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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

昔と今をつなぐ、金沢の歴史ある地名復活

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記事数=8件/登録日:2004年1月6日/編集者:special-week

加賀100万石として栄えた金沢市。歴史由緒のあるこの都市は戦災もそれほどなかったため、いまだに昔の名残をとどめている。歴史を活かそうと、条例を制定して旧町名を復活させる動きが活発化してきた。他の地方でも旧町名を復活させる動きはあり、金沢市の動向に注目が集まっている。

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★推奨します★(元祖いいね) EMM グリグリ 実那川蒼 地名好き たぬき

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[10365]2003年3月4日
だんな
[10828]2003年3月9日
地理好きのケン
[10831]2003年3月9日
だんな
[14029]2003年4月26日
だんな
[15022]2003年5月11日
だんな
[20506]2003年10月1日
だんな
[23421]2004年1月5日
なきら
[23442]2004年1月6日
EMM

[10365] 2003年 3月 4日(火)12:52:14だんな さん
住居表示
[10349]uttさん
住居表示により道を境としたブロックごとに住所を割り当てられ、消失した地名も多いと思われます。
そうですね。住居表示に関する法律の制定で全国各地の由緒ある地名が消えました。この法律では道路や水路などによるブロックで構成する街区方式と通りを挟んだ両側で構成する道路方式の二通り定めているのですがほとんどの自治体が街区方式を採用しています。
過去ログ[9279]でも紹介されているように金沢市では住居表示でいったん消えた町名を復活させているのですが、他にも理由はありますがこの街区方式によって思うように進まないのが実状です。
過去によかれと思ってやったことが後に大変なことになるなんて当時は予測もつかなかったでしょうね。
[10828] 2003年 3月 9日(日)10:48:10地理好きのケン さん
香林坊
金沢市の繁華街である香林坊ですが、町名変更以前の旧町名は何だったのですか。
[10831] 2003年 3月 9日(日)11:42:43だんな さん
Re.香林坊
[10828]地理好きのケンさん
金沢市の繁華街である香林坊ですが、町名変更以前の旧町名は何だったのですか。
住居表示以前は石浦町、仙石町、南町、高岡町北薮の内という町がありました。金沢市では住居表示によって500以上の町が消えてしまいました。
[14029] 2003年 4月 26日(土)11:27:27だんな さん
住居表示の影響
[14026]ゆうさん
「街区方式」と「道路方式」のいずれかを選択できます。
落書き帳で皆さんが日本式とされてるのが「街区方式」で、欧米式とされてるのが「道路方式」です。

金沢市は「街区方式」をとったために現在すすめられている旧町名の復活がなかなか進みません。いま復活させた町は街区で構成されていり(主計町)、住宅が少ないところ(飛梅町、下石引町)です。
そのために道路方式でも復活できるようにする特区構想があります。
[15022] 2003年 5月 11日(日)09:55:35だんな さん
旧町名の保存
[14966]ありがたきさん
東京都台東区で見かけたんですが、街路にある近辺住居地図みたいな立て看板には、住居表示にかかる丁目・番・号の表示と合わせて、住居表示実施前の旧住所も縮尺が違いますが地図入りで併記されています。これは由緒ある町名の保存の手法のひとつですね。
[15015]ニジェガロージェッツさん
神戸市兵庫区の兵庫津周辺では、「兵庫区歴史花回道構想」というのがあり、史跡の整備などが進められていますが、廃止された町名については、手付かずのようです。

全国各地で旧町名の記憶を残そうとしているのですね。金沢市では昭和54年から「歴史のまちしるべ」といって旧町名や坂道などの名称と由来の入った石碑を建てております。平成14年現在で219基があります。住居表示で消えた町の場合、旧○○町と表記されているのですが、復活した主計町などは復活にあわせて旧の字が埋められました。本当は住民の意向を汲んで復活できればいいのでしょうが、いろんな事情でなかなか進まないですね。

ありがたきさん、15000件目おめでとうございます。
[20506] 2003年 10月 1日(水)17:29:42だんな さん
祝・旧町名復活
今日10月1日は衣替えや東海道新幹線品川駅開業などイベントが盛りだくさんですが、金沢市では消えた町名がひとつ復活しました。金沢市役所裏手にある「柿木畠(かきのきばたけ)」です。柿木畠の名は寛永年間に三代藩主前田利常が火災の延焼を防ぐため空き地に柿の木を植えたことが由来とされています。1966(昭和41)年に住居表示整備で広坂1丁目の一部となり消滅しましたが、地元の熱意が通じ、今日37年ぶりに復活の運びとなりました。これで金沢市での町名の復活は「主計町」「飛梅町」「下石引町」「木倉町」についで5町となりました。

ただ、今後の復活については地元の要望が強くても、住居表示の街区方式が足かせとなって難しいケースがあるため、思うように進むかは未定です。
[23421] 2004年 1月 5日(月)17:56:57なきら さん
金沢市で旧町名復活
連続投稿すみません。
オーナーグリグリさん、だんなさん、ありがたきさん、EMMさん、三丁目さん、しっちいさん  (思い出すまま、ほかにもゆかりの方がおられましたらご容赦を)

本日の読売新聞夕刊トップに、金沢市で、全国で初めて、旧町名を復活させる条例が制定されるという記事が載っています。金沢市は、すでに旧町名を復活させて来ているのですが、昔の形で復活させることを可能にし、さらに円滑に復活を推進する条例を、今春制定するとのことです。
地名は文化であるとよく言われますが、これを尊重し、実行するところがさすが金沢ですね。
ただ、中心部で520も町名があった(このうち約300が失われた)ということなので、分かりにくくなることが心配されます。たぶん全部の町名が復活するということではないのでしょう。
[23442] 2004年 1月 6日(火)02:14:57EMM さん
生活の中に生き続けていた旧町名
長くなりそうだったので割りました。

[23421] なきら さん

金沢市は全国でも特に住居表示法による町名変更が極端に進められたところですが、それには理由があるのです。
実は、昭和38年、住居表示法のモデル都市に、金沢市が選ばれてしまったのです。
それがために、どうしてもまとまらなかった近江町周辺・竪町周辺、行政から忘れられてしまっていた卯辰山山麓のごく一部、大方が国鉄用地だった金沢駅近隣のごく一部を除き、旧金沢市の区域はほぼことごとく町名変更が行われてしまい、由緒ある多くの地名が地図上から消えてしまいました。

しかし、旧町名が生活から全く失われてしまったのかというと、そうではなかったんです。
住居表示実施前は各町々(小さい町は幾つかが連合したものもあるが)で自治会組織が結成されていたのですが、住居表示実施後も、自治会組織は旧来の区割りそのまま引き継がれました。
その後、都市開発により町域のほとんどが道路や商業ビルに飲み込まれてしまったり、ドーナツ化により人口減で他の町会に吸収合併されてしまった所もあるものの、現在でも旧町由来の区域・町会名の自治会が多数残っています。
これら自治会の中でも結束力の強い所を中心に、町名復活の運動が行われてきているのです。

一方、行政サイドでも、町名変更から約30年が経ち、新たなまち造り政策として、歴史に根ざしたまち造り、地域のコミュニティの再構築、と言ったものが掲げられるようになりました。

このことが結びついて、現在の旧町名復活の動きに繋がるわけですが、幾つかの壁があり、簡単にいくものではありませんでした。
一つは法律の壁。国サイドでは街区方式と道路方式を混在して住居表示を進めることを認めておらず、現在の街区方式の範囲内での住居表示変更、と言う形で進めざるを得ませんでした。
もう一つは時間の壁。町名変更後に住民が多数入れ替わっているところも多いです。新しい住民の中には町名復活は煩わしい手続き等が増えるだけで不必要、と言う人もいて、もめ事の種になるところもありました。

そこで、金沢市は「歴史・由緒ある地名で」「住民の総意を得ることができ」「法律の範囲を越えないこと」を条件に旧町名復活を進めることとなりました。
まず、市サイドがモデル地区として働きかけを行い、「主計町」(尾張町2丁目より)「飛梅町」「下石引町」(ともに石引3丁目より)の復活にこぎ着けました。
ついで手挙げ方式で復活が進められることとなり、「木倉町」(片町2丁目より)「柿木畠」(広坂1丁目より)が昨年復活しました。
これら5町は街区方式での町域が旧の町域とおおむね(残念ながら一部はみ出ているが)一致しています。
(4町で町境の一部が段丘崖となっているのも要因か?)
また、一部はみ出してしまった住民、逆に別の町だったのに取り込まれたところの住民も含めて合意を得ることができたため、町名復活に至りました。

ところが、これに続いて復活を予定している町で、「街区方式ではみ出してしまう部分も何とか旧町名復活できるようにしてほしい」と言う強い希望があり、金沢市が困ってしまったのです。
現在は芳斉2丁目の一部となっている六枚町は町内会一丸となって復活運動を進め、今年6月に町名復活となることになったのですが、街区方式で町域を定めた場合、10軒ほどが芳斉2丁目に取り残されてしまうことになってしまいました。
この10軒も六枚町になれるよう何とかならないか、と言う意見を受け、金沢市が総務省に街区方式と道路方式の混在を認めるよう折衝したのですが、総務省はなかなか首を縦に振らない。
(前にも書きましたね。上に行きゃ行くほどかたいんです)
そのため、金沢市では特区申請をした上で2段構えで復活をはかることも考えていたのですが、最近になって突然、
「まぁとこどこによっていろいろ事情やら経緯やらあるだろうから、弾力的にやってってよかろう」
と総務省が行ったものですから、それなら、と言うことで一気に条例化して事を進めることになったんでしょうね。

春までに条例制定を目指す、というのは六枚町の復活までに間に合わせる意味があるのでしょう。
また、これにあわせて新たな町名復活の動きが出てくると思います。
今後の動きに要注目、かも。


[23439] 稲生 さん

確かに、浜松の地図を見ると、町中はほとんど手をつけられていませんね。
新潟、富山なども町中の住居表示が進んでいません。岐阜もそうかな?
住居表示完全拒否の京都市もありますね。
これらの町のように歴史を盾にあらがい通すことができたことは、誇りに思って良いと思います。

ただ、東京の一部のように、旧町名は守り通したものの、バブル期の地上げで地域のコミュニティが完全に破戒されてしまったところもあります。
そういうところがあることを思えば、金沢のように旧町名の復活に向けて動くことができるのは幸せなことと考えるべきなんでしょうか。

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