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[57484] 2007年 3月 31日(土)05:51:30oki さん
藩政村について
[57481] 88 さん

藩政村や城下町の時代になると資料が乏しく、また、その中でもどの資料を採用すべきものか悩ましい(判断するほどの材料も少ない)ことも多いと思います。

初めまして、okiと申します。地理と地図は子供の頃から好きで、かなり前からROMっていました。どちらかというと歴史地理的な分野に興味が強く、Issie先生やhmtさんの卓見には敬服しています。
皆さんに刺激を受けて、藩政村と現在の町丁大字区域との対応関係を地図上に表現できないかと考え、可能な資料を集めて悪戦苦闘しているのですが、なかなか思うようにはいきません。
この間の、88さん、むっくんさんなどの議論を読んでいて、ひょっとして私でも少しはお役に立てるかもしれない、と思って投稿することにしました。すでにご存じのことも多いでしょうが、お読みいただければ幸いです。

明治以降の自治体と藩政村との関係を考える場合、「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」など、これまでにあがっているものを除くと、基礎にすべき資料としては以下のようなものが考えられます。以下で○をつけているのは、ネット経由で閲覧可能な資料です。

江戸時代末期の資料
1.天保郷帳
2.天保国絵図(○)
3.地名研究必携

明治初期の資料
4.旧村旧高取調帳(○)
5.郡区町村一覧(○)
6.地方行政区画便覧(○)
7.新旧対照市町村一覧(○)

以下、簡単に説明しておきます。

まず郷帳というのは、「江戸幕府が国絵図とともに作成・提出させた帳簿。郡ごとに村名とその石高を書き上げ,一国単位でまとめたもの(平凡社百科事典より)」です。江戸時代に何度か編纂されていますが、その最終版が「天保郷帳」で、年次は天保5(1834)年です。
影印本が出版されていますが、大きな図書館にしかないと思います(東京でも、国会図書館以外では都立中央図書館にしかないようです。大学図書館は別ですが)。

「天保国絵図」は天保郷帳と対になる絵図で、蝦夷・松前、琉球を含む全国の絵図が、国立公文書館のHPで閲覧可能です。urlは以下の通りで(これは滋賀県)、JPEG2000で閲覧する方が便利です。

http://jpimg.digital.archives.go.jp/kouseisai/map/shiga.html

天保郷帳がなくとも、この国絵図を見れば、その時点の村名を知ることが可能です(絵図なので、書体は筆による崩し字であり、活字ではありません。古文書解読の能力がなければ、「素のまま」で読むのはかなりシンドいと思います。しかし、以下の旧村旧高取調帳などで当りを付けた上で見れば、ほぼ読解可能です。これは古文書解読能力のない私の経験から言えることです)。

「地名研究必携」は、長野県地名研究所の滝澤主税氏が天保郷帳以降の自治体の変遷を整理された大作で、天保郷帳記載村名、天保~明治大合併以前、明治大合併時、昭和大合併時まで、昭和大合併時、に分けた記載があります。サンプルは以下の通り。

http://www.geocities.jp/chimeikenkyui/chimeikenkyuu.htm

この本は大図書館以外には所蔵していないと思いますが、入手もしくは閲覧できれば、かなり役に立つと思います。


次に「旧村旧高取調帳」は、「明治政府が編纂した江戸時代の末期時における全国村名目録で、明治初年における近世村落の概要を知ることのできる資料」です。掲載されているのは明治2年(1869)頃の村名で、現在は地名として消失したものも含まれている、とのことです。
近世史家で明治大学教授・学長であった木村礎氏が校訂した刊本がありますが、これをもとに歴史民俗博物館がデータベースを作成しており、同館のHPから検索可能です。

http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param

このDBでは、村名だけでなくその石高も知ることができますが、一つの村が複数の領主に宛行われている場合(これを相給といいます)、同一の村が領主の数だけ検索されます(これがどういうことなのかは、例えば「山城国 乙訓郡 久我村」で検索すれば分かると思います)。そのため、単純に全国の村名を知るためには、データを取り込んで加工する必要がありますが、総件数が97,359件に達するので、結構大変なものがあります。
また、この資料で把握できるのは「石高」の付された村だけです。三都はもちろん、主な城下町の町名は載っていません。町場には田畑がなく、年貢徴収がなされないためです。逆に、石高がつけられるのは「村」だけでなく、在郷「町」、港や漁師町である「浦、浜」、宿場町の「宿」、「新田」など色々なものがありますが、煩雑なのでここでは詳説しません。
それ以外にも、藩政村の特性に起因する色々な問題があり、私自身がかなり前から整理しているのですが、まだ全国の藩政村を一意的に把握するには至っていません。

「郡区町村一覧」は、ご存じの方も多いと思いますが、内務省地理局が明治11(1878)年時点で全国の郡区名およびそこに属する町村名をとりまとめたものです。この時点の町村名を確認できるとともに、旧村旧高取調帳と照合することで、この間に合併・名称変更等のあった町村を確認することができます。国会図書館のデジタルライブラリーで閲覧が可能で、urlは以下の通りです。

http://kindai.ndl.go.jp/index.html

「地方行政区画便覧」も内務省地理局の編纂物で、デジタルライブラリーから閲覧可能です。市町村制施行直前の明治19(1886)年時点の郡区町村名を知ることができます。また、戸長役場所在町村と、そこに属する町村、戸長役場単位での人口が記載されています。

「新旧対照市町村一覧」もデジタルライブラリーから閲覧可能です。文字通り、市町村制施行直後に、新しい市町村とそこに属する旧町村を整理した資料です。本来、このような資料は地理局が刊行すべきだと思いますが、どういうわけか「東京都和泉橋警察署著作」となっています。同署の署長が府県庁等に問い合わせた結果をまとめたもので、各府県の官吏も警視庁警視にデタラメな資料を提供することはないでしょうから、それなりの信頼性はあると思います。

資料紹介は以上の通りです。
枝村や新田の扱いなどに関しては、私の意見がありますが、長くなったなので次の機会に回したいと思います。

では、今後ともよろしくお願いいたします。
[58035] 2007年 4月 16日(月)02:49:42【2】むっくん さん
天保国絵図・旧村旧高取調帳・郡区町村一覧
oki さんが[57484]で示された資料について私が使って感じたことを述べます。ただし滋賀県の範囲でしか活用できていないものが多いため、その範囲での感じたことであるとあらかじめ断らせていただきます。

2.天保国絵図
近江国の場合は折り目となって判読付加の村(2村)以外では旧村旧高取調帳などで当りを付けた上で見ればほぼ読解可能でした。また、当りをつけられなかったところ(枝村)でも、元禄国絵図と比較しながら読むと約8割は読めました。
#ちなみに私もoki さんと同じく古文書解読の能力は持ち合わせていません。

4.旧村旧高取調帳
旧村旧高取調帳では枝村であるか否かの区別がされては書かれていません。そのため[57886]oki さんが書かれているように
今村新田のように幕末期には枝村で(?)、現在の所在がよく分からない
と判断してしまうこともあります。この資料は単独で使うのではなく他の資料と併用する必要性があると思います。

ちなみに今村新田ですが、
今村新田については、国絵図に森村の枝村として今村新田があるので、これかもしれません
とのoki さんの推測の通りで、今村新田の変遷は
江戸時代森村ノ内・今村
明治5年4月7日今村新田(独立村となる)
明治7年5月2日森村と合併して森村の一部となる
現在大津市森1丁目
となります。

#枝村が本村と合併したことは滋賀県の公式の記録には残っていないようなので、そこから明治5年の区制制定日に今村新田が枝村から独立村になったと私は推測しました。もしかしたらこの点は違うかもしれません。

また、旧村旧高取調帳の記載には実在したかが疑わしい事例も滋賀県においては一件ありました。
e.g.近江国高島郡三矢村

2.の天保国絵図にも5.の郡区町村一覧(1881年)にも滋賀県年表(編:滋賀県史編さん室、発行:滋賀県、1985年)にも三矢村の記載はありませんでしたし、日本歴史地名大系25滋賀県(平凡社、1991年)の巻末にある行政区画一覧にも記載がありませんでした。
ただ、天保国絵図に記載の独立村であっても、日本歴史地名大系の巻末にある行政区画一覧での天保郷帳の欄に記載されていない村が多々あるので何とも言えません。日本歴史地名大系の本文や角川の地名辞典を参照するまではとりあえず保留ということにします。

5.郡区町村一覧
基本的には明治11(1878)年時点の全国の郡区名およびそこに属する町村名だと思われますが、滋賀県についてみると、明治11年以降明治14年以前に成立した村も一部記載されていました。これは全国的に見てもおそらく同様であると思われます。

また、枝村であるのに郡区町村一覧に記載されている村も私が数えた限りでは全国には70村ありました。ただし私の知識不足のために誤って数えている可能性は大です。
明治11年時点で郡区町村一覧に記載されるような特別な枝村も市区町村変遷情報に記載されるのでしょうか?>88さん

枝村(枝村かどうか怪しげな物も含む)のリスト(79村)を以下に記しておきます。

場所JPEG表示ページ実物ページ
兵庫県神戸區10村29/23026
埼玉県南埼玉郡3村57/23054
埼玉県北葛飾郡2村62/23059
茨城県筑波郡1村78/23075
茨城県河内郡4村79/23076
堺県(大和国)式上郡3村90/23087
堺県(大和国)式下郡4村90/23087
堺県(大和国)山邊郡1村91/23088
堺県(大和国)廣瀬郡1村92/23089
三重県安濃郡36村96/23093
滋賀県高島郡1村118/230116
岡山県窪屋郡9村180/230178
岡山県淺口郡2村180/230178
岡山県小田郡1村181/230179
岡山県賀陽郡1村181/230179

#JPEG表示ページは国会図書館のデジタルライブラリーで郡区町村一覧をJPEG表示で見たときのページを指し示しています。

6.地方行政区画便覧
郡区町村一覧で枝村が記載されていましたところに限って地方行政区画便覧を見ると、このうち三重県安濃郡については明治19年にも依然として枝村として存在している村があることがわかります。
(実物ページpp.423-425、JPEG表示で見たときのページは224/565,225/565)

7.新旧対照市町村一覧
地方行政区画便覧で枝村が記載されていた三重県安濃郡に限って新旧対照市町村一覧を見ると枝村としては記載されていませんでした。
警察署作成なので実質的に村であるか否かが重要であり、法的には枝村であるか否かということは些細なことなのかもしれません。そのために○○村ノ内△△村という形式ではなく△△村という形で掲載した可能性は否定できません。
[62815] 2007年 12月 12日(水)18:33:08hmt さん
「府県」が「地名」に使われるようになった事情を探る (3)「郡区町村一覧」と「地方行政区画便覧」
いきなり大きな表を出して失礼しますが、近代デジタルライブラリーで見ることができる 明治時代の地方行政区画一覧表 のINDEXです。別記事で説明する予定です。

表 府県別コマ番号 「郡区町村一覧」(明治13年) 「地方行政区画便覧」(明治19年1月)

コマ明治13年区数郡数町数村数------------明治19年第2表郡役所第3表戸長役場
4東京府1561368378東京府528
10京都府31520381280京都府640
20大坂府47541504   大阪府661
24神奈川県1152201208   神奈川786
29兵庫県1334222980   兵庫県896
39長崎県120129911   長崎県9118
43 新潟県1177774178   新潟県9124
函館県9155
57埼玉県018391874   埼玉県10157
63群馬県0171091106   群馬県10187
67千葉県0211092371   千葉県11171
74茨城県018632048   茨城県11197
81橡木県010521144   栃木県12212
85堺県1354702225
94三重県0212611559   三重県12220
100愛知県1193681942   愛知県13233
106静岡県0211671824   静岡県13253
112山梨県0937283   山梨県14266
114滋賀県0173381734   滋賀県14271
120岐阜県0251361197   岐阜県14282
125長野県01622685   長野県15293
128宮城県117305708   宮城県16301
132福島県022871697   福島県16308
138山形県0113391221
143秋田県09392925
147巌手県019642   岩手県17320
150青森県08180828   青森県17325
山形県17332
秋田県18343
福井県18352
153石川県12011165693   石川県18365
富山県18380
鳥取県19395
171島根県0341382041   島根県19403
178岡山県1311271642   岡山県20410
184広島県1221311064   広島県20425
188山口県11261620   山口県21438
和歌山県21445
徳島県22456
191愛媛県0302591371   愛媛県22463
197高知県0754985   高知県23478
200徳島県01037610
202和歌山県194371207
207福岡県1312751787   福岡県23486
214大分県012641134   大分県24501
佐賀県 24511
218熊本県11517651347   熊本県24516
宮崎県25527
223鹿児島県0271091193   鹿児島25530
沖縄県537
札幌県26541
根室県27546
合計367061354258146
[62816] 2007年 12月 12日(水)18:40:11hmt さん
「府県」が「地名」に使われるようになった事情を探る (4)「郡区町村一覧」
前記の表[62815] に関連する内容です。

旧幕府の直轄地を支配する役所“奉行所”や“代官所”などを引き継いだ“府”と“県”。
やがて廃藩置県によって旧大名支配地にも“県”が生まれましたが、“府県”は依然として“役所”のことでした。
ところが、明治11年になると、古くから慣れ親しんだ「地名」であった「郡」や「町村」が、行政機構たる“府県”の下に“編制される”ことになりました。このことが、“府県”をも「地名」に変化させる淵源ではないかというのが、この議論の第一段階です[62795]

“3府36県”の下に36の“区”と約700の“郡”、そして7万以上に上る“町村”。その具体的な編制作業にあたっては種々の調整が必要であったと思われますが、ともかく明治13年までには一応完成したと思われる行政機構の一覧表が、「郡区町村一覧」というタイトルで、翌明治14年3月に内務省地理局から出版されました。

表の左側6列は、この「郡区町村一覧」のINDEXです。
この資料には目次がないので、3府36県(徳島県を含み沖縄県を含まず)について、コマ番号と府県名の対照表を作ったわけです。ついでに、区・郡・町・村の数も記しました。
府県名は、該当するコマにリンクしています。次々に見るときは、プルダウンで該当するコマにジャンプするのが便利です。

この本の例言には明治12年12月調査とあるのですが、兵庫愛知滋賀石川愛媛堺の6県については明治13年調査であり、明治13年3月2日に高知県から分立した徳島県も記載されているので、明治13年の資料としておきます。
郡区町村編制法は、既に北海道でも施行(おそらく明治12年7月23日 開拓使乙第4号布達)されていた筈ですが、この本にはありません。

検索してみると、この本についての最初の言及は [56671] 88さんでした。
近代デジタルライブラリーで閲覧可能なことは [57484] okiさん の紹介がありました。
[62371] むっくん さんによるリンクもありました。

私はというと、上記の記事を読んでいながら、この資料を見ていませんでした。
今回、主題とは少し外れるのですが、[62795]のような経過でこの資料を見た結果、約6年後の「地方行政区画便覧」と共に、もっと使いやすい形で皆さんに紹介しておく価値がある基礎資料であると感じて作成したのが、今回の表です。

これまでの記事では、本文への直接リンクによる紹介がなかったので、今回は、所望のコマを直接に表示するURLを例示します。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006319&VOL_NUM=00000&KOMA=4&ITYPE=0

上記のURLの中にある「40006319」という文字列が本の番号です。
「書誌情報」(画面右上にボタン)で確認できるように、“タイトル:郡区町村一覧”,“出版事項:内務省地理局、明治14.3”,“全国書誌番号:40006319”です。この番号を使えば、他の本も同じ要領で指定できます。

1冊ものは、「VOL_NUM=00000」。法令全書のように何冊にも亘るときは冊番号が入ります。「KOMA=4」は4コマ。
最後の「ITYPE=0」がJPEG表示で、「ITYPE=1」ならJPEG2000表示です。

ここでお詫びしておきますが、 [62795]で宣言したJPEG2000表示への変更は、いささか自己中心的なやり方でした。
JPEG2000表示への準備ができていない一般のパソコンでURL末尾が「ITYPE=1」になっているリンクを見ようとすると、注意書きが出て断られてしまうのですね。私は従来のJPEG表示が出るのかと思っていました。
注意書きの画面からJPEG表示に切り替えることもできますが、その場合は1コマ目の画面になってしまい、アドレスバーのコマ番号を参照して移動したりする手間が必要になります。

…ということなので、一般読者の立場を考えて、従来どおりのJPEG表示リンク方式に戻します。
プラグイン準備済みのPCならば、バーに表示されたアドレスの末尾「0」を「1」に修正入力すれば、今度はJPEG2000表示がされます。
[62817] 2007年 12月 12日(水)18:55:45hmt さん
「府県」が「地名」に使われるようになった事情を探る (5)「地方行政区画便覧」と「市街名邑…戸口表」
[62815]の表 右側3列は、「郡区町村一覧」の約6年後、明治19年1月のデータを記載した「地方行政区画便覧」のINDEXです。
この6年間に堺県が消滅し、福井・鳥取・富山・佐賀・宮崎の5県が分立し、沖縄県(第3表のみ)と北海道3県も集録対象になったので、3府44県になっています。現存する県は、奈良県と香川県を除いて出揃いました。

第1表 は、「府県庁及其所在地並所轄郡区役所戸長役場町村戸口の数及有税地の積」というタイトルであり、[62815]の表で明治13年のデータを表示した府県別の区・郡・町・村数の明治19年初の値は、この表にまとめられています。

「第2表」は第1表と同様のデータの郡役所ごとの集計、「第3表」は同じく戸長役場ごとの集計です。
「戸口の数」つまり「戸数と人口」とのデータもありますから、その方面の方にとっては、有用な資料なのでしょうね。

…と書いたら、既に同じ明治19年に調査された人口表:「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」に言及した記事[61293] がありました。

この資料は、「市街名邑…」に限定されていますが、本籍と現住とを比較して詳しいですね。
対象とされた町村は、3ランクに分けられています。(甲表=集計表、乙表=類別表のコマ番号を記す)
第一表は市街及び市街の体裁をなしたる名邑を記載す(甲表2、乙表5)
第二表は市街の体裁をなさざる名邑を記載す(甲表23、乙表25)
第三表はそれ以外で200戸以上の町村(甲表33、乙表34)

第1ランクの都市を示した第一乙表(市街戸口)の 愛媛県 で三本松を確認。

なお、近代デジタルライブラリーで「市街各邑…」となっているのは、「市街名邑…」の誤記です。
「名邑」という言葉は知りませんでしたが、「有名集落」というぐらいの意味でしょうか?
[65048] 2008年 5月 10日(土)02:17:08【1】むっくん さん
郡区町村編成法下での○○町、○○村
[65038]伊那谷さん
現在は川西市となっている川辺郡東谷村の項に於て、構成町村として「山下村」が記載されているにもかかわらず、役場所在地としては「元山下町」と記載されています。これを見て私は以下の三通りの可能性があると考えました。

1、郡区町村編成法施行時に山下村が発足し、市制町村制が施行されるまでの10年程の間に「町」となった(或いはその逆)
2、単純に地元では村とか町と呼ばれており、定まっていない
3、単なる誤植
まず当時の○○村や○○町というのは、あくまでも行政区画名であるということを、念頭に入れておかなければなりません。
そして行政区画名である以上、当該区域が村であるか町であるかは、遅くても明治5年からの区制(大区小区制)が施行されたときには、内務省によって定められているはずです。

そして、もしも合併があった場合や町から村になった場合などは、区制(大区小区制)が施行されている時代の場合では、内務省布達によって行政区画名は変更されます。また、その後の郡区町村編成法が施行されていた時代では、所属する府県の布達もしくは告示もしくは県令によって行政区画名は変更されます。(*注)
伊那谷さん御提示の場合では、兵庫県の布達もしくは告示で行政区画名は定められることになります。
このような状況下で、兵庫県の公的表記として「山下村」もしくは「山下町」と行政区画名の要とも言える「村」もしくは「町」の部分が揺らぐことはおそらくありえないことなのではないでしょうか。
以上より、私は伊那谷さんの仮説の中では2だけはありえないと推察します。


次に、当時の各文献の信憑性についてです。
私も藩政村から現在の市区町村までの変遷に興味があり、その変遷の情報源として当時の文献を参照しています。しかしながら各文献の記述には相違があることもあり、いずれかが誤りと判断しなければならないという状況がしばしばあります。とりあえずは、正否は臨機応変に見極めざるを得ないということでしょうか。
一点だけいえるとすれば、「郡区町村一覧」については、後年に出された「地方行政区画便覧」と比較して明らかに誤記載が多いのではないか、というのが私の実感です。

#ただし、“私の実感”とは言っても、江戸時代末期から現代までの町村名の変遷の経緯を追ってきた滋賀県・京都府・大阪府の3府県のみからの感想ですので、他の都道府県においては成立しないかもしれません。


最後にこれだけでは何ですので伊那谷さん御紹介の2冊に、私からも2冊付け加えて比較してみました。

町村名書籍名
M13山下村郡区町村一覧(著:内務省地理局、明14.3)
M19.1.山下町地方行政区画便覧(著:内務省地理局、明20)
M22.3.31山下村兵庫県報類纂第2冊明治22年(編:今井馬吉,山下三郎、出版:神戸活版所、明25.9)
M22.3.31山下村/(元)山下町兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、明22.5)

うーん、何が正しいのか、どういう変遷を経たのかはこれだけでは判断することができませんでした。完全にお手上げです。将来、兵庫県の変遷を調べるときに私もおそらくぶちあたる問題なので、何かしらの結論を出したかったのですが。。。


(*注)明治10年7月以降郡区町村編成法が施行されるまでの間に町村の廃置分合が行われたときの根拠も、おそらく所属する府県の布達ではないか、と私は推測しています。


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