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スナフキんさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[50519]2006年4月7日
スナフキん
[50483]2006年4月6日
スナフキん
[50445]2006年4月5日
スナフキん
[50420]2006年4月4日
スナフキん
[50127]2006年3月28日
スナフキん
[50108]2006年3月27日
スナフキん
[49823]2006年3月13日
スナフキん
[49725]2006年3月7日
スナフキん
[49530]2006年2月28日
スナフキん
[49208]2006年2月15日
スナフキん

[50519] 2006年 4月 7日(金)09:22:13スナフキん さん
少しフォロー
[50495]千本桜さん
私の記述が恣意的過ぎて気を遣わせてしまいました、ゴメンナサイ。

ただ、自分自身ちょっと気になる点があってあえてひっくり返したままの記述をしてしまいました。「らづつ」と書かれた地図、タイトルが「いわき市全図」とあるのです。つまり、いわき市として合併を果たして以降に調製された地図であり、奥付も昭和42年12月となっています。自分は、昭和40年代に入ってもなお右から左へ読んでいたんだろうか、これは何かの間違いでは? と思ってそのまんま記述をしたわけですが…1/5万地形図のバックナンバーを見たら、昭和44年発行の「平」図幅も逆読みのままです。44年と言えば私の生まれるわずか5年前(汗)であり、いくらなんでもこの頃は今と同じになっていたはずだろうと思うのですが、地形図ではその辺りの反映が著しく遅れていたんでしょうか。そんなことは自分で調べるべきでしょうが、自分としてはちょっと不思議です。
[50483] 2006年 4月 6日(木)13:22:54スナフキん さん
いわき市の情報、感謝転じて懺悔へ
皆さんにご協力いただいたお陰で真相の判明したいわき市の合併前自治体名称、実は私の調べ方が足りませんで、社内に保存してあった過去の地域資料の存在をすっかり忘れていました。これを引っ張り出して見ればすべての疑問は解決できたはずなのに…皆さんに余計な労力を使わせてしまいました、懺悔。

「観光 うちごう」とか「観光の常磐市」、そんなタイトルのパンフレットが出てきました、何だかとっても興奮。ものすごく古い全域管内図には、うちごうなんて駅名すらなくて「らづつ」と書かれていました。そうか、内郷市の中心集落の名前は内郷じゃなかったんですねぇ…。そう言えば昔、内郷機関区とかいう国鉄の機関車車庫もありましたっけ。石炭産出地域であってこその立地だったのでしょうか…。

いけませんね、過去の資料に見惚れ始めたら仕事に手がつかず、きりがありません(大汗)。
[50445] 2006年 4月 5日(水)09:28:42スナフキん さん
助け舟に感謝です
いわき市の合併に伴う不思議に関して、十番勝負の最中だというのに多くの皆さまから情報をいただきました。個々の引用は数が多くなるので省略しますが、私の個人的な仕事上でのつまづきにフォローを下さり、ありがとうございました。本業の地図屋が「お手上げバンザイ」しても、博学な方々からの意見が頂戴できるこの場は、どちらかというと知識の乏しい「バカ地図屋」にとっては本当に貴重です。

お寄せくださった情報より、好間は「村」であり久之浜は「町」であることが確定・判明できました。結果的には市町村要覧の情報(=多数決による決定)で正しかったことになります。ただ、それですべての問題が解決したわけではありません。国土行政区画総覧と地元新聞社の百科事典という有力な情報ソース上での誤植事実は動かないわけで、出版業という同業他社の立場で考えるとこの事例は肝に銘じておいたほうがよさそうです。

人間のやることですからミスはつきものです。それに甘えてはいけませんが、完全に排除することは難しいといえるでしょう。けれども、例えば「葛」の字を外字にし忘れたとか、「ヶ」の字を大きくしてしまったとかいうレベルのミスと、町・村を取り違えるミスとでは明らかに重大性が異なります。今回のケースはメジャーな事例でありながら、超のつく大規模合併で関係自治体の数が多かったことが混乱を助長したように思えます。翻って、平成の大合併の嵐が吹き荒れる中、自分との因果が薄く土地勘もあまり働かない場所でも大規模な合併がいくつも興りました。登米市しかり、新潟市しかり、上越市しかり、高山市しかり、そして浜松市しかり、です。挙げておればきりがありません。今後10年20年が経過した後でも、上越市で「清里町」とか、浜松市で「龍山町」とか、自分で書いてしまわないようしないといけませんね。

最後は守りの姿勢で結んでしまったスナフキんでした。
[50420] 2006年 4月 4日(火)20:35:14スナフキん さん
ちょっと気になる昔の「いわき市」
十番勝負の最中に、どうせすぐ流れてしまうと分かっていながら書き込んでしまいます。

仕事で、昔の合併をほじくり返していてちょっと気になることがありました。皆さんよくご存じのいわき市は、「超」のつく規模の大きな合併を経て成立しています。その合併前の自治体名称を調べていたら、どうも資料によって記述がまちまちなのです。しかもそれは、誤字脱字とかいう単純なものではなく、町か村かを取り違えているという結構重要な違いでして、頭を抱えてしまいました。

具体的には、合併を詳細に記したものとしては最も身近と思われる「市町村要覧」。このいわき市の項には
合体 平市 磐城市 勿来市 常磐市 内郷市 四倉町 遠野町 小川町 好間村 三和村 田人村 川前村 久之浜町 大久村
とあります。何の疑いもなく、別資料で校正しようと国土行政区画総覧(これにも各自治体の末尾に行政変更の内容が記載されています)を出してきて、見てビックリ!
平市・磐城市・勿来市・常磐市・内郷市と、石城郡四倉町・遠野町・小川町・好間町・三和村・田人村・川前村、双葉郡久之浜村・大久村を廃し、いわき市を置く
とあったのです。上下をよ~く見比べてください。町村の違う箇所が2ヶ所もあるのです。この、公的色のきわめて強い書物の食い違いというのは厄介で、どちらを信用していいものか非常に困惑します。最終的には出典明示して逃げるしかないかな、と思うのですがそれではプロらしくない(汗)ので、他資料も総ざらいしてみました。

勤務先に最も縁が深い(?)事典をひもとくと
勿来市・磐城市・常磐市・内郷市・平市、石城郡田人村・遠野町・好間村・三和村・小川町・四倉町・川前村、双葉郡久之浜町・大久村が合併
とあります。順序こそ違えど、内容は市町村要覧と一致します。

では、角川の地名事典はどうでしょうか。
いわゆる常磐5市に好間村・遠野町・田人村・三和村・四倉町・川前村・久之浜町・大久村・小川町の4町5か村が合併
でした。省略はされていますが、これも市町村要覧の内容を裏付ける形になっています。なるほど、単純に国土行政区画総覧の誤植かと思ったのですが、福島民報社の発行する福島大百科には
平・磐城・勿来・常磐・内郷市と、四倉・遠野・小川・久之浜・好間町、三和・田人・川前・大久村
とあるのです。何と地元の新聞社は、冒頭に示した2つの有力公的文書のいずれでもない記述をしています…??? 決して、史実が風化してしまうほど昔ではないはずの事実が、どうしてここまでぐちゃぐちゃになってしまうのでしょう?

さらに追い討ち。アーカイブスにもなっている”「いわき市」について語ろう”の中で、何とこの混乱を裏付けるかのようにIssieさんのデータが誤植。三丁目さんが何気なく誤植を指摘されていますけど、この混乱はどうも根が深いような気がしてきました。

こうなったら地元の主張に頼るしかないッ、といわき市webの歴史コーナーを調べてみたら…
好間村→いわき市
久ノ浜町→いわき市
って言うか、参考になりません、町・村の違い以前に自治体名を間違ってるし(爆死)。

困ったなぁ。どなたか「これ!」という真相もしくは明示できる資料をご存じの方、いらっしゃいませんか?
[50127] 2006年 3月 28日(火)12:56:08スナフキん さん
ゆりかもめは…
[50119]みかちゅうさん
今回も落書き帳の中で行っている方がいるとすれば
実は私、延伸区間に乗りに行っていません。それどころか、ゆりかもめは一部区間しか乗ったことがなく、今回中間駅となった有明では乗降経験ゼロという有様です(汗)。先の書き込みで最後に記した通り仕事がかなりハードで、そのくせ体調を崩しかけておりこのまま人ごみに紛れ込んだら症状悪化は決定的で、怖くてしばらく行けそうにありません。体調の良し悪しにかかわらずもともと人ごみは大嫌いなので、よく考えたら鉄道の純粋な開業に当日立ち会ったのって、昭和60年9月30日の埼京線を最後に、一切ない気がします。電化したとか、貨物線を旅客列車が走るようになった、とかはちょこちょこ当日に行っているはずですが。逆に路線や列車・車両の消滅時はまめに行っていますね。こういう時は自分の好き嫌いそっちのけで体が動いてしまうのですが、例えば東急東横線の桜木町駅最終日に人ごみからインフルエンザをもらってきたりなど、しっぺ返しを食うこともあってちょっぴり反省材料です(汗)。

ベイエリアの交通手段では、値段の面でハンデはあっても利便性で勝るりんかい線・ゆりかもめに軍配が上がりそうです。日中の本数が少ないとは言え池袋・新宿・渋谷から、黙って乗ってしまえば時刻通りにベイエリアに達することができる直通メリットは大きいですし、ゆりかもめは全区間高架構造ですから眺望代だと思えば高値にもまだ納得がいくというもの。

対するバスは、一般利用客の多くが抱く「都内のバスに、ダイヤ・時刻表はあってないようなもの」という既成概念が重くのしかかって、なかなか利用者数を伸ばすのが難しいのではないでしょうか。道路がみっちりで動かないのでは、いくら値段が安くてもガマンに限度があります。ベイエリアの道路はそれでも新しく築造されたものがほとんどで十分な幅員を確保してあるものも多いですが、やはり週末を中心にマイカーが押し寄せるとオーバーフロー気味になるのが、渋滞情報をラジオで聞いたりしていてよく分かります。

東京都の都合上なかなかできないのでしょう。
神戸空港では、ポートライナーをなるべく使ってほしいということなのか、神戸市内中心部各地からポートアイランド・空港までを結ぶ神戸市交通局のバスは設定されていないようです。片方を立てれば片方が引っ込む、いわゆるもぐら叩きき理論ですが、既得権益を守っているようにも見え、あまり露骨な措置もどうなのかなぁとか思ったりします。
[50108] 2006年 3月 27日(月)22:58:02スナフキん さん
街も鉄路も、あたらしくなった日
慌しくて自分の書き込み頻度が鈍っていた最中に、とうとう記事番号が50000を突破したのですね。サーバの占有スペースは雪だるま式に膨らんでいく一方なので一概に「おめでたい」と言えるのかなぁ、とオーナーを気遣って格好つけてみたりしますが、すごいことではあります、拍手。

今日は、最終日を除けば年度末最後の大安。ゆりかもめが豊洲まで延伸を果たす日でした。朝の通勤からこれを気にして、有楽町線の車両ドア上にある停車案内や路線図を気にしたりするなど、何ともいやらしい会社員ぶりですが、朝の段階ではいずれにもゆりかもめが伸びた記述は見えませんでした。なのにその隣にはゆりかもめ延伸を知らせる広告があり、何とも皮肉。これを見てニヤッとしたりするのですから、やっぱりいやらしい人間です(大汗)。ぢゃあ、今後有明・お台場界隈にはどう行ったら安くて時間もかからず経済的かを調べてみようと、夕方に大手の検索サービスでルートを探索したら…うわ、もう豊洲乗換えが表示される! ネットの情報はホントに早いなあと痛感しました。地図があらゆる手を尽くして追いかけようともとても追いつかない俊敏さで、もはやこのスピードには地図屋はお手上げです。夜の帰宅時には、勤務先最寄り駅の路線案内と出入口・階段案内はどうなったろうと見てみましたが、いずれも豊洲駅に「ゆりかもめ」の表示はありません。まだ直していないんだ、しょせんゆりかもめは地下鉄じゃないもんなと、ニヤリとしたのです。ところが、入ってきた列車は行き同様東京メトロの車、乗ってビックリ! 朝はそのままだったはずの路線図も停車案内も、フルリニューアルされていたのです。日中の閑散時間帯に広告を入れ替えることはよくあることなのですが、路線図はともかく、豊洲にちょろっと加筆すればいいだけの停車案内は、事実上の新品。使用フォントが総取替えになっていたほか、ラインカラーサークルに路線を示すアルファベットを入れた新サイン表示に統一されたスタイルに一新されていたのです。何にそんなに驚いたのかというと、実はここで新調してもこの案内は最長でもあと2年の命であることが今からハッキリしているわけです。13号線の名前が決まり、運行ダイヤも決まれば今のスタイルを維持するのは到底困難なはず。だから自分は今回のゆりかもめ延伸、絶対従来のようにシール貼りで対応するのだろうと思っていたのですが…東京メトロがここまでやる気と資金(汗)とを出すとは! ちなみに、(東武東上線)霞ヶ関も鶴ヶ島も、ひばりヶ丘も「ヶ」の字は小さいですが、市ケ谷だけ大きい「ケ」の字で表示されていました、ホントかなぁ…(影響され過ぎ?)

その驚きも束の間、自宅最寄り駅で下車すると今度は、やはり行きには何もなかった壁に、今月30日に駅前再開発施設がオープンする旨知らせるポスターがあちこちに貼られているではありませぬか! さらに、階段を下りて2度ビックリ。今まで施設の部分試験点灯は随時行われていましたが、今晩は駐車場棟・モール棟・クリニック棟すべての照明を点灯させる、事実上オープンと同様の全点灯試験が初めて行われていました。私が今の住まいに移って2年余り。この再開発の変貌を毎週・あるいは毎日のように見つめ続け、写真におさめ続けてきただけに、あぁ、やっとここまできたんだなぁの思いを強く抱きました。撮りためた画像は100ではきかぬほどになってしまい整理もままならない有様ですが、今後の激変は限定的なものに限られるはずで、自分がコツコツやり続けてきた日課がひとつなくなって肩の荷が下りたような、そんな気もしました。

大きなハコモノなどの開業は変に縁起を担いだりすることが多いのですが、なぜかこの「coconeかみふくおか」の場合は30日の仏滅オープン(大汗)だったりします。さすがに当日休みをとって、というほどいまは自分自身がヒマでないのでそこまでやりませんが、目立った娯楽施設のない、どちらかというと純粋な商業集積施設で沿線からどれほどのお客を呼び込めるのか、どれほどこの地域が活性化するのか、今後が見ものです。
[49823] 2006年 3月 13日(月)13:23:30スナフキん さん
別寒辺牛の由来、一説
[49725]で、私がほのめかした別寒辺牛の由来、その続きです。なお、前項では「由来の真相」と書きましたが、アイヌ時代の史実は確定していない事柄も数多く、以下に紹介する由来はあくまでも「一説」であると思ってください。他に見解があってもおかしくないと思うので…(アイヌ語地名の由来って、そういうことが往々にしてありますよね)。

ネイチャーウォッチングの際にいただいたウォーキングマップには、塘路湖の中に確かに「ペカンペ(ひしの実)」とあります。塘路湖がペカンペの産地であることは今も昔も変わらないようです。しかし、集落の名前も湖の名前にも「ペカンペ」は現れず、逆にはるか遠い厚岸の方には「ペカンペ」と関係がないのにその名前を付した地名が残っている…。この妙な状況を、同伴してくださった地元のネイチャーガイドの方は「アイヌ部族間の争いが引き起こした結果だ」と説明してくれました。

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塘路アイヌは、その昔は純然たる内陸アイヌであり、日々の食糧は狩猟に頼らざるを得ない、どちらかといえば力の弱いアイヌ部族であったようです。伝説の内容はさすがに覚えていませんが、自然現象による啓示により塘路湖に実るひしの実が食材として有用なことを知った塘路アイヌは、これを機に食に飢えることなく、日々の生活を安定的に送ることのできる部族へと変わり身を遂げました。ひしの実は乾燥させることで長期保存が可能なので、多少の不作年があっても飢えに苦しむことは激減したようです。塘路湖には淡水魚(ハンドルネームが出てきてしまいました、ゴメンナサイ!)も生息しているため動物性たんぱく質にも事欠かず、塘路のアイヌは富める部族になったのです。

それをねたんだのが、どうも厚岸アイヌであったようです。厚岸は海べりであり、内陸はやせた根釧台地ですから、どうしても食材は海産物に重きを置かざるを得ないのですが、こればかりは自然が相手なので獲れる量は一定にはできません。年によっても多い少ないの波があり、生活は決して安定しているとは言えなかったようです。そういった環境にあって、毎年ほぼ一定量の保存食が確保できる塘路の地は、のどから手が出るほど欲しい立地だったことでしょう。こんなことから、厚岸アイヌはたびたび塘路アイヌとの間で対立していました。これは史実として裏づけされており、現に塘路湖を見下ろすサルボ展望台近くには、厚岸の方角を向いたチャシ跡が残されています。これは、厚岸からの攻撃に対する防御のために塘路アイヌが築いた砦であるとされています。

つまり、厚岸のアイヌはペカンペという自分たちの生活を安定させてくれる産物を求めて、塘路に攻め込む、まさにそのルートがこんにちの別寒辺牛川沿いだというのです。確かに、多少の回り道には思えますけど、厚岸から塘路を目指すルートとしてこんにちの別寒辺牛川及び主流上流をたどると塘路湖の東畔に達することができます。私はこの時、周りの地図ともにらめっこして比較的説得力があるなあと思ったのです。
[49725] 2006年 3月 7日(火)09:24:50スナフキん さん
プチオフから帰っています
スナフキんは広島で開催されたプチオフから日曜日に帰還しています。ただ、帰ってから本来週末にやらねばならないことが山とあったこと、それよりも実家にいる妹が予定日よりもかなり早くに産気づいて入院し、ドタバタしたことなどがあってすっかり帰還報告が遅くなってしまいました(そして、3人目の甥っ子が生まれました)。参加された皆さま、翌日もアグレッシヴに行動された皆さま、お疲れさまでした。そして手配等してくださった88さま、ありがとうございました。絶対私が最遠方からの参加と思っていたのですが…上には上がいました、いっちゃんさん、恐れ入りました(笑)。まがみさん、18きっぷはうまく使えましたか?(謎)

行きは結局、最長不倒と思われる(バスに詳しい方、間違っていたらフォローください)昼行高速バス「弥次喜多ライナー」で10時間以上揺られて広島へ。帰りはひかりレールスター~北野の異人館街を入館したり飲食したりせず歩くだけ歩いて(汗)、ポートライナー~神戸空港、スカイマーク便で羽田へ戻りました。行きもさることながら、帰りの行程だけでもかなりのハプニングや驚きがあり、神戸空港のコメントもしたいのですが、いまは仕事中なので(大汗)詳しい記述はやめます。

三角線やループ線、気になるけれどこれを気にしていると多分仕事にならなくなる(汗)ので、私から詮索したりコメントを入れたり、実際に探したりするのは、やはりやめておきます。

別寒辺牛のお話が出ていました。結論をここで端的に言ってしまうと、この地名の由来は[49684]で北の住人さんがおっしゃる通り、間接的ですがヒシの実から来ています。が、[49716]でhmtさんがおっしゃっているのも正論で、話はそう単純ではありません。数年前に塘路でガイドについてもらってネイチャーウォッチング&ウォーキングをした際、歴史上の話題から由来の真相を聞かされていますので、後ほど時間があるときにでも紹介します。
[49530] 2006年 2月 28日(火)12:53:32スナフキん さん
脱線気味のレス
[49519]Issieさん
有楽町線(8号線)の 小竹向原-和光市(→東上線方面) 間が実は「13号線」であることは“難易度”が若干高いとしても,池袋-小竹向原 間の「新線」が 13号線 であることは2002年当時,一応はアナウンスされているはずなんですけどねえ。
現在建設中の池袋~渋谷間が13号線であるのは相当の人が知っているようですが、そのほとんどがこれを完全に独立した新線だと思っている節があります(少なくとも私の身の回りにいる、鉄知識がほぼゼロの人たちは)。新線池袋で止まっている線路を伸ばすから、東武と西武とが乗り入れられるのだと説明すると、そうなのかと驚く(どうやって直通すると思っていたんだか…)、一般人の認識はその程度なのだろうと思います。勤務先にも、小竹向原から新線池袋に達する線路は現在千川・要町に止まる線路の真下にあって、さらにホームも既に作ってあってエレベータまでが達している話をして初めて、その事実を知る人もいるくらいです。そんな中、何だか妙な書物が出ているようですが間違った情報の刷り込みになりそうで、少し心配です。間違った情報ソースを元に地図の問い合わせが来るケースも少なくないのですよねぇ…。

ところで、「13号線」は建設路線名称であり、「供用時の路線名は公募する」という話を相当に公的な場で見聞きした覚えがあるのですが、開通まで1年余りとなった昨今でも動きはないようです。仕事上、あまり直前になってからドラ叩きされても直しが間に合わないので困ってしまいます。もっとも、実際には路線図の架け替えや駅の表示整備の都合もあるでしょうから年度が改まったあたりが公募の頃合でしょうか。勤務先でも先ごろその話になりまして、さしあたっては通過させている千川・要町の取り扱いがどうなるかが最大の関心事。個人的には、新設の急行は通過してしまってもいいから(恐らくは時間当たり片道4本程度なのでしょう)、駅構造物を再整備して普通便だけでも止めて欲しいなというのが、勤務先最寄り駅利用者としての思い。路線名は「明治通線」が無難な落としどころ、ひょっとすると使っていそうで実は鉄道路線名としては使っていなかった「渋谷線」(首都高速では使っていますが直接の干渉はないので問題ないでしょう)もありかなと。ただ、成立経緯はともかく名実共に最古の地下鉄たる銀座線が乗り入れている地名をぶん取ることが、東京メトロとしてどうなのかにこの名称の採用可否がかかっているような気が…。将来東急東横線との直通も目されており、その暁にはこの名称では面倒も起きるかも。JR山手線・埼京線の混雑緩和および旅客争奪戦への殴り込み(汗)を前面に出すなら「東京メトロ山手線」もありでしょとか、場所はぜんぜん違うし(大汗)開き直って「ハチ公線」、なんて無責任な名称候補も話の中から飛び出す始末。市町村合併時の名称決定の際もそうですが、公募の難しさって、こういうちゃらんぽらんな名前にも付き合わなければならないところにある気がします、はてさてどうなることやら。

さて、今週末は広島でのプチオフに参加します。帰りはひかりレールスター(それもサイレンスカー)を新神戸で捨てて、開港間もない神戸空港の離陸体験をする予定。でも、何だかポートライナーが順番待ちだとか、空港内入場制限だとか、ブームが加熱しすぎると一般利用者たる私が空港にたどり着けない不測の事態もあり得るんでしょうか。値段を下げる代わりにユーザサポートを縮小して合理化に努めるスカイマークの利用も初めてで、初物続きの締めくくりに一抹の不安を抱きます(しかも日曜日だし)。ちなみに往路は、帰りに利用する乗り物のいずれでもないモノで広島へ向かいます、さて何でしょうねぇ?
[49208] 2006年 2月 15日(水)13:12:13スナフキん さん
来月の改正のこと
[49197]まがみさん
長く慣れ親しんだ「準急浅草ゆき」「準急伊勢崎ゆき」などの行先表示がもう見られなくなる
あれ、まがみさんは伊勢崎沿線にお住まいだったことがあるのですか。かく言う私は居住経験はないくせに、沿線出没率は異常に高いのですが(汗)。やはり、鉄ごころがうずいてすごく気になるのですよ、毎日必ず見る車両が全然違う場所で全然違う使われ方をしてるのって。それこそ、複々線が今みたいに完結するはるか前、草加で止まっていた頃から足を伸ばしていましたっけ。松原団地や鐘ヶ淵で回送が回送を追い抜く下りのダイヤを見て、全部調べてやろうと病み付きになってしらみつぶしに定点調査をしたことも今は昔…(でも回送時刻表を記した大学ノートがいまだに残っている?)。下り列車もあの頃に比べると随分本数が増えました。第一、業平橋ではもう折り返したりしませんし、10両の列車はかなりの率で半蔵門線に入っていきますからねぇ…。今度の改正ではそれが主流になるとのこと、いやはや時代は変わりました。

そういう訳で、行先表示は相当の撮りためがあり、現在では半蔵門線直通用になってしまった車両の「準急 伊勢崎」や、宇都宮での「普通 栃木」(大汗)なども好んで撮っていたのですが、改正前までに1度はまた、私も足を運ぶのだろうと思います。どちらかと言うと、残りはするものの事実上腰砕けにされるのが確実な日光線系統の快速の方が気になっています。浅草~鬼怒川往復はパスネット残額から2000円ほどが能率よく消化できるので、温泉目当てと称して往復する回数が増えるかも…。何せ、来年には関東民鉄もICカード化が見えてきていますし、その時には定期券をICカード化したいので、この1年とちょっとの間で現在の磁気パスネットカード約5万円分(大汗)の処分を進めないといけません。折しも、先週JRの磁気イオカードが自動改札機に入らなくなり、券購入にしか使えなくなりました。パスネットもゆくゆくはこういう運命をたどるのかな、と思うと早めに消化しなきゃと気が急きます。昨秋から意図的に新規購入は取りやめていますが、1年で数万円分を使い切るのはなかなか大変です。こういう悩みを持っているのは私だけでしょうかねぇ…。


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