こんばんは、じゃごたろです。
今年のお盆休みは自分のサイトの活動をからめた帰省の際に、宮城県の東松島市から岩手県の洋野町までの三陸沿岸部を北上しました。時折内陸部にも入りましたが、国道45号を基本的に通過しました。その時に感じたのはやはり被災地の更地の多さです。更地は自治体によって異なりますが、陸前高田市は広大な更地に新たな建築物もなく、未だに震災の被害の大きさを感じました。その他の自治体も更地に新たな建築物が点在するというかたちで、市街地の復旧にはまだまだ遠いという感じでした。
それに加えて、大規模な防潮堤が至るところに建設されているということも目につきました。
写真は釜石市内の国道45号から県道231号に入って、大槌湾に建設されている防潮堤を撮影したものです。以前にも三陸沿岸には防潮堤は建設されていましたが、それは衝立のような構造であって、東日本大震災の際の津波には役に立たず崩壊してしまいました。それをうけて現在建設されている防潮堤は写真の様に土台部分を広く取って河川の堤防もしくはスーパー堤防のような構造にして津波に破壊されないような構造になっていて、このようなものが至るところで建設中、もしくは建設されていました。
岩手県のニュースでは、震災後初めて海に行ったという声もありました。浜辺は防潮堤の外にあり、その防潮堤が完成して浜辺に行くことができるようになったためだろうと思います。
その他に感じたのは三陸復興道路がかなりの区間で供用開始または建設中であったことです。もともと三陸地方の高速道路は八戸久慈自動車道として八戸市から久慈市までの区間と、三陸縦貫自動車道として仙台市から宮古市の区間が計画されていましたが、震災を受けて三陸復興道路として空白地帯である宮古市と久慈市との区間も建設されるようになっています。これらが2020年度までにはほとんどが供用される予定であり、三陸沿岸部の復興に一役買うことになります。
ところで東京五輪。
この東京五輪は「復興五輪」と銘打っていますが何が復興なのでしょうか?
確かに前回の東京五輪は、太平洋戦争に敗れて焼け野原になった日本が見事に復興したことを見せたという意味では「復興五輪」という名は間違いではないと思います。しかし今回のどこが「復興五輪」なのでしょうか? 色々と思うところはあるのですが、外国の関心をひくために「復興」を持ち出すのはやめてもらいたい。ただそう思うだけです。