私の本音としては,ずっと以前に表明したように,広域合併によって「市」が“粗製濫造”されることには反対です。ハードルを下げてまでなりふり構わず合併を誘導してできる,農村部や山間地の方が遥かに広い「市」って一体何なの?って。
けれども,
[3876]
>これでは広すぎます。人口密度が小さくなって県庁所在地のプライドがなくなってしまいます。
>6村だけで1町を作った方がいいと思います。
なぜ,このようなことをする必要があるのでしょうか。
静岡市に合併された1969年当時,問題の6村には幾つもの選択肢があったはずです。
6村合併で1町を編成する選択肢もあったでしょう。
あるいは,もっと根本的に,合併されない,という選択肢もあったはずです。
けれども,6村は静岡市へ編入される選択肢を選んだ。
それはつまり,6つの村それぞれが“自治体のあるべき姿”として静岡市へ編入されることが「最善」,そうでなくとも,少なくとも“次善”(ベター)であると判断したからでしょう。そして,受け入れる静岡市の側でも同じように判断して,そうなった。
お互いの合意の上に成り立ったことに,当事者でも何でもない第三者が無責任な思いつきを押し付ける権利など,誰が持つことができるのでしょう。
[3895]
>実際出来るのですか。
長野県に,1954年に隣接町村と合併して「駒ヶ根市」となった旧宮田町の区域が,1956年に分離して「宮田村」となった例があります。
「地方自治法」や関連法令にのっとってどのような手続きが行われたか,確認はしていないのですが,制度上できないことはないのでしょう。
けれども,そのためには少なくとも旧6村の区域が「静岡市から分離独立する」という意思を明確にすることが絶対に必要だと思います。同時に,「静岡市」の側が,当該区域の分離独立を承認することも必要でしょう。
でも,それがどれだけ現実的なことか。
旧6村の区域が自分の意思として「静岡市から独立する」ということを表明していればいいですよ。
でも,6村が静岡市への編入を望んだのは,南アルプスの山ふところ,どころか,文字通りの山奥の山村が自立していくのが困難であり,共同体や行政サービスを維持するためにも静岡市への編入が必須と判断したからでしょう(実は,これは今回の「平成の大合併」に当たって,総務省や合併推進論者が主張していることですよね)。
もし独立への意思がないのであれば,その意思に反して,「人口密度が低くなる」だの,「県庁所在地のプライド」だの,何の理由にもならない理由で旧6村に分離を強要して「静岡市」から追い出すことなど,どのような理由からも許されるものではありません。
誰にそのような権利があるのか。
>合併前、静岡市の面積は294km^2。
合併後,現在の面積は 1,146.19平方キロ。
清水市と合併すれば,もっと大きくなりますね。
立派なものではないですか。
南アルプスの奥深くまでが「静岡市」ですから,駿河湾の海岸線の海抜0mから,北端の間ノ岳の標高3189mまで,富士山の次に高い北岳(白根山)の3191mにわずか2m足りないだけ。
何と雄大なことでしょう。
これこそ,「静岡市」の誇りです。
※蛇足
^2 が「2乗」を表わすなどという表記は,コンピュータの世界では通用しても,一般世間で通用するものではありません。
km^2 と書いて「平方キロメートル」だと誰もが理解するものでは決してありません。
だから,ここではあえて「平方キロ」と表記します。
文句を言わないように。