[51207]YSK さん
太田市の行政区名・町名の現況を拙ページ内にまとめてみました。
拝見いたしました。大変解りやすく出来ていますね。太田村を除いては、藩政期の村=現行政区の構図のようですから、住民にとっても地区把握がしやすいのではないでしょうか。我が町とは異なります。ところで、これから架空の話を書きますが、これが現実となった場合、YSKさんはどのように感じるのかをお聞かせ下さいますか。
明治22年に太田町と大島村の一部が合併して太田町が誕生。同年、東長岡村、台之郷村、安良岡村、東金井村、上小林村、石原村および太田町の一部が合併して韮川村が誕生しています。この合併史と各村の地理的位置関係は事実に基づきますが、以後すべてフィクションです。
フィクションです。昭和の大合併で太田町と韮川村が合併し太田市が発足しました。それまでの大字(太田、大島、東長岡、台之郷、安良岡、東金井、上小林、石原)は新市に引継がれ、太田市大字東長岡字○○、太田市大字台之郷字○○と表記するようになりました。ところが、大字太田は市名と同名を理由に省略が許され、太田市大字太田字○○は太田市字○○と表記するようになりました。つまり、大字太田が消滅したわけです。また、10年前には大字東長岡字田ノ草周辺の土地区画整理事業が完工し、大字東長岡を冠しない太田市字田ノ草町が誕生しています。字田ノ草町は周囲を大字東長岡に囲まれた浮島のような位置にあります。整理します。太田市には大字を冠しない地区が2箇所あります。旧太田町大字太田の全域と、10年前に大字東長岡から分立した字田ノ草町です。ところが訳あって、この地域に再び大字を冠する必要が生じました。さて、太田市はどうするのでしょう。
【第1段階】
平成の大合併が進む中、太田市と足利市は合併して両毛市になる予定です。大字町丁名の取扱い審議に入った太田市は、選択肢を三つに絞り込みました。
【A案】新市名と大字名の間に現行市名を配する--------------【例】両毛市太田東長岡字○○
【B案】新市名の後には大字の字句を冠した大字名を配する----【例】両毛市大字東長岡字○○
【C案】新市名の後には大字の字句を省いて大字名を配する----【例】両毛市東長岡字○○
審議の結果、C案が選ばれました。つまり、両毛市の後には大字の字句を省いた大字名を配置するという案です。しかし、太田市には大字を編成しない区域が2箇所あります。審議会はその区域に現行市名に由来して「太田」を冠することにしました。その結果、住所表記は下記のようになりました。
| 現行 | | | | 合併後 |
| ↓ | | | | ↓ |
太田市 | 大字台之郷 | 字○○ | →→→ | 両毛市 | 台之郷 | 字○○ |
太田市 | 大字安良岡 | 字○○ | →→→ | 両毛市 | 安良岡 | 字○○ |
太田市 | 大字東金井 | 字○○ | →→→ | 両毛市 | 東金井 | 字○○ |
太田市 | 大字なし | 字○○ | →→→ | 両毛市 | 太田 | 字○○ |
YSKさん。両毛市太田字○○の太田は、太田市に由来する太田に見えますか。私には太田市由来の太田に見えません。市名と同名であるために消滅した大字太田由来の太田に見えます。
理由その1: 現行太田市に由来した太田なら、台之郷、安良岡、東金井などにも等しく太田を冠するのが道理であろうに、それをしていない。
理由その2: 両毛市太田が両毛市台之郷と同列に配されていることからして、台之郷などと同様の経緯を持つ地名と考える方が自然。つまり、藩政期の太田村を継承した大字太田の意であり、太田市の意ではない。
結局のところ、審議会は大字ナシの小字には現行市名の太田を冠するとしましたが、それよりも、消滅している大字を復活させた方が自然ではないかと私は思うのです。YSKさんはどのように感じとられましたか。
【第2段階】
大字ナシの小字は現行市名を冠することになり、大字東長岡から分立した字田ノ草町も太田を冠することになりました。あら不思議。10年前は大字東長岡字田ノ草だったのに、蓋を開けたら太田字田ノ草町に化けています。まるでマジック。知らず知らずの太田による東長岡への地名侵食。無意識の中の地域強奪。しかも、太田字田ノ草町は周囲を東長岡字○○に囲まれて孤立状態になっています。全ては、大字ナシの小字に現行市名の太田を被せたことによって発生した不条理です。字田ノ草町は大字東長岡から分立したのですから、東長岡に戻してやるのが筋道ではないでしょうか。両毛市太田字田ノ草町ではなく、両毛市東長岡字田ノ草町がふさわしいと私は思います。YSKさんはどのように思われますか。
【第3段階】
東長岡村または韮川村が現存していたなら太田の侵食を許しはしなかったでしょう。しかし、太田市の一部となった今では東長岡側に立って声を上げる主体も無くなりました。古くからの東長岡住民の中には、田ノ草町が太田だなんて有り得ない。あそこは昔から東長岡だと主張する人もいましたが審議員の耳には届きません。それどころか、新住民、特に学区を気にする教育ママから予期せぬ声が挙がりました。田ノ草町だけでなく東長岡全域を太田にして欲しいとの声です。太田市ではどの地名よりも太田という地名がステータスだからです。住民の要望を受けた審議会は、太田市街が大字東長岡地区にも拡大し一体化が進んだとして、両毛市東長岡字○○になる予定の区域を全て両毛市太田字○○にするとしました。住居表示と違って大字と言うものが、そのような理由で変更されて良いものなのでしょうか。そのような事例は多々あることなのでしょうか。平成の大合併のどさくさに紛れて大字東長岡が消されようとしています。
YSKさんはこのような流れで地域が変化していく事をどう思われますか。私はこの領域変更に待ったを掛けたいと思います。単に地名の変更だけなら、東長岡が南新潟になろうが長岡峡になろうが目を瞑っても構いません。しかし、太田と東長岡を統合する大掛かりな領域変更は、地域の生立ちを解り難いものにすること間違いなく、それを埋めて余りあるメリットが得られるとも思えません。住民の要望があるとは言うものの、1パーセントに満たない住民が要望しているだけです。しかも残念なことに、要望している人たちのほとんどが地域の町村合併史のフローチャートを描けません。太田や東長岡の生立ちをフローチャートに表せる人たちは、東長岡を太田の一部にしてくれとは言いません。
【第4段階】
審議会は大字東長岡を廃して太田に組み込むことにしました。そこで、ある問題が発生しました。太田と東長岡に同名の字渋谷新宿という小字が有ることが発覚したのです。そこで審議会は次のように処理することに決めました。
太田の字渋谷新宿→→→→両毛市太田字渋谷新宿
東長岡の字渋谷新宿→→→両毛市太田東長岡字渋谷新宿
おー!なんと、太田東長岡という新しい大字が出現したではありませんか。しかも太田東長岡という大字に含まれる小字はただ一つ。住民わずか28人、面積200メートル四方の字渋谷新宿だけです。YSKさんは当然、太田、韮川地区の合併史フローチャートが描けますね。でも、東長岡が消滅し、太田が拡大し、さらに太田東長岡なる新しい大字が出現したフローチャートを描けますか。私は描く気になれません。こんな、こんがらかった地域なんて懲り懲り・・・。
♪「だから云ったじゃないの」と松山恵子さんがあの世から叱咤激励してくれてます。松山恵子さんは、「だから、大字ナシの小字に大字を冠する必要が生じたら、現行市名じゃなくて、消滅させた大字を勇気をもって復活させて」と云っているのです。お恵ちゃんのご冥福お祈りいたします。また一つ、昭和30年代が消えて行きました。♪未練の波止場~~・・・
YSKさん名指しで書き込んで、ごめんなさいね。でもYSKさんなら、乾いた地名としてではなく、今現在、地域に根ざして熱く流れる地名を感じて下さるような気がして・・・。