納があったり、中には風呂場に窓があって展望風呂だったり、それでいて四六時中得られるワイドビュー…競争率の激化は必至です、どの間取りもほとんど1部屋しかないですし…。ところで、住居の「ロフト」って考え方は日本固有のものではないように思うのですが、どうなのでしょうね? 「屋根裏部屋」と言ってしまえば確かにそう見えなくもないですけど…。部屋の中に数段の段差がある生活、毎日にメリハリがつくと捉えるか、いちいちの昇り降りは億劫と捉えるか…日本での住まい選びも多様化してきたようですね。ちなみに、私はこの最上階、家賃を払おうにも収入不足で、入居できません(号泣)。
[51661] 2006年 6月 5日(月)22:27:13スナフキん さん
環八全通、その後
[51543]音無鈴鹿さん
早速、開通区間を実走されたのですね。今回開通区間には事実上の自動車専用区間も含まれるため、マイカー所有が(収入の面で)ままならないスナフキんは、車を借りでもしない限りここを走ることはできそうにありません。

少し遅めのレスになってしまいましたが、自分自身で開通後の姿を見るまでは何かを書いたりするのは、こと環八に関しては控えようと思っていたためでした。で、日曜日に開通後の様子を初めて見に行ってきました。その他周辺の整備状況など詳しいことはブログにちまちま書きましたので、気になる方はそちらをご覧ください。もちろん私は道路の「走行」はできないので、トンネル上から眺めるだけです。根本的に自分がやっていることは開通前も開通後も変わらないのですが、足元ではすでに車が通っていて様相が一変しています。防音壁があり、設備も車の流れも高速道路のよう。週末の昼下がりとあって交通量はまずまず、信号は区間1ケ所のみで車も極端に多くないことから流れは順調そのものでした。

ただ、意外だったのは井荻トンネル。開通したのだから当然渋滞も解消するのかと思いきや、引き続き工事をしているらしく相変わらず朝の交通情報では「環八の井荻トンネルは工事のため~」のクダリが繰り返されています。北町若木区間の側道及び歩道整備工事と同じく、本線をとにかく通すことが最重要課題で、他が多少おろそかになっても全通を優先させたのでしょう。TNさんが指摘された、「超突貫工事」を裏付ける一つの現象と言えそうです。

ブログの繰り返しですが、私がここ環八の最後の開通区間をここまで気にしたのはたぶん、仕事がそうさせたのだと思います。でも、地図屋の仕事は道路を分かりやすくユーザに示すまで。そこから先、示された道路をいかに利用し、有効なものにしていくかは何も地図屋だけの仕事とは限りません。道路を通過する人はもちろん、沿道の住民もかかわりのあることのはず。ともあれ、私がこの区間に執着する必要はほぼなくなりました。トンネル出口直上から北側を眺めながら、鳥肌がたちそうだけど充足感、涙が出そうだけど拳を握りしめたくなる手ごたえ…なかなか言葉で表しにくい、複雑な心境になりました。それもたぶん、自分が地図を描くことを仕事にしているからなのかもしれませんが。
[51534] 2006年 5月 29日(月)00:51:40スナフキん さん
mixiのこと
どうも複数の方の書き込みを見る限り、落書き帳メンバーにもいく人かのmixi参加者がいらっしゃるようですね。かく言う私もそうだったりします(汗)。

ただ、あくまでも落書き帳は落書き帳。共通の参加者同士で交流するのはよいけれど、mixiに落書き帳コミュを立ち上げて「第二落書き帳」にするのは変だし、この場を提供して下さっているグリグリさんにも何だか悪いので、やめましょうね(笑)。

私の場合、ブログはmixi内でやっているわけではないですし、正直地理・地図の話題を仕事以外でやるのは当落書き帳だけでもうおなかいっぱい(大汗)なので、mixiでは地理的アクションも、鉄的アクションもしていません。埋没しそうですけど、かすみさん同様落書き帳でのハンドルネームと同じ名前を使っているので、見つけやすいかもしれません、興味のある参加者は詮索してみてください。
[51474] 2006年 5月 25日(木)13:48:47スナフキん さん
環八のこと
[51466]TNさん
タイトルの本題はともかく…
肺が菌に侵され
とてつもない難病に見えるのですが…心配です。でも、PCに向かって文字は打てているから、大丈夫なのかな?

線路際まで開削し、トンネル断面の外縁にパイプを挿入したのちにくり抜く、といった手法が想像されます。
実は私も21日、現地に出撃(汗)したのです。自分で地図帳に赤線を引いて訂正しておきながら、こんな大幹線の開通に知らんぷりはできません(笑)。ここにも直後にそのことを書き込もうかと思ったのですが、自分のブログで「これでもか!」というくらいにみっちり書き込んでしまったのでまあいいやと、サボってしまいました。

私が向かったのは練馬区北町~板橋区相生町区間であり、こちらでは残念ながら笹目通りとの分岐部にかかる資料を一緒に入手することはできませんでしたが、東武東上線交差部にかかる資料などはゴッソリ入手できました。それには、専門用語を連発して恐縮ですが「開削工法の応用で築造した」旨の記述が見えました。線路際までオープンカットで構築し、線路直下のみ現地で築造したボックストンネルをスライド挿入した、とあります。これには線路部分の地盤を支えるための補助工法が当然必要なはずですが、それについては記載がありません。日刊建設工業新聞にも南田中トンネルの詳細は掲載されましたが全体的に図面が少なく、そもそも北町若木区間の詳細は載っていませんでした。開通式がこれからなので、新聞記事をもう少し注意して見てみることにします。

あまりの突貫工事ぶりに見ていて気の毒です。
当日も、注意深い人ならば突貫工事ぶりが足を踏み入れただけで分かったはずですね。ブログの記述と重なりますが、明かり部分は前日の豪雨で洗い流されていたとは言え、覆いのあった部分の舗装は歩いていてもまだべとつきが分かるほどでした。アスファルト舗装に「生乾き」という概念があるのかどうかは分かりませんが、たぶんそういう状態で日曜日の当日を迎えたんだろうと思います。

首都高中央環状線に対しても、渋滞緩和の効用についてそれほど期待を抱いておりません。
現状では首都高速中央環状線のうち王子区間が完成していますが、これも開通後の効果として大々的に報じられた渋滞の解消が思ったほどに現れていないのでは?と私も感じています。池袋線から中央環状線への流量よりも、東北道・常磐道方面から池袋線への流量の方が上回っている印象で、渋滞情報を聞いていても開通後はかえって竹橋を頭にした5号池袋線の渋滞が伸びてしまったように思います。従来はいくつものJCTを経なければ到達できなかった山の手エリアへよりスムーズに行けるようになったことが、かえって交通量のアンバランスを招いてしまったともとれ、道路建設計画の難しさを感じます。

余談ですが、私のブログのアクセス記録を見ると、環八をタイトルに据えて記述した記事だけが、他記事のアクセス数の6倍近くに達しています。一地図屋の書いている戯言にも関わらず、世間一般の関心は非常に高いようです。
[51452] 2006年 5月 23日(火)09:11:21スナフキん さん
やはりメガライナーは転用…
昨年8月に秋葉原~つくば間に首都圏新都市鉄道<つくばエクスプレス>が開業し、その後減便などの改定を経て去就が注目されていた常磐道高速バスつくば線の巨大車両「メガライナー」ですが、どうやら第二の人生が決定したようです。知り合いからの情報では、今月中にもつくば線からは撤退し、整備及び国土交通省の特認が下り次第、現在はダブルデッカーでの運行が定着した東京~大阪間の「青春ドリーム号」に回って席数を増加させる方針なのだとか。高速道路の走行はともかく、東京や大阪の一般道路の通過に問題はないのか、疑問が残りますが…。私が予想した「鹿島線転用説」はものの見事にひっくり返されました(大汗)。

それにしても、決して夜行バスとしては設備が恵まれているとは言いがたい「青春ドリーム号」、設定当初は定着するのか首をかしげていたものですがいつの間にか、2階建てバスを投入するほどに利用者が増えていたんですね。昨今は東京~大阪ですと航空運賃が叩かれ気味なところへ、新幹線も割引手段を増やすなど全般的に運賃が低廉化する傾向にあるようですが、そのさらに下を行く激安夜行バスがここまで支持されているとは…こんなところで景気って、本当に回復基調にあるんだろうかと疑問に思ってしまう今日この頃です。
[51339] 2006年 5月 15日(月)13:01:48スナフキん さん
ワラヂヤ地図のこと
ワラヂヤ、自己破産の時は「え~っ?」と思ったのですが、それも数年前の話なのですね。神戸オフの際にも、実はワラヂヤの「ザ・マップ京阪神」を持っていったのはワケアリのつもりでした(汗)。ワラヂヤの、特に市街図に関してはとにかく見やすくて、土地勘のない私のような人間が地図編集する際にはとっても役に立ちました。ただ、最後の最後までデジタル化に乗り遅れてしまったのがつまづきの大きな要因だったのかなという気がしています。手元にオフの時に持ち出した道路地図を広げて見ていますが、阪急の三国駅が改築中で、アナログ作業でもって苦しい手直しをしているのがよく分かります。線の形はちょっとイビツだけど、決して見易さを犠牲にしてはいないのです、やはりワラヂヤの消滅は惜しまれます。それにしても、漢字だと「和楽路屋」だったんですね、そんなに昔のことは知らなかったので(勤務先保有の地図はみんな「ワラヂヤ」って書いてあります)驚きました(←知らなさ過ぎ)。

[51318]ニジェガロージェッツさん
この地図の片隅には「(株)デジタルマップス」と社名が入っています。
この会社については存じておりませんでした。ワラヂヤの資産はそれなりの価値があったはずですが、前述のようにほとんどが「アナログ資産」だったはずで、それが「デジタル」と名のつく会社に移ったのかなぁ…(?)という妙な感じもするのですが。でも、すべてが失われてしまうよりは何らかの形でモノが生かされる方が断然いいので、完全消滅したのではないことを知って少しホッとします。ネットを詮索すると、どうもあるんだかないんだか、正体が不明の会社ではあるようです(苦笑)。

とにかく、ワラヂヤの市街図からは結構多くのことを教わった気がします。町別色分けの淡い感じや、町名を青文字にすることによってここまでおとなしい表現になるんだということ、郊外の段彩における色使いなど、参考になる点が多くありました。こういう表現を用いた道路地図をリリースしている会社、今はないような気がします。やっぱり惜しまれる存在だったように思いますね。
[51292] 2006年 5月 12日(金)13:44:54スナフキん さん
宮地岳線も高架になるのですね
[51290]かぱぷうさん
西鉄香椎駅もいよいよ高架になるのですね。去年の晩秋、九州新幹線の帰りに通りかかったら高架構造がすでにできており、高架になったものだと早とちりしてその後西鉄本社に問い合わせてしまったのを思い出しました。電話口では「来春には切り替えの予定です」と知らされたのですが、すっかり忘れたまま季節は移ろって春になってしまっていました(汗)。

その時でさえ、南福岡駅が大きく改築されていたり、箱崎がやはり高架になっていたり、香椎操車場跡地にどっかり高架構造の新駅が、西鉄と同居する形でできていたりと、ここ数年の変化に目を丸くしたものです。その前というと、2001年の池島炭鉱閉山の時に遡りますけど、この時は往復ともブルートレインだったので福岡県内は暗いまま通過してしまいました。だとすれば、ずいぶん前から九州はご無沙汰していたことになります…。いけませんね、西日本はどうしてもスパンが長くあいてしまう傾向が強いです。それが経県値にも如実に現れているのですが(汗)。

末端廃止の情報が取り沙汰される一方で、残存区間は近代化を進めるのですね…はたから見ているとやるせない感じです。でも、車両はさほど以前と変わっていないみたいですが(爆)。

ちなみに、わが社の地図はそれほど詳細な図を扱っていないので、高架になる分には(線路の位置が大ずれしたり駅が動いたりしない限り)それほど影響は大きくありません。しかし逆に地下になるとこれは大変。実線を破線に、スミのアミを落としてネズにしないといけないほか、地下駅は原則駅名記載をしないルールにしているので、駅名は撤去することに。いま作成中の訂正用冊子には、東急目黒線がダウングレードするような指示書きをする羽目になってしまいました。個人的には何とかしたいのですが…。
[51018] 2006年 4月 26日(水)09:26:46【1】スナフキん さん
ちょっと違うけど面白いバス
先日、広島プチオフに私が参加したときと同様に日中12時間をバスに揺られる愚行を実行した知り合いが、ちょっと面白いバスの話をしていました。

彼はマツダミュージアムの見学ツアーに参加したらしいのですが、広大な工場敷地内で集合場所とされたのはJRの向洋駅近く。ところがミュージアム自体は宇品の方にあるため、集合場所からバス便乗になったそうです。このバス、何と工場内で従業員輸送用に使われているバスそのものだったとか。さすがに従業員輸送との混用はしていなかったとのことですが、随所にしっかりバス停まであって驚いた、と熱っぽく語ってくれました。車はいたってマツダ仕様なのですが、どうやら運転士は広島バスに委託しているみたいだ、とも。もっとびっくりしたのは、有名な企業専用橋「東洋大橋」を、何と渡ることができるらしいということ。これを聞いただけで広島を再訪したくなった私は、多分ビョーキなのでしょう。プチオフの際にこのことを知っておれば、アストラムラインもスカイレールも全無視して見学しただろうに…悔やまれます。

一般に敷地内に乗り入れる路線と異なり、敷地が広大であるがために従業員移動用として設定されているバスは、当然一般人が利用できるはずがないのですが、このケースでは例外的に「その車」には乗ることができるみたいなのでちょっと脱線気味とは思いますが紹介してみました。

*ちなみに、それを気にして勤務先の住宅地図を見てみましたが、当然マツダ敷地内にバス停の記載はありません、念のため。

#最後の一文を後から追加。
[50823] 2006年 4月 15日(土)22:56:00スナフキん さん
目黒競馬場跡を、期せずして訪問
今日は、本当なら新宿をかすめてはいけない日でしたが…やむなく山手線で通過・乗換。まるで線路が輻輳する駅構内とは思えないくらい作業員だらけになっていて、地を這う線路が見えないほど。もちろん何をどうする作業をしているのかなんて車内からでは分かりっこありません。週末なのに山手線は、埼京線も湘南新宿ラインも動かないためにラッシュ並み混雑でグッタリ。しかも、当初の目的だったゆりかもめ延伸区間の初乗りは、こともあろうに昨晩の脱輪・脱線で空振り三振。関係者の話を間接的に聞いたら、問題は単純ではなさそうで深刻であるらしいとか。

同行の知り合いと協議の結果、なぜか目黒区や品川区界隈をウロウロすることに(謎)。その途中、以前話題になった「元競馬場前」バス停を、2度も、しかも同じ方向に向かう形で素通り。うち1度は、ホンモノの競馬場跡地をバス路線が縦断してくれたのですが…当たり前ですが競馬場らしさなんてかけらも残っていません(笑)。総じて住宅地であり、感慨もへったくれもあったものではありませんでした。むしろ、その直前に目黒不動の門前までバスがヅカヅカ進入していったことのほうがインパクトが強く、2度目の「元競馬場前」通過時もやはり直前の祐天寺商店街を「そこどけそこどけ」状態でヅカヅカバスが走り抜けるダイナミックぶりに唖然としてしまって、競馬場跡がかすんでしまいました~ 

その後は江ノ電に乗ったり、小田急電鉄の検査列車に遭遇したり…

最後のクダリは駄文にて、突っ込みは無用です(苦笑)
[50649] 2006年 4月 10日(月)17:31:19スナフキん さん
無視できなくなってしまった「まなづる」
[50529]でhmtさんが指摘された事実、なるべくなら知らんぷりして(汗)通したかったのですが…索引の校正をしていて、知らぬ存ぜぬで通せなくなってしまいました(大汗)。でも、校正作業を中断して脱線すると集中力が切れるので、最後まで校正を終えて調べてみたんですが…この、何か心に引っかかったまま「ま」~「わ」の校正をするのって、実にイヤな感じです。

このテの話での多数決は、モノの本質を見極めるのに何の足しにもならないことは分かっているのですが、まあ比較対照する意味が全くないというわけでもないと思うので、ありったけの資料で調べてみました。

「まなづる」(濁る)派:
角川地名大辞典
わが社に近い(スミマセン、あからさまに示すと正体がばれます・汗)資料2種類
神奈川県百科事典
町役場ホームページ
町発行の印刷物(郷土誌・町勢要覧・パンフレットなど)
平成17年版市町村要覧

「まなつる」(濁らない)派:
国土行政区画総覧
日本行政区画便覧
平成16年版以前の市町村要覧
2005年10月1日国勢調査速報値
(三省堂コンサイス地名事典)

以前私のおバカで話題を撒いてしまった「いわき市」の時ほど混沌としておらず構造は単純ですが、数の上では拮抗しています。しかも、わずかに分が悪い方に「重い資料」がのっかっています。ちなみに、三省堂の地名事典にカッコが付してあるのは、参照資料を「市町村要覧と国土行政区画総覧」と断っており、マゴ引きとも考えられるためです。但し同時に、「別訓」として濁るまなづるを立てており、中立とも取れるスタンスです。

概して言えるのは、「アーカイブズ・呼称が複数ある地名 ~地名呼称の多様性~」でも指摘されている通り自治省~総務省における見解と地元が主張する見解が異なっているようだ、と言うことです。読みを変えるのでも、例えば和歌山県広川町がそうであったように告示の対象となるはずですが私も見覚えがなく、合併告示に埋もれてしまったとも思えません。

市町村要覧の冒頭、凡例部分には出所明示がしてありますが、ここには平成17年4月に各都道府県に照会したとあります。つまり問い合わせ先は国の機関たる総務省ではなく地方に直接問い合わせた、ということです。しかもこの内容を見る限り、市町村要覧の内容全般が総務省の監修を受けているという事実もどうもないようです。そもそも編者である市町村自治研究会なる団体がどれほど総務省との関わりがあるのかは私も分かりませんが、改めてこの方針を貫いたところ地元が主張する「まなづる」表記が表に出てしまった…そんな事情なのではないかと(あってほしいという希望も含めて、ですが)。

上記は、私の大したこともない知識で記述しています。間違いがありましたらフォローをいただければと思います。
[50639] 2006年 4月 10日(月)09:45:17スナフキん さん
東京の動脈がつながるらしい
新年度から「ブログ」なるものを始めてみているのですが、本人がモノグサなのでなかなか毎日続けるのが難しいです。不思議と、自筆で書く日記は10年以上続いているんですが…習慣になれば続くようになるのかな?

さて、週末をはさんでちょっとしたニュースが耳に入ってきました。東京を取り巻く環状道路のうち環八通りは、ここに出入りする皆さんならご存じかもしれませんが現在ブツ切れ状態で供用されています。それが、この5月28日にも1本につながるのだとか。時折耳にする渋滞情報でいつも聞こえてくる「井荻トンネルは工事のため…」のクダリは、実はこの延伸工事のためだったことを、今更ながらにして知りました。地図屋としては情報遅すぎですが(汗)。

で、スナフキんはその情報を知らないまま、健保スポーツクラブが近くにあるのをいいことに日曜日、現調に行ってしまいました。今年始め、スポーツクラブに行くようになった当初はまだまだこんなのできんな…と思っていたものが、照明や看板が立つなど驚くほどに工事が進捗していました。あとは整地して舗装する程度になってはいましたが、それでも開通総延長からしてあと数ヶ月でできるようなものかいな? と疑念を抱いていたんですが…ホントにできてしまうようです。現地工事看板によれば、本来なら平成17年度中には完成させるはずだったようですが、それが遅れて新年度にずれ込んだもののようです。個別に見ると、練馬北町商店街の分断はアクロバットな急勾配で何とか避けられました。東武東上線直下の北町若木トンネルは、線路に直接影響させることなく掘り抜いてしまいました。どういう工法でやったんだろう? 他方、線路をまたぐ自転車・歩行者・車椅子用跨線橋は別工程らしく、竣工予定はシール貼りして平成18年7月となっていました。既存の環八通りは随所に3車線区間が介在しますが、今回開通区間のうち練馬区~板橋区間に関しては遠望した限り、側道への分岐部を除き中央分離帯ありの原則片側2車線構造のようです。

開通道路のパイプが極太な分、開通後にどれほど交通流動が変化し、渋滞状況が変化するのかちょっと興味のあるところです。
[50519] 2006年 4月 7日(金)09:22:13スナフキん さん
少しフォロー
[50495]千本桜さん
私の記述が恣意的過ぎて気を遣わせてしまいました、ゴメンナサイ。

ただ、自分自身ちょっと気になる点があってあえてひっくり返したままの記述をしてしまいました。「らづつ」と書かれた地図、タイトルが「いわき市全図」とあるのです。つまり、いわき市として合併を果たして以降に調製された地図であり、奥付も昭和42年12月となっています。自分は、昭和40年代に入ってもなお右から左へ読んでいたんだろうか、これは何かの間違いでは? と思ってそのまんま記述をしたわけですが…1/5万地形図のバックナンバーを見たら、昭和44年発行の「平」図幅も逆読みのままです。44年と言えば私の生まれるわずか5年前(汗)であり、いくらなんでもこの頃は今と同じになっていたはずだろうと思うのですが、地形図ではその辺りの反映が著しく遅れていたんでしょうか。そんなことは自分で調べるべきでしょうが、自分としてはちょっと不思議です。
[50483] 2006年 4月 6日(木)13:22:54スナフキん さん
いわき市の情報、感謝転じて懺悔へ
皆さんにご協力いただいたお陰で真相の判明したいわき市の合併前自治体名称、実は私の調べ方が足りませんで、社内に保存してあった過去の地域資料の存在をすっかり忘れていました。これを引っ張り出して見ればすべての疑問は解決できたはずなのに…皆さんに余計な労力を使わせてしまいました、懺悔。

「観光 うちごう」とか「観光の常磐市」、そんなタイトルのパンフレットが出てきました、何だかとっても興奮。ものすごく古い全域管内図には、うちごうなんて駅名すらなくて「らづつ」と書かれていました。そうか、内郷市の中心集落の名前は内郷じゃなかったんですねぇ…。そう言えば昔、内郷機関区とかいう国鉄の機関車車庫もありましたっけ。石炭産出地域であってこその立地だったのでしょうか…。

いけませんね、過去の資料に見惚れ始めたら仕事に手がつかず、きりがありません(大汗)。
[50445] 2006年 4月 5日(水)09:28:42スナフキん さん
助け舟に感謝です
いわき市の合併に伴う不思議に関して、十番勝負の最中だというのに多くの皆さまから情報をいただきました。個々の引用は数が多くなるので省略しますが、私の個人的な仕事上でのつまづきにフォローを下さり、ありがとうございました。本業の地図屋が「お手上げバンザイ」しても、博学な方々からの意見が頂戴できるこの場は、どちらかというと知識の乏しい「バカ地図屋」にとっては本当に貴重です。

お寄せくださった情報より、好間は「村」であり久之浜は「町」であることが確定・判明できました。結果的には市町村要覧の情報(=多数決による決定)で正しかったことになります。ただ、それですべての問題が解決したわけではありません。国土行政区画総覧と地元新聞社の百科事典という有力な情報ソース上での誤植事実は動かないわけで、出版業という同業他社の立場で考えるとこの事例は肝に銘じておいたほうがよさそうです。

人間のやることですからミスはつきものです。それに甘えてはいけませんが、完全に排除することは難しいといえるでしょう。けれども、例えば「葛」の字を外字にし忘れたとか、「ヶ」の字を大きくしてしまったとかいうレベルのミスと、町・村を取り違えるミスとでは明らかに重大性が異なります。今回のケースはメジャーな事例でありながら、超のつく大規模合併で関係自治体の数が多かったことが混乱を助長したように思えます。翻って、平成の大合併の嵐が吹き荒れる中、自分との因果が薄く土地勘もあまり働かない場所でも大規模な合併がいくつも興りました。登米市しかり、新潟市しかり、上越市しかり、高山市しかり、そして浜松市しかり、です。挙げておればきりがありません。今後10年20年が経過した後でも、上越市で「清里町」とか、浜松市で「龍山町」とか、自分で書いてしまわないようしないといけませんね。

最後は守りの姿勢で結んでしまったスナフキんでした。
[50420] 2006年 4月 4日(火)20:35:14スナフキん さん
ちょっと気になる昔の「いわき市」
十番勝負の最中に、どうせすぐ流れてしまうと分かっていながら書き込んでしまいます。

仕事で、昔の合併をほじくり返していてちょっと気になることがありました。皆さんよくご存じのいわき市は、「超」のつく規模の大きな合併を経て成立しています。その合併前の自治体名称を調べていたら、どうも資料によって記述がまちまちなのです。しかもそれは、誤字脱字とかいう単純なものではなく、町か村かを取り違えているという結構重要な違いでして、頭を抱えてしまいました。

具体的には、合併を詳細に記したものとしては最も身近と思われる「市町村要覧」。このいわき市の項には
合体 平市 磐城市 勿来市 常磐市 内郷市 四倉町 遠野町 小川町 好間村 三和村 田人村 川前村 久之浜町 大久村
とあります。何の疑いもなく、別資料で校正しようと国土行政区画総覧(これにも各自治体の末尾に行政変更の内容が記載されています)を出してきて、見てビックリ!
平市・磐城市・勿来市・常磐市・内郷市と、石城郡四倉町・遠野町・小川町・好間町・三和村・田人村・川前村、双葉郡久之浜村・大久村を廃し、いわき市を置く
とあったのです。上下をよ~く見比べてください。町村の違う箇所が2ヶ所もあるのです。この、公的色のきわめて強い書物の食い違いというのは厄介で、どちらを信用していいものか非常に困惑します。最終的には出典明示して逃げるしかないかな、と思うのですがそれではプロらしくない(汗)ので、他資料も総ざらいしてみました。

勤務先に最も縁が深い(?)事典をひもとくと
勿来市・磐城市・常磐市・内郷市・平市、石城郡田人村・遠野町・好間村・三和村・小川町・四倉町・川前村、双葉郡久之浜町・大久村が合併
とあります。順序こそ違えど、内容は市町村要覧と一致します。

では、角川の地名事典はどうでしょうか。
いわゆる常磐5市に好間村・遠野町・田人村・三和村・四倉町・川前村・久之浜町・大久村・小川町の4町5か村が合併
でした。省略はされていますが、これも市町村要覧の内容を裏付ける形になっています。なるほど、単純に国土行政区画総覧の誤植かと思ったのですが、福島民報社の発行する福島大百科には
平・磐城・勿来・常磐・内郷市と、四倉・遠野・小川・久之浜・好間町、三和・田人・川前・大久村
とあるのです。何と地元の新聞社は、冒頭に示した2つの有力公的文書のいずれでもない記述をしています…??? 決して、史実が風化してしまうほど昔ではないはずの事実が、どうしてここまでぐちゃぐちゃになってしまうのでしょう?

さらに追い討ち。アーカイブスにもなっている”「いわき市」について語ろう”の中で、何とこの混乱を裏付けるかのようにIssieさんのデータが誤植。三丁目さんが何気なく誤植を指摘されていますけど、この混乱はどうも根が深いような気がしてきました。

こうなったら地元の主張に頼るしかないッ、といわき市webの歴史コーナーを調べてみたら…
好間村→いわき市
久ノ浜町→いわき市
って言うか、参考になりません、町・村の違い以前に自治体名を間違ってるし(爆死)。

困ったなぁ。どなたか「これ!」という真相もしくは明示できる資料をご存じの方、いらっしゃいませんか?
[50127] 2006年 3月 28日(火)12:56:08スナフキん さん
ゆりかもめは…
[50119]みかちゅうさん
今回も落書き帳の中で行っている方がいるとすれば
実は私、延伸区間に乗りに行っていません。それどころか、ゆりかもめは一部区間しか乗ったことがなく、今回中間駅となった有明では乗降経験ゼロという有様です(汗)。先の書き込みで最後に記した通り仕事がかなりハードで、そのくせ体調を崩しかけておりこのまま人ごみに紛れ込んだら症状悪化は決定的で、怖くてしばらく行けそうにありません。体調の良し悪しにかかわらずもともと人ごみは大嫌いなので、よく考えたら鉄道の純粋な開業に当日立ち会ったのって、昭和60年9月30日の埼京線を最後に、一切ない気がします。電化したとか、貨物線を旅客列車が走るようになった、とかはちょこちょこ当日に行っているはずですが。逆に路線や列車・車両の消滅時はまめに行っていますね。こういう時は自分の好き嫌いそっちのけで体が動いてしまうのですが、例えば東急東横線の桜木町駅最終日に人ごみからインフルエンザをもらってきたりなど、しっぺ返しを食うこともあってちょっぴり反省材料です(汗)。

ベイエリアの交通手段では、値段の面でハンデはあっても利便性で勝るりんかい線・ゆりかもめに軍配が上がりそうです。日中の本数が少ないとは言え池袋・新宿・渋谷から、黙って乗ってしまえば時刻通りにベイエリアに達することができる直通メリットは大きいですし、ゆりかもめは全区間高架構造ですから眺望代だと思えば高値にもまだ納得がいくというもの。

対するバスは、一般利用客の多くが抱く「都内のバスに、ダイヤ・時刻表はあってないようなもの」という既成概念が重くのしかかって、なかなか利用者数を伸ばすのが難しいのではないでしょうか。道路がみっちりで動かないのでは、いくら値段が安くてもガマンに限度があります。ベイエリアの道路はそれでも新しく築造されたものがほとんどで十分な幅員を確保してあるものも多いですが、やはり週末を中心にマイカーが押し寄せるとオーバーフロー気味になるのが、渋滞情報をラジオで聞いたりしていてよく分かります。

東京都の都合上なかなかできないのでしょう。
神戸空港では、ポートライナーをなるべく使ってほしいということなのか、神戸市内中心部各地からポートアイランド・空港までを結ぶ神戸市交通局のバスは設定されていないようです。片方を立てれば片方が引っ込む、いわゆるもぐら叩きき理論ですが、既得権益を守っているようにも見え、あまり露骨な措置もどうなのかなぁとか思ったりします。


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