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まるちゃんさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[44442]2005年8月23日
まるちゃん
[42825]2005年7月5日
まるちゃん
[41844]2005年6月2日
まるちゃん
[41461]2005年5月21日
まるちゃん
[40001]2005年4月18日
まるちゃん

[44442] 2005年 8月 23日(火)13:03:55まるちゃん さん
2つの小郡など
[44435] かぱぷう さん
『小郡=西鉄小郡』と思い込んでしまう、元・福岡都市圏生活拠点西鉄沿線系住民の悲しい性。
(中略)
私が現在居住の北九州では、いや、福岡都市圏でも普段は西鉄電車を使わない人は、逆に100%に近い人が『小郡=現・新山口』と答えるでしょう。

2つの小郡に関する誤解の話題は,以前にも
[20984] ゆうさん
博多駅から30キロ圏内には「小郡」という街がありますが、この小郡ゆきの列車は反対方向に進みます。誤乗はなかったのかちょっと気になるのでした。
なんかでも,出たことありましたね.
2003年10月1日に小郡駅が新山口駅に改称され2年近く経過し,さらに今年の10月1日には,自治体としての小郡町も山口市にも合併します.(東日本のスーパータウン・大河原に対抗できる,西日本のスーパータウンとしての地位も残り1月余り...)
ひかりなどの新幹線停車地として,知名度が町としては抜群だった,小郡という地名も,何十年後かには,福岡県のことをイメージする人が多くなるのでしょうかねえ..(最も小郡市自体も合併してしまえば,別ですが)

[44438] JOUTOU さん
昨日の「報道ステーション(21:54テレビ朝日系)」の中で、気がついたのですが、造反議員のマドンナとも言われる。野田聖子氏の地盤である「岐阜1区」に自民党がエコノミストの佐藤ゆかり氏を公認候補としたなどのニュースで、画面に右下に「長野県北東部」(おそらく「長野1区」と間違った?)赤く塗られた地図が出ていました。その後ウトウトしていたのではっきりとは憶えていませんが、番組内で訂正はなかったように思います。
私も見ていて間違っているなと思いましたが,落書き帳ご覧の皆さんは,やはり間違いにお気づきのようですね.
一応,10分後ぐらいに番組内で訂正をしていました.
[42825] 2005年 7月 5日(火)12:43:13まるちゃん さん
霜降山,男山
[42773] EMM さん
かつて宇部周辺に勢力を持っていた厚東氏の城のあった霜降山の頂の一つである男山にちなんで名付けられた…と書かれています。
霜降山ってのは霜降岳の事でしょうか。
霜降岳の近隣にも「男と女」コレ中に収められている「男山」という小字があるのですが、こちらもその小字とは別に男山という山があるようです。山の方は場所の特定はできていませんが………

そうですね.両者は同じ山のことを指しています.
ただ,地元では一般的には霜降山(しもふりやま)と呼ばれることがほとんどです.
中学校での遠足で使われたりと,ハイキングコースとして宇部市民に利用されています.
霜降山ハイキングマップからのダウンロードできる地図を見ますと,男山の記載がありますので,ご参考にして下さい.
[41844] 2005年 6月 2日(木)21:08:13まるちゃん さん
村+村+・・→市!って,意外にないものですね
[41830] EMM さん
村が合併して市になったのではありませんが、市町村合併を経ている市で市の前身も合併したのも全部村、というのはありました。
地名好きさんのHPのデータを見ると、岡谷市は本体が村から市になっており、さらにその後3つの村が合併して現在の市になっていました。

この半年前までは,宇部市も.岡谷市と同じケースにあたっていました.
1921(大正10)年11月1日に,宇部村が単独で市制を敷いたあと,続いて,藤山村,厚南村,西岐波村,東岐波村,厚東村,二俣瀬村,小野村の7村を合併してきた歴史がありますが,昨年の11月1日に楠町を編入合併したので,村だけの合併の歴史も惜しくも崩れてしまいましたね.
[41461] 2005年 5月 21日(土)15:02:02まるちゃん さん
山陽小野田市に代わる名は?
[41408] 愛比売命 さん
ここはひとつ,山陽小野田市の新市名を考えてみませんか?

[41432] にまんさん
山陽小野田市の改称問題ですが、みなさんの意見では厚狭市の評判が良いようですが、隣町出身者の感覚では、厚狭市はかなり違和感が有りますね。
(中略)
というのも、確かに山陽小野田市は全域が旧厚狭郡ですが、地元で「厚狭」といえば旧山陽町の厚狭地区(厚狭駅周辺)を指すイメージが非常に強く、旧山陽町の埴生地区でさえ、厚狭というイメージはではありません。ということは新市の名前として厚狭を使うというのは、人口で多数を占め山陽小野田市の中心である旧小野田市の賛同を得られないでしょう

落書き帳ご覧の皆様,お久しぶりです.
地元のネタですし.たまには私も書き込みをしないといけませんな.
近隣の宇部市出身の私も,にまんさんに近い意見を持っています.
確かに旧小野田市は,かつて厚狭郡の範囲ではありましたが,現在では「厚狭」はやはり厚狭地区をさす地名としか,多くの地域住民には認識されていない状況です.
ですから,人口の多数を占める旧小野田市の住民は,厚狭市では納得を得ることはできないですね.

それじゃぁ、どんな名前がいいか。。。と考えると、あまり適当な名前ってないですね
そうなんですよ.旧小野田市,旧山陽町を総称するような地域名称がないので,難渋してしまいます.
周防灘市は,旧長門国で名乗るのは少々違和感あるので,強いてあげれば,朝陽市,長陽市ぐらいですかなあ..
小野田には, きららビーチ焼野 という海岸あるので.「きらら市」がいいというような意見も,以前に聞いたこともありますが,ちょっと嫌だなあ..
[40001] 2005年 4月 18日(月)19:14:42まるちゃん さん
萩,来宇
[39973] ken さん
赤間関を考慮に入れても、明治19年の萩のBest50入りは、現在の萩市を考えると、やはり凄いですね。
明治19年で21,206人というと,正確な数字は出せませんが,当時の萩の区域である,阿武川の三角州内の人口で比較すると,おそらくその後も多くの増加はしていないでしょうね,
萩市は三方を山に囲まれ,道路・鉄道・港湾の整備も遅く,工場の進出もほとんどなかったため,明治時代以降は山陽側の都市と比べると発展が遅れたことが最大の原因です.
でも,そのおかげで,江戸時代の古地図でも散策できるといわれるような,古い城下町の町並みが残ったとされています.
また,遅れてできた山陰線も三角州内を避けてできたことも,町並みの残った理由に挙げられますね.

[39937] みやこ♂ さん
宇都宮へ来ることを「来宇」と書いて,「らいう」と読みます。
宇部へ来ることも「来宇」(らいう)と書くこともあります.
もっとも,他の都市の表現と同じく,ローカル新聞の表題で目にするぐらいしかありません.


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