都道府県市区町村
落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[52171]2006年7月15日
Issie
[52184]2006年7月15日
Issie
[52185]2006年7月16日
音無鈴鹿
[52186]2006年7月16日
Issie
[52196]2006年7月16日
むっくん
[80187]2012年1月22日
白桃
[80188]2012年1月22日
k-ace
[80190]2012年1月22日
Issie
[80192]2012年1月22日
hmt
[80194]2012年1月22日
星野彼方
[80197]2012年1月23日
N-H
[80201]2012年1月23日
k-ace
[80218]2012年1月28日
白桃
[82822]2013年1月29日
白桃

[52171] 2006年 7月 15日(土)10:18:58【3】Issie さん
あしだ vs よしだ
[52166] BEAN さん
1932年→1937年ですね。

ああ,これはウッカリ…。

[52167] EMM さん
韓国語でも韓国では「ノ」、北朝鮮では「ロ」と発音が違うようです。

そう言えば,今の大統領も「ノ」さんでしたね。“前のノ大統領”,その前任者のチョン将軍が「ぜん・とかん」と読まれていた頃は,「ろ・たいぐ」将軍という読み方で日本の音声マスコミに登場していましたよね。

もし戦前から「芦」を使った表記が行われていたのであれば古くより「蘆」「葦」「芦」の表記が入り乱れていた可能性があるのではないでしょうか。

さて,戦後間もない頃の総理大臣に「あしだ・ひとし」という人がいます。
ある意味ライバルであった 吉田茂 と同じ外交官出身の政治家ですが,“元外交官”からいきなり政治家になり,戦後1947年の総選挙で“初めて”国会議員になった吉田(1947年施行の現行憲法では,国会議員でないと総理大臣になれない。もっとも,この選挙に負けて,吉田は総理大臣ではなくなるけれども)とは違って,「あしだ」は1932年の総選挙において政友会の候補として京都府第3区で当選して以来,政党政治家としての経験も積んだ人でした。

で,この「あしだ」さん,1932年の初当選を伝える 東京朝日新聞 では「蘆田均」と表記されています。ところが,2回目当選の1936年総選挙以降,少なくと 東朝 では戦後までずっと「芦田均」の表記が使用されています。
「あしだ」さんが「芦田」表記になった1936年,三重県第2区では「はまだ・くにまつ」という政友会の政党政治家として有名な人が当選していますが,この人は「濱田國松」と表記しています(ついでに,この総選挙でこの選挙区のトップ当選者は 尾崎行雄 でした)。

東京朝日新聞では,1936年総選挙と1937年総選挙の2回分は,当選者一覧の中に各選挙区の所属市郡区が表示されていないのですが,その前後の総選挙では表示されています。
これによると,「あしだ」さんが「蘆田」と表記されていた1932年総選挙では,広島県の「あしな郡」は「蘆品郡」,熊本県の「あしきた郡」は「葦北郡」です。
「芦田」表記が行われている1942年総選挙(いわゆる翼賛選挙)でも「蘆品郡」「葦北郡」ですが,この間に発足した「あしや市」は「芦屋市」。
府県名に関しては,いずれの総選挙についても,「かごしま県」は「鹿兒島県」,「おきなわ県」はもちろん“俗字”の「縄」ではなく,“正字”で「沖×県」(←“正字”を書こうとしたけれど,もしかしてすぐには出てこない字なのか…)と表記しています。「しずおか県」も「靜岡県」ですね。
※なお,新聞紙面上で「けん」は当然に当時の一般的な字体である「縣」が使用されています。が,ここではこの漢字について問題にしているわけではないので,“例の方針”にしたがって,現在の字体である「県」にどんどん書き換えてしまいます。以下,同じ。

そんなわけで,当時の新聞紙上では,いわゆる「新字体」と「旧字体」(←というのは,あくまでも戦後の表現なのですが)が入り乱れて使用されるような場面があったようです。

ついでに別件ですが,この戦前・戦中期の当選者一覧で 東京朝日新聞 は現在の私達の感覚からすると少し面白い地方区分をしています。

・関東1府7県: 東京府,神奈川県,埼玉県,千葉県,茨城県,山梨県,群馬県,栃木県
・東北1道6県: 北海道,青森県,秋田県,山形県,岩手県,宮城県,福島県
・東海4県: 静岡県,愛知県,三重県,岐阜県
・北信地方5県: 長野県,新潟県,富山県,石川県,福井県
・近畿2府3県: 大阪府,京都府,滋賀県,奈良県,和歌山県
・中国地方6県: 兵庫県,岡山県,広島県,山口県,鳥取県,島根県
・四国4県: 香川県,愛媛県,徳島県,高知県
・九州地方8県: 福岡県,熊本県,佐賀県,長崎県,大分県,宮崎県,鹿児島県,沖縄県

これは,当時の政府の公式な府県の配列ではありません。公式の配列は,
 東京府→京都府→大阪府→神奈川県→兵庫県→長崎県→新潟県→埼玉県→…
と続く 明治4年の太政官布告 による配列であり,当時の衆議院議員選挙について規定していた「衆議院議員選挙法」でも選挙区はこの布告の配列にしたがって列挙されていました。その配列は,戦後,1950年の「公職選挙法」に切り替わるまで続きます。
この地方区分が東京朝日新聞独自のものなのか,それとも当時一般に行われていたのか,興味のあるところです(なお,北海道が「東北地方」に含まれるのが,当時の行政上はよく行われていたことであるのは確かです)。

前任の 片山哲内閣 から続く中間・左派連立内閣であった 芦田均内閣 が1948年の昭電事件で短命に終わった後,本格的に登場したのが保守単独の長期政権となる 吉田茂内閣(第2次~第5次)なわけですが,「あしだ Ashida 」と「よしだ Yoshida 」というほんのわずかの違いしかない2人のライバルの名前,日本人の名前に慣れていない占領軍には戸惑いがあったのではないかと思ったりもするのですけどね。
そして偶然に 吉田茂→片山哲→芦田均→吉田茂 と,2字姓1字名の総理大臣が8年間にわたって続いたのでした。
[52184] 2006年 7月 15日(土)23:53:39【1】Issie さん
昭和17年5月3日付 朝日新聞 衆議院議員総選挙大観
[52171] mi
1942年総選挙(いわゆる翼賛選挙)

野毛山の横浜市立図書館でゲットしていた朝日新聞縮刷版のコピーを,もう少し目を凝らして眺めてみました。

当然のことながら,紙面上では基本的に現在私たちが「旧字体」と呼んでいる字体で表記してあります。
たとえば,東京府第2区(神田区・小石川区・本郷区・下谷区)選出の「なかじま・やだんじ」さんは「中島彌團次」と表記されているし,「条」は「條」で表記されています。
それを踏まえた上で…

・「横浜市」「新居浜市」「八幡浜市」「浜名郡」と表記し,「横濱市」などのような表記は行わない。しかし,当選者については「濱地文平」(三重県第2区),「濱野徹太郎」(兵庫県第1区)のように「濱」と表記している。これは使用している活字の大きさの違いのせいかもしれないが(市郡区名の活字は小さい),他の市郡区名について“繁体字”を普通に用いている。

・兵庫県の「かわべ郡」は「川辺郡」。ところが,鹿児島県の「かわなべ郡」は「川邊郡」と,2つのバリエーションが並存している。ついでに,秋田県は「河邊郡」。

・宮城県の「しおがま市」は「塩竃市」。栃木県の「しおや郡」は「鹽谷郡」。

…まだ,ありそうですが,とりあえず,
「芦屋市」「蘆品郡」「葦北郡」,「兵庫県川辺郡」「鹿児島県川邊郡」,「塩竃市」「鹽谷郡」という表記の並存が見られるようです。

これは「朝日新聞」という,“民間”における表記のあくまで一例ですが,だからこそ,民間でこのような表記の“入り乱れ”が見られた,という例にはなるように思います。
[52185] 2006年 7月 16日(日)00:02:03音無鈴鹿 さん
2府3県!?
[52171]Issie先生
近畿2府3県: 大阪府,京都府,滋賀県,奈良県,和歌山県
この分類は意外です。
落書き帳アーカイブズにも近畿地方と関西地方の違いは何か?というのがありますが、そのほかに、[49597] においてYSKさんが「近畿地方」を
2府4県・・・国土交通省(近畿運輸局)、財務省(近畿財務局)、農林水産省(近畿農政局)等
2府5県(2府4県+三重県)・・・地理の教科書・地図帳、広辞苑等
2府6県(2府5県+福井県)・・・近畿圏整備法
とまとめられています。そのほかにも

(4).2府5県:2府4県と福井県:国立病院機構近畿支部など
(5).2府6県:大阪府・京都府・和歌山県・奈良県・滋賀県・福井県・石川県・富山県:大阪税関など
(6).2府7県:2府4県と三重県・福井県・徳島県:[近畿2府7県震災時等の相互応援に関する協定 http://www.pref.mie.jp/TOPICS/2006040274.htm]
などが検索ででてきました。このなかでは大阪税関の範疇が、上記の「近畿2府3県」を踏襲したものといえそうです。ほかにも和歌山県を除いた2府3県もありました。

 いずれにしても大阪に住んでいた頃は、不動産屋さんとか電気ガスの点検とかあるいはスーパーの売り子のおばちゃんまで様々な営業のひとが口をそろえて「ウチは近畿2府4県に展開する…」とか「近畿2府4県どこでも対応できますから…」というセールストークをよく聞いていたので、近畿2府4県ってのは分離不可能な最小構成単位であると思い込んでいました。そのため近畿2府3県という括りにはちょっと意外な感じがしたのでした。それにしてもよもや兵庫県が仲間はずれ(笑)にされてしまうとは…。なんとなく大阪~神戸間って東京~横浜間みたいな印象で、あえてこのあいだに境界線をひくような地域的断絶があるとは思えないのです。意外と大阪~神戸間って私みたいな短期滞在者にはわからないような溝でもあるのかしら?
[52186] 2006年 7月 16日(日)00:27:23Issie さん
摂播丹但淡
[52185] 音無鈴鹿 さん
この分類は意外です。

ね。
実は私も初めのうち,近畿地方の中に兵庫県が見つからずに探してしまったのでした。

でも,広大な兵庫県域のうち,南東部の片隅を占めるに過ぎない 摂津国 の領域を除けば,山陽道の 播磨国,山陰道の 丹波国(の一部),但馬国 が県の領域の大半を占めるわけで,「中国地方の入口」のような感覚なのでしょうかね。淡路は 南海道 ですけれど。

県の端っこの神戸ではなくて,姫路に視点を据えれば何となく判る気もしないでもない。

大阪~神戸間

といよりは,神戸~姫路間 の溝なのかも。

ま,こんな地方区分も行われていた,ということです。
[52196] 2006年 7月 16日(日)07:36:14【3】むっくん さん
近畿2府3県!
[52171]Issie さん
近畿2府3県: 大阪府,京都府,滋賀県,奈良県,和歌山県
中国地方6県: 兵庫県,岡山県,広島県,山口県,鳥取県,島根県

ひょっとしたら江戸時代からの感覚のままなのではないでしょうか。
播磨のみならず、摂津にも西国街道が通っていたから、兵庫県が近畿地方でなくて中国地方なのでしょう。それでは同じく摂津のある大阪府は?というと、中心地の大坂にまで東海道がきていたから大阪府は近畿とされたのでしょう。
あれっ東海道は京都までと違うのかと思われる方もおられると思いますが、実質的には東海道は京都までの53次ではありません。元和5年(1619)に東海道は東海道五十三次の大津宿から京都に向かう道と追分で分岐して、伏見、淀、枚方、守口の四宿を経て大坂京橋まで延伸して実質的に東海道57次になりました(形式的には東海道53次のままですが)。

[52186]Issie さん
大阪~神戸間といよりは,神戸~姫路間 の溝なのかも。

神戸~姫路間 の溝といわれて私が思いつくのはせいぜい源氏物語の設定ぐらいですね。

光源氏が流されたのが須磨(摂津の最西端)、明石の君&明石の入道の出身地が須磨の隣町?の明石(播磨)というのは実は絶妙の場面設定です。
さすがに天皇家の血を引く光源氏を未開の地?と認識されていた畿外の播磨(未開の地?で雅なんていうことを解する人が住んでいないと認識されていたがゆえに、明石の君の父の明石の入道が風流を知る人で驚かれることになります)には流せずに、ぎりぎり畿内である摂津最西端の須磨に流したのです。

源氏物語の場面設定の妙は、この第一部・第二部の畿内(摂津国須磨)とぎりぎり畿外(播磨国明石)の対比だけでなく、第三部の宇治十帖の洛内(京)とぎりぎり洛外(宇治)という対比でも見ることが出来ます。
[80187] 2012年 1月 22日(日)18:34:32【1】白桃 さん
播磨投げ(脱線が続く)
[80184]hmt さん
[80174]の末尾に書いた蛇足を分割・加筆し、地理ネタに仕立ててみました。
私の脱線話を地理ネタに仕立てていただき、恐縮至極です。
同時昇進の最初の事例は第二次大戦中で、安藝ノ海と照國とが 37~38人目の横綱になりました。
この両横綱の現役時代は親から聞いたぐらいの知識しかありませんが、「安芸ノ海」「照国」と書かれなかったところがなんとなく嬉しいですね。(同時昇進については、これより前に谷風&小野川、常陸山&梅ヶ谷(二代目)の事例があるようですが、いずれにしろ大昔の話です。)
その信ぴょう性は低いようですが、ともかく初代横綱は明石志賀之助ということになっております。これが、明石播磨之助or明石兵庫之助だったら、絶対に疑りたいところです。(笑)

脱線話はこれぐらいにして・・・
現在の兵庫県が丹波、但馬、淡路、摂津、播磨の5カ国(越県合併もあったので備前を含むと6カ国?)に及んでおり、明石市は旧国名でいうと播磨なんですが、どうも「摂津」と言う感じが強くて、私の心の中の地域区分では宝塚市、伊丹市、西宮市、川西市、尼崎市、三田市、猪名川町、芦屋市、神戸市とともに大阪府全体をプラスして「阪神ブロック」としております。

これに関して、どなたかご意見をいただければ幸いです。
[80188] 2012年 1月 22日(日)20:19:55【2】k-ace さん
播磨(脱線が続く)
[80187]白桃さん
播磨
私は播磨国の範囲で解釈してますので、明石市に加え、明石郡であった神戸市西区と垂水区、それに須磨区の一部、美嚢郡であった北区淡河(おうご)地区も播磨と思っていますが、現在では神戸市域は神戸・阪神地域でまとめるのが自然かな。神戸市西区の岩岡地区が神戸・阪神地域というのは違和感がありますが。

播磨といえば。
本日第17回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会が広島であり、兵庫が優勝しましたが、
赤穂郡上郡町、加古川市、加西市、加西市、川西市、加古川市、揖保郡太子町(姫路市)と5区を除き播州(播磨)出身のメンバーでした。
竹澤選手は小学校=太子町立、中学校=姫路市立のようなので、太子町出身となっているものと姫路市出身となっているものがあります。
[80190] 2012年 1月 22日(日)20:55:53【2】Issie さん
ああ播磨灘
…ってお相撲さんの漫画がありましたね。

[80187] 白桃 さん
明石市は旧国名でいうと播磨なんですが、どうも「摂津」と言う感じが強くて

ここの所は [80188] k-ace さんのご説明の通りで,つまり須磨の浦・一ノ谷までが摂津の国で,親不知のような崖下の海岸を抜けた垂水区の塩屋から先が「播磨」。元々あまり大きくない明石郡の大部分が神戸市に取り込まれて海岸部だけが明石市として残っているから,そのような印象が強くなるのでしょうね。
この辺りは奇しくも,“武蔵国”に属する横浜市のうち,権太坂を越えた先の西南部(瀬谷・泉・戸塚・栄区および港南区の西半)が“相模国”で,しかもその“相模国鎌倉郡”の過半が横浜市に吸収されてしまったこととパラレルな関係ですね。ただし,神奈川県の場合は大部分が相模国で,源氏の鎌倉や後北条氏の小田原があるその「相模」のイメージの方が強くて,むしろ横浜・川崎が「武蔵」であるということの方が忘れられ勝ちのような気がしますが。また,鎌倉市が「京浜」である(←県の行政では,多くの分野で県の管轄外のこの2市の範囲をしばしば「浜川(はまかわ)」と表現します)と捉える人もあまりいないでしょう。
ちなみに,県の行政では北半分を失った 旧鎌倉郡(鎌倉市) は,その一部を吸収した藤沢市を中心とする 旧高座郡南部(藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町) とともに「湘南」とすることが多いです。

須磨・一ノ谷と言えば源平合戦。
さっきまでやっていた今年の大河ドラマ。やっぱり今年も去年に負けず劣らず思いっきりファンタジーですねえ。
でも,面白いからいいや。
[80192] 2012年 1月 22日(日)21:51:57hmt さん
播磨国明石
[80187] 白桃 さん
同時昇進については、これより前に谷風&小野川、常陸山&梅ヶ谷(二代目)の事例があるようですが

谷風&小野川はともかく、明治の「梅・常陸」も 同時昇進であったとは知りませんでした。
東西対抗の面もある相撲では、バランス上、両横綱が揃っていた方が好ましいのでしょうか。

明石市は旧国名でいうと播磨なんですが、どうも「摂津」と言う感じが強くて
これに関して、どなたかご意見をいただければ幸いです。

現代を対象にしている 白桃さんとは時代設定が異なるのですが…
私は、[52196] むっくん さんの記事により、ぎりぎり畿内の須磨と、未開の地?と認識されていた畿外の播磨(明石)との位置関係を教えられました。ご参考まで。
[80194] 2012年 1月 22日(日)23:06:42星野彼方 さん
明石は播磨であって決して摂津ではありませぬ
[80187] 白桃 さん
明石市は旧国名でいうと播磨なんですが、どうも「摂津」と言う感じが強くて、

播磨と摂津の境界は k-ace さんと Issie さんの通りで付け加えることはないのですが、明石市在住のものから一言。

現在でも、明石市と加古川市、高砂市、加古郡2町を合わせた地域で「東播磨」になります。すくなくとも東播磨県民局の管轄はこの3市2町になります。ただ、東播磨や東播(とうばん)といわれるエリアはその時々で三木市や小野市が加わったり、さらに加西市、加東市、西脇市、多可郡が加わったりとまちまちです。また、明石市と神戸市とで「神戸・明石」のくくりになることもありますが、そのときも決して摂津や西摂津、という名称はなりません。

明石が摂津、というのは、浦安が武蔵、というくらい変な感じかなぁ。浦安が房総というのもなんか変な気がするけど。下総だから房総でいいんだろうけど、ん~、房総って私的には安房+上総ってイメージ。
[80197] 2012年 1月 23日(月)12:31:21N-H さん
房総
[80194]星野彼方 さん
房総って私的には安房+上総ってイメージ

それはおそらく「房総半島」から来るのでしょうね。
ちゃきちゃき房総っ子の私も、どうも「千葉からあっちは房総じゃない」的な感覚を持ってました。
[80201] 2012年 1月 23日(月)18:25:30【1】k-ace さん
播磨の分け方
[80194]星野彼方さん
[80199]今川焼さん
たつの市
そういえば、[72115]リトルさんの記事の最後にそれ関連(たつの市に本社があるランドセルの「セイバン」)が。

播磨の分け方
拙稿[79654]
東播・西播・北播・中播
と概略は書いていたのですが、実際の部活等の大会の東播大会の範囲は[80194]星野彼方さんの通り複雑怪奇なんですよね。
丁度微妙なラインなんですよね。三木市、小野市、加西市、加東市付近は。
まぁ播磨の下位区分は範囲を特定するよりは、おおよそこの辺で把握したほうが無難でしょう。

[80193]煮豆さん
大津市の新市長ですが、女性市長だけでなく、40歳以下の市長も該当します>グリグリさん
[80218] 2012年 1月 28日(土)14:08:44白桃 さん
あかしやはりま
播磨の地域区分や明石のことについて、ご説明・ご意見をいただいた方々に御礼申し上げます。
[80194]星野彼方 さん
明石が摂津、というのは、浦安が武蔵、というくらい変な感じかなぁ。
仰っていることはごもっともで、まったく反論する気持ちはありませんが、「浦安が下総である」こと以上に「明石が播磨である」ことに違和感を覚える白桃でございます。

♪夕陽に清く輝きて 播磨の灘(うみ)にただよえる・・・
これは、出身高校の校歌二番の歌い出しになるのですが、私が抱いている「播磨」のイメージの大元はここから来ているのかもしれません。
三本松から播磨灘越しに対岸を見ると(実際はほとんど見ることができない)、姫路、相生、赤穂こそが播磨であり、その東の境は、せいぜい加古川&高砂である、というのが正直なところです。須磨・明石といわれるように、明石は摂津と言わないまでも、阪神なんですね。
また、明石市の人口推移を見ていると、うまくは説明できないのですが、神戸、大阪に連動し、寝屋川、岸和田、伊丹市等によく似た動きを感じます。
[82822] 2013年 1月 29日(火)22:22:10白桃 さん
雑:兵庫県&「桃太郎市」
今日、15時の出勤前に“民間放送”の番組をボーと眺めていたら、
「“近畿”“菊の茎”“新聞紙”・・・に共通するのは?」というクイズ?が出てました。“杵築”や“志布志”にも当てはまる、ま、言わずもがな、のクイズではありますが、このとき、近畿地方を示す地図に、神戸、姫路、豊岡あたり、いわゆる“兵庫本土”が色塗られていなくて、淡路島だけが赤く塗られていました。
以前、NHKだったと思うのですが、兵庫県を示す地図に淡路島だけ色塗られていなかったことで、視聴者から早速のクレームが付いたことを思い出しました。今日のは逆パターンですが、非常にお粗末!としか、言いようがありません。(もっとも、私の個人的地域区分で言うと、兵庫県の内、旧摂津国と明石市は「阪神」、旧但馬と丹波は「畿内」、明石を除く播磨と淡路は「白桃(注)」となっております。)
(注):白桃地域は、前記の兵庫県の一部、鳥取県、岡山県、徳島県、香川県、高知県で構成され、このエリア最大人口の都市は岡山市でございます。

その岡山市ですが、
[82820]k-ace さん
岡山市を桃太郎市に改称し、キャッチフレーズを「おしい!桃太郎市」にするのだとか。
これは、二番煎じ、三番煎じ、もいいとこ、白桃顔負けの「全く趣味の悪い発想」です。岡山市偏愛の私としても、この話を知ったとき、「ああ、やっぱり・・・」という妙な納得を含んだ失望感以上のものは出てきませんでした。
さて、その岡山市ですが、先の十番勝負問五を吟味しているとき、意外な事実を確認いたしました。
2000~2010年の人口増加率を見たとき、東京を除き、岡山市は46道府県庁所在地でナント6位に位置するのですね。
2000年境域では、大津、福岡、浦和、千葉、横浜に続き、第6位の5.76%増
2010年境域でも、福岡、大津、千葉、さいたま、横浜に続く第6位の5.22%増。
これはどっちをとっても、札幌や那覇、宇都宮、大分よりも高い増加率なんです。該当10年間に何度か岡山市を訪ねておりますが、いつ行っても私が住んでいた40年前と(駅西口を除き)変わった印象を受けない岡山市なので、この数字、実感できません。


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