え~と、順番的は自分宛のレスについて返信するのが先なんですが、それを放っておいて
(^_^;)、上川郡に端を発した『複数の支庁にある同名の郡』について書いておきます。
[19475]NSさん
もし私があのようなページを作るとするならば、北海道に関しては郡名の後に所属支庁名と
旧国名(同一支庁内に旧国名が異なる複数の同一郡名が存在する場合のみ)を表記しますね。
(例)
後志支庁虻田郡 → 虻田郡(後志)
胆振支庁虻田郡 → 虻田郡(胆振)
上川支庁石狩国上川郡 → 上川郡(上川・旧石狩国)
上川支庁天塩国上川郡 → 上川郡(上川・旧天塩国)
十勝支庁上川郡 → 上川郡(十勝)
実は虻田郡は上川郡と違って元々同じ郡だったんです(後志支庁の虻田郡も旧胆振国)。
その虻田郡の変遷を記しておきます。
1897年11月 北海道に支庁制度が発足、旧胆振国・旧後志国の支庁管轄は次の通り。
【旧胆振国】
千歳郡→石狩支庁、千歳郡以外→室蘭支庁(注:千歳郡は現在の千歳市・恵庭市)
【旧後志国】
瀬棚郡・太櫓郡・久遠郡・奥尻郡→旧渡島国の爾志郡・檜山郡と合わせて檜山支庁
(注:太櫓郡は後に瀬棚郡に併合)
小樽郡・高島郡・忍路郡・余市郡・古平郡・美国郡・積丹郡→小樽支庁
(注:小樽郡・高島郡・忍路郡は現在の小樽市、美国郡はその後積丹郡に併合)
古宇郡・岩内郡→岩内支庁
磯谷郡・歌棄郡・寿都郡・島牧郡→寿都支庁(注:歌棄郡は後に寿都郡に併合)
旧胆振国虻田郡は虻田・倶知安・(旧)真狩・弁辺・礼文の5村。なお、真狩村に
『旧』を付けた理由は後で説明します。
1899年10月 倶知安村が室蘭支庁から岩内支庁に移管。
1901年10月 狩太村が虻田村から分立。
1902年4月 弁辺村が礼文村を編入。
1910年3月 小樽・岩内・寿都の3支庁が統合して後志支庁発足。同時に(旧)真狩村・
狩太村が室蘭支庁から後志支庁に移管。
1910年4月 倶知安村から東倶知安村が分立。
1916年4月 倶知安村が町制施行、倶知安町となる。
1917年4月 (旧)真狩村から喜茂別村が分立。
1920年6月 虻田村から洞爺村が分立。
1922年4月 (旧)真狩村から真狩別村が分立。
1922年8月 室蘭支庁が胆振支庁に改称。
1925年2月 (旧)真狩村が留寿都村に改称。
1932年6月 弁辺村が豊浦村に改称。
1938年10月 虻田村が町制施行、虻田町となる。
1940年4月 東倶知安村が京極村に改称。
1941年12月 真狩別村が(現)真狩村に改称(上の『旧』の理由はこれです)。
1947年7月 豊浦村が町制施行、豊浦町となる。
1950年9月 狩太村が町制施行、ニセコ町となる。
1952年4月 喜茂別村が町制施行、喜茂別町となる。
1962年5月 京極村が町制施行、京極町となる。
…という訳で現在の虻田郡の支庁管轄は次のようになっていますが、上でも書いたように
元々は一つの『胆振国虻田郡』だったのです。
虻田町・豊浦町・洞爺村→胆振支庁
倶知安町・ニセコ町・喜茂別町・京極町・留寿都村・真狩村→後志支庁
そしてもうお分かりだと思いますが、後志支庁所在地である倶知安は旧胆振国な訳です。
なお、他にも同様のケースがあるので、詳細は割愛しますがさらっと挙げておきます。
旧胆振国勇払郡→1906年に占冠村が室蘭支庁から上川支庁に移管。
旧石狩国空知郡→1899年(月不明)に富良野村が空知支庁から上川支庁に移管。その後、
富良野村は分割・分立・合併を経て富良野市・上富良野町・中富良野町・南富良野町に。
旧天塩国天塩郡→1948年10月に豊富村が留萌支庁から宗谷支庁に移管(豊富村は1959年
1月に町制施行して豊富町に)。
以上のケースは、元々は一つの郡だったものが一部町村の支庁移管によって複数の支庁に
またがるようになったものです。
結論としては、『同名の全く別の郡』は上川郡の他には中川郡(旧十勝国と旧天塩国)が
あるだけという事になります。
なお、旧天塩国上川郡は1899年(月不明)に増毛支庁(1914年留萌支庁に移転改称)から
上川支庁に、旧天塩国中川郡も1948年10月に留萌支庁から上川支庁に移管されています。
最後に、かなり長文になった事をお詫びします。