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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

杜の都の路面電車 −仙台市電懐古−

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記事数=10件/更新日:2003年9月19日/編集者:YSK

1976年に惜しまれつつ廃止となった仙台市電についての書き込みをまとめました。現代的なペデストリアンデッキとなった仙台駅西口を颯爽と走る市電の姿を、両毛人は本当にこの目で見てみたかったと思っております。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[10628]2003年3月7日
般若堂そんぴん
[10638]2003年3月7日
ken
[10641]2003年3月7日
般若堂そんぴん
[10646]2003年3月7日
seahawk
[10701]2003年3月8日
ペーロケ
[10708]2003年3月8日
ペーロケ
[10722]2003年3月8日
太白
[10726]2003年3月8日
YSK
[10762]2003年3月8日
YSK
[10859]2003年3月9日
YSK

[10628] 2003年 3月 7日(金)13:15:08般若堂そんぴん さん
仙台市電
[10626]uttさん,仙台には1926年11月25日から1976年3月31日まで路面電車がありました.
http://www.kotsu.city.sendai.jp/shiden/
仙台の大学に進学した友人を訪ねた際に仙台市電の晩年の姿を見ております.
今になって思えば,廃止とは実に残念なことをしたものです.
[10638] 2003年 3月 7日(金)15:30:53ken さん
仙台市電
[10626]uttさん
ところで、仙台市には路面電車が走っていた歴史はあるのでしょうか??
嗚呼ショック! 仙台市電なんて、しぶとく残ってた方だと思っていたのに。
もう存在さえ忘れ去られている世代になってきているのですね。
長町まで走ってましたよね。
あの駅前のペデストリアンデッキが無くて、市電がたむろしていた仙台駅前の風景を思い浮かべることができるのですが。時代は移りましたねえ。感慨無量。
[10641] 2003年 3月 7日(金)16:22:41般若堂そんぴん さん
仙台市電,他レス
[10630]seahawkさん
市電は今でいう何通りを通っていたか分かりませんか?
申し訳ありません,私が市電を見た当時は仙台市の地理が全く分かりませんでしたので,よく分かりません.
略図から推測しますと,
循環線:仙台駅前~南町通一番町~交通局~北四番町付近~市役所~錦町公園付近(花京院?)~仙台駅前
芭蕉の辻線(1944年廃止):南町通一番町~芭蕉の辻(中央通と国分町通の交差点)
長町線:仙台駅前~長町
北仙台線:循環線(市役所)~北仙台
八幡線:循環線(交通局付近)~(大学病院前の通りを経由)~八幡神社前
原町線:循環線(花京院付近?)~原町
のようです.
なお,[10628]で紹介したページに「杜の都を--走り抜いた市電--その歴史」というパンフレット頒布について記されています.仙台市電保存館にて¥500とのことですので,お求めになられてはいかがでしょうか.

番外編でJRのラインカラーシリーズなるもの
ライン・カラー・スキームという観点から見ればJRや私鉄各社の路線図も面白そうなのですが,力不足であり,地下鉄以外に手を着ける予定はありません.ごめんなさい.どなたか,興味のある方が纏めて下されば嬉しいのですが.
JR時刻表でもJR路線のライン・カラーは表示されていませんね.私鉄も同様です.不思議ですね.各社のウェブ・サイトなどで路線図を見るしかライン・カラーを知る方法はないようです.もっとも,私鉄のライン・カラーは多くの場合あくまでも各社の路線図上のものであるように見えます.カラー・スキームなどと言えるものがあるかどうかは分かりません.
[10646] 2003年 3月 7日(金)17:23:55seahawk さん
仙台市電ほか
[10641][10642]般若堂そんぴんさん
ロードアイランド州のレス、ありがとうございます。
市電保存館は富沢の車両基地ですね。足を運んでみることができたら行ってみます。

循環線:仙台駅前~南町通一番町~交通局~北四番町付近~市役所~錦町公園付近(花京院?)~仙台駅前
芭蕉の辻線(1944年廃止):南町通一番町~芭蕉の辻(中央通と国分町通の交差点)
長町線:仙台駅前~長町
北仙台線:循環線(市役所)~北仙台
八幡線:循環線(交通局付近)~(大学病院前の通りを経由)~八幡神社前
原町線:循環線(花京院付近?)~原町
市電の路線についてですが、なかなか画期的な路線だったんですね。特に、環状線がしない買い物などに非常に便利に思えます。交通問題を克服できれば、新しい交通システムとして復活させるというのを考えてもおもしろいと思いますね。実現できないことだとは思いますが。

ライン・カラー・スキームという観点から見ればJRや私鉄各社の路線図も面白そうなのですが,力不足であり,地下鉄以外に手を着ける予定はありません.ごめんなさい.どなたか,興味のある方が纏めて下されば嬉しいのですが.
JRのラインカラーシリーズの件ですが、僕も仙台の人間でして他地域に関してそんなに詳しいとはいえません。しかし、ここは自分がということで調べてみようかなと思います。般若堂そんぴんさんの情報と併せて、世界中を網羅できればいいですね。
[10701] 2003年 3月 8日(土)10:44:11【1】ペーロケ[utt] さん
路面電車の路線図
[10628]般若堂そんぴんさま
仙台には1926年11月25日から1976年3月31日まで路面電車がありました.
[10638]kenさま
嗚呼ショック! 仙台市電なんて、しぶとく残ってた方だと思っていたのに。
失礼しました。やや鉄分不足気味ということを露呈してしまいましたね(^^;;
私自身、東北地方はあまり縁がなく、仙台に路面電車というイメージがどうしても重ならなかったです。
そして、仙台市電が廃止されてから5ヵ月後に、私が生まれました(*・O・*)
しかし世代とともに、忘れられていくのは悲しいことですね。(って私が言ってもねえ。。。)
私が知らなかった仙台市電のことも含め、
廃線跡地を確実に、「ジャーニーズ.jr世代」(雑魚さま命名)に伝えるべく、
私自身に鉄分を蓄える意味もありまして、[10643]N-Hさまの書き込みをもとに、路線図を集めてみました。
仙台と金沢の市電
仙台市電については、
http://www.bh.wakwak.com/~ando/trolley/kyoto/japan/sdj_map.jpg
環状線の形状が松山に似ているような気がします。

金沢の路面電車について、
http://www.asagaotv.ne.jp/~ohara/1sinaisen.htm
あの狭い片町、香林坊の道路に路面電車が走っていたなんて驚きです。

今は無くなってしまった路面電車で乗車した記憶があるのは、なんといっても京都市電。
京都市電はこちら。
http://kyotocity.fc2web.com/siden/gaiyou.htm
街とともに、碁盤の目のように張り巡らされていたのですね。
駅間距離が長い地下鉄に比べれば、観光には便利でしょうね。

札幌市電は国鉄札幌駅近辺で陸橋で線路を越えていました。かなり広範な路線だった記憶がありますが、
最盛期は鉄北線で麻生まで、東は苗穂、西は円山公園までカバーしていたようです。
しかし、主要な線路は道路も交通量が多かったためか、地下鉄とかぶる路線が廃線され、
現存する区間のみ残っている形のようです。
http://www.h5.dion.ne.jp/~hayato-n/rore2.htm

東京都電も記憶にあります。
ちょっと見にくいですが、道路の骨格とほぼ一致します。
主要な道路には都電も縦横無尽に走っていたようです。
http://www.bh.wakwak.com/~ando/trolley/kyoto/japan/todenmap.html

あと、東京には都電のほかにも、今では地下に潜った東急田園都市線あたりに、
「玉電」と呼ばれる路面電車が走っていたようです。
(ところで東急世田谷線とは、かつては路面電車だったのでしょうか??)
http://www.246.ne.jp/~mrkb/setaden/ta_map.htm

サンフランシスコに行きましたが、
サンフランシスコは言った事ないのですが(とゆうか、個人的にはUSAは好きではありませんが)
一応調べて見ました。サンフランシスコではMuni Metroと呼ばれているようで、
路線図には、まるで地下鉄のように、行き先別に綺麗な色分けがしてありました。
http://www.transitinfo.org/cgi-bin/muni/map/metro
[10708] 2003年 3月 8日(土)12:18:17ペーロケ[utt] さん
芭蕉の辻
[10704]YSKさま
仙台市電の最盛期の路線図ではないようですね。
はい、実はもう一つリンクを見つけていましたが、
あまりにシンプルだったため却下したのです。
しかし、こっちはちゃんと芭蕉の辻線が載っております。
http://www.itsme.net/~oono/rail/siden.html

しかし、「芭蕉の辻」とは、やはり奥の細道の「松尾芭蕉」に因んだ名称でしょうか??
金沢の「武蔵が辻」といい、辻という韻には歴史の色を感じますね。
ちなみに、「辻」とはシンニョウに十と書くところから、
十字路とか交差点、交通の要所、出会いの場といった意味があるそうです。
出会い系サイトのこと、本来の日本語で訳したら「電脳の辻」になるのでしょうか(笑)
(いえ、何が本来なのか、今の日本語は訳がわからないですが。。。)
[10722] 2003年 3月 8日(土)14:04:14【3】太白 さん
仙台市電と交通政策
[10706] seahawk さん
推測しますと、環状線が仙台駅→愛宕上杉通り→花京院通・国道45号線→定禅寺通り→県庁市役所前→勾当台通り→国道48号線→西公園通り→裁判所前→南町通り→東二番丁通り→仙台駅

 仙台市電については、生まれたばかりの頃に廃止になったので、詳細は知らないのですが、[10701] の路線図と照らし合わせると、seahawkさんの推測通りのようですね。他の多くの都市と同じく、廃止の主な理由は、市電が道路渋滞を増幅するということだったと思います。
 市電と車がごっちゃになって大渋滞している東二番町通り(愛宕上杉通り)の写真を見たことがあります。

 当時は愛宕大橋やその南の広瀬河畔通りもなかったので、長町方面へ向かう幹線は実質的に、市電と同じ旧国道4号線(荒町→舟丁→広瀬橋→長町)ルートだけだったと思います。
 このような、道路自体のキャパシティ不足も、市電に不利に働いたのでしょう。

 今だったら、むしろ、自家用車の利用者をいかに市電に誘導するかという発想になるかと思います。具体的には、シンガポールではちょっと前から、ロンドンでも先月から、都心部のロードプライシング(都心地域に流入する車に通行料を課す)が実施されています。こうした政策が一定の成果を上げていることを考えると、中心部への車両流入を減少させるためには、市電の廃止を中長期的にみると、むしろ逆効果であったかもしれません。

(シンガポールのロードプライシングシステムをはじめとする交通システムについては、実際に現地の友人の車に乗って「体験」したのですが、極めて先進的・合理的なシステムです。機会があれば書き込みたいと思います)

 あと、[10638]でkenさんが、仙台市電を知らない世代が増えていくことを嘆いていらっしゃいましたが、私は…

[10706]seahawkさん
レジャーセンターというのも聞いたことがありません。
がショックです。今は無いのですか? 10年前にはあったのに…。(確か、体育館か何かです)。日赤病院が太白区の八木山地区に移転したのは昭和50年代です。

 また、光のページェントで有名な定禅寺通りと、東二番町通りの交差点(市役所前)は、今でこそ「十字路」ですが、15年ほど前までは、東二番町通りが微妙に「鉤の手」のようになっていました。由来は知りませんが、不思議な形の交差点だと思っていました。
[10726] 2003年 3月 8日(土)14:48:57YSK さん
仙台市電レス
[10722]太白さん
[10706]seahawkさん
推測しますと、環状線が仙台駅→愛宕上杉通り→花京院通・国道45号線→定禅寺通り→県庁市役所前→勾当台通り→国道48号線→西公園通り→裁判所前→南町通り→東二番丁通り→仙台駅
この環状ルートですが、詳しく言いますと、仙台駅を出発しますと、現在「駅前通」と呼ばれる南北の通りと、定禅寺通がぶつかる交差点まで北進し、ここを直角に曲がって定禅寺通に入って、愛宕上杉通、東ニ番丁通りを横断して現在の勾当台公園のところで勾当台通に入って北四番丁に達し、国道48号線を大学病院(東北大医学部付属病院)前を南に折れて、交通局前、市民会館前を経て西公園通から
南町通に入って、東二番丁通りを横断して仙台駅前に戻るというルートでした。

東二番丁通、愛宕上杉通、花京院通(国道45号線)そのものが市電通りであったわけではありません。この環状ルートの代替として、「中央循環」と呼ばれたバス路線が、この市電のルートを循環する形で走っていましたね。おそらく、今は廃止されていたのではないでしょうか。まあ、観光用として「るーぷる仙台」が郊外のスポット(瑞鳳殿や青葉山)を経由しながらも、街中ではこの中央循環に近いルートを通るバスとして機能していますが。

定禅寺通りと、東二番町通りの交差点(市役所前)は、今でこそ「十字路」ですが、15年ほど前までは、東二番町通りが微妙に「鉤の手」のようになっていました。由来は知りませんが、不思議な形の交差点だと思っていました。
この鉤の手に対応するように、本町三丁目と国分町二丁目の住居表示の境界は、現在の道路と微妙に一致していませんね。私が仙台に来た時はすでにこの「鉤の手」は修正されて、現在のように一直線になっていますが、これも「かつての仙台城下町」の範域と、現在の都市圏の範域との齟齬を象徴していることなのでしょうね。

仙台城下町は、芭蕉の辻を中心に建設され、随時拡張されていったのですが、現在の勾当台公園以北の部分は、その拡張されていった地域にあたり、市役所北の東西の通りが「北一番丁」で、北に「二番丁」、「三番丁」・・・と拡張されていったのですね。

東二番丁と勾当台通とが一直線である必要は、藩政期にはなかったのでしょう。自動車による広域の移動が必要になって、はじめて鉤の手を一直線にする必要が生じた、ということなのだと思います。
それにしても、あの鉤の手が修正されてまだ15年くらいなのですね。最近まで、残っていたというのは、驚きです。

また、レジャーセンターですが、まだあると思いますよ。私も実際に見たことがないのでなんとも申し上げられないのですが、「レジャーセンター前」という交差点はまだあります。この付近に、東北電力本店が移転し、新社屋をつくりました。「電力ビル」自体は、まだその名前のままのようですが。

太白さんにお知らせしたいホームページです。
http://www.sendaiphoto.com/

最近の仙台の町並みの写真が豊富です!
(以前、TNさんにご紹介いただきました)

では、これからも、仙台にゆかりのある同い年として、よろしくお願いいたしますね。
[10762] 2003年 3月 8日(土)21:49:52YSK さん
仙台について、レスをいただきありがとうございます。
[10758]だんなさん
[10745]ほか、seahawkさん

仙台は、私が大学時代を過ごした町です。地理をやっておりましたので、多少仙台の街については、知見があるので、度々ここでは仙台モードになってしまいます。6年もいましたので。

仙台市電が話題になりましたが、仙台の都市化の進展と仙台市電の興亡について最も簡単に理解できるのが、財団法人日本地図センターが発刊している図集・「地図で見る仙台の変遷」です。明治期・昭和初期・戦後間もなくから最近までの、仙台市周辺の地形図6枚がセットになっているものです。

今、1946(昭和21)年頃と、1964(昭和39)年頃の地図を見ておりますが、両年共に芭蕉の辻線を除く市電が描かれております。

また、この18年の間に、仙台市の都市化は目覚しいようで、1946年のほうは、本当に仙台の市街地は市電の環状線が取り巻いている範囲に限られている感じで、そこから街村のように、原ノ町方面、荒町・南鍛冶町を経て長町方面、東照宮へ向かう宮町、奥州街道に沿って堤町方面に続く市街地と、線上に市街地が形成されているようです。その周囲は、広大な平地に水田が広がり、集落がその中に点在する佇まいです。

1964年になると、そういった線上に市街地が展開した地域でも面的な展開を見せるようになり、仙台バイパスも広瀬川以南は完成しております。

また、「芭蕉の辻」もしっかり記載されております。6編の地図を見ることにより、「芭蕉の辻」が仙台の中心としての位置から、次第にその地位を奪われていく様子が理解できると思いますよ。

私は、この図集を仙台駅前の某書店で買いました。他の都市のバージョンもあり、広島市のものも持っております。値段は3000円弱です。関心のあるかたは、購入してみてはいかがでしょうか?

また、仙台の地誌で、私が主に参照する文献は

東北地理学会(1992)『仙台とその周辺 エクスカーション・ガイド』
佐々久(1974)『仙台の散策 歴史と文学をたずねて』宝文堂
吉岡一男(1990)『新・仙台の散策 歴史と風土を訪ねて』宝文堂
菊地勝之助(1971)『仙台地名考』宝文堂

などですね。最初の一冊は、仙台市とその周辺の地理的なトピックについて、細かく紹介されたガイドブックです。二冊目と三冊目は、時代背景の変化がよく出ております。三冊目は、政令市移行が若干意識されている一方、二冊目はまだ古い時代の仙台の残像も感じられます。四冊目は、仙台城下町の古い地名を知ることができる文献の決定版です。市街地中心部の住居表示と旧字との対応表や、旧城下町の町割の図などが載っていて、かなり興味深い内容です。
[10859] 2003年 3月 9日(日)21:57:58YSK さん
仙台市電メモリアル
盛り上がりました仙台市電について、まとめて見たいと思います。

私は、学生時代に大学病院(東北大医学部付属病院の通称ですね)前をよく通っていたのですが、道路のアスファルトに穴があいた隙間から、市電のレールが顔を出していたのを目にしたことがあります。
また、八幡の大崎八幡神社前や、北仙台駅前、長町駅前などは、市電の終点があった位置から急に道幅が狭くなっていて、市電が走っていたことを示しております。

この目で、市電の走る仙台の町を、見てみたかったです・・・。

【仙台市電の沿革】

1926(大正15)年開業(大町~仙台駅~荒町間)
1928(昭和3)年循環線及び芭蕉の辻線開通
1936(昭和11)年長町線開通
1937(昭和12)年北仙台線開通
1941(昭和16)年八幡町線開通
1944(昭和19)年芭蕉の辻線廃止(戦争の影響)
1948(昭和23)年原町線開通
1969(昭和44)年北仙台線廃止
1976(昭和51)年全線廃止

芭蕉の辻線の廃止があったとはいえ、なんと、戦後まで路線の延伸は続いていたのですね。市電は仙台市民の足として、最も有力な交通機関であったことが窺えますね。
1969年の北仙台線の全面廃止を皮切りに、市電は次第に淘汰されていくのですが、1976年の全線廃止にに至る過程の間でも、系統の廃止やバスへの転換などが順次行われていたようです。

【仙台市電の系統】

[10701]にてuttさんにご提示いただいた路線図を元に、運転系統をまとめてみます。1962年6月現在です。

1系統長町駅前~県庁市役所前~八幡神社前
2系統長町駅前~東一番丁~八幡神社前
3系統北仙台駅前~県庁市役所前~北仙台駅前(東側を先に回る)
4系統北仙台駅前~東一番丁~北仙台駅前(西側を先に回る)
5系統八幡神社前~県庁市役所前~広瀬橋
6系統八幡神社前~東一番丁~広瀬橋
7系統交通局前~県庁市役所前~愛宕橋
8系統交通局前~東一番丁~愛宕橋
9系統交通局前~県庁市役所前~原町駅前
10系統交通局前~東一番丁~原町駅前
11系統八幡神社前~県庁市役所前~原町駅前
12系統長町駅前~仙台駅前~原町駅前
13系統交通局前~県庁市役所前~広瀬橋
14系統交通局前~東一番丁~広瀬橋
15系統北仙台駅前~県庁市役所前~広瀬橋
17系統北仙台駅前~県庁市役所前~長町駅前

以上のように、中心部の環状線のみを運行する系統はなく、八幡神社前、北仙台駅前、長町駅前、原町駅前の郊外のターミナル間の系統が、環状部分を巧みに経由しながら設定されているのが分かります。
私の記憶では、9系統などの一部の系統はバス路線として存続しているのではないかと思います。また、その後の系統の改廃の中で八幡町を起終点に環状運転をする系統が晩年まであったようで、「中央循環」というバス路線として存続していたようですが、もしかしたら今はもう無いのかもしれません。

【電停の名称あれこれ】

[10701]にてuttさんにご提示いただいた路線図を元に中央循環部分についてまとめます。

<中央循環線>
仙台駅前~元寺小路~花京院通~錦町~レジャーセンター北警察署前~県庁市役所前~北四番丁~北鍛冶町~大学病院前~北二番丁交通局前~公会堂前~大町一丁目西公園市立天文台前~片平丁検察庁家庭裁判所前~狐小路裁判所前~東一番丁仙台郵便局前~東二番丁郵政局前~東五番丁~仙台駅前

1926年から1928年にかけて完成した最も古い路線ですが、随所にかつての城下町の名残を残す地名が見られますね。東一番丁は、周知のとおり現在の南北のアーケード街である「一番町通」、「東五番丁」は愛宕上杉通にあたります。北四番丁は、地下鉄駅名になっていますね。
また、仙台郵便局は現在の仙台中局のことと思われ、公会堂は市民会館、仙台北警察署は現在は北仙台駅の付近に移転しております。狐小路、元寺小路、北鍛冶町などは、いずれも住居表示によって見かけ上は姿を消した地名たちです。

なお、電停名は1970年2月1日の中心市街地がいっせいに住居表示されたことなどに伴い、「元寺小路」は「中央一丁目」に、「花京院通」は「花京院」に、「東五番丁」は「中央三丁目」になるなど、大幅な変更が行われたようです。

仙台市では、地下鉄東西線の建設に向かって事業計画が進捗中です。これにより、八木山方面と卸町・荒井方面を結ぶ新交通軸が形成されることになりますが、やはり中心市街地の交通渋滞を確実に減少させることができ、一定の集客能力を持つものでなければならないと思います。

一方で、現在のバス路線の多くは、仙台駅と郊外の住宅団地とを結ぶ形となっており、仙台駅を中心に放射状に伸びている形になっており、市内中心部ではバスが溢れかえるようになっていまして、また千台駅前の降車場も駅からは程遠い場所であることが多く、利便性がよいとはいえない状況です。

八幡町や、北仙台などの郊外空のバス路線が集る拠点を軸に、再び市電路線を市街地で循環させてバス路線を集約するなど、市電の活用法も考えられるところですが・・・。地下鉄東西線の建設最優先の市側に、市電を考える余地はないのかもしれませんね。

いずれにしても、市電が走る仙台の町を見てみたかったですね・・・。

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