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BerryBlossomさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[39707]2005年4月12日
BerryBlossom
[38610]2005年3月15日
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[38028]2005年2月23日
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[35648]2004年12月10日
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[34511]2004年10月26日
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[32981]2004年9月17日
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[32783]2004年9月11日
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[30785]2004年7月20日
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[30480]2004年7月13日
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[29614]2004年6月23日
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[39707] 2005年 4月 12日(火)16:20:59BerryBlossom さん
い、いつの間に!?
どうもお久しぶりです。就職活動…のようなことで多忙でもう一人自分がほしいくらいです。

特に地理とは関係ないんですが、4月1日に熊本県の県域FM局「FM中九州」が「FM熊本」に社名変更したそうですね。
意外や意外。今更知りました。しかし、どうして開局時にわざわざ「FM中九州」で開局したんでしょうかね。少し気になるところです。
[38610] 2005年 3月 15日(火)17:36:54BerryBlossom さん
目が回る~
またまたお久しぶりです。世間では合併がほぼ連日のように行われていますね。我が町はまったく関係ありませんが…。私生活でもかなり慌しく、ログを読み返すだけで精一杯な感じです。ゆとりを持ちたいものですがw

さて、今回も前回の書き込みに引き続きわが町の昭和の大合併のゴタゴタを市史から年代順に整理したものを載せようかなと思います。前回と同じく「小山市史」より資料を抜粋しましたが、なかなか興味の持てる内容だと個人的には思いました。
小山市の北部に昔ありました桑絹村(後に町制施行)のお隣茨城県結城市を巻き込んでの大騒動のお話です。文中にもありますが、日本における村長選挙の最多立候補者数という記録を作ってしまった村の話でもあります。

◆1953(昭和28)年
11月18日絹村に対し、合併動向の調査を目的とした県の監査
11月19日桑村に対し、合併動向の調査を目的とした県の監査

◆1954(昭和29)年
3月20日絹村町村合併促進大会開催 村関係者約140人が出席 絹村町村合併研究会結成を結成
絹村としては第1次試案(絹・吉田・薬師寺3村合併)に賛成
4月28日桑村合併調査研究会 「絹村とともに小山市に合併することが当然」
9月7日絹村合併研究会が桑村を訪問、両村首脳で合併促進協議会の設置の方向で一致
10月 絹村合併研究会を合併促進会に改組
11月26日 桑村合併促進委員会(委員64人)発足
12月18日県地方課、両村の村長・助役・正副議長を県庁に招集
12月絹村、合併促進会主催で各地区ごとに座談会を実施
結城との合併希望11地区、桑と希望が9地区、大勢に従うが4地区

◆1955(昭和30)年
2月10日絹村議員協議会 「現議員の在任中に町村合併を実現する」ことを決定
目標の町村を桑村15、白票1、棄権3で桑村に決定
2月11日絹村合併促進会 議会への無条件委任を決定
2月28日桑村合併促進委員会 最高方針として「可及的速やかに小山市に合併する」
ことを前提に「第1段階」として桑・絹合併を3月末で行うと決定
3月3日両村委員による準備協議会 於・桑村役場
3月4日第2回準備協議会、絹村南部地区結城合併期成同盟会の住民約300人が抗議行動したために流会

◆1956(昭和31)年
5月絹村合併促進会を再設置
7月23日桑村合併促進委員会で各地区の意見集約
県の合併計画賛成46%、小山との同時合併17%、未決定37%
7月30日桑村合併促進委員会 県の計画に従い絹村との合併を認めることを満場一致で決定
8月5日県地方課長と絹村首脳の会談。絹側は「住民投票しかない」とするも、
県側は「指導者による世論の統一を」と強調。南部地区の将来の分村に応ずる発言。
8月18日桑村議18人と結城市長・茨城県地方課との懇談会
結城市側「絹村議会において合併の決議があれば、受け入れについて相当努力する」
8月27日絹村合併促進会 県計画による桑村との合併を決定
9月1日絹村結城市合併促進会を結成
9月5日絹村結城市合併促進会 休地区の天満宮で分村合併決議大会を決行。約200人が参加
南部7地区(岸福・台・福良橋・休・中河原・下梁・西梁)の自治管理の体制を固める
9月8日両村の合併議決のため村議会開会。 桑村議会は満場一致で合併を議決。
桑村議会では難航。県側は絹村の分村・結城編入は極めて困難と表明。
絹村議会、無記名投票で採決。結城派5議員退場、賛成11・反対5で桑村との合併が議決。
9月10日栃木県議会において桑村・絹村合併を議決
9月22日茨城県議会で「絹村分村地区受入決議」
9月25日結城市議会で同上の決議
9月30日桑村・絹村合併。桑絹村発足。新村名は「一時的な村名」で、
「近いうちに何等かの方法で新しい名称に改める予定」であった。
旧桑村役場に桑絹村役場を設置。絹村役場に支所を設置。議員は1年間継続
10月20日絹村結城市合併促進会「今後、納税を完全に拒否して一切村政と絶縁する」と声明
10月29日合併促進会代表(南部60人、中部18人)が栃木県合併審議会会長(副知事)に
直接陳情。副知事は「境界変更は不可能」
11月17日桑絹村長に前桑村長伊沢照夫氏が無投票で当選
11月23日結城市中央小学校で「結城市合併完遂住民大会」 南部住民330人、中部住民
180人が参加 集会後約2時間のデモ

◆1957(昭和32)年
3月23日総理大臣が新市町村建設促進法に基づく3人の町村合併調整委員が任命
5月桑絹村当局は納税拒否を続ける結城派の住民に対して土地の差し押さえと
公売等強権発動の姿勢を示し、一部を実施
5月29日~31日3調整委員による現地視察。
8月14日栃木県新市町村建設促進審議会の4委員が自治庁長官、調整委員等に現状維持を陳情
8月29日絹地区分村反対協議会が12地区、100余人の出席で開催 「分村反対現状維持確保」を決議
自治省への陳情を決定
9月15日絹村・結城市合併完遂住民大会を開催、約500人が参加。
9月27日桑絹村議会議員選挙 結城派住民約1000人が集団棄権

◆1960(昭和35)年
4月伊沢桑絹村長の死去に伴う桑絹村長選挙 結城派による有権者全員立候補作戦
村長選立候補者267人(最終的に202人) 事実上3人での選挙戦
結城派からの立候補者は1195票で第3位 ※ちなみにS35年の桑絹村の人口は16,905人

◆1961(昭和36)年
3月14日調停委員の調停案発表。南部7地区の分村・結城編入を結論付け。
3月18日桑絹村・栃木県当局者が上京し、自治省に調停案拒否を通告
3月22日調停案を正式に提示
3月24日桑絹村議会が調停案の受諾拒否を決議
3月28日北部地区の分村反対派が絹地区分村反対用水組合大会を3用水組合の連名で開催
分村絶対反対の宣言とともに、調停案が撤回されない場合の南部地区への用水路の閉鎖を決定
4月2日北部分村反対派住民の用水せき止めの実力行使 以降断続的に繰り返す
5月11日安井自治相が衆議院地方行政委員会で「調停案のみにこだわらず両県の話し合い
で円満解決を図る」と答弁し、調停の打ち切りと自治省による政治的解決の方向へ
5月13日調停委員は調停の打ち切りを決定、首相の同意を得て正式に調停打ち切り
5月20日自治省が新しい斡旋案を提示。7月1日に結城編入地区を狭め、
岸福・中河原・台および福良橋の一部を結城に編入。
栃木県・桑絹村は受諾の意向、茨城県・結城市が反対の意向
5月21日分村反対派が自治省案受諾を決定、用水せき止めを解除
5月22日桑絹村議会、自治省案を受諾 町制施行を目指し、準備を開始
5月23日結城市長と合併促進会代表約100人が自治省へ
「住民投票により目的を完遂する」決議を手渡す
6月15日桑絹村議会、町制施行を満場一致で決議、県に申請
7月1日町制施行、下都賀郡桑絹町発足
9月1日結城派による小・中学校の同盟休校実施。対象の生徒の56%程度の240人が参加。
7地区の自治会は“自治共立小・中学校”を設置して自主学習を実施
9月5日編入対象地区110戸による編入反対の桑絹町協力同志会結成
9月8日桑絹町当局が同盟休校参加の保護者に対し正式に登校催告を実施
9月11日同盟休校の打ち切り
11月2日分村反対派150人が桑絹町役場を訪れていた横川栃木県知事に陳情
町長・議長に自治省案の否決を詰め寄る
11月10日桑絹町議会で自治省案の受諾取り消しを議決
12月28日結城市議会が正副議長ら14議員欠席のまま16議員のみにて自治省案の受諾を議決

◆1962(昭和37)年
2月28日南部7地区の協議で運動打ち切りの方向が出る
3月15日南部・中部10地区全体の会議、自治省への最終的打診を経て分村運動を終結
12月11日自治省行政局長通達により、自治省調停案の正式撤回
12月27日桑絹町合併振興大会実施

と、約7年に渡るゴタゴタがあったようです。
自治省による調停委員があまり役に立っていないのがかなり疑問ではありますが…

※長々と大変失礼いたしました。
[38028] 2005年 2月 23日(水)21:58:59BerryBlossom さん
いやはや…
どうもお久しぶりです。多忙な毎日が続いておりまして、一応春休みにはなっているのですが忙しくてどうにもなりません。まぁ、大学を出ましたらメシを食って行けるようにならなきゃならない訳でしてw

やっと私もこちらに書き込むようになって丸1周年です。最近は全然ですが…

久しぶりの書き込みと言う事で、一つネタをお持ちいたしました。
我が町の市制施行時のゴタゴタを市史より抜粋したものです。

◆1953(昭和28)年
12月21日 高崎小山町長「本年度中の市制有望」との意向示す
12月22日 栃木県町村会の席で、小平栃木県知事より山中大谷村長へ話
同日     高崎小山町長からも同様の申し入れ
12月25日 大谷村議会、全会一致で合併反対決議

◆1954(昭和29)年
 1月 8日 小山・大谷双方首脳部懇談会開催 大谷側は「回答保留」
 1月19日 県地方課長が大谷村長、大谷村議会議長へ説得工作。合併研究会設置を合意
 1月23日 小山町・大谷村合併研究会開催 議員・団体職員・地区代表など100余名で構成
        合併審議会(構成は大谷村長に一任)を設置し検討 →2月10日までに結論
 2月 4日 小山町議会議員、班分けして大谷村議会議員らを訪問。意向を調査
 2月 5日 小山町・大谷村合併審議会開催 川口・栗橋(埼玉)、佐野(栃木)、下館(茨城)の合併視察報告
 2月13日 小山町・大谷村合併協議会開催 双方から13人ずつ出席 県地方課長も同席 合併への結論出ず 
        小山町の26年度予算に対する不審、小山農協使途不明金問題、教育水準格差問題などで紛糾
 2月18日 大谷村合併審議会 小山町との合併を決定 北・中・南3地区で住民説明会実施を決定
 2月20日 大谷村南部地区合併懇談会 住民2,000人が参加。反対意見が大半を占める。「後のことは審議会に一任」
 2月28日 山中大谷村長、県地方課へ報告。「見通しとしては、現在のところご期待に添い兼ねる」
 3月 3日 大谷村合併審議会 45人が出席。結論を得られず、村議会に一任を採決しようとするも、
        南部出身審議委員が1人を残し退席。一任を採決
 3月10日 大谷村議会召集。全員協議会を開催し、小山町に対する「9条件8希望」を付して合併を決議
 3月11日 午前0時半、小山町側が全条件をのみ妥結。午前3時、両町村議会で合併を正式に議決。
        ただちに両町村長名をもって合併申請書を県へ提出
 3月17日 栃木県議会において小山町・大谷村の合併に関する議決
 3月24日 総理府告示
 3月31日 栃木県下都賀郡小山町・同郡大谷村が合併。栃木県小山市市制施行
 4月 1日 新市庁舎開庁式
 4月19日 市長職務執行者(高崎旧小山町長)への事務引継ぎ
 5月 3日 第1回小山市長選挙告示。3人が立候補
 5月10日 第1回小山市長選挙投票。初代小山市長に山中泰輔前大谷村長が6,000票あまりで当選

と、ものの4ヶ月あまりでいきなり合併・市制をしている事に驚きを感じました。
特に2月28日から3月10日への流れはあまりにも急と言いますか。
今もここまでは行かないものの、かなり急ピッチな地域もあるようですが…。

毎週のように合併が行われ、少しついて行けなくなってきてしまいそうですw
[35648] 2004年 12月 10日(金)15:55:48BerryBlossom さん
日光よ、何処へ行く…
かなり久しぶりの書き込みになります。ここ、北関東でも師走とは思えない暖かさが続いています。なんとなく季節が道草をくっているような気がしなくもありませんね。

さて、[35608]TIさんや[35613]熊虎さんも触れていらっしゃいますが、日光市議会における合併関連5議案の否決について個人的な意見を述べたいと思います。

先日3日に行われた合併協定書調印式は地元TV局でもトップニュースで伝えられ、やっと日光地域も一息つけるかなと思っていた矢先に、日光市議会の否決騒ぎ。真杉市長の辞任表明や緊急入院、また議長の欠席などの波乱の中で日光市議会は「否決」と言う結論を出した訳ですが、私としては納得がいかない結果ですね。
一体、1年前に行われた投票率70%を超えた合併の賛否と枠組みを問う住民投票で出された65%の過半数を超える民意は何処へ行ってしまったのでしょうか。反対派の議員によれば、「正しい判断で日光を守ったという自負がある。住民説明会を開催するなどして我々の描く将来像を市民に伝えていく。必ず理解してもらえる」との事ですが、つまり大多数の民意を捻じ曲げて自分たちの意見を通そうと言うことなのでしょうか。私は訝しく思います。
日光市は合併協議会を離脱・再加入と紆余曲折を経ています。それだけ、市内での意思形成に多くの困難があったと言うことなのでしょう。「日光」という世界的な観光地のブランドと言うものも誇りとしてあるのかもしれません。

しかし、今回のこのような結果には同じ栃木県民として非常に残念に思います。
まだこの先日光地区の合併がどうなるか不透明なままですが、なんともやるせない気持ちでいっぱいです。
[34511] 2004年 10月 26日(火)11:06:28BerryBlossom さん
お久しぶりです
どうもなかなか書き込めないです。今日も授業の合間を縫って大学からアクセスしている次第です…。

まずは、遅ればせながら新潟県中越地震で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
この地震では当地もかなり揺れ(気象庁発表では震度3でしたが、体感的にはそれ以上に感じました)、恐怖も覚えるほどでした。かなり離れていてもこんな感じなのですから、当地の方はさぞや大変だったことと思います。

しばらく書き込まないうちに、大規模なダイヤ改正がありました。私の使っている路線はまったく変更がありませんでしたが、友人の使っている路線は大きく変わり改正直後は混乱したと言っていました。
しかし、「湘南新宿ライン」がJR東日本にありますが駅のホームで駅員のアナウンスを聞いていると「新宿湘南ライン」と言っているのを耳にします。どちらでも意味はわからないでもないですが、どうなんでしょうね?個人的には上野行きの電車や古いカボチャみたいな電車が減り、少しさびしい気もします。

[34485]いっちゃんさん
何を隠そう、私生粋の難読地名「神鳥谷」人でございます。生まれた時から馴染んでいる地名ですから、特に何も感じませんでしたが確かに何故「神」を「ひと」と読むのでしょうね?
難点は、まずパソコンや携帯で住所が100%漢字変換できないことです…。
[32981] 2004年 9月 17日(金)17:37:56BerryBlossom さん
カキカキφ(.. )
プロ野球スト問題、17時が交渉期限ということでテレビに噛り付いていましたが、2時間交渉を延長とのことですね。どうなるのでしょうか…

[32911]でいっちゃんさんが少し触れられていますが、本当に悲しい事件が身近なところで起こってしまいました。昨日、見つからずにいた男の子も隣町で発見されましたが、最悪の結果になんとも言えない気持ちを抑えられませんでした。
先日の某新聞のコラムに事件の舞台となった思川に関して書いてあるものがありましたが、こんなきれいな名前の川の名が悲劇の舞台となってしまったのが残念でなりません。

新幹線の一駅乗車では、私の最寄り駅は東北新幹線の小山駅ですが時々大宮までの一駅利用はしますね。Suica定期券は持っているのですが、利用区間の関係上Suica新幹線特急料金が適用されないのが残念ですが…。
ホリデーパスは新幹線自由席特急券(小山~大宮:¥950)を別途購入すれば新幹線を利用できるので、ちょっと財布に余裕がある時なんかに使います。

そう言えば、この秋のダイヤ改正で宇都宮線・高崎線は大きくダイヤが変わりますね。明日改正ダイヤ掲載の時刻表が発売になるので、どのようになるのかチェックしてみたいと思います。
個人的には、あと1ヶ月で上野乗り入れの「快速ラビット」の名称が無くなるのは少し残念ですね。昔から東京に出るときにかなりお世話になっていましたから…。昼時間帯の快速は湘南新宿ライン直通になるそうですが、やはり旅客流動のウェイトは新宿経由の方が増加しているのでしょうね。
[32783] 2004年 9月 11日(土)18:34:20BerryBlossom さん
秋ですねぇ
どうもです。かなり久しぶりの書き込みとなりました。BerryBlossomでございます。
何かと多忙な毎日を送っておりまして、なかなか書き込みが出来ませんでした。

しばらくアクセスしないうちに、どんどんレスは増えていきますしここの人気振りを改めて認識した次第ですw

さて、世間では来年春にかけて怒涛の合併ラッシュですが、当地ではまったくと言っていいほど合併の「が」の字も見ませんね。市長選の時に少し聞いたくらいですかね。一応、隣町との法定合併協議会は解散はしてない筈なんですが…。いったいどれだけの市民が覚えていることやら…。

特に手持ちのネタも無いので、この辺で失礼します。さて、勉強するかな(^o^)
[30785] 2004年 7月 20日(火)14:30:38BerryBlossom さん
暑い、暑すぎる…。十万石まんじゅう(笑)
みなさまお久しぶりです。本当に関東以西では酷暑と呼ぶにふさわしい(?)日々が続き、体調を崩している方もちらほら見かけますが、落書き帳メンバーの皆さんはいかがでしょうか?
私の住んでいる町もさすがに熊谷や東京には負けますが地道に最高気温35℃以上の日が続いています。
今日は東京(大手町)で観測史上最高の気温39.5℃を午後0時58分に記録したそうで、なんとも数字だけで参ってしまいますね…。

さてさて、今日は町の書店で見かけた雑誌のお話をひとつ。つい先ほど、炎天下の中を大学の近くの書店までクーラーを求め出かけていったのですが、そこでふと雑誌コーナーを見ると今週の週刊ダイヤモンドに「市町村合併締切り前の大混乱 列島縦断!全国九地域の現場をレポート」と題して市町村合併の特集がでているではありませんか!!(もうご存知の方も多いかもしれませんね。目印は、大きなダイエーのマークです)
中身をペラペラめくると、なかなかビジュアル的にも読みやすく、データも面白いものもあり、大学生協の書籍部へすぐに足を向け(生協組員は雑誌・書籍は1割引で買えますから)、手に入れてきたところです。まだこの後講義があるので、帰りの電車の中ででもじっくり読んでみようかと思います。

[30695] 花笠カセ鳥さん
[30705][30709] inakanomozartさん
[30707] なおさん
みなさんが地上波デジタル放送に触れているので私もひとつ。
地上波デジタル放送はすべてUHF波(13~62ch)で放送されるということですが、このU波はVHF波に比べて電波の飛ぶ距離が短いそうですね。その分、特に山間部では中継局の設置が問題になりそうですね。
すでに総務省は2011年7月に現行の地上波アナログ放送を停止する予定ですが、私はこれには懐疑的です。現実問題として、あと7年があるわけですが全国でデジタルの放送が始まるのはあと2年後です。現在アナログ波用のTVを使っている方も、チューナーを接続すればデジタル波を視聴することが可能ですが、これを日本中の家庭のTVで行うことは、すべて各家庭の負担になりますのでデジタルTV購入に比べればかなり安価ではありますがそれなりの負担になります。総務省が旗を振ってデジタル化を進めていますが、各家庭までの普及になると個々の事情によりますので、そう簡単に移行が進むかというと疑問ではないでしょうか?
また、この地上波デジタル化によって地方局の経営が厳しくなってしまう可能性も危惧されています。デジタル波用送信アンテナの設置は、各事業者(つまり各TV局)が設備投資として行うわけです。例え、同じ県内の事業者が共同でアンテナを設置したとしても、莫大な設備投資となります。このデジタル波用アンテナの設置は、アンテナの設置自体が収益を増加させるものではありませんから、アンテナ建設はその分が負担としてTV局にのしかかってきます。
特に日本の場合、現状でもおわかりのようにTV局の中継局は相当の数に上ります。これらをすべてデジタル化した場合、その設備投資を行うだけの資本力が地方ローカル局にあるかといった問題になってきてしまうわけです。

また、コンテンツの問題もありますよね。現状では、ほとんどの地方局では番組の多くを東京のキー局に頼っています。自社製作率の低い局ではたったの数%しかない局さえあります。このような状況下で、多チャンネルが可能になったとしても制作力が低ければ地元の情報を発信することはできませんよね。どのチャンネルを回しても、日常生活には関係のない東京の話ばかり…では、何のための地元局なのかわからなくなってしまうと思います。
総務省では、今後地方ローカルTV局の再編(合併)も想定した話が進んでいるとも言われています。今後数年間は、日本のTVメディアにとって大きな峠となるのかもしれませんね。

どうも長々と失礼いたしました。それでは

P.S
タイトルにくすっときた方、テレビ埼玉をご覧になったことがおありですね(笑)
[30480] 2004年 7月 13日(火)03:05:24BerryBlossom さん
梅雨は何処へ…
なんだかお久しぶりでございます。書き込まない間に身内に不幸がありまして、いろいろと忙しくなかなかパソコンに向かえないでおりました。

それにしても、今年の梅雨は梅雨らしくないですね。先週の関東内陸部の暑さはまるで真夏を思わせるようでしたね。これで梅雨が明けていないのも不思議なものですよ…。

さて、昨日行われた第20回参議院議員通常選挙が行われたわけですが…私の住む栃木は、投票率全国ワースト2位(50.99%)という不名誉な結果になってしまいました。なんとも残念な結果ですが、今回は自民・民主・共産から各1名ずつ3人の立候補者から2議席を争うといった単調な選挙戦でしたし、また当日県央から県北にかけて雷雨があったのも足を投票所から遠ざけてしまった要因なのかも知れません。
次回の参院選では定数是正のために栃木選挙区の定数が改選2から1へ(全体では定数4から2へ)と減らされる可能性が大きいと見られており、どうなるかが心配です。
今回が選挙権を得て2回目の選挙でしたが、投票所に同年代の若者(自分で言うのもなんですが…)の姿がまったく見えなかったのもどうだろうかと思いました。
また、いわゆる「栃木都民」と言われる新興住宅街の人々の関心が低いと言うのもあるのかも知れません。
我が街では、再来週に市長選があるのですが、今度はどうなるのかいささか心配です…。

最後に地元ネタを一つ。
12日に黒磯・西那須野・塩原の1市2町の首長が合併申請書を福田栃木県知事に提出しました。これは栃木県内では、佐野・田沼・葛生の1市2町の申請に次いで2番目です。10月の県議会での議決や総務大臣の公示を経て、栃木県内では平成の大合併として初の新市「那須塩原市」が来年1月1日に誕生する予定だと言うことです。
[29614] 2004年 6月 23日(水)18:46:52BerryBlossom さん
夏至を過ぎて日ものびて
お久しぶりです。日ものびたなぁなんて思っていたら、もう夏至も過ぎてましたね。
しかし、日本も広いなと思うのは根室の日の出が3:37なのに対して与那国島は6:00ですからね。今度7月1日より1ヶ月間、札幌商工会議所の呼びかけで約120社が名乗りを上げたとか。なんとなく頷けますね。そういえば、前世紀末に(こんな言い方もアリかな?)超党派の国会議員が2001年からサマータイムを実施するとか意気込んでいたニュースはどこへ行ってしまったのやら。当時、某全国紙が1面記事で実施確実といった感じで記事を載せていたのですが…。ちなみ当地栃木(宇都宮)は4:23だそうです。(6月23日現在)

先ほど、地元ローカルとちぎテレビのニュースを見ていたのですが、なんとも栃木県内の合併にも暗雲漂うニュースが連続で…。
1.茂木町の芳賀地区合併協議会からの離脱関連の続報
2.芳賀町の芳賀町・高根沢町合併協議会廃止の可能性の示唆
と、どちらも芳賀郡絡みのニュースでした。
2の芳賀町の気持ちはわからないでもないですね。嫌な予感が現実のものにならなければ良いのですが…。ただ、どっちつかずというのはなかなか相手からいい感じはしませんよね。

あと、名古屋市の人口が220万人を突破したそうですね(6月1日現在:2,200,090人)。210万人突破(昭和58年11月)より20年7ヶ月での達成だそうです。

[29605] いっちゃん@大先輩さん
どうもおめでとうございます!新しい命の誕生に立ち会うなんて滅多に出来ない素晴らしい経験ですよね。感無量といったものでしょうか?重ねてお祝い申し上げます!!


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