本題の前に…
[46169] mi(わ)
奈良時代に「正式」とされた“漢音読み”の「けいと」ではなく
少し言葉足らずでしたね。
「けいと」が“正式”であったわけではなくて,“「正式」とされた漢音”で読むと「けいと」になったのだけどね,という意味です。念のため。
ちなみに,韓国の「京畿道」や「京釜線」などは“漢音読み”で「けいき道」「けいふ線」と読む習慣であったわけですが,むしろ“呉音”で「きょうき道」「きょうふ線」と読んだ方が実は現地の発音(キョンギ道,キョンブ線)により近かったのですね。今さら日本語音で読む必要はないわけですが。
[46176] グリグリ さん
で,何か呼ばれたようなので,本題。
[46127] デスクトップ鉄 さん
1869年になって制定された北海道の11国はどんな意味があったのでしょうか。
設置当初は,それなりの位置づけがあったように思われます。が,その後の地方制度の整備の流れの中で存在意義が失われてしまったのでしょう。
しかし,それは本州以南の「国」の場合も,ほぼ同様です。
本州以南では1900年頃までに「府県・市郡・区町村」という行政区画が確立し,北海道では 北海道庁・支庁体制 が1897年に成立するわけですが,そこまでの過程で政府に一貫した方針があったかと言うと,どうもそのようには思われません。
封建体制から郡県制(中央集権制)へという漠然とした志向は明治最初期から(少なくとも一部の行政担当者には)見られるのですが,たとえば明治4(1871)年の 廃藩置県 でさえ,明確なプログラムに基づいて行われたというよりは,“成り行き”でそうなったものであるように見えます(前述の通り,漠然とした方向性はうかがわれるようですが)。
それぞれの行政区画の性格や位置づけも,その過程で段々と変わって行ったように思われます。
北海道の場合,明治2(1869)年7月[旧暦]に国郡が編成されたとき,開拓使の下で開拓を請け負った各地の藩や個人・寺社にそれぞれの管轄地域を分与した際に,その地域は郡を単位として分与されました。たとえば,胆振国有珠郡の支配が 伊達藤五郎邦成 に与えられた,というように。他の郡についても同様です。つまり,この段階の「郡」は実質的な意味を持った区画でした。
明治5(1872)年の支庁設置,1892年の3県分割の際にも,それは国郡を単位に編成されています。
本州以南よりも1年遅れて1879年に施行された「郡区町村編制法」によって北海道でも「郡」が具体的な権限を持つ行政区画として「郡長」と「郡役所」が設置されました。これは基本的に本州以南の「郡」と同じものですが,まだ開発の進んでいない北海道では1ヵ所の郡役所が数郡をまとめて管轄する体制がとられました。
この「数郡をまとめて管轄する郡役所」が1897年に設置された「支庁」の直接の前身です。
支庁制の実施後,たとえば 胆振国虻田郡 の一部が2度にわたって「室蘭支庁管内」(現胆振支庁)から「岩内支庁」(現後志支庁の一部)および「後志支庁」に移管されるようなことがあって,現在では支庁管轄区域の境界と郡の境界とが一致しないところがありますが,その成立過程を見ると現在の「支庁」は「郡」の機能を引き継いだものと言えるかもしれません。
その一方で「郡」は単なる地域呼称として残り,本州以南よりもずっと早く実質的な行政区画としての役割を失った,と言えるでしょう。
後に「支庁」に引き継がれたとは言え,一時期は実際の権限を持った行政区画であった「郡」に対して,「国」には実質的な行政区画としての権限が与えられることは一度もなく,単なる地域呼称として終始しました。だから,「国」の方は「郡」以上に早くその存在義を失っています。
実はその点では北海道に限らず本州以南も全く同じなのですが,本州以南では奈良時代以来千年以上にわたって実質的な地方区分としてさまざまに用いられてきた歴史があるために,たとえば長野県の人がしばしば「信濃の国」「信州」に特別な感情を抱くように人々の生活に密着したものとなっていたのに対して,北海道の「国」はそのような意味を定着させる間もなく存在意義を失ってしまったのが大きかったのだと思います。
市町村名のもととなった地名と国名とはどちらが先行していたのでしょうか。
11ヵ国のうち,渡島・胆振・日高・後志・北見・千島 には独自の由来による国名ですが,石狩・天塩・十勝・釧路・根室 の5ヵ国はその領域内の地名から取られたものでしょう。それぞれの領域内には同名の「郡」があります。
「郡」の設定にあたっては,国郡設置以前に松前藩の支配下で行われていた地域区分が元になりました。たとえば 釧路郡 は「クスリ」と呼ばれていた領域,根室郡 は「ネモロ」と呼ばれていた領域に設置されたものです。
現在の 釧路市 や 根室市 の起源を「クスリ」「ネモロ」の集落に求めることはできるかもしれませんが,そこから直接に「釧路国」「根室国」という国名に採用された,と言うには微妙なものがあるような気もします。途中にワンクッションがあるような。
「イシカリ」の場合は,川の名前が先か,それとも河口の集落の名前が先か…。
いずれにしろ,ここの場合にはその次に領域名が来て,そこから「石狩郡」「石狩国」という順番になるように思います。