都道府県市区町村
落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

北海道に同じ名前の郡がいくつもあるのは?

トップ > 落書き帳アーカイブズ > 北海道に同じ名前の郡がいくつもあるのは?
記事数=11件/更新日:2004年2月24日/編集者:オーナー グリグリ

北海道には、上川郡や中川郡などの郡が、複数の支庁に存在しますが、それはなぜなのでしょうか?

… スポンサーリンク …

★推奨します★(元祖いいね) グリグリ 般若堂そんぴん 紅葉橋律乃介

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[280]2001年6月12日
まがみ
[281]2001年6月12日
Issie
[282]2001年6月12日
Issie
[299]2001年6月23日
前田 宏治
[729]2002年1月26日
グリグリ
[732]2002年1月27日
Issie
[737]2002年1月27日
グリグリ
[738]2002年1月27日
Issie
[802]2002年2月4日
深海魚
[820]2002年2月6日
紅葉橋律乃介
[19488]2003年9月1日
またーり

[280] 2001年 6月 12日(火)15:06:49まがみ さん
北海道の郡
北海道ですが、一つの郡がいくつかの支庁にわかれているのは、どういう理由なのでしょうか?

具体的には
虻田郡は 後志、胆振
空知郡は 空知、上川
勇払郡は 上川、胆振
上川郡は 上川、十勝
中川郡は 上川、十勝

上川支庁は南北に細長い(200キロ以上)ことと関係あるんでしょうか?
[281] 2001年 6月 12日(火)20:16:31Issie さん
RE:北海道の郡
北海道の「郡」は,松前藩支配時代の区画に起源をもつものです。
地図をご覧になればおわかりになるかと思いますが,ほとんどの郡が“川の水系”で区画されています(例外もありますが)。
たとえば石狩川支流の空知川水系は「空知郡」。だから,空知川上流の富良野盆地は「空知郡」。同じく,勇払川と鵡川の流域が「勇払郡」。だから,鵡川最上流の占冠村は「勇払郡」というように。
明治に入って内陸部の開拓が進むまでは,和人が出入りしたのは基本的に海岸部に限られ,内陸部に入る場合は河口から川をさかのぼっていった,という事情があるように考えています。
最初に述べたとおり,1869年に「北海道」という呼称を定め,11の「国」とたくさんの「郡」に区分したとき,以前からの区画がほぼそのまま踏襲されたのでしょう。

しかし,内陸部の開拓が進展して交通網が整備されれば,従来の「河口からさかのぼる」区画は不合理になります。
たとえば,富良野盆地は空知川の峡谷を介してつながっている石狩平野よりも石狩川上流の上川盆地(石狩国上川郡)に地形的に連続しているし,実際に鉄道の根室本線は当初,滝川からの空知川ルートではなく旭川から美瑛を経て富良野に向かうルートで開通しました。こういうつながりから,空知郡の富良野盆地は石狩平野の「空知支庁」から切り離されて,上川盆地を中心に,天塩川上流の天塩国上川郡・中川郡と,鵡川最上流の占冠地域をまとめた「上川支庁」の所管となったのだと考えています。
虻田郡の南部・噴火湾側が「後志支庁」ではなく「胆振支庁」に,天塩郡の最北部が「留萌支庁」ではなく「宗谷支庁」の所管なのも,同様の地域的つながりによるものでしょう。

ところで,「上川支庁」の「上川郡」はやや複雑で,塩狩峠を境に石狩川水系の「石狩国上川郡」と天塩川水系の「天塩国上川郡」とに分けられ,この2つは“別々の郡”として扱われます。
「上川郡」は「十勝支庁」にもありますが,これは「十勝国上川郡」。この3つは石狩国の上川郡を中心に山地を介して隣接していますが,お互いに関係があるのかどうかはわかりません。
中川郡も十勝支庁(十勝国)と上川支庁(天塩国)にありますが,もちろんこの2つも全く別の郡として扱われます。
「上川郡」も「中川郡」も,それ自体はアイヌ語起源ではなく完全な日本語で,しかも“没個性的”かつ“記号的”な単語ですから単に「川の上流または中流」程度の意味でつけられたものが,たまたま重複しただけなのかもしれません。
[282] 2001年 6月 12日(火)21:02:57Issie さん
続・北海道の郡
上川支庁のHPを見てきました。
http://www.kamikawa.pref.hokkaido.jp/

ここに「上川」はアイヌ語からの意訳,という説明がありました。
十勝国の「上川」はどうでしょうね。

ただ,アイヌ語地名はあまりに具体的な分,同じような地名が多くもありますね。
[299] 2001年 6月 23日(土)23:31:49前田 宏治 さん
RE2:北海道の郡
[281]ISSIEさん

>しかし,内陸部の開拓が進展して交通網が整備されれば,従来の「河口からさかのぼる」
>区画は不合理になります。

 なぜ北海道の「国」と「支庁」の境界線が(設置時期にそう開きはないのに)
かなり変更されているのか疑問だったのですが、そういう理由だったのですね。
 (国と支庁が一致するのは根室・日高の2つだけ。十勝と釧路は二つ合わせ
れば同じ領域)
 いわゆる「内地」でも「同じ国だったのがある郡だけ別の府県」というケースは
ありますが、ここまで極端ではありません。

 実際、北海道内のマスコミでは「○○(支庁)管内××町」という言い方をして
おり、「郡」という呼び方は出てきませんね。それだけ馴染みがないのでしょう。

 ところで、渡島半島の噴火湾沿い北部の部分(長万部・八雲等)は「胆振の国」
なのでしょうか?それとも「後志の国」なのでしょうか?
[729] 2002年 1月 26日(土)21:18:02オーナー グリグリ
Re:郡
Issieさん、「郡」の説明ありがとうございます。いつも勉強になります。

ついでに、疑問に答えていただけると嬉しいのですが、

(1) 長崎県には「対馬支庁」がありますが北海道や東京都島嶼部の支庁と同じ性格なんでしょうか?

(2) 北海道の上川支庁の中では上川郡が二つに分離していますが、これはどういう由来なんでしょうか?

この件、以前話題になっていましたっけ? すみません記憶が定かでないんで。
[732] 2002年 1月 27日(日)09:33:23Issie さん
少しく訂正
下の「支庁」のところ,「告示」が公布された大正15年はもちろん1926年ですね。訂正します。

ところで,北海道の「上川郡」のような例は“内地”にもありました。
越前国(福井県)の北東部に「大野郡」があります。九頭竜川と足羽川上流の山間部ですね。
実はこの郡と国境(県境)をはさんだ美濃国(岐阜県)側にも「大野郡」がありました。こちらは揖斐川上流の山間部となります。
この2つの郡はもちろんお互いに別々の国の別々の郡ですが,お互いに似たような地形でお互いに隣接しているという点で,偶然「オホノ」というコホリ名が一致したのか,それとも意識的なものなのか,興味深いものがあります。
ついでに,すぐ近くの飛騨国(岐阜県)にも「大野郡」がありますね。

言い忘れました。美濃国の大野郡は1890年ごろの「郡制」施行に際して,隣接する池田郡などと合併して,現在では「揖斐郡」になっています。
[737] 2002年 1月 27日(日)18:18:13オーナー グリグリ
Re:上川郡
>Issieさん

二度目の説明すみませんでした。最初からIssieさんのページをみればよかったですね。
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/code/hokkai.htm
市町村コード一覧表:北海道
をみるべきでした。

で、一応確認します。

上川郡(石狩国)
上川郡(天塩国)
上川郡(十勝国)

は同名の郡ですが別の郡と考えるべきなんですね。同じく、

中川郡(天塩国)
中川郡(十勝国)

も同様の例だと。
でも住所としては区別できないんことになりますね(支庁名を書けば別ですが)。

上川郡の場合は、三つに分かれていますがエリア的にはつながっていますね。
したがって、国や支庁で分断されてはいますが元々は同じ地域名であったと考えられるんでしょうか。

一方中川郡は地域的には分離していますからこちらはたまたま同名の郡ということでいいのかな。


ところで、上川支庁と胆振支庁にある勇払郡は支庁区分で分離しただけで本来は同じ郡なのでしょうか。このような例は他にも虻田郡や天塩郡などいくつかありますが。

国で分離した郡、支庁で分離した郡など経緯を分類できそうですね。
[738] 2002年 1月 27日(日)18:55:07Issie さん
続:上川郡
あっ,そういえば石狩国上川郡と十勝国上川郡も隣り合っていますね。
でも深山幽谷・人跡未踏の大雪山系でのことですから,地域としての連続性はないのではないでしょうか。
北海道に郡が設置されたのは1869(明治2)年のことですから,内陸部の測量なんてされていないだろうし,まさか隣接してるなどとは下手したら気づかなかったのでは,とも思います。
石狩国上川郡と天塩国上川郡の間,つまり塩狩峠にはすでに交通路が開かれていたようなのでお互いに隣接していることに気づいてはいたであろうと思いますが,「上川」という単一の地域名があったのではなく,3ヵ国の「上川郡」はそれぞれ別個の存在なのだろうと,私は考えています。

逆に,胆振国虻田郡,同勇払郡,石狩国空知郡,天塩国天塩郡の4郡が現在2つの支庁に分断されていますが,これは元々単一の郡であったものが支庁を設置する際に分割されたものです。
たとえば,現在占冠村となっている地域は勇払川の最上流部にあたります。郡分けが行われた段階(さらにさかのぼれば松前藩支配下で商人たちにアイヌとの交易のための縄張りを割り当てたとき)では海岸の河口から川をさかのぼっていくしか方法がなかったので,勇払川の河口から水源まで流域全体が「勇払郡」とされ胆振国に組み込まれました。しかし,支庁が設置された明治半ばには内陸部の交通路がある程度十分に整備され,占冠地域へは旭川から富良野を経て帯広へ抜ける交通路との結びつきが強くなります。そうなると,室蘭の胆振支庁よりは旭川の上川支庁の管轄に入った方が妥当ということになったのでしょう。
空知川流域の空知郡のうち上流部の富良野盆地が空知支庁でなく上川支庁の管轄なのも同じ理由でしょう。

つまり,“北海道庁制”が実施され道内を支庁に区分する頃には内陸部開拓の進展によって国郡制が実施された明治初めとは地域間の結びつきがかなり大きく変わってしまったので,支庁の管轄区域を区分するのに国郡の区画には必ずもこだわらなかった,あるいは国郡の区分が早くも実態を失った,ということなのでしょう。
[802] 2002年 2月 4日(月)19:11:52深海魚[RVW] さん
>>801
北海道では、確か同じ郡でも異なる支庁に跨る様な例が
在りましたよね? となると、特に道内に於ける「郡」の
歴史的な意義とは何だったのでしょう?

他県で明確に「地方」と云う表現を用いる例は判りませんが、
例えば山形に於ける庄内地区の様に、県都を擁する意味での
県央から見て、地形的障壁が介在する等の理由から明らかに
一線を画する地域に対して用いられる場合が在るのだろうと
推測します。
[820] 2002年 2月 6日(水)16:34:45紅葉橋律乃介[もみじばし銀之助] さん
北海道の郡
気象予報区を見せていただきました。「地方」は北海道や東京以外はほとんど無いんですね。
それで気づいたんですが、我が「空知」だけは「北・中・南」に分かれております。実際の生活でもそんなものです。
夏の高校野球で言えば、「南空知」は「南北海道」、「北・中」は「北空知」として「北北海道」地区で予選が行われます。たまに空知から2校出ることもありますね。
ちなみに、「桧山奥尻島」というのは聞いたことがありません。本当に予報されているんですか(笑)?
さて「郡」についてですが、日常生活ではほとんど(というか全く)出てきません。今市町村の一覧を付くろうと思い立ち、まず郡の入った地図を探しましたが、ありませんね(地元なんですがねえ)。
どちらかと言えば「支庁」なんですが、住所には使わないでしょう。また、「支庁」の管轄区域は「郡」単位なんですね。支庁で分断されている場合は「○○町(村)を除く」とか書かれている。
だから全く「郡」が無いわけではありませんが、市町村を聞いても郡名が頭に浮かぶことは少ないですね。

以前も指摘されてました「国」が違って同じ名前の「郡」ですが、わたしも最近になって知りました。手許の「郵便番号簿」では全部一緒になってたもので(平成10年版)。
[19488] 2003年 9月 1日(月)01:35:01またーり さん
北海道の『複数の支庁にある同名の郡』について
え~と、順番的は自分宛のレスについて返信するのが先なんですが、それを放っておいて
(^_^;)、上川郡に端を発した『複数の支庁にある同名の郡』について書いておきます。

[19475]NSさん
もし私があのようなページを作るとするならば、北海道に関しては郡名の後に所属支庁名と
旧国名(同一支庁内に旧国名が異なる複数の同一郡名が存在する場合のみ)を表記しますね。
(例)
後志支庁虻田郡 →   虻田郡(後志)
胆振支庁虻田郡 →   虻田郡(胆振)
上川支庁石狩国上川郡 →   上川郡(上川・旧石狩国)
上川支庁天塩国上川郡 →   上川郡(上川・旧天塩国)
十勝支庁上川郡 →   上川郡(十勝)
実は虻田郡は上川郡と違って元々同じ郡だったんです(後志支庁の虻田郡も旧胆振国)。
その虻田郡の変遷を記しておきます。

1897年11月 北海道に支庁制度が発足、旧胆振国・旧後志国の支庁管轄は次の通り。
  【旧胆振国】
  千歳郡→石狩支庁、千歳郡以外→室蘭支庁(注:千歳郡は現在の千歳市・恵庭市)
  【旧後志国】
  瀬棚郡・太櫓郡・久遠郡・奥尻郡→旧渡島国の爾志郡・檜山郡と合わせて檜山支庁
  (注:太櫓郡は後に瀬棚郡に併合)
  小樽郡・高島郡・忍路郡・余市郡・古平郡・美国郡・積丹郡→小樽支庁
  (注:小樽郡・高島郡・忍路郡は現在の小樽市、美国郡はその後積丹郡に併合)
  古宇郡・岩内郡→岩内支庁
  磯谷郡・歌棄郡・寿都郡・島牧郡→寿都支庁(注:歌棄郡は後に寿都郡に併合)

  旧胆振国虻田郡は虻田・倶知安・(旧)真狩・弁辺・礼文の5村。なお、真狩村に
  『旧』を付けた理由は後で説明します。
1899年10月 倶知安村が室蘭支庁から岩内支庁に移管。
1901年10月 狩太村が虻田村から分立。
1902年4月 弁辺村が礼文村を編入。
1910年3月 小樽・岩内・寿都の3支庁が統合して後志支庁発足。同時に(旧)真狩村・
      狩太村が室蘭支庁から後志支庁に移管。
1910年4月 倶知安村から東倶知安村が分立。
1916年4月 倶知安村が町制施行、倶知安町となる。
1917年4月 (旧)真狩村から喜茂別村が分立。
1920年6月 虻田村から洞爺村が分立。
1922年4月 (旧)真狩村から真狩別村が分立。
1922年8月 室蘭支庁が胆振支庁に改称。
1925年2月 (旧)真狩村が留寿都村に改称。
1932年6月 弁辺村が豊浦村に改称。
1938年10月 虻田村が町制施行、虻田町となる。
1940年4月 東倶知安村が京極村に改称。
1941年12月 真狩別村が(現)真狩村に改称(上の『旧』の理由はこれです)。
1947年7月 豊浦村が町制施行、豊浦町となる。
1950年9月 狩太村が町制施行、ニセコ町となる。
1952年4月 喜茂別村が町制施行、喜茂別町となる。
1962年5月 京極村が町制施行、京極町となる。

…という訳で現在の虻田郡の支庁管轄は次のようになっていますが、上でも書いたように
元々は一つの『胆振国虻田郡』だったのです。
虻田町・豊浦町・洞爺村→胆振支庁
倶知安町・ニセコ町・喜茂別町・京極町・留寿都村・真狩村→後志支庁
そしてもうお分かりだと思いますが、後志支庁所在地である倶知安は旧胆振国な訳です。

なお、他にも同様のケースがあるので、詳細は割愛しますがさらっと挙げておきます。
旧胆振国勇払郡→1906年に占冠村が室蘭支庁から上川支庁に移管。
旧石狩国空知郡→1899年(月不明)に富良野村が空知支庁から上川支庁に移管。その後、
富良野村は分割・分立・合併を経て富良野市・上富良野町・中富良野町・南富良野町に。
旧天塩国天塩郡→1948年10月に豊富村が留萌支庁から宗谷支庁に移管(豊富村は1959年
1月に町制施行して豊富町に)。
以上のケースは、元々は一つの郡だったものが一部町村の支庁移管によって複数の支庁に
またがるようになったものです。
結論としては、『同名の全く別の郡』は上川郡の他には中川郡(旧十勝国と旧天塩国)が
あるだけという事になります。
なお、旧天塩国上川郡は1899年(月不明)に増毛支庁(1914年留萌支庁に移転改称)から
上川支庁に、旧天塩国中川郡も1948年10月に留萌支庁から上川支庁に移管されています。

最後に、かなり長文になった事をお詫びします。

この特集記事はあなたのお気に召しましたか。よろしければ推奨してください。→ ★推奨します★(元祖いいね)
推奨するためには、メンバー登録が必要です。→ メンバー登録のご案内

… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

パソコン表示スマホ表示