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hmtさんの記事が5件見つかりました

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[90483] 2016年 5月 5日(木)17:02:25hmt さん
大戦末期に愛知県を襲った連続地震
変遷情報に関連して、分村で消滅した村のことを書こうと過去記事を見ていました。
ところが、1955年に愛知県碧海郡明治村が分村して消滅する10年前に、村が消滅した遠因とも言える三河地震が起っていたことが気になりました。
そこで、愛知県で70余年前に起きた連続地震について、ちょっとだけ書いておきます。

2016/4/14夜に続いて2016/4/16未明の本震と、連続する強震に襲われた今回の熊本地震。
連続地震が家屋などの構造物に及ぼす影響を見せ付けられましたが、大戦末期の災害も過酷なものだったようです。

第二次大戦末期、東南海地震(1944/12/7、M8.0)の37日後、1945/1/13に三河平野を襲った直下地震(M7.1)がありました。[55569]
二度目の地震が寝込みを襲われたことは今回と共通していますが、気象条件は冬の真夜中と一層厳しいものでした。

そして何よりも違うのが、海外どころか国内からの視線さえ遮断された 戦時報道管制下の孤独な環境でした。
国際援助はもちろんのこと、行政の対策も全く期待できません。
ボランティアによる支援活動など、その言葉もなく、誰でも自分を守るだけで精一杯だった時代です。
被災者は、このような孤立無援の状況に苦しんだことと思われます。
[90473] 2016年 5月 3日(火)12:11:16hmt さん
基盤地図情報数値標高モデル
[90470] グリグリ さん
地理院地図で最高点探しは楽しい(?)のですが切りがないですよね。

最高点探しというと、水準点や三角点のような基準点と 地図の等高線が 頼りと思っていたのですが、地図記号によると 写真測量による標高点もありました。

そして、今回の記事により 「基盤地図情報数値標高モデル」が構築されており、航空レーザー測量による標高値を 容易に得ることができる と知りました。

説明書によると、標高点格子の間隔は 約5m四方と かなり細かいので、小さな丘でも発見することができそうだ と期待しました。

さっそく、自宅近くの公園にある小高い丘を調べてみたのですが、何故か 期待した標高値を得ることは できませんでした。

標高探しの新兵器であることは確かなように思われますが、常に信頼できる結果が得られるとは限らないのかな?
[90463] 2016年 5月 1日(日)10:06:44【2】hmt さん
Re:東京都大田区の最高地点
[90459] Takashi さん
第2候補:大田区北千束1丁目付近 (40m)
すぐ北には 41m地点 もありました。

61.2mの三角点 もありましたが、これは ビルの屋上 でした。

[75146] hmt
三角点の標高は、存在する地点をよく確認しないといけないようです。

【追記】
[90462] Takashi さん
大田区のHPに大田区内町丁目別標高一覧というのが見つかりました。

津波対策事業として区内全域を2メートルメッシュに分け、その中心19,561,708地点の標高を計測したとのこと。
約 2000万に及ぶ標高データを集めたとは驚きですが、膨大なデータの中の最高標高は田園調布五丁目にある 43.7m とのこと。
それがどの地点になるなのか、何かの資料で紹介されていない限り地図上で探し出すのは困難なように思われます。

津波対策事業の中には 大田区標高図 もありました。
東京都水道局玉川浄水場は 標高の高い地点を選んで設置されたと思われ、近くには 40.8mの三角点もあります。
そのすぐ南側が田園調布五丁目11か12付近が大田区最高標高地点ではないかと推測したのですが、mapionでは40mを超える地点を発見することはできませんでした。

大田区のプロフール>大田区の地勢には 次の記載があり、このことからも 大田区の最高地点は北西部にあると推測されます。
海抜は、田園調布付近が最高で42.5メートル、南東に向かって次第に低くなり、…
[90443] 2016年 4月 26日(火)20:12:24hmt さん
Re:野老(ところ) 所沢、そして四万十川上流の野老野
[90440] k-ace さん
所沢の由来が野老(ところ)?という説も。

所沢市章 には、ご紹介のあったつる草「ところ」の葉に基づくデザインが用いられています。
地名の由来について:
在原業平説もありますが、野老は乾燥地を好む植物で「沢」が表している湿地との相性はよくないという異論も。
その他、北海道の常呂と同じアイヌ語説、ふところざわ説、とぐろざわ説など諸説があるようです。

それはさておき、2010年に落書き帳に登場した高知県高岡郡中土佐町大野見野老野(ところの)。
[76944] ほいほい さん
高知県中土佐町と四万十町の境界線が間違っていたそうです。
結局間違いを正式な境界線としたそうです。

元になった読売記事はリンク切れです。しかし [76945] グリグリさんのレスや 読売記事の引用文、東京新聞を引用したページ、議会の記録や国土地理院の面積調などの資料も併読参照することにより、「境界変更」という視点から情報を集め、フォローしてみました。

主な結果を列挙します。
「間違って地図に引かれていた境界」は百年間も放置されていたらしい。
平成になってからの地籍調査により、4世帯7人の住所が四万十町に属する土地にあることが分かった。
中土佐町の当局は、住民に対して四万十町への登録換えを指導し 住民も一度はこれに応じた(2008年)。
しかし 中土佐町に復帰したいとの要望が出て、両町が境界変更を議決。高知県議会での議決は2010/12/22。

地域社会を構成する住民による要望の結果として、「間違って地図に引かれていた境界」が 今度は「正式な境界として」認められるに至った。これは、珍しい事例であったと思います。

議会開催の2010年12月初めには、マスコミだけでなく落書き帳でも盛り上がり。[76944][76979]
[76948] こういうニュースを見ると場所を特定したくなるのは、ここに出入りしているみなさん共通の習性のようですね(笑)
[76979] [76954]ぺとぺとさんで、極めつけの証拠がでてきましたか。こういう成り行きは堪らないですねぇ。

最後に国土地理院・平成23年面積調 の出番です。
p.103の異動事項を見ると、H23/3/18に「境界修正」、H23/5/18に「境界変更」と2つの処分がなされています。
用語を説明した記事にも記したように、その規模はさまざまながら、「境界変更」は すべて総務省告示の対象になっています。
これに対して 「境界修正」の方は「中身を変えた」というよりも、「正しい表現に改めた」という性格で、告示の対象外です。

今回の事例において、地図上の境界線が真の境界とずれていたのを 正すだけならば、基本的には「境界修正」だけで十分なはずでした。
しかし、中土佐町だと思っていたのに 実は四万十町だった言われた4世帯の要望により、その家が存在する地域を四万十町の領域から中土佐町の領域へと「戻す」手続きとなると、地方議会の議決や総務省の告示を必要とする「境界変更」によらなければなりません。

面積調p.102では H23面積をH22面積と比較しており、その結果(面積単位km2)は次の通りです。
中土佐町は 境界変更(1)により+0.02, 境界修正(2)により-0.05 差引-0.03
四万十町は 境界変更(1)により-0.02, 境界修正(2)により+0.05 差引+0.03

北側で県道に面した家屋を中心としたGoogle Map と縮尺を合わせた 地理院地図 を示しておきます。
中心十字は 現在の境界線の僅かに左の 中土佐町域にあります。境界変更前の境界線は一つ西の谷線付近を南下し、その右は四万十町域でした。この付近の県道北側0.02km2が境界変更区域になります。
では、境界修正区域0.05km2はどこか? 残念ながら わかりませんでした。

2015年国勢調査結果。人口異動7人を伴った境界変更の記録は、中土佐町→四万十町→中土佐町となるのか?
それとも一時期だけでも四万十町になったことは無視されるのか?
[90433] 2016年 4月 24日(日)14:04:57【2】hmt さん
地域自治区 合併特例区 (10.1)訂正:花巻市、気仙沼市、由利本荘市の地域自治区
[90173] 東北6県の地域自治組織 の中に誤りがあったので表を一部追加・訂正します。

1 花巻市 3つの地域自治区がすべて脱落していました。
2 気仙沼市 本吉町の合併日に誤記がありました。
3 由利本荘市 8つの地域自治区は、すべて廃止されていました。

これに基づいて、[90173] の表の内 関係する行を次のように追加・訂正します。

修正コード市町村種別名称現状合併日設置期限変更・満了記事
追加03205花巻市【Cj】花巻市大迫Cj存続2006/1/1無期限
追加【Cj】花巻市石鳥谷Cj存続
追加【Cj】花巻市東和Cj存続
訂正04205気仙沼市【Tcj】本吉町消滅2009/9/12016/3/31満了
訂正05210由利本荘市【Cj】注4(8区)消滅2005/3/222013/6/30廃止

3 の説明:
由利本荘市サイト内の 地域の声を行政に反映させる地域自治区・地域協議会 というページに 次の追記があることを発見しました。
☆由利本荘市地域自治区・地域協議会は、平成25年6月30日をもって廃止となりました。

総務省の一覧表(5/7コマ)からも除かれていたのですが見落としており、こちらから気付くこともありませんでした。

ともかくも、由利本荘市の8地域自治区は2013年6月末で廃止され、同年8月からは 新組織「まちづくり協議会」が発足しているようです。
制度を改めるに至った経過を知りたいと、同市のサイト、例規集、議会、合併協議会などを ざっと調べてみましたが、よくわかりません。
合併協議事項のNo.24からも合併時までに検討するということだけで、協議書も未発見です。


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