[13260] 雑魚 さん
高等師範は、当初から官立にして旧制高校と同格的な位置付け、と考えて良いのでしょうか
ここで「中等学校」格,と言ったのはつまり,
“師範学校”は基本的に,高等小学校卒業後(現在の中学2年修了に相当)5年制の“本科一部”を主体としていて,これが(旧制)中学校や高等女学校,実業学校などの「中等学校」とほぼ同等とされていた,ということです(ただし,中等学校は尋常小学校卒業(現在の小学校卒業に相当)後の進路としてつながっていました)。
(旧制)中学校・高等女学校(5年制)卒業後の受け皿として“本科二部”(2年制)というのもありましたが,こちらはマイナーな存在であったようです。
それが1943年の勅令で「官立」に移管されると同時に,4年制の「中等学校」(中学校・高等女学校・実業学校を制度上の種別として統合)卒業者を受け入れる3年制の課程を“本科”とし,従来の“本科一部”に対応して国民学校高等科(従来の高等小学校)卒業者を受け入れる課程は2年の“予科”の後“本科”へ進学というシステムに変わりました。
中等学校卒業者受け入れという点で,これは旧制高等学校や高等専門学校と同等,となるのですね。
なお,はじめに確認すべきでしたが,「師範学校」とは義務教育(旧制では小学校[1941年以降は国民学校]のみ)の教員を養成するための学校として設置されたものです。
一方,「高等師範学校」とは“中等学校”(旧制中学校・高等女学校・実業学校・師範学校)の教員を養成することを目的に設置された「官立」の学校で,中等学校の卒業者を受け入れる4年制の課程でした。中等学校卒業者を受け入れるという点で,旧制高等学校・高等専門学校と同等,というわけです。
男子の高等師範学校が東京と広島,女子高等師範学校が東京と奈良に置かれて,それぞれが現在の筑波大学(東京教育大学を経て)・広島大学・お茶の水女子大学・奈良女子大学のそれぞれの一部につながるわけです。さらに1944年に金沢,45年には岡崎に高師が,広島には女高師が置かれています(だから,戦後の広島大学には旧制師範学校の後身の学部と,高等師範・女子高等師範の後身の学部が併置されたわけで,お互いの関係に微妙なものがあったように思うのですが,どうでしょう)。
男子の高等師範学校が受け入れた「中等学校卒業者」の多くは当初は師範学校の卒業者であったようですが,のちには一般の(旧制)中学校の卒業者が多くを占めるようになったのだそうです。一方,女子高等師範学校の場合は,事実上唯一の女子のための官立高等教育機関だったので,高等女学校卒のかなり優秀な生徒が集まったようです。
東京と広島の高等師範学校には後に「文理科大学」が併設されて,こちらの方が主体として扱われるようになりました。だから,東京教育大学の直接の前身は東京文理科大学とされています。もちろんこちらは「官立大学」で,旧制高等学校卒業者を受け入れる学校と位置づけられたわけです(現実には高等師範学校からの進学が主だったと思われます)。
東京学芸大、京都教育大、大阪教育大
これらはいずれも旧制師範学校の系譜に連なります。
北海道教育大学,宮城教育大学,愛知教育大学,福岡教育大学も同様です。
要するに「帝国大学」のあった県の師範学校は,そちらには統合されず単独の教育大学(学芸大学)とされているのですね(宮城教育大学は東北大学教育学部を経由していますが)。
各県の国立大学に統合された師範学校も含めてこれらの“教員養成系大学(学部)”の中には「学芸」という呼称を当初採用したところが少なからずありました。英語の pedagogy に相当します。旧帝国大学などの「教育学部」Faculty of Education とは微妙に位置づけが違っているわけです。もちろん,戦後半世紀の間に両者の垣根はずいぶんと低くなりましたが。
#奈良県の場合,新制大学への切り替えの段階では奈良女子高等師範学校と奈良師範学校しかなく,ほかに統合の対象となる官立大学を持っていませんでした。そのせいで,国立の「奈良大学」は編成されず(現在存在する「奈良大学」は私学ですね),それぞれ単独の奈良女子大学,奈良教育大学となっています。つまり,前の発言で言い忘れたのですが,奈良県だけはこのとき国立の総合大学が設置されなかったのです(いや,奈良女って「総合大学」だっけ…)。