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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

アイヌ語地名を味わう

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記事数=29件/更新日:2006年2月11日/編集者:YSK

北海道には、アイヌの言葉を起源とする地名がたくさんあります。そういった地名についてのメッセージを集めました。

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★推奨します★(元祖いいね) YSK 太白 BANDALGOM でるでる BEAN 右左府

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[282]2001年6月12日
Issie
[997]2002年2月28日
紅葉橋律乃介
[2029]2002年6月29日
たけもと
[3154]2002年9月17日
YSK
[15209]2003年5月14日
YSK
[17474]2003年6月28日
NS
[18124]2003年7月11日
三丁目
[18381]2003年7月18日
スナフキん
[21557]2003年10月30日
でるでる
[21573]2003年10月30日
紅葉橋律乃介
[21574]2003年10月31日
ペーロケ
[21575]2003年10月31日
紅葉橋律乃介
[21577]2003年10月31日
でるでる
[21579]2003年10月31日
YSK
[21582]2003年10月31日
BANDALGOM
[21625]2003年11月2日
ペーロケ
[21626]2003年11月2日
ペーロケ
[21646]2003年11月2日
YSK
[21648]2003年11月2日
YSK
[21651]2003年11月2日
Issie
[21657]2003年11月2日
Issie
[21658]2003年11月2日
YSK
[21679]2003年11月3日
Issie
[21908]2003年11月10日
ニジェガロージェッツ
[22681]2003年12月10日
Issie
[27759]2004年4月28日
Issie
[29766]2004年6月27日
でるでる
[29767]2004年6月27日
でるでる
[49102]2006年2月11日
でるでる

[282] 2001年 6月 12日(火)21:02:57Issie さん
続・北海道の郡
上川支庁のHPを見てきました。
http://www.kamikawa.pref.hokkaido.jp/

ここに「上川」はアイヌ語からの意訳,という説明がありました。
十勝国の「上川」はどうでしょうね。

ただ,アイヌ語地名はあまりに具体的な分,同じような地名が多くもありますね。
[997] 2002年 2月 28日(木)16:56:52紅葉橋律乃介[もみじばし銀之助] さん
北海道の地名
「別」に似たものとして、「内」も多いですね。どちらもアイヌ語で「川」を意味します。「ナイ」なのにいっぱいあるんですね。和人はうそ付きだ(笑?)。

また、「幌」は「大きい」と言う意味ですから、その反対に「奔」(ホン・ポン)すなわち「小さい」という地名もあります。

ただし、アイヌ語をそのまま訳したのか、それとも実際の地形がそうなったいたのか、によって意味が変わる場合もあります。
「上流」や「下流」がそうです。アイヌ民族は、川は「神の通り道」として、「海から入って山を抜けて天へ登る」と解釈します。ですから、我々の感覚で「山から海へ向かって下る」と考えるととんでもないことに…。
[2029] 2002年 6月 29日(土)22:36:28たけもと さん
ニセコ
>ニセコ町はなにの由来があるのですか?

ニセコ町にある北海道を代表する山、ニセコアンヌプリからです。
ニセコアンヌプリとは、アイヌ語で「断崖にある山」という意味です。
[3154] 2002年 9月 17日(火)22:19:32YSK さん
正解です。
[3143]
(1)地嵐別→ちゃらしべつ
(2)浦雲泊→ぽんどまり
(3)初無敵→そむてき
(4)入境学→にこまない
(5)分遣瀬→わかちゃらせ
(6)老者舞→おしゃまっぷ
(7)知方学→ちっぽまない

だそうです。
出典 山田秀三(1986)『アイヌ語地名を歩く』北海道新聞社
です。訂正してお詫びいたします。


[3153]
山田秀三さんの『北海道の地名』は名著だと思います。
一度、大学の図書館で読み、アイヌ語の地名のセンスや、現在の地名の由来などを楽しみながら読んだものです。
[15209] 2003年 5月 14日(水)15:11:18YSK さん
十勝
[15186]三丁目さん
十勝国:国名は、アイヌ語のトカチプにちなみ、十勝川の河口が2つ並んでいる形を呼んだとの伝承による。
注2:「トカチプ」を「萱野茂のアイヌ語辞典」で調べましたが、出ていなかったので、意味は不明です。
「十勝」の意味についてネットで検索したところ、次のホームページ

http://www.ob.hkd.mlit.go.jp/hp/tisui/River/chimeikai.html

に、以下のような記述がありました。

十勝の旧名はトカプチ(Tokapchi)。十勝川の名としても、また十勝の地方名としても使われた。この種の大河の名を呼ぶときのくせで特にペッ(Pet、川)をつけて呼ばなかったようである。

<十勝川>
〔松浦氏「十勝日誌」〕
トカチ本名トカプなり。この川口二つに分かれ、乳房の並び、無尽の乳汁を出すによって名づけし也。トカプ、乳のこと也。是れ東部第一の川にして、此国の母川とし、石狩を父川とす。
〔永田地名解〕
本名をシアンルルという。遠き彼方の海浜と云う義。トカチはトカプチ、(Tukapchi)にて幽霊の義。昔時十勝アイヌの強暴を悪くみし詞なりと云う。

松浦氏とは、既出の松浦武四郎、永田とは、「永田地名解(正式名称:北海道蝦夷語地名解」で知られる永田方正のことと思われます。
いずれにしても、十勝川そのもの(また、広く解釈して十勝川流域の地域)に対する固有名詞的な地名なのかと思われますね。

それはそうと、「帯広」の語源は調査されましたか?
[17474] 2003年 6月 28日(土)15:31:57NS さん
中川町と下川町
[17470]雑魚さん
天塩川水系で見た場合、中川町は下川町より北側ながら下流域となりますね。
 両町の由来は以下のようになっています。

下川町:
 アイヌ語の「パンケ・ヌカナン(下・川)」より名付けられました。すなわち、パンケ川が南流して名寄川に合流する辺りの地名を指したものですね(その名寄川は下川町内を西流し名寄市内で天塩川に合流します)。
中川町:
 当時既に定着していた「中川郡」から採られました。ちなみに、「中川郡」の由来は、その名の通り管轄地域が天塩川の中流に位置することによります(旧智恵文村(現在の名寄市智恵文地区)~中川町にまたがる範囲です)。

 すなわち、地名の由来となっている川が全く違う訳ですね。
[18124] 2003年 7月 11日(金)07:01:18三丁目 さん
おもしろいよね?おもしろない、よ
面白内:雨竜町の行政字。地名はアイヌ語のオモシリオナイ(川尻に島がある川の意)に由来する。以上、角川日本地名大辞典からの、引用です。

北海道大百科事典を見ていたときに、目にとまった地名だったのですが、コピーを取っていなかったので、ネット検索したら、下記URLを見つけました。「全国の地名に関して特に読みが難しい、変わっている、面白いというものを集め」だそうです。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kenhome/chimei.html。ご参考までに。
[18381] 2003年 7月 18日(金)09:29:00スナフキん さん
異国の風吹く稚内と、美しきアイヌ語地名と…
先だって北海道に渡った際、初めて「稚内」という地を巡りました。以前に宗谷岬遠征で訪れたことはあったのですが、それこそ乗り物の乗り継ぎの都合で立ち寄っただけの経験で、じっくり眺めるのは今回初めてです。しみじみと、風の強いところだなと感じますね。自転車で野寒布岬まで走ってもそう思いますし、町の周囲にどれほどの風力発電プロペラが立っていたことか…。以前は1本もなかったはずで(当時はまだ「急行利尻」の時代でした)、ここ数年来の環境エネルギーに対する評価の高まりを裏付けているかのようです。また、国内で2ヶ所しかないロシアへの定期航路が発着する国際埠頭にも足を向けてみました。程度の差こそあれ、背後がすぐ丘という立地の我が生まれ故郷「男鹿」によく似た港風景に、親近感が涌いてきます。一応「国際」と名の付く国境エリアであるはずですが、独特の緊張感は全く感じられません。ゲートも無防備そのもので、常時オープン状態。「立入禁止」看板のバイリンガル第一列がロシア語であること以外、それと感じさせるものはあまり見当たりません。私が徘徊している最中、コルサコフへ渡る普通トラックがゲートにやってきました。私の見ている目の前でドライバーはおもむろに日本のナンバープレートを外し、港湾管理担当者に運転を代わらされてゲート内へと入っていきました。こんなシーンが間近に見られるポイントって意外に少なそうで、ひょっとしたら結構貴重な経験だったかもしれません。町では当たり前のようにロシア人が闊歩し、商店街のアーケードにはすべての商店名称にロシア語が併記…。以前留萌のロシア語併記標識を見て感動した以上のインターナショナルぶりに、しばしここが「最果ての街」であることを忘れてしまうほど感銘を受けたスナフキんでした。

稚内から内陸に向け南下する宗谷本線沿いには、実にきれいなアイヌ語起源とおぼしき地名が連なっていますね。稚内からしてそうなのですが、抜海・幌延・雄信内・問寒別・音威子府・咲来・紋穂内・美深・智恵文…。どれもこれも、JR時刻表7月号表紙に掲載の特急列車でサーッと通り過ぎてしまっては気が付かない地名ばかりです。文字を持たないアイヌ語の読みを、力ずくで日本語に置き換えようとした段階ですでにアイヌ語のもつ独特の音は失われているのかもしれませんがそれにしても、言葉の響きは何となく心に浸み入るものがあります。自然環境をそのまま地名として呼んでいたアイヌの、独特の文化がそうさせているのでしょうか。過去の書き込みにも何例か、北海道の美しい地名について言及されている記事がありましたね。日本語への置き換えも、漢字の使い方にピンキリがあるとは言えこの地域の地名を見ていると、ハイセンスさが感じられます。「サク・ルー」(直訳・夏の道、交易や狩猟の折、峠越えをする際に用いられた無雪期、つまり夏の間通る道の意)に「咲来」を充てるのは、根本的に意味はかけ離れていますがイメージとしては美的ですよね。全道的に見ると、中にはトンチンカンな充て方をしている漢字も当然あるわけですが…。

旭川に向かっていてふと感じた疑問。「和寒」って、アクセントはどこにあるのでしょうね? もともと地名には、語尾に付属名詞がつく場合にアクセントが変わるものと変わらないものがあると思うのですが、「和寒」は私、変わるものだと思っていました。「わ」っさむと、わっ「さ」むちょう、という具合に。この、アクセントの移動が起きる地名と起きない地名、突っ込んで調べるとかなり奥が深そうです(それこそ、国文学科の論文が書けそう)。単なる「慣用」から起こる現象なんでしょうかねぇ…。イントネーションが違っていたって、地名を読めていれば間違いではないのでしょうが、「漢字をどう読むか」とか「どういう漢字を使っているか」とはまた違った面白みがありそうです。

件の書き込み以降、記事増加ペースがガタンと落ちましたね。これを落ち着いたと見るか、活気が失われたと見るかは人それぞれでしょう。ただ、私は書き込みしようと思うごとに腫れ物に触るような心境にしばしば陥るようになったのは事実です。今回の書き込みも相当神経を使いました。
[21557] 2003年 10月 30日(木)02:56:18【1】でるでる さん
崎無異
[21556]白桃 さん
標津町崎無異
タイトルの地名なんと読むのでしょうか

崎無異は<さきむい>と読むようですよ。

私の手もとにある『北海道の地名』(北海道新聞社刊、山田秀三著)によりますと、正確な語義はハッキリとはしないようですが、(サキベ・モイ。鱒・川)または(シャク・モイ。夏・湾)という説があって、ともに「湾内で夏になると鱒漁が行われることに因む(永田方正氏の説)」との意ではないか、とありました。

崎無異の地名も読みも、今回初めて知りましたけど、最初私は、海の側に位置する場所柄てっきり<さきない>と読むのではないかと思ってしまいました。

[21550]両毛人 さん
サクラソウ編、ナノハナ編、ももの花編、オリーブ編については、懐かしい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
サクラソウ、もちろん憶えてますよ!懐かしいですねぇ。
サクラソウって、埼玉県だけでなく、大阪府の花でもあったのですね。

#両毛人さんへのレスを追加。
[21573] 2003年 10月 30日(木)23:58:06紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
小さな奔流
[21563] 2003年10月30日(木)06:27:03 三丁目さん
「ポン」て…アイヌ語で「小さな」という意味ではありませんでしたっけ。

 既に答えが出ていますが、「ポン(ホの半濁音→この大きさでは分かりにくいですね)」とはアイヌ後で「小さい」、「モシリ(シリ)」は「島」ですよね。
 「奔○○」という地名は、「ポン・○(ほかの言葉が来る)」が語源の場合が多いですね。
 反対に「ポロ(漢字だと幌が一般的)」だと「大きい」ですから、「ポロ・ポン」で「大きい・小さい」というように覚えておけば、何となくでも語源がわかるかなあ、と。
 「モシリ」「シリ」は「尻」という漢字が一般的です(あまりイメージは良くない?)。日本語にすると「奥尻島」や「利尻島」と言うように、アイヌ語で「○○島」という言葉に日本語の「島」をくっつけていますから、日本語過剰のように感じられます。
[21574] 2003年 10月 31日(金)00:57:43【2】ペーロケ[愛比売命] さん
ペンケとパンケ、根室と稚内
 私がアイヌ地名で気になるのが、「ペンケ」と「パンケ」ですね。サロベツ原野と阿寒湖の近くには「ペンケトー」と「パンケトー」が仲良く並んでいますし、各地に「ペンケ○○川」と「パンケ○○川」が隣接している個所が余りに多くて、この「ペンケ」と「パンケ」の組み合わせに只ならぬ親密な関係を感じずにはいられません。「右」と「左」なのか、「上」と「下」なのか、それとも、「ペンケ」と「パンケ」という恋人がいたとかの伝説があったりして。。。他にも「大楽毛」「馬主来」「恋問」等の由来が気になる地名やら(何て読むか分かりますか?)、道東には「くしろ」「おびひろ」「ねむろ」「あしょろ」「ところ」「しほろ」など、「ろ」で終わる市町村名が特に道東に多いのも気になります。

 それと、北海道の根室市と稚内市にも、只ならぬ関係を感じてしまいます。道東と道北は二つの半島が突き出しており、小さい方の半島の先端部は、それぞれ「のさっぷ」と「のしゃっぷ」と読みが似ていますね。その小さい方の半島の湾に面する側に市街地を形成している両市ですが、海峡を挟んで沖に見える島は、戦前は日本が支配していたため、その玄関口として発展してきた歴史も似ています。共に酪農、水産業が盛んな両市、根室・宗谷各支庁管内の端に位置しながら支庁管内の中で唯一の市であるためか、北海道の支庁が設置されています。北海道の端に位置して風が強いためか、森というものが海岸部ではほとんど見られず、裸地や草原が広がる中で発電用風車が回転する様はどことなく哀愁を感じてしまいます。この両市の関係に青森県と鹿児島県、石川県と愛媛県並みの共通項を感じるのは私だけでしょうか。。。
 しかし、国土の端に市を作るとは、佐田岬の先端、三崎町に市を作るようなイメージでしたが、両市を訪れた時、一見すると土佐清水市や室戸市よりも立派な都市だったのに驚きましたね。戦前は軍事都市として開発された結果、都市ができたのかもしれません。
[21575] 2003年 10月 31日(金)02:40:04紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
一枚上手?
[21574] 2003年10月31日(金) 00:57:43 愛比売命さん
「ペンケ」と「パンケ」ですね。
「右」と「左」なのか、「上」と「下」なのか

 その昔、山の頂上に「ペンケイ」という神が住んでおり、ふもとに住んでいる「パンケナイ」という娘に恋をしたという話はありません(残念ながら)。

 以前書いたような、そうでないような気もしますので、また書いてみます。
 同じような川が流れている場合、アイヌ民族は“上流”を「ペンケ」と呼び、“下流”を「パンケ」と呼んでいました。日本語の「上(かみ)」や「下(しも)」と同じような感覚ですね。

 ちなみに、アイヌ民族は「川は神の通り道」と考え、「神は海から川を通り、山を抜けて行く」と考えます。山頂に近い方が「パンケ」(下流)になってしまうんです。
 和人は、「川は(物を)流す道」としか考えていないようですが……。
[21577] 2003年 10月 31日(金)05:06:50でるでる さん
大楽毛と浜中は同じ
[21574]愛比売命 さん
uttさんから愛比売命さんにHMを変えてから、実は初めてのレスだったりします。という訳で、挨拶が激遅になってしまいましたけど(汗)、今後とも宜しくお願いいたしますね。

他にも「大楽毛」「馬主来」「恋問」等の由来が気になる地名やら(何て読むか分かりますか?)
はい、こんな難読地名の調査にこそ、[21558]で ありがたき さんがご紹介して下さった検索機能をお薦めいたします。(^^)

前回[21557]に引続き『北海道の地名』によりますと、大楽毛は<おたのしけ>と読み(オタ・ノシケ。砂浜の・中央)の意味なのだそうで、この辺り一帯の海岸線が砂丘地であることに由来するようです([12717]三丁目さん参照)。道内の各地ではそのまま「浜中」や「中浜」なったケースも多くあるようで、釧路市と根室市の間にある浜中町も、もとは(オタ・ノシケ)が語源とか。大楽毛地区を流れる大楽毛川は<オタノシケップ川>とも読むそうで(オタ・ノシケ・オ・プ。砂浜の・中央・にある・川)の意味ではないかとのことだそうです。

馬主来は<ぱしくる>と読み(パシ・クロ。カラス)の意味で「沖合いに漁に出て深い霧の為に方角を失ったときに、沼(馬主来沼のこと)の辺り聞こえるカラスの鳴き声を頼りに上陸したことに因んだ」という説があるそうです。
#他説もあり

白糠町恋問は<こいとい>と読みます。海岸の国道38号線沿いには道の駅「しらぬか恋問」や「恋問海岸」などがありますね。ちなみに字名は「コイトイ」と片仮名表記のようです。(コイ・トゥイェ。波が・破れる(崩す))の意味で、「川尻が砂浜を海と平行して流れている処や、海と湖(沼)の間を砂浜が横たわっている処」をさすようで、「波越」と書かれるケースもあるようです。コイトイは道内各地の海岸にある地名で、他にもコエトイなどと読むケースもあり、声問(稚内市)も同じ語源です。また室蘭線の糸井駅(苫小牧市)は、昭和31年に駅を開設する際に、もともと小糸魚(こいとい)という地名だったものを、他地の人にもわかり易いようにと駅名を「糸井」としたそうです。で現在は糸井と小糸井が地名として残ったようです。糸井駅と錦岡駅の間には小糸魚川が流れておりますね。

それぞれ「のさっぷ」と「のしゃっぷ」と読みが似ていますね
稚内市の「野寒布岬(ノシャップ)」と、根室市の「納沙布岬(ノサップ)」はともに(ノッ・サム(又はシャム)。岬の(顎の)・側)または、(ノッ・エトゥ。岬の・鼻(岬))という意味のようです。(ノッ・サム)の場合は、岬の側にあったコタン(部落)をさす語だったものが、いつしか岬の名称になったのでは、との説もあるようです。

なお、ここに挙げた説とは別の説がある場合もありますので、こんな説もありますよ、ということで。
[21579] 2003年 10月 31日(金)09:55:59YSK[両毛人] さん
気になる盤渓
パンケ、ペンケの話題がありましたが、私が気になっているのは、札幌市中央区の山沿いにある地名「盤渓(ばんけい)」です。これももとは「パンケ」だったのでしょうか?対になる「ペンケ」を見つけることができないのですが、読みが似ているので気になっています。

そこで、調べてみましたところ、以下の札幌市ホームページ内の「中央区ぶらり地名めぐり」の中に、盤渓は、アイヌ語で「川下」を意味する「パンケ」がなまったもの、という解説がありました。

http://www.city.sapporo.jp/somu/koho-shi/200209/chuo/chuo03.pdf

とはいえ、やはり「ペンケ」は見当たらないですね。まあ、札幌の周辺は都市化などによってかなり地名の由来などが分かりにくくなっているでしょうから、もともとこの地域には「パンケ」と「ペンケ」を冠した河川名があったところで、何らかの理由で「パンケ」のみが地域全体を示す地名として熟していった、といったところでしょうか・・・。
[21582] 2003年 10月 31日(金)11:37:09BANDALGOM[月の輪熊] さん
アイヌ語地名
[21573][21575]紅葉橋瑤知朗さん
反対に「ポロ(漢字だと幌が一般的)」だと「大きい」ですから、「ポロ・ポン」で「大きい・小さい」というように覚えておけば、何となくでも語源がわかるかなあ、と。
[15839]で書いた通り、私は17年前の北海道旅行で白老ポロトコタンに行っていますが、その時ガイドさんから『「ポロト」は「大きな湖」という意味で、隣には「小さい湖」という意味の「ポント」がある』との説明がありました。

この旅行の時、バスの運転席の後ろに貼ってあった北海道の地図に「二サッタカ シリピリカ クニネ」というアイヌ語が書かれていたのが印象に残っています。

当時私は中学1年でしたが、小学校卒業の時の演劇でアイヌの神話をもとにしたものをやって(最初私が主役(アイヌの少年)をやるはずだったが、「木の精」に変わった)、その中で「ピリカピリカ」の歌が出てきたので、「ピリカ」という単語にすぐ反応したものです。
ガイドさんの説明によれば、これは天気と関係がある言葉だったようですが。

道内一周のバスの旅の最後、札幌に着く直前にはガイドさんが「ピリカピリカ」を歌ってくれたのも印象に残っています。

同じような川が流れている場合、アイヌ民族は“上流”を「ペンケ」と呼び、“下流”を「パンケ」と呼んでいました。
歌志内市の語源が、「砂の多い川」という意味の「オタウシナイ」で、これを和訳したのが「砂川」だというのを何かの資料で読んだことがありますが、歌志内市のHPでは「ペンケウタシュナイ川」に由来するとありますね。
歌志内は上流になるので、「ペンケ」がつくということになるのですね。

また旧万字線に「辺渓」駅がありましたが、これも場所的に川の上流という感じですね。


[21577]でるでるさん
『北海道の地名』によりますと、大楽毛は<おたのしけ>と読み(オタ・ノシケ。砂浜の・中央)の意味なのだそうで、この辺り一帯の海岸線が砂丘地であることに由来するようです。道内の各地ではそのまま「浜中」や「中浜」なったケースも多くあるようで、釧路市と根室市の間にある浜中町も、もとは(オタ・ノシケ)が語源とか。
これは「歌志内」と「砂川」の関係、「空知」と「滝川」の関係と同じですね。
ところで、私は東北地方のアイヌ語地名(と思われるもの)にも興味があります。
[20887]でも書きましたが、北海道で顕著に見られるアイヌ語地名「~内(ない)」が、北東北3県でも自治体名や駅名に表われているだけで「平内」「和井内」「似内」「笑内」「山内」がありますし、同様に「~別」も「今別」などがあったりしますが。

蟹田町など東津軽郡の北部は「上磯地方」と言われているようですが([21570]TGRSさんによれば、「かみそ」と読むようですが)、これは津軽海峡を挟んだ上磯郡と同じ由来のように思えますし、また東通村の沿岸に「白糠」がありますが、これも北海道の白糠郡と同じ由来のように思えます。
[21625] 2003年 11月 2日(日)01:14:18【2】ペーロケ[愛比売命] さん
アイヌ地名れす
 アイヌ語って面白いなあって、ぼけ~っと北海道の地図を眺めてました。え??おもしろない??

http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=70000&el=141%2F54%2F44.712&pnf=1&size=500%2C500&nl=43%2F41%2F24.129

[21582]月の輪熊さん
ところで、私は東北地方のアイヌ語地名(と思われるもの)にも興味があります。
 確か、「内」という字を「ナイ」と読む地名は、「白河の関」を境に関東以西では急激に見られなくなると聞いたことありますが、関東以西にもアイヌ地名と思われる地名はちらほらあるようですね([21591]NSさん参照)。まあ、DNA的に見たらアイヌ人と琉球民族は非常に近いそうで、大和人(モンゴリアン?)が大陸から渡ってくる前は日本全国にアイヌ文化が分布していたと考えても不思議ではないことですし。
 例えば、京都市や愛媛県西条市などにある「加茂川(鴨川)」の由来の一つとして、アイヌ語の「カムイ」(神)からきているのではないか、との一説もあるようです。

(参考) http://chimei.hp.infoseek.co.jp/imi-chimei.htm

(余談、過去にも何度か言及されましたが、「たいざ」「うずまさ」「いもあらい」「ほうその」はなかなか読めませんね。。。)

[21591]NSさん
いちばん有名なのは天塩国上川郡下川町でしょうか。ここの由来は「パンケ・ヌカナン」ですし
 やはり「ペンケ」「パンケ」は「上下」という意味でしたか?では、広島県上下町はアイヌ風に訳すと「ペンケ・パンケ・コタン」ですね(笑)。まあ和人も都からの近遠で「○前・○後」なる国名を各地に作ったのにも似た感覚でしょうが、都ではなく神様の通り道といったところでしょうか。ところで、下川町の由来までは存じませんでしたが、地図を見たらここも「パンケ川」の東には「ペンケ川」(上川?)が流れていますね。ひょっとして、道内3箇所の「上川郡」や上川支庁の由来は「ペンケ・ヌカナン」でしょうかねえ。。。

[21575]紅葉橋瑤知朗さん
ちなみに、アイヌ民族は「川は神の通り道」と考え、「神は海から川を通り、山を抜けて行く」と考えます。山頂に近い方が「パンケ」(下流)になってしまうんです。
 いやあ、アイヌ文化は奥が深いですね。川はいろいろな通り道だそうで。。。
 例えば、釧路川は消化器官に例えられ、屈斜路湖の「クッシャロ」は「喉」という意味だそうで、確かに湖から川に水が流れる地形は「喉」のような形にも見えますね。一方、「釧路」の語源も屈斜路と同じく「クッシャロ」がなまったとかで、こちらは神様が海から釧路川に登るための「喉」の意味があるとかないとか。(ただし、あくまでも一説です。)

(※長いので分けました)
[21626] 2003年 11月 2日(日)01:19:37ペーロケ[愛比売命] さん
釧路周辺の気になる地名れす
[21577]でるでるさん
今後とも宜しくお願いいたしますね。
 いえいえ、こちらこそ、新HNともども、宜しくお願いします。さらっと書いたことに対して、丁寧なレスありがとうございます。挙げた地名はいづれも釧路周辺でして、釧路周辺は北海道内でも特に難読地名の集中したゾーンのような気がします。

大楽毛は<おたのしけ>と読み(オタ・ノシケ。砂浜の・中央)の意味なのだそうで、
 地図を見れば一目瞭然ですね。昔は入り江だった釧路湿原を砂州によって切り離し、釧路川と阿寒川によって砂が供給され、砂丘が発達したものと考えられますね。ところで、大楽毛の隣には、[21599]faithさんが挙げられた「鳥取」という地名があります。まあ鳥取からの入植者でしょうが、まさか、和泉鳥取からの入植者ではないでしょうね(笑)。もし鳥取県からの入植者でしたら、海と砂丘が恋しくてこの地を選んだような因果を感じてしまいます。

馬主来は<ぱしくる>と読み(パシ・クロ。カラス)の意味で
「パシクル」もなかなか読めませんよね。沼地の風景が美しかった記憶があるのですが、馬がこのへんに入ったら底なし湿原にはまるのではないか?と心配していました(笑)。カラスといえば、きっとウミガラスを指すのでしょうね。

白糠町恋問は<こいとい>と読みます。
 アイヌ語での意味よりも、むしろ当て字の方の深い意味を考えてしまいました。恋を問うって何??まるで哲学の世界ですね(苦笑)。私が訪れた時は霧が濃くて何も見えませんでしたが、恋も霧の中といったところでしょうか。。。
[21646] 2003年 11月 2日(日)19:41:02YSK[両毛人] さん
「~内」地名には要注意
[21643]愛比売命さん
福島県には白河市郭内(かくない)、喜多方市長内(おさない)、表郷村内松(ないまつ)などを発見しました。一方、栃木県でも調べましたが、日光市山内(さんない)もアイヌ地名っぽいですね。
まず、日光市の山内ですが、ここには世界遺産で知られる二荒山(ふたらさん)神社が立地しており、また同じくこの地域にある世界遺産の輪王寺は正式には日光山輪王寺といいます。これはおそらくこれらの寺社地の内という意味の和名だと思います。

また、白河市の「郭内」ですが、城郭の内部という意味の和名の可能性が高いようにも思います。場所を見ましたら、城跡の近くのようですね。「城内」と同じ意味合いの和名なのではないでしょうか。

http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=37.7.40.281&el=140.13.10.426&fi=1&la=1
[21648] 2003年 11月 2日(日)20:53:56YSK[両毛人] さん
[21629]月の輪熊さん
アイヌ語との関連が考えられる「泊」は、新潟県「寺泊町」や、富山県の「泊駅」などもありますが。
[21643]愛比売命さん
「泊」は鳥取県にもありますが、そういえば北海道の泊村も日本海側。アイヌ語語源の「とまり」は、意味が違うのかな??

アイヌ語の「トマリ」は、日本語の「泊」がアイヌの言葉に移入されたとするのが通説のようです。ともに、船を停泊させる場所という意味です。
ですので、もともと和名で「泊」と呼ばれていたのか、「トマリ」を移入した後のアイヌがそこを「泊」と命名したのかの判断には注意が必要です。

個人的には、寺泊や鳥取の泊などの本州日本海岸の「泊」は和名であるように思います。
[21651] 2003年 11月 2日(日)21:53:38【1】Issie さん
いわゆる「アイヌ語地名」
すでに,[21646] で 両毛人 さんが言われているとおり,
日光市の山内ですが、ここには世界遺産で知られる二荒山(ふたらさん)神社が立地しており、また同じくこの地域にある世界遺産の輪王寺は正式には日光山輪王寺といいます。これはおそらくこれらの寺社地の内という意味の和名だと思います。
…と考えるのが,素直でしょうね。

[21629] 月の輪熊 さん
「日暮里(ヌプリ)」のアイヌ語説も有名ですね。

これも,「にいほり(新堀)」という形に還元すれば,あとはアイヌ語を引っ張り出さずとも,日本語の中で十分に説明ができます。

[21648] 両毛人 さん
アイヌ語の「トマリ」は、日本語の「泊」がアイヌの言葉に移入されたとするのが通説のようです。

私もこの考え方を支持します。
ほかにも「イワウ(硫黄」),「メノコ(娘)」など,日本語との接触でアイヌ語に移入されたと思われる単語は少なくありません。
もちろんその逆もあって,「ラッコ」や「トナカイ」などは余り意識されることのない,アイヌ語から日本語へ移入された単語の1つです。

以前に「ニサッタイ」が話題になったとき,私は意識して「アイヌ語」という言葉を使用することを避けました。

たぶん,あそこで話題にした「ニサッタイ」や「コヒルイマキ」「キンタイチ」,あるいは「西モナイ(馬音内)」などの地名が,北方の「エゾヶ島(北海道)」の先住民の言葉と深い関連があるのは間違いのないことでしょう。
さらに言えば,源頼朝の「奥州征伐」で滅ぼされた奥州藤原氏以前の「みちのく」が,少なくとも北海道南部と同一の文化圏を形成していたと考えることには十分な蓋然性があると考えます。
あるいは,
[21625] 愛比売命 さん
DNA的に見たらアイヌ人と琉球民族は非常に近いそうで
というのも,何がしかは事実かもしれません。
だからといって,
大和人(モンゴリアン?)が大陸から渡ってくる前は日本全国にアイヌ文化が分布していたと考えても不思議ではないことですし。
というところまで判断するには十分すぎるほど慎重であるべきだと思います。

ある言語とほかの言語とを比較検討してお互いの系統性を考察する「比較言語学」という分野があります。私もきとんと勉強したわけではないので正確なことをいうことはできないですが,ここで相互の言語を比較検討する際にはかなり厳密な手続きが行われます。
それは当然であって,「恣意的」に拾った単語が相互に似ているからと言って,それでお互いの検討関係を論ずるのは全くに無意味だからです。
その点で地名の語源探求という「お遊び」には,その手の「恣意性」が入り込む余地がありすぎるのですね。

たとえば,宮崎県の「新田原(にゅうたばる)」。
ちょっとした思い付きで,これを英語の new に結びつけることは簡単ですね。
けれども,これは日本語の古くからの接頭辞の「にひ <ニピ:nipi 」に起源を求めるのが素直であって,「にひ →にふ →にう →にゅう」という変化は,日本語の枠の中で完全に説明することができます(参考までに,越中=富山県の「新川郡」は「にふかわ郡」という読み方をされたことがあります)。

確かに「ナイ」というのはアイヌ語で「川」という意味だけれども,だからといって本州以南の「○内」という地名をアイヌ語と結びつけるのは,きわめて短絡的です。

京都市や愛媛県西条市などにある「加茂川(鴨川)」の由来の一つとして、アイヌ語の「カムイ」(神)からきているのではないか、との一説もあるようです。

これも,それをさらに十分に補強する多くの事実が説明されない限り,
たとえば,青森県の「戸来(へらい)」という地名を「ヘブライ」と結びつけ,「ナニャドヤラ」という盆踊り唄の意味不明の歌詞をヘブライ語で無理やり解釈しようとして,挙句の果てにユダヤ部族が流れ着き,イエス終焉の地としてお墓まである,
などという「トンデモ話」と同一レベルの「思いつき」にすぎません。

蛇足ながら,
紀元1世紀,イエスを初めとするユダヤ人たちが日常用いていたのはアラム語であって,ヘブライ語はすでに「旧約聖書」の言語として宗教儀式で使用されるだけの言語となっていました(つまり,普段の日常生活で使用している者はいない)。現在,イスラエルの公用語となっている「現代ヘブライ語」は19世紀末にパレスチナへ移住したユダヤ人の1グループ(誰もヘブライ語を母語とし,日常語として育った者がいない)が意識的に再構築した「人工語」であって,その点,同時期に考案された「人工語」であるエスペラントと全く変わることはありません。
イエスの死後,初期キリスト教会で使用され,「新約聖書」の原典が記されたのは当時の地中海世界東部の国際語あった「共通ギリシア語(コイネー)」です。
ここらへんの事実をすっ飛ばして,イエスとユダヤとヘブライを直結して「トンデモ話」を捏造するあたり,いかにも西アジア一神教(ユダヤ教,キリスト教,イスラム教)世界についての知識を全く欠いた日本人らしいところです。
[21657] 2003年 11月 2日(日)22:57:17【1】Issie さん
アイヌ語地名 つづき
私が「ニサッタイ」で「アイヌ語地名」というのを避けたもっと大きな理由は,この地名を与えた人々を「アイヌ」と呼ぶのが正しいのだろうか,という疑問を持つからです。

DNAの鑑定によれば,確かに琉球諸島の住民と北海道の先住民とがお互いに近いことが証明できるのかもしれない。本州の各地には,確かに「アイヌ語起源」と解釈して解釈できないこともない地名が多く分布しているのかもしれない。
だからと言って,
[21629] 月の輪熊 さん
縄文人はアイヌ民族・琉球民族と共通の祖先を持ち、アイヌ民族・琉球民族は縄文人の生き残りである
といえるのか。
そもそも,「縄文人」とは何だろう? 「弥生人」は,本当に大陸からやってきたのか?

第2次大戦の最後の1週間(実際は「終戦後」の8月末まで)でソ連軍が侵攻してこの地域の住民構成に大幅な変更が行われるまで,「アイヌ」は「北海道・千島・樺太(南部)の先住民」と理解されていました。けれども,この枠組みで「アイヌ」と呼ばれる人々が理解されたのは,そう古いことではありません。

本州以南3島で縄文文化が展開していたとき,北海道からサハリン(樺太)・千島などオホーツク海をとりまく地域では,これとは別の文化が展開していました。
「歴史時代」に入っても,サハリンは「間宮海峡」をはさんで大陸と深い関係を持っていて,東北アジアの主要グループであるツングースの一派で17世紀に清朝を起すことになる女真(女直,マンジュ=満洲)とは特に密接な関係がありました。
サハリンと宗谷海峡をはさんだ北海道がその枠組みの中に入るのはごく自然なことでしょう。
実際,近世の松前藩(領内で米が全くとれない)にとって,アイヌを介した東北アジア,さらにロシアとの交易は重要な収入源でした。

おそらく,「アイヌ」と自称・他称された人々にとっても,あるいは日本人(和人)をはじめとする周辺民族にとっても,「アイヌ」という「民族」が具体的な姿を現すのは,日本の中世以降のことだろうと思います。
それまでに,後に「ホッカイドー(北海道)」と呼ばれることになる島を中心に同一の文化圏が形成され,「和人」や,大陸のツングース(女真,その他)との対比を通じてはじめて,「アイヌ」という民族が意識されるに至ったのだろうと考えます。
だから,それ以前のものに「アイヌ」という呼称を用いるのはナンセンス。

それは「列島」に,太平洋西部の島嶼部からタロ(サトイモ)やヤム(ヤマイモ)などのイモを主体とする文化を持った人々が,ヒマラヤ南東麓から中国南部のモンスーン・アジアからイネを中心とする文化(なかんずく,蒸した“もち米”を「叩き潰して」モチとして食べる文化)を持った人々が,さらに朝鮮半島を経て中国北部,さらにはモンゴリア(モンゴル高原)から,次々と人々が流入して,“日本列島の上で”「日本人」という民族が形成されたのであって,「日本人がどこから来たか?」という問いが全くナンセンスであるのと同様です。

本州南部に現在「アイヌ」と呼ばれる人々や琉球諸島の人々につながる人々が居住していて,それが地名に痕跡をとどめていることは十分にあることかもしれません。
けれども,それが「イコール・アイヌ」ということはできないだろうと考えます。
それ以前に,その地名が本当にアイヌ語に結びつくのか。
それを完全に否定することはできないかもしれないけれども,それをすぐに肯定することはもっとできない。

だから,この手の話は「へえ」と納得はせずに,「本当なんだろうか」ととりあえずは疑問を呈しておいた方がいいと,私は考えます。
[21658] 2003年 11月 2日(日)23:25:21YSK[両毛人] さん
オホーツク文化
Issieさんに語り尽くしていただきまして、改めて勉強になりましたが、私がいわゆる「アイヌ文化」について抱いている問題意識の内容は、[21657]と全く同じです。

いわゆるアイヌ文化が、北海道の土地に成熟したのは、日本の時代区分でいるところの鎌倉時代とか、室町時代のころとされているようですね。

それまでの北海道の文化を語る上で、Issieさんのおっしゃるような、北方系の民族(ツングース系)がもたらしたとされる「オホーツク文化」は重要です。北海道オホーツク沿岸に「モヨロ貝塚」などを残した狩猟文化は、サハリンなどから流入した北方系の民族によるものであるといわれているのだそうです。司馬遼太郎の『街道を行く』シリーズ(朝日文庫)に、『オホーツク街道』という本があるのですが、その中で司馬氏は、この「オホーツク文化」に着目し、北海道からサハリンや大陸へと続く、北の豊かな狩猟生活の文化に思いを馳せています。その思考は、考古学の成果を冷静に受け止めながら、客観的な考察をもまた重視しておりまして、北海道に対する新たな視角を私たちに与えてくれる名著となっています。関心のある方には、ご一読をお奨めします。

アイヌ文化以前の北海道の文化の態様については、まだまだ考古学的にも十分に解明されていない部分が多い分野らしく、今後の展開を期待してしまいます。

今、拙ページに掲載準備中の「北海道の風II」は、そんなオホーツク文化のエッセンスを盛り込んだ内容にしたいな、と考えています。
[21679] 2003年 11月 3日(月)09:58:24Issie さん
みたびアイヌ語地名ネタ
[21666] 愛比売命 さん
実はDNAの話も、根拠があるわけでもなく、酒の席で医学生が話していたこと、といった程度の話ですので、信憑性はどうだか。

いや,これは決して根拠のない説ではなくて,現実に行われているものです。
専門家の学問レベルでなくとも,アイヌ出身で参議院議員を務めた萱野茂さんとオキナワン・ロックの喜納昌吉さん(どちらも自文化に対する思い入れの強い人ですが)とがお互いの「近さ」を認め合って,ともに祖先は同じなのだという趣旨の話をした,ということもあります。
「縄文人」と「弥生人」との区別は,人骨の特徴の違いから考古学上で行われているものですね。

ただ,それではどのようにして「縄文人」的特徴を持った人々の住んでいた「列島」に「弥生人」的特徴を持った人々が流れ込んできて,それがどのように現在の「日本人」につながるのか,あるいは,その列島中央部で形成された「日本人(シサム,ヤマトンチュ)」というグループと,「アイヌ」と呼ばれる人々や琉球諸島の人々とがどのようなつながりを持っていたのかは,今のところよくわからない。

まして,骨が見つかったとして,それではその骨の持ち主がどのような言葉を話していたかを知ることは不可能だし,そもそも「邪馬台国」の人々の言葉だって,「魏志倭人伝」にごく小さな断片が記されているだけで,ほとんどわかることができません。

結局のところ,列島でどのような言葉が話されていたのかがおぼろげにでもわかってくるのは,せいぜい「記紀・万葉集」に現われてくる時代であって,それもそれらが文字化された7~8世紀にはすでに「昔話」に属するもので,それ以前の「歴史」について具体的に“実証的”に語ってくれるものではない。

「加茂川アイヌ語起源説」に類する議論はよく行われていて,中には自治体の公式HPに堂々と掲載されているものもあるような気がします。
けれども,それが本当かどうかは,本当のところはよくわからない,というものが大部分だと思います。
「ウンチク本」の類も,あまり当てにならないことを書いてあるものが少なくありません(中にはそれらしい監修者の名前が載せられていてもね)。

今後はいくら興味があっても、自分が未知の分野に対する発言は極力慎むべきと心がけます。

…とまで仰らなくても,要は「そのつもりで」聞き,話せばいいようにおもいます。

※あたしの言ってることだって,たいして当てになるもんじゃありませんよ。
[21908] 2003年 11月 10日(月)21:28:47ニジェガロージェッツ さん
樺太の原地名
久々の樺太ネタです。
[21779]太白 さん
面白そうなの3つくらいで(笑
を受けて、樺太の原地名を代表的な集落のみ列挙してみます。
注意点として旧樺太での19世紀中頃のアイヌ族の分布は、概ね北緯49度辺りまでで、それ以北ではニヴヒ族(主にオホーツク海岸、日本時代の名称ギリヤーク)、ウィルタ族(主に間宮海峡側、日本時代の名称オロッコ)などの分布になっており、下記の原地名の全てがアイヌ語関連のものではないかも知れません。
また、地名の解釈は国書刊行会から出版された「樺太市街地図・商工人名総覧」に書かれているものの抜粋ですが、小生にはアイヌ語の知識は全くないため正確さの確認は取れていないことをお断りしておきます。

現地名地名の意味北緯東経日本名現行地名(ロシア)
ナイポロ川が大きい46°35'141°50'内幌ゴルノザヴォーツク
ポロアントマリ大きな港46°39'142°48'大泊コルサコフ
ポントケシ小さい湖の端46°42'141°52'本斗ネヴェリスク
ル・オタカ道が砂浜についている46°46'142°28'留多加アニワ
ハーセクシ潅木の生えた、そこを越える所47°00'142°46豊原ユジノ=サハリンスク
マオカ(マウカ)澗になっている川口の上の集落47°05'142°04'真岡ホルムスク
ノダサム岬、そこは側ら47°30'142°00'野田チェーホフ
トマリオロ湾のところは47°49'142°08'泊居トマリ
チンナイ海と湖を結ぶ運河48°27'142°10'珍内クラスノゴルスク
シルツル山と山との間48°39'142°41'知取マカロフ
エスツル岬と岬との間49°02'142°04'恵須取ウグレゴルスク
トオロ湖のところ、そこは49°09'142°11'塔路シャフチョルスク
シイカ(シスカ)大(幌内川)、それの所49°14'142°59'敷香ポロナイスク
[22681] 2003年 12月 10日(水)22:30:23【1】Issie さん
アイヌ語のためのカタカナ表記
[22672] スナフキん さん
[22679] EMM さん
アイヌ語表記の「小さなム」の字は、おそらく英語の発音記号で言うところの‘m’、言い方を変えれば、子音のない「ム」のような音を示しているのではないでしょうか。

「母音のないム」ですね。
日本語(共通語)では母音のない音が単語の末尾に立てるのは「ん」(実際に発音される音=音声は,環境によってさまざま)だけしかないのですが,アイヌ語では日本語よりもずっと多く p, t, k, s, r, m, n, w, y という子音が単語の末尾に立つことができます。
そこで p, t, k, s, r, m がその位置に来るときにはそれぞれ プ,ツ,ク,シ,ラ・リ・ル・レ・ロ,ム を小さい字で表記して後に母音が続かないことを表す,という表記法が広く行われています。
s を シ と表記するのは,そのように聞こえるからです。たとえば pis:ピシ (浜)。
r は,直前の母音の響きが残るので,それに応じて ラ~ロ を小さく表記します。たとえば kar:カラ(作る),kor:コロ(持つ)

人によっては日本語(共通語)にはない tu という音を表すために「ト」に半濁点(マル)をつけて表記することもあります。

これらは「日本語」ではなくて,「アイヌ語をカタカナで」表記するための方法と解釈するべきでしょう。「アイヌ語の理屈」に合っていれば,たとえ「日本語の表記法」からは逸脱していたとしても一向に構わないのです。日本語ではなく,アイヌ語を表記するための手段なのですから。
文字による表記法を発達させてこなかったアイヌ語では現在,ローマ字による表記とカタカナによる表記とが行われています。ある程度の表記法が成立・定着しつつありますが,日本語の「かなづかい」「常用漢字表」など「正書法」に相当するものは確立していません。だから,細かいルールについては異同が見られます。
そのような中では,「母音がなく子音だけ」であることを小さなカナで表記する,というのは割りと広く受け入れられているようです。
いずれにせよ,「アイヌ語の表記」であれば「日本語の理屈」で「拗音」か「撥音」かを考えるのはあまり意味がありません。アイヌ語ではそのような音の捉え方はしませんから。

ただし
シートートムシメヌ山(ムが小字)
これはアイヌ語ではなく,「日本語のための」地名表記ですね。
どういう事情でここに紛れ込んでいるのかは,わかりません。
[27759] 2004年 4月 28日(水)20:10:57Issie さん
メナシ
[27750] 紅葉橋瑤知朗 さん
中標津町の方が大きな街ですが、「羅臼」の方が名が通っているのでは? 「知床」だと斜里町でしょうし(「知床斜里」駅がある)。

北海道に土地勘がなく,「鉄」でもなくて駅名も知らず,森繁久弥の“あの歌”で「知床」を知っている人には,「シャリ」でも「ウトロ」でもなく「ラウス」の方がすぐに出てくる地名でしょうね。
それにしても「知床斜里」ってのは,欲張りと言うか,何というか…。
「弟子屈」駅も消えてしまったし。

[27744] 両毛人 さん
羅臼町が属する郡名である、「目梨」も確か(岬の)東、のような意味だったと記憶しています。

近世には「シプチャリ(静内)」以東を「メナシ」と呼ぶ用法があったようですね。
それがだんだんと限定されて「シレトコ」(大地の果て)に押し込められていったようです。
このまま消えてしまうとしたら,何だかもったいないような気もします。
[29766] 2004年 6月 27日(日)02:32:23【1】でるでる さん
ギタラ・ペキンノ
自宅にある資料(本)などで、意味などを調べてみました。

[29740]牛山牛太郎 さん
海ギタラ・陸ギタラ(うみぎたら・あぎぎたら)・・・沖縄県伊是名村・・・絶壁の奇岩

「ギタラ」とは、「切り立った岩」の意味だそうで、海ギタラと陸ギタラがある二見ヶ浦海岸は、日本の渚百選にも選ばれております。なお、二見ヶ浦海岸は別名ギタラ海岸ともいうそうです。

[29748]むじながいり さん
ペキンノ鼻 岬 羅臼町

ペキンノ鼻の”ペキンノ”とは「ペケレ・ノッ(明るい(木が生えていない)・岬)」という意味だそうで、実際にペキンノ鼻は小さな草原の岬だとか。なお、他にも「ペレケ・ノッ(割れている・岬)」という説もあります。


[29753]両毛人 さん
この2つの地名、「ナイ」という名の「山」です。こんな例もあるのですね

古くは、その山の下側(下流)もしくは付近の川名や地名で、山の名を呼ぶことが多かったそうなので、「オロエナイ」と「ソロアンナイ」は、その名残なのかも知れませんね。

河川名では、ほとんど「~ナイ川(沢)」という名称になっているようで(中略)
「ベツ(別)」地名についても調べてみましたが、やはりほとんどのケースで「川(沢)」がついていまして

川を意味する語には「ナイ(~内)」と「ペッ(~別)」などがありますが、「ナイ」は主にオホーツク海沿岸に多く、「ペッ」は主に太平洋沿岸や根室地方、斜里郡に多く見られます。
ちなみに、樺太では「ペッ」がほとんど無く、一方で千島列島では北に行くほど「ナイ」がみられなくなるとか。このことから、北海道内では元々「ペッ」と呼ばれていたところに、樺太方面から「ナイ」が入ってきて、次第に道内に広まっていったものの、東側(太平洋沿岸)や南側まではそれほど広がらずに元からある「ペッ」が残り、更に遠くに位置する千島列島にまではほとんど影響が及ばなかったのではないかとの説もあるそうです。
この件については、私自身は詳しく調べた訳ではないのですけども、中々興味の惹かれるところです。
[29767] 2004年 6月 27日(日)04:39:58でるでる さん
特殊地形名の由来(北海道編)
両毛人さん、アーカイブズだけではなく、特殊地形名コレクションの編集作業、お疲れ様です。

特殊地形名コレクションに掲載されている中から、北海道分の地名の意味を調べてみました。
アイヌ語地名の由来には諸説あるものも多くありますので、その中から定説といいますか有力とされている説をそれぞれ挙げてみました。

尾岱沼(おだいとう)
「トー(トウ)」=「沼・湖」という意味の場合が多いのですが、尾岱沼の場合は「オタ・エトゥ(砂(砂浜の)・岬)」 との意味だと言われております。元々は現在の別海町尾岱沼市街地(又は尾岱沼市街地北側の尾岱沼岬町の辺り)が地名発祥の地で、それが次第に周辺や湾などに広がったとも言われております。

トツカリショ
現在の室蘭港がある所はトッカリモイ「トキ・カラ・モイ(チカ魚・を捕る・湾)」(チカ→わかさぎの仲間)と呼ばれておりました。そのことから「トキ・カラ・ショ(チカ魚・を捕る・滝(がある所)」ではないかなと思われます。他には「トッカル・ショ(アザラシ(がいる)・滝(ある所)」という説もあります。
なお、室蘭は「モ・ルエラニ(小さい・坂(を降りたところ)」の意味とされており、現在の室蘭市崎守町が由来と言われております。

銀屏風
アイヌ語では「チ・ヌイエ・ピラ(我ら・彫った・崖)」=「彫刻された崖」と言われていたそうです。

カムイエクウチカウシ
「熊が(神が)転げ落ちるほど険しい山(峰)」という意味だと言われております。実際にこの山付近(に限ったことではないようですが)は、ヒグマの生息地になっております。
似たような地名としては「カムイオッペカウシ(神の・高岸)」(旭川市)があり、双方の山とも、断崖絶壁という共通点があります。

ニセコアンヌプリ
ニセコアンベツ川「ニセイ・コ・アン・ペッ(絶壁に向かっている川(又は、峡谷にある川)」の上にある山ということで「ニセコアンベツ川(の上)にある山」という意味だと言われております。

ピンネシリ
ピンネシリは「ピンネ・シリ(男である・山)」という意味だと言われております。対するは「マッネ・シリ(女である・山)」になります。
[49102] 2006年 2月 11日(土)00:52:52【1】でるでる さん
ルシャとキロロ
久々に、合併以外の話題に登場です(笑)

[49075]EMM さん
[49078]みやこ♂ さん
[49096]北の住人 さん

毎度お馴染み?の『北海道の地名(山田秀三著)』によりますと、

「ル・エ・サ(シャ)・ニ【ru-e-s(h)an-i】(道が・そこで・浜の方へ出る・処)」が略されて、ルーシャニ→ルーシャと呼ばれるようになったとあり、これは[49047]みやこ♂ さんの
「知床三山」の硫黄岳と知床岳のほぼ中間の最低鞍部ではないですか。意味ありげ,な場所だなぁ。
と、[49065]北の住人 さんの
これは私的な解釈ですが「海のほうに行く道」というような感じになると思います。この川を遡れば半島の反対側に出る、という意味があったのかもしれません。この行程は、古くから羅臼側と斜里側を結ぶ要路だったようで
の書込みにもあるとおり、この辺りが知床半島で最も低い所であることから、古くからの交通路であったようです。

また、それぞれのルサ(ルシャ)川は上流で二股に分かれており、斜里側は「マタ・クシ・ルシャ(冬・通る・ルシャ川)」と「シャク・クシ・ルシャ(夏・通る・ルシャ川)」。羅臼側は「マタ・ル(冬の・道)」と「シャク・ル(夏の・道)」とそれぞれ呼ばれている(いた)ようです。

似たような例が、喜茂別町の留産(るさん)留寿都(るすつ)村

尻別岳西麓の北側に下ったところに位置する喜茂別町留産の方は、「ル・オ・サン・イ【ru-o-san-i】(道が・そこで・浜の方へ出る・処)」がルオサニ→ルウサン→ルサン(留産)と呼ばれるようになったようです。

一方、尻別岳西麓の南側に位置する留寿都(村)の語源については松浦武四郎の記録には記されてはいないようなのですが、著者の山田秀三氏は「ル・スッ(道の・根もと)」ではないかと推測されております。この推測の根拠として、松浦武四郎が記した幕末当時の交通路や明治時代の地図には、尻別岳を挟んだ南北の交通路は、現在の国道230号のある尻別岳”東麓”側ではなく”西麓”側に記されており、留寿都側から峠を越えて現在の留産で尻別川に出ていることから、古くは西麓側が南北を結ぶ交通路であったと思われること。また、明治時代(明治24、29年)の地形図には、現在の留寿都村あたりが「ルソツ」とあることを挙げられております。

つまり、ルサ川・ルシャ川と同じように、(喜茂別町)留産と留寿都(村)も、峠を挟んだ古くからの交通路であったと考えられそうです。

[49096]北の住人 さん
ルシヤと似た感じで、山を挟んで両側に同じ地名がある(あった)のは、浦幌町と本別町の境界付近のこの辺り、浦幌町「貴老路(キロロ)」と本別町「嫌侶(キロロ)」。嫌侶はちょっと前の地図にはあるんですが、最近の地図からは消えてしまったようです

それぞれ「キロル【kir-o-ru】(足(または山)・入る・道)」だとすると、こちらも山を挟んだ交通路とも考えられそうですね。

#「キロロ【kiror】(チカラ、または勢力)」とする説もあり

※一部漢字を修正

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