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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

「地形図」に親しもう!

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記事数=20件/更新日:2006年2月8日/編集者:YSK

わが国で発行されている「地図」も、元を辿れば、国土交通省国土地理院が発行している「地形図」を基礎としています。土地の起伏や標高、土地利用が記載されている「地形図」に注目してみました。ちょっとした書店であれば入手可能な「地形図」に親しんでみませんか。

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[1361] 2002年 5月 3日(金)01:30:28Issie さん
Re:そのような地図を見かけた事ならありますが
柏書房という出版社が精力的に昭和戦前期以前の地図類の復刻を行っています。
これまでにみたのは,
・明治・大正期の国内5万分の1地形図(全国)
・植民地時代(昭和初期)の日本領南樺太全域の5万分の1地形図
・植民地時代(昭和初期)の朝鮮全域の5万分の1地形図
・1935年ごろの満洲国全域の5万分の1地形図
・日本軍による侵略たけなわの1930年代後半の中国大陸部5万分の1地形図
・明治・大正期の国内主要都市の商工地図(市街図)
・昭和前期の国内主要都市の商工地図

どれも,やはり少し大きめの図書館においてあります。
たとえば,東京だったら日比谷や麻布の都立図書館には必ずあります。
何分,地形図そのままの判形ですからとても大きく,重たい冊子ですが。

…個人で購入する気には…,とても,とても…。
[3108] 2002年 9月 15日(日)00:37:58YSK さん
住所
[3101]
地名は、住民票の住所(以下、「住所」と言います)以外に、たくさんあるものです。

国土交通省国土地理院が発行する2万5千分の1地形図を見ると、住所以外の多くの地名が書かれていることがあります。「小字」などと呼ばれ、住所よりも範囲の小さい区域を呼ぶローカルな地名です。都市化の進んだ大都市圏周辺では、住所以外あまり表記がないかもしれませんが。

大字や町丁名(~町や~○丁目など)をさらに細かく分けた地区名を設定し、地区の活動の基礎単位としている自治体は多いと思います。
私の町でも、住所は「群馬県太田市○○町」ですが、地域のイベントや、市や地区からの広報文書の回覧などは、「行政区」とよばれる、住所よりも細かい地域単位で行われます。市が住民に文書を配布したり、さまざまな広報活動をお願いするときなど、行政と住民のパイプ役をする地区の代表である区長さんも、この「行政区」単位にいらっしゃいます。

かつさんの町でも、地域活動を行う場合、住所である「甲」「乙」よりも細かい地域単位を行政が用いていて、その地域単位が日常的な地域名として使われているのではないでしょうか。

次に、「地籍」と「住所」の関係です。
かつてはあまた存在した地名ですが、近世以降地域を組織として管理する必要が生じてくるにつれて、いくつかの小地名を統合した大きい地名が作られ、これまでの地名はこの新しい単位のしたの構成単位を示す地名になるという、「地名の整理統合」が行われるようになりました。

それが、人口の増加、地方自治制度の確立に伴い、急速に推し進められ、「地籍」や「住所」の体系が整理されてきました。

「地籍」は土地の番号、「住所」は建物の番号、と区別すると分かりやすいですね。

「地籍」は、土地の地番、所有者、地目、面積などを記述し整理するためのものです。土地の所有者や地目の区別に応じて土地は複雑に区分されています。そして、必要に応じ大字よりも小さい地域単位(「小字」など)で整理されていることもあります。市区町村役場や法務局で、それらを整理した図(公図)を見ることができます。

一方、「住所」は「建物」につけられた番号です。通常は、建物のある土地の地番と同一です。ただ、複数の地番の土地の上に1つの建物があったり、マンションやアパートのように複数の世帯が1つの建物・土地上に居住することもあるので、「住所」と「地籍」は必ずしも一致しません。

さらに、近年は「住居表示」制度も行われています。
これは、市街地などにおいて、住所を従来の地名・地番による方法から、「○○~丁目△番□号(丁目はないこともあります)」という形式に整理する制度です。

この住居表示もまた、「建物」の番号を簡単な表記に整理したものなので、「土地」の番号(地番)の変更を伴いません。したがって、住居表示が行われた地域では、住所(住居表示)と地籍上の地番(土地の地番)とは通常一致しません。
[4503] 2002年 11月 4日(月)10:59:32Issie さん
地図
諸般の事情でノートを新型機に替えたのはいいけれど,これがWin-XP機で甚だ使い勝手が悪い(特に職場のネットワーク環境)。そこで Win-2000 に入れ替えてやろうと,あれこれ試してみたけど,どうもうまくいかないらしい。CDドライブが外付けのUSB接続で,そいつを2000のインストーラーが認識しないせいかしら。そんなわけで,システムの再インストールを繰り返している連休なのでした。

で,地図。
WEB上の地図は,全く使いません。見やすくないから。
これは好みの問題になりますが,デザインとしてあまり好きになれない。
パソコンの画面って見にくいし,電話料金も気になってしまう(実はフレッツだから,課金を気にする必要はないのだけど,気持ちとして)。

というわけで,基本は紙媒体の地図。
お仕事の関係で“教科書”としての地図帳はいろいろ使っているけど,個人的に好きなのは二宮書店。帝国書院よりも色が抑え気味で,いいですね。
(小中高の社会科[高校は地歴科]で使っている地図帳は「検定済み教科書」です。大きめの本屋さんでも売っているけどね。)

市販されている地図帳では,昭文社の「県別マップル」シリーズがいいですね。
・各県ほぼ全域にわたって一貫した縮尺で表示してある。
・大字(町)ごとに色分けしてある(最新バージョンでは読み仮名も振ってある)。
・バス路線が掲載されている(バス停には,しばしば極小地名が採用されている)。
全県版ということで,市街地図としては縮尺がやや小さめ(3万分の1が基本)なのは止むを得ないところです。

あと愛用しているのは,地図帳ではなくてバラ売りの国土地理院20万分の1地勢図。旅行で移動するには,このくらいの縮尺の地図が一番使い勝手がいいように思います。
以前に「郡」について調べた関係で,郡制施行前の段階(1880年代半ば)の郡界と郡役所を書き込んだものがほぼ全国(沖縄と離島を除く)にあるのですが,作業したのはもう10年ほど前のことですから,そろそろ差し替えなくてはなりませんね。
街中を歩くときは,何だかんだ行っても“2.5万分の1の地形図”は便利です。余分な情報がないからですね。不足する情報は自分で書きたせばいいのです。ただし,もっと詳しい情報が必要なら,民間地図会社の市街図の方がもちろんはるかに便利です。
…って,これじゃ学校の「地理」の授業になっちゃいますね。

お仕事は…,すでにバレてますね。
[6793] 2002年 12月 22日(日)12:20:32【1】らるふ さん
地形図でたどる鉄道史
[6773] ken さん
今尾恵介さんのホームページ見てみました。
その感想は、「地名の謎」は知ってましたが、「地形図でたどる鉄道史・西日本編」も持ってる、と言うか愛読書の部類で、おまけに「おお、同年代やんか」と言った感じでした。今まで著者をよく知らずに読んでいたので、今後はキチンと注目したいところです。
天井川の下をトンネルで突き進むようにつくられた、東海道線や奈良線の経緯についも書いてくれないかなぁ・・。
[8727] 2003年 2月 5日(水)04:02:44ぷりぷり さん
都市の規模を地図から
[8685]でるでるさん [8686]雑魚さん
 こちらこそよろしくお願いします。
 私のHNは[8549]によるものです。今後ログ見る人が迷うのも面白かろうと思って。
 事後承諾になりましたが,この名前,しばし貸してください。深謝なんて畏れおおいです。>雑魚さん

 本題に入ってちょっと地図の話を。
 私は国土地理院発行の地図をよく使います。使うといっても,ひまつぶしに眺めることも含みますが。今日は20万分の1地勢図について。
 20万分の1地勢図は美しいです。みなさんはごらんになったことありますか? 山の緑のぼかしなんか,一目で主の尾根谷が判読できます。早く軽くの「なんでもかんでも数値化時代」に逆行してしまうのでしょうが是非残してほしいものです(昨今20万分の1も数値地図化したようですが,ぼかしは残る?残らない? ご存じの方いらっしゃいませんか)。
 さて,20万分の1には「都市」という記号があります。図式規程が手元にないので推測で書きますが,中心市街地(商業地)が赤色,住宅等を中心とした密集地が茶色といったものです。ある程度の規模の都市ならば,市街の中心とおぼしき区域が赤色塗りつぶしで,その周辺が茶色の塗りつぶし区域になります。小規模な「都市」ですと茶色の区域のみの表現になります。
 ここに昭和31年と平成8年の「徳島」があります。このなかの赤色で塗られた街を徳島県内に限って挙げると

昭和31年平成8年
鳴門市撫養地区のみ赤色
板野町→茶色
徳島市赤色維持
小松島市わずかに赤色維持
石井町→都市記号がなくなっている
鴨島町→茶色
川島町→茶色
市場町→辛うじてわずかに茶色
穴吹町→茶色
脇町赤色維持
貞光町→茶色
半田町→都市記号なし

この40年間に赤色の街は12から4になってしまいました。もちろん記号の基準が変わったことも考えられますが,ミクロな地方中心都市の集積機能が(相対的にでも)沈下していった様が見て取れます。たしかに市場町では旧道沿いのよろず百貨店をはさんで商店が数軒続くといった趣でした。40年前当時はにぎやかだったのでしょう。その点,脇町は県の出先機関などが人を集めるのか,赤色の街を堅持しています。実力派ですね。

 私は30年代の地勢図における赤色街を「旧版地形図のある本屋」探しの規準の街にしていました。
古くに商業が発達している → 本屋がある → 最近は売れない → 奥の棚に当時の地形図の売れ残りが眠っている
 といった連鎖で。あまり高い確率では発見できませんでしたが,ごくたまーに「よくぞこんなところに何年も」という出会いもありました。

 と,以上,長々と書きましたが,いくら地図記号に規定があるといっても,所詮地図編集者の主観によるところが大きいことは否めません。同じ規模の街なのにこっちが赤であっちが茶色,ということはよくある話。都市規模を判断する多くの事柄のひとつとして読み流してください。
[8795] 2003年 2月 6日(木)03:46:34ぷりぷり さん
れすなどです
[8790]てへへさん
 早速調べていただいてありがとうございます。確かにうつくしくない...。やはり一般に売れるデータ量としてはこれが限度でしょうか。

関連して,
 2万5千分1地形図が全てベクトルデータに置き換わることを受けて,15年度から刊行される同地形図がリニューアルする予定です。明治代の迅速2万分1からマイナーチェンジをくり返してきましたが,今回は初めての大幅変更ではないでしょうか。ちなみにきっかけは「世界測地系」への移行(世界標準の経緯度の採用-これまで日本独自の経緯度位置だった)です。

主な変更点
1.図郭範囲が広くなる。今後は隣接する図と数センチ重複する。海ばっかりの図面はなるべく重複させ陸地を多くのせる。
2.地名など文字が全てゴシック体に
3.3色刷りが4色刷りに
4.温泉(泉源)記号は湯気が直線だったのを昔のように「ゆらゆら線」に戻す
5.鉄道貨物線の記号を新設(灰色のはたざお線)

詳しくは
http://www.gsi.go.jp/WNEW/TEC-NEWS/2002/tec116.html
にあります。

なんだか,なじみのない人には「何書いてるんだ」と思われましょうが,「ちずらー」にとっては一大事。眺めが変わりますから。異国のようかも(←大げさ)。

岩国ネタがありましたので。
 錦川がとてもいいです。中国地方とは思えない透明な水,広い河原。錦帯橋を過ぎて門前川と今津川が分かれるところにある大きな楠の木群。錦川が岩国の街を独特なものにしていると思います。(それにしても岩国にも麻里布にも飲み屋が少なかった...)
[9031] 2003年 2月 10日(月)22:31:13Issie さん
方位
[9024] start さん
よく地図帳のメルカトル図法の世界地図でで日本から見た方角の線が引かれているものがありますが、

地図の世界から話をすれば,この場合,見てる世界地図が適当ではありませんね。
「方位」について,地図の世界では次のような定義があります。

(1) まず,方位を判断する基準となる点を設定する。
(2) その地点を通り,両極を結ぶ線の走る方向が「北」もしくは「南」であり,この線を「
子午線」とよぶ。また,これは「経線」と同じものである。
(3) この「子午線」または「経線」と直角に交わる線が「東西」に走る線である。
(4) ただし,地球表面は平面ではなく,地球は「ほとんど球に近い」立体である。
(5) したがって,基準点において「子午線」と直角に交わるように地球を分割する線は無数に存在し得る。
(6) ところが,地球中心を通るようにして地球を完全に2分割する割り方(切断面)は1つしかない。この場合の切断面と地表面の交点を結んだ線を「大円」と呼ぶ。
(7) そこで,ある基準点について「東」および「西」の「方位」を表す線は,
 「子午線(経線)に対して直角に交わる“大円”と地表面の交点を結んだ線」
と定義される。
これは「東西」の方位線以外でも同様。
要するに,基準点に対してある「方位」を示す線は,地球中心を通り地球を2分割する「大円」をつくる線でなくてはならない。

…というわけです。
「緯線」でもって地球を輪切りにした場合,その切断面が地球の中心を通り地球を完全に2分割できるのは「赤道面」でもって輪切りにした場合のみです。
だから,「赤道」すなわち“緯度0度線”のみは線上の任意の地点に対していつでも「東西」を結ぶ線たり得ますが,それ以外の緯線はどれも「東西」を結ぶ線となることはできません。

ただし,これはあくまでも「基準点に対して」の「方位」です。
たとえば東京を出発点に「東」の“方位”へ向かうとしましょう。
この線は東京を出発した瞬間は,東京を通過する子午線(経線)に対して直角に交わっています。ところが一歩,東京から「東」へ向かったときから子午線との角度は“直角”ではなくなります。
出発点が北半球である場合,「出発点に対して東の方位」に進むにしたがって子午線との間の角度は徐々に変化し,途中の通過点では「南東」へブレてゆきます。そしてそれは赤道を越えるときに最大となる。南半球に入ると徐々に「東」へ戻り始め,出発点のちょうど裏側(対蹠点)で再び子午線に対して直角に交わるようになります。
これが東京ではブエノスアイレスの東沖合い,ということになるのですね。

この関係を平面上で「正しく」表現するために工夫されたのが「正距方位図法」と呼ばれる投影法です。この図法による地図であれば,“地図の中心点”に対する地図中の任意の地点への距離と「方位」とが正しく表現されます。ただし,地図の中心点以外ではいかなる情報も正しくありません。
こうして引かれた「方位線」は,その線上の2地点間を最短距離で結ぶ線でもあります。「大圏航路」とも呼ばれます。

ところで,地球を一周する「経線」で地球を輪切りにすると,地球の中心を通り地球を完全に2分割することができます。つまり,経線はすべてが「大円」を作る線であり,したがってこの線は常に経線上の任意の点に対して「南北」を結ぶ「方位線」たり得ます。

けれども,ここまでの説明は私たちの通常の感覚からはかなりズレたものですね。
現に私たちは方位磁石を見つつ「東」の“方角”を確認しながらまっすぐに進もうとします。
こうして進む針路も「直線」ではあるのですね。しかしこれは出発点に対する「東」の“方位”へ向かう直線とは別のものです。
地球表面を通り,経線に対して直角に交わる「直線」が複数存在し得るのは地球表面が曲面であるせいです。
ともかく,磁石の針を見つつ“北に対して右90度”つまり「東」の方角へ針路を維持して進んでいけば,同じ緯線上の目的地へ到達することができます。
これは「真東」だけでなく,“北に対して右45度”つまり「北東」でも,“北に対して左135度”つまり「南西」でも同じです。
この理屈に基づく航海法を「等角航法」とよび,羅針盤(方位磁石)の普及とともに発達しました。そして,このときの針路(等角航路)を常に直線で表すことができるように工夫された地図が「メルカトル図法」の地図でなのです。
しかし,この地図では子午線(経線)に沿って南北に移動する,あるいは赤道上を東西に移動するとき以外の大圏航路,つまり2地点間の最短距離線および「方位線」を直線で表現することはできません。

それもこれも,大地が平面ではなく,地球が丸いせいです。

「西に10km移動する」というのは緯度を変えずに移動するのとは違うので、
北極点からスタートすると少しずれた位置にゴールするのではないでしょうか?

ですから start さんのこの疑問は正しいのです。
厳密に言えば,北極点からスタートしても完全に元の位置に戻ってくることはできないでしょう。
…とは言っても,「西へ10km」程度ではほとんど無視してかまわない程度の誤差であろうと思います。

日常生活の中,たとえば20万分の1地勢図1枚分程度の範囲では私たちはこのようなズレを気にする必要はほとんどないと思います。
けれども定規を地図の上または下の輪郭線に当ててみればわかるように,この大きさですでに「方位線」を“東”へ向かう場合と「緯線」にそって“東”へ向かう場合のズレは生じています。
図郭の左上・北西隅を基準にして左側つまり西側の図郭線(経線)に対して直角な線を右へ引いてみましょう。徐々に上の図郭線つまり北側の「緯線」から離れていくことに気づくでしょう。
これが「緯線」と「方位線」のズレです。
これが積もり積もって,「東京の東」が赤道を越えた地球の裏側,ブエノスアイレス沖になってしまうのです。
[9038] 2003年 2月 11日(火)00:30:22Issie さん
方位:少しく訂正
つい,うっかり書いてしまったけれど

図郭の左上・北西隅を基準にして左側つまり西側の図郭線(経線)に対して直角な線を右へ引いてみましょう。徐々に上の図郭線つまり北側の「緯線」から離れていくことに気づくでしょう。
これが「緯線」と「方位線」のズレです。

これは正しくないですね。
別に「たての図郭線=経線」に直行する線を引いたからといって,それが「方位線」というわけではない。
ここで言いたかったのは,20万分の1地勢図だと図郭の上辺と下辺,つまり「緯線」は直線でなく少し曲がっている,ということ。これは元になっている5万分の1地形図の図郭が台形(上辺が下辺よりもわずかに短い。左辺と右辺,つまり「経線」の長さは同じ)になっていて,それを縦4枚・横4枚,都合16枚分貼りあわせたからです。
なぜ上辺と下辺の長さが違うかといえば,それは緯度によって緯線の長さが違う(緯度0度線=赤道が最長で約4万km,北緯90度線および南緯90度線つまり北極点と南極点が最短で0km。つまり極に近い緯線ほど短い)からで,左辺と右辺の長さが同じなのは緯線同士の間隔は常に同じ,なぜなら経線の長さはすべて同じ約2万kmだからです。

あそこの説明で方位磁石を持ち出したのは「等角航法」の説明のためと思ってください。
磁石が指す「磁北」と,自転軸と地表面の北側の交点(北極)の方向である「真北」とは少し違うわけですが,とりあえず大雑把な生活をしている間は日本辺りでは気にする必要はないでしょう。

いずれにせよ,その他諸々,地球表面が曲面であることから起こる平面上とのさまざまなズレは,少なくとも20万分の1地勢図1枚分くらいの範囲であれば,無視して平面と考えておいてもさほど不都合は生じません。

…というわけで,あれは「方位」の説明であって,クイズの解答に至る道筋ではないのです。
答えは…,私にはわかりません。
[9285] 2003年 2月 15日(土)22:05:59てへへ さん
旧国鉄以外で最東端の駅候補の僅差について
[9233]まがみ さん
※旧国鉄以外で最東端の駅ですが、新さっぽろ か 三沢(十和田観光電鉄)か微妙なところでしたが、僅差で 新さっぽろ の方が東にあります。
僅差がどのくらいなのか気になり概算してみました。大体の距離を知りたいだけなので、地球を赤道半径の球(実際は歪んでいます)と見なし、緯線に沿った経度の差に相当する弧の長さを比較してみました。弧の長さなので直線距離より少し長くなりますが。
緯度経度経度1度の距離東経141度線との経度差に相当する弧の距離
新さっぽろ駅北緯43度2分20秒東経141度28分26秒108.1551.25
三沢駅北緯40度40分5秒東経141度21分13秒108.0538.21
13.04
ということで、新さっぽろ駅の方が三沢駅よりも約13Km東にあります。

参考)
・緯度と経度:国土地理院「地形図閲覧システム検索インデックス」 http://mapbrowse.gsi.go.jp/mapsearch.html
「地名・公共施設名による検索」にて、新さっぽろで検索して25000分の1地形図を表示し駅の場所を探してクリックし緯度と経度を取得。クリック地点により多少、値が異なります。
・赤道半径[km]:6378。岡山県小田郡美星町 http://www.town.bisei.okayama.jp/stardb/sol/data/sol0070.html
・経度1度の弧の距離[km]:2π(r・cosθ)/360(但し、赤道半径r[km]、緯度θ[rad])
 ※[度]から[rad]への変換例。43度2分20秒は、{43+(2/60)+(20/3600)}/180=0.2391[rad]

まがみさんは日本一の駅という話題の本筋から外れるために、この僅差についてあえて触れていないと思われますが、横槍レスをお許しください。
[9546] 2003年 2月 21日(金)00:13:47ぷりぷり さん
お詫び申し上げます。
 私の[9048]における書き込みでUTM図法に関して誤った知識を元に書いておりました。これを読まれたすべての方に深くお詫びします。特にIssieさんに対しては,申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 以下に訂正します。

地形図・地勢図はゾーン内の中央子午線に偏った台形です。
 理論上,UTM図法において緯線経線で囲まれる範囲は台形ではありません。緯線は(北半球なので)両端が上方に反った線。経線はゾーンの中央子午線なら直線,それより西に位置する図郭ならわずかに西へ膨らむ円弧,東に位置する図郭なら東へ膨らむ円弧になります。言い換えるとゾーンの中央子午線(と赤道)以外はすべて曲線で区切られていることになります。
 ただ,5万分1,2万5千分1地形図はその四辺が曲線で表現しなければならないほど長くないので国土地理院では敢えて誤差を無視して直線で区切っているそうです。

1枚の20万分1地勢図も1ゾーン内にありますので上辺下辺は直線です。
 一方20万分1地勢図は一辺の距離が長いので Issieさんの言われるとおり曲線として作成されています。実際に定規を当てて見ると明らかです。

 以上です。こんな基本的なところを30年近く誤認識しておりました。全く恥ずかしい限りです。私の書き込みによってご迷惑をかけてしまった方がいらっしゃっいましたら深くお詫び申し上げます。
[10440] 2003年 3月 5日(水)02:56:28【1】ぷりぷり さん
おそろしや
 時間がとれず辛うじてROMしています。
 今日は岡山でも雪が舞いました(あ,昨日か)。南から市内へ入り,山陽本線をくぐる地下道を抜けると雪でした。どうやら山陽本線が県北と県南の境のようです(冗談)。

[9980]地域研究家さん
 ありがとうございます。
そうでしたか,年輩の方々にはご苦労されていたのですね。よくわかりました。
 ところで

冊封体制下

とは,どのような体制なのでしょうか。辞典替わりにして恐縮なのですが解説をば,おねがいできましたら。


[10410]紅葉橋知之助さん
 私も堀淳一氏の著書を愛読していました(しています)。「地図のたのしみ」でしたか,北海道の倶多楽湖の北にオタマジャクシのような形をした台地がある(地形図の等高線の話です)なんてのが,あったのは。
 あれに影響されて中学の時,夏休みの読書感想文に「5万分の1口之津を読んで」を提出したことがあります。そのころから地形図を持って近隣を自転車でさすらうようになり,「その土地へ行った証に」と郵便局で100円積み始め・・・親父の言う「転落人生」の始まりの書でしたな(苦笑)。この本を買ってきてくれたのは親父でしたが。

 現在の氏の著書は世俗を卓越してしまった「地図好きの好々爺の作品」という印象になり,その作品は淡い色の風景画を観るような精神的開放感があります。

 最近地図エッセイは今尾恵介氏の作品をよく読ませてもらっています。本屋で何気に手にとって以来,ハマりました。同じように地図をこね回す人がいるんだなぁと。「自宅から鎌倉までなるべく一直線に進む」という話がありましたが,私も「出張先から岡山まで一直線に帰る」ことをよくしてました(幹線道路利用より時間はかかる場合がほとんどですが)。


 さて,過去の私の中途半端な書き込みもそのままに,週末から つくば市内へ長期出張です(さすがに岡山と つくばを一直線には行けないでしょう)。出張先はネット環境にないので帰ってきてから過去ログをチェックすることを思うとおそろしい。
[10414]管理人さんのようなことは つくば市内では無理かな。「のんだ街」を増やしたいのだが・・・。
[10762] 2003年 3月 8日(土)21:49:52YSK さん
仙台について、レスをいただきありがとうございます。
[10758]だんなさん
[10745]ほか、seahawkさん

仙台は、私が大学時代を過ごした町です。地理をやっておりましたので、多少仙台の街については、知見があるので、度々ここでは仙台モードになってしまいます。6年もいましたので。

仙台市電が話題になりましたが、仙台の都市化の進展と仙台市電の興亡について最も簡単に理解できるのが、財団法人日本地図センターが発刊している図集・「地図で見る仙台の変遷」です。明治期・昭和初期・戦後間もなくから最近までの、仙台市周辺の地形図6枚がセットになっているものです。

今、1946(昭和21)年頃と、1964(昭和39)年頃の地図を見ておりますが、両年共に芭蕉の辻線を除く市電が描かれております。

また、この18年の間に、仙台市の都市化は目覚しいようで、1946年のほうは、本当に仙台の市街地は市電の環状線が取り巻いている範囲に限られている感じで、そこから街村のように、原ノ町方面、荒町・南鍛冶町を経て長町方面、東照宮へ向かう宮町、奥州街道に沿って堤町方面に続く市街地と、線上に市街地が形成されているようです。その周囲は、広大な平地に水田が広がり、集落がその中に点在する佇まいです。

1964年になると、そういった線上に市街地が展開した地域でも面的な展開を見せるようになり、仙台バイパスも広瀬川以南は完成しております。

また、「芭蕉の辻」もしっかり記載されております。6編の地図を見ることにより、「芭蕉の辻」が仙台の中心としての位置から、次第にその地位を奪われていく様子が理解できると思いますよ。

私は、この図集を仙台駅前の某書店で買いました。他の都市のバージョンもあり、広島市のものも持っております。値段は3000円弱です。関心のあるかたは、購入してみてはいかがでしょうか?

また、仙台の地誌で、私が主に参照する文献は

東北地理学会(1992)『仙台とその周辺 エクスカーション・ガイド』
佐々久(1974)『仙台の散策 歴史と文学をたずねて』宝文堂
吉岡一男(1990)『新・仙台の散策 歴史と風土を訪ねて』宝文堂
菊地勝之助(1971)『仙台地名考』宝文堂

などですね。最初の一冊は、仙台市とその周辺の地理的なトピックについて、細かく紹介されたガイドブックです。二冊目と三冊目は、時代背景の変化がよく出ております。三冊目は、政令市移行が若干意識されている一方、二冊目はまだ古い時代の仙台の残像も感じられます。四冊目は、仙台城下町の古い地名を知ることができる文献の決定版です。市街地中心部の住居表示と旧字との対応表や、旧城下町の町割の図などが載っていて、かなり興味深い内容です。
[12710] 2003年 4月 8日(火)19:05:31【4】三丁目 さん
お礼、池袋、国土地理院、と、どろろ
[12664]YSKさん
私の[3904]の「平野」についての基準(中おもいっきり略)間氷期(氷期と氷期の間の暖かい時期)
詳しく解説して頂き、ありがとうございました。用語に注釈をつけてお話されるのは、さすがに丁寧で、いろいろと配慮されるYSKさんだなあと、思いました。実は、拙稿[12643]での書き方が舌足らずだったと反省してまして、かねてから「金沢平野は(中略)川の運んだ土砂でできた平野で、この中心は手取川扇状地である」の記述に引っかかっていたのです。平野の中心を形作っているのが扇状地ということは、平野の方が面積としても用語としても広いのかな、扇状地<平野、三角州<平野、河岸段丘<平野なのかな、そうすると平野って一体何?と思っていたのです。本当は授業で習ったときに、先生に質問すべきだったのですけれどね。最後に付け加えるようで申し訳ありませんが、ご復帰おめでとうございます。

[12662]スナフキんさん
「池袋」が出てこないことに改めて気付きました。よくよく考えると、あれほどのターミナルにもかかわらず、ペデデッキはおろか歩道橋の類いも駅前から見えたような記憶が全然ありません。
池袋の話が出ましたから、ちょっとだけデパート関連本で読んだお話。池袋は、駅の東西に西武と東武という巨艦デパートがひしめいているために、街としてあまり広がらなかった、とありました。サンシャイン60が起爆剤となって東口が開けるかと思われましたが、サンシャイン通りが整備された程度にとどまり、中途半端な形に終わったそうです。

西口も、東京芸術劇場をはじめきれいに整備されましたが、人の回遊は結局、駅周辺からサンシャインまでの線的な動きで、あまり面として広がっていないとありました。なるほど、と思ったものですからご紹介した次第です。池袋止まりだった赤羽線が、埼京線として新宿、渋谷と延伸されたことも、埼玉方面からの人の動きに影響しているそうですね。

この話題でのご提供によって、池袋「単品」では話がふくらませられないと思っていたものですから、きっかけを頂き、ありがとうございました。

[12584]KMKZさん
以下のページで大宮駅西口の変遷が良くわかります。
お礼が遅くなって申し訳ありませんでしたが、ご紹介頂き、ありがとうございました。早速、昨日見ておりました。大宮駅西口の、再開発により大変貌していく様子が、よくわかりました。


ところで話は変わりますが、職場で面白そうなものを見ている人がいたので、「それな~に?」と聞いたら、国土地理院の航空写真紹介でした。まだ載せられている地域は狭いのですが、ご興味を持たれましたら、国土地理院トップページhttp://www.gsi.go.jp/ から>(右下黄緑の欄)地理情報の閲覧・提供サービス>(真ん中あたり)空中写真を見る(東京・大阪・名古屋)、とやっていけば、見られます。よくよく見ると、このHPは、このサイトの皆さんにとって、宝の山のようですね。

最後にまたレスですが
[12657]雑魚さん
手塚漫画は決して子供向けだけではない、と思い知らされたものでした。
[12680]KMKZさん
>私の好きな「どろろ」をしみじみと読むこの頃です。
KMKZも「どろろ」は好きですよ。
どろろでレスを頂けるとは、思ってもいませんでしたので、調子に乗って少々。最初はあえて地理に絡めておくと、ときは応仁の乱後の戦国時代、舞台は北陸地方と、よく紹介されていますね。東尋坊を思わせる断崖絶壁、ばんもんの巻で出てくる富樫領(加賀)と朝倉領(越前)の争いなど、手塚治虫らしい、異色時代劇です。アニメの方も(ここからアニメの話しに切り替えますが)、カラーが主流だった1969年放送にもかかわらず、流血シーンが多いのと製作費の関係で白黒でつくられました。アニメブームの頃には、まだ画像の再生技術が廉価でなかったため、LPレコードを買って、音だけで私はドラマを楽しんだものです。昨年、DVDソフトを買って、やっと音と映像で全話を楽しみました。体の48箇所を魔物に取られた百鬼丸(主人公)が、魔物を倒すごとに体を取り戻し、最後の妖怪として自分の父親を倒すことで取り戻した部分が「人としての心」とは、、、そして、どろろ(主人公)に込められた手塚治虫の思いは、、、と、どこかの解説で読みました。原作の漫画とはラストが異なりますので、ご存知でない方には、念のためお知らせいたします。

[12472]で太白さんがおっしゃっていた、1件当たりの書き込み文字数が多いことを、最近自覚しました(笑)。計算はしていませんが、Issieさんの方が、1件当たりは上かとは思っていましたよ。自覚はしましたが、私のペースはたぶん変わらないだろうと思うのでした(笑)。長々と失礼いたしました。
[12741] 2003年 4月 9日(水)08:58:17KMKZ さん
日比谷入江、指ヶ谷、国土地理院のHP
[12735]YSK さん
江戸が都市として町割を進める際に、まず入り江だった日比谷を埋め立てたという話をきいたことがある
[12725]でもリンクを張った以下のページには、
http://homepage1.nifty.com/yanaken/kandagawa/history/histmapview.htm 神田川下流の流路の変遷
日比谷入江は、のちに徳川幕府によって大半が埋め立てられて大名屋敷の敷地となり、一部が江戸城の内堀となって現在に至っている。
 つまり、現在の皇居内堀の東側部分は、「海のなごり」だということになる。
とあります。

[12729]TKS-H さん
私はつい数か月前まで指ヶ谷小学校が投票所になる地域に住んでいた
KMKZの勤務先の近くです。

[12710]三丁目 さん
国土地理院の航空写真紹介でした。(中略)よくよく見ると、このHPは、このサイトの皆さんにとって、宝の山のようですね。
本当に宝の山ですね。航空写真以外にも2万5千分1地形図(但し、単色)や数値地図も試験公開ですが閲覧できます。
[21947] 2003年 11月 11日(火)23:25:13Firo さん
図書館・博物館の地図記号他
こちらでは、まだ話題としてでていなかったようなので、一応書いておきます。
このほど、国土地理院の2万5千分の1の地図で、新たに図書館・博物館
の地図記号を新設採用するそうです。
理由は、「数が増えた博物館や図書館の文字で背後が隠れる」からだそうです。
こうなると、市販の地図やCDでもこの記号が使われるようになるのでしょうかね。
(一部の地図ではすでに使われているようですが。)
そうだとすると、需要拡大の可能性もありますから、
業界にとっても歓迎すべきことなのかもしれませんね。
常連の方の中には、ありがた迷惑な話だと言われる方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)
詳しくはURLにて
http://www.asahi.com/national/update/1111/035.html

[21421]三丁目さん
私も、山手線のターミナル駅の1つの近くで仕事をしていますので、またとない機会
なのですが、いかんせん、スケジュールがまだはっきりしないので、
もう少し、時期が近くなったら改めてお返事したいと思います。
[21940]ぴょんさん
神奈川県の場合、比例区は確かに民主党の方が得票が多かったと思いますけど、
小選挙区は、自民党の当選者の方が1名差ですけど、多かったです。
ですので、ほぼ伯仲というところじゃないでしょうか。
もっとも、知事が民主党的なイメージの強い人ですので、そういうイメージが
あっても不思議はないですけどね。
[21925]太白さん
非フリーのメルアドを公開している方が、年齢だけ偽るのは不自然と判断しました。
ウェブ上だと、言葉ではいかようにも言えますよね。
いずれにしてもた書いている内容等で適宜判断する以外、
双方にとってこれといった証をたてる方法がないということは、
こういったやりとりの中で、
たびたび現れる大きな問題点ですね。
まあ、信用するしかないのかもしれませんが、
私はむしろ、多くの常連の方が、わりと安易に受け入れたことに対して、違和感を
感じ、前回の書き込みに至ったわけです。
[22093] 2003年 11月 18日(火)21:13:54【1】Issie さん
新しい地形図
あたしは昨日,午後の仕事をサボって,神田神保町の「内外地図」へ話題の新地形図を買いに行きました。

[21947] Firoさん
国土地理院の2万5千分の1の地図で、新たに図書館・博物館の地図記号を新設採用するそうです。

新しい地図記号の登場については,実はこれまでにも何度もあって今さら話題にするほどのことでもないと思っていたのですが,新しい地形図を手にして驚いたのは,地図の仕様そのものに比較的大きな変更があったことでした。

何よりも大きく変わったのは図郭の切り取り方で,要するに隣接する図幅との間に“重複する区域”が生じたことです。
見た目一瞬,まず気がつくのは描写された範囲の大きさなのですが,従来の図郭の切り方に比べて,東・西・南・北のいずれの方角についても描画範囲が拡大して,隣りの地図と重複するようになったのですね。
従来は図郭の四端の線で以って折り返せばそのまま隣りの地図と貼りあわせることができたのだけど,今度はやや内側の経線・緯線で以って折り返す必要が生まれます。

畢竟すれば,今回の「改訂」でより重要なのは“新しい地図記号の制定”ではなくて,おそらくは陸軍参謀本部が“陸上軍用地図”の作製を始めて以来,120年ぶりの“大改訂”になる「地形図の仕様」そのものの大変革にあるはずなのです。

要するにマスコミで喧伝される報道は,思いっきり「本質」をはずしているわけで…。
ま,「マスコミ」っちゃあ,その程度のものなんです。
[22111] 2003年 11月 19日(水)09:49:19スナフキん さん
新しい2.5万図のお話
[21972]三丁目さん
[21947]Firoさん
はじめ、皆さんから意見がたくさん出ていますね。本来なら本職の私が真っ先に飛び付くべき話題なのですが、日常業務の多忙に加えて週末にかけて今年は復活した社員研修(=旅行ですけど…)の幹事を任されていたため、ろくにレス付けられないまま日が経ってしまいました。

基本地図屋さんならともかく、私どものような編集地図屋にとっては、乱暴な言い方をすれば今回の地形図図式の大改訂、痛くもかゆくもありません。新しい地図記号が設定されますけど、何も編集地図において図式を国土地理院の地形図に合わせなければならないといった規定はないですし(独自の記号を生み出して使っている会社がほとんどです)、図取りが重複するように改められる件に関しても利便性が向上するといった程度の話でしかないです。これで版型が変わるとなれば収蔵スペースを再検討せねばならない大問題ですが、その変更はしないまま図郭のみを拡大するだけですから影響はほとんどありません。根本的に、編集地図において世界測地系を強く意識して作成する業務そのものがほとんどないので、むしろ今回はマスコミがよくもまあここまで騒ぐものだと半ば傍観者的立場でいるところです。

実は数ヶ月前から、別にオフレコネタでなくともうすうす地形図に関して、国土地理院から何らかのアクションがあるだろうことは想像していました。毎月25日に地理院が発行しているweb版マップニュースをつぶさに見ていると、ここ数ヶ月は2.5万分の1地形図の発行ペースが例年になく極端に鈍っています。代わりに5万分の1地形図が大幅に更新されている状態が続いており、正直なところ地理院が2.5万を基本実測図とするスタンスを改めてしまうのではないかとさえ思っていました。これを機にウンか年計画で全国の2.5万図を更新するとのことですが(このテの話は「予定は未定」的要素が多分に含まれているので、実際この通りに更新が完了するとは思えませんが)、その2.5万図を編集して作成している5万図の方向性はどうしていくのか、いつぞやブチ上げた新規格の2.5万図(青っぽい表紙のついたタイプです、ご存じでしょうか)の処遇はどうするのか、最近全く更新される気配のない1万図の更新をそのまま数年止めてまでこのプロジェクトを推し進めるのか、計り切れない部分がまだ多くあります。

毒舌を最後に吐くなら、どうもこの話、編集地図屋から見ると測量屋さんや製図屋、写植屋など地形図の作成作業を受注している企業に対しての仕事作り、に思えてなりません。それほど急を要するようにも思えないのにウン年、とスパンを区切ってしまうことにも疑問が残ります。
[22182] 2003年 11月 22日(土)06:30:00せか さん
新しい地形図
[22104] ゆうさん
全ての地形図が更新された後に、再び重複部がなくなる可能性もあるのでしょうか。

新しい地形図は全国シームレスのベクトルデータから作成されており、図郭単位のデータ管理という概念がなくなりました。紙地図ではそれを便宜的に図郭で区切っているだけなのです。これまでの地形図では図郭付近の注記(地名など)は図葉ごとに別の場所に配置されていましたが、新しい地形図では別の図葉でも注記は同じ場所に配置しなければならないので、重複部がなければ図郭付近の注記の文字が途中で切れてしまうことになります。よって、すべての地形図が世界測地系に更新された後も重複部がなくなることはないでしょう。

[22111] スナフキんさん
編集地図屋から見ると測量屋さんや製図屋、写植屋など地形図の作成作業を受注している企業に対しての仕事作り、に思えてなりません。

新しい地形図は数値地図と共通化されたフルベクトルのデータベースからコンピュータ処理によって自動作成されるので、写植といった作業は必要ないですよね。5万分1地形図もデータベースから紙地図用データを抽出する描画定義ファイルを変更することで、自動作成することができると思われます。
[44237] 2005年 8月 17日(水)18:37:40hmt さん
フランス式彩色地図から始まった地形図の歴史
[44128] 音無鈴鹿 さん
明治13年11月の角筈村付近の地図です。

年代からして、フランス式彩色地図(第一軍管地方二万分一迅速測図原図覆刻版)ではなかろうかと思い、楽しみに開いてみたのですが、残念ながらリンクされた頁が表示されません。

明治10年の西南戦争で 地図の必要性を痛感した陸軍参謀本部は、正式の三角点が整備されるのを待たずに、「迅速な測量による地図」の作成に着手しました。その結果、関東平野と房総半島・三浦半島の地域が、明治13~19年(1880~1886)という短期間に測量されました。明治日本が手がけた最初の広域測量です。

ところで、何故「フランス式」という名なのか?
開国後の江戸幕府は、ナポレオン三世時代のフランス陸軍の技術を導入しましたが、明治政府の陸軍も最初はこれを引き継いだのですね。だから軍用地図の原図も、フランス式地図をモデルにした芸術的な彩色図でした。

ところが、明治陸軍は、普仏戦争(1870~71、明治3~4)で敗れたフランス軍よりも、勝ったプロシア軍に見習うべきだ と方針を変えたために、地図もフランス式から 実用本位のドイツ式に代わってしまいました。原図がフランス式の彩色図で作られた二万分一迅速測図も、出版物は無彩色です。

hmtの持っている地図は、明治20年に出版、明治24年に修正再版された印刷図「内藤新宿」です。上記の原図に基づいてはいるものの、無彩色です。

まあ、当時の技術では、もともとカラー印刷は無理だったのかもしれません。彩色原図の覆刻版が出版されたのは、最近のカラー印刷技術の成果をふまえてのことです。

同じく二万分一迅速測図でも、明治17年(1884)に着手した京阪神地方の原図は、既にフランス式彩色が施されていませんが、明治16~17年作成の五千分一東京図測量原図は彩色図です。この頃に方針変換がなされたようですね。

なお、三角点・水準点の成果を用いる正式測図による地形図は、迅速測図が進行中の明治18年に2万分の1で作成が開始され、経緯度の表示もされるようになりました。
しかし、当時の日本の国力は、2万分の1で全国をカバーするには不足しており、1890年(明治23)に国土の基本図は5万分の1に改められ、1924年(大正13)に、内地全域の測量を完了しました。出版は翌年完了。

日本の国力が充実して、それまで特定の地域についてだけ作成されてきた25000分の1を、国土全域について作成することになったのは、1964年(昭和39)のことでした。そして 1983年(昭和58)には、北方領土を除く全国の図が完成しました。

1968年に、北アルプスの空中写真を図化して地図を作成し、その副産物として剱岳の標高が2998mに戻ってしまったという事件[43689]は、この過程で生じたことなのでした。
[49055] 2006年 2月 8日(水)12:50:30てへへ さん
風車と老人ホームの地図記号
[44755] 爺爺岳 さん
国土地理院が「風力発電用風車」と「老人ホーム」の地図記号のデザインを、小・中学生から公募します。
[44760] 右左府 さん
小中学生のアイディアでどんな地図記号が生まれるか、楽しみなところですね。
 この新しい地図記号が先月1/25に発表されました。このリンク先の「資料-1」に新しい記号が出ています。シンプルなデザインですぐに慣れそうです。
 例として出ている1/25000地形図「尻屋」の風車郡がすごいので同じ場所を国土地理院のウオッちずで見てみました。
この辺りです。現在でも高塔のマークが大量に表示され壮観です。これがそのうち新マークの風車にかわるんですね。
(ちなみに国土地理院の現在の地図記号一覧です。)
昨日はこの新地図記号の入賞者の表彰式があったようです。各学校で表彰式をするようですが佳作も含めると1000人近い人が表彰されることもすごいですね。

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