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白桃さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[102404]2021年9月19日
白桃
[102402]2021年9月19日
白桃
[102390]2021年9月18日
白桃
[102375]2021年9月18日
白桃
[102373]2021年9月18日
白桃
[102341]2021年9月18日
白桃
[102327]2021年9月10日
白桃
[102322]2021年9月8日
白桃
[102316]2021年9月2日
白桃
[102309]2021年9月1日
白桃

[102404] 2021年 9月 19日(日)08:14:53白桃 さん
十番勝負
問九:志布志市
[102402] 2021年 9月 19日(日)07:26:31白桃 さん
十番勝負
問八:那珂川市
かぱぷうさん、お早うございます。
それにしても、気が付くのが遅すぎます。
[102390] 2021年 9月 18日(土)23:31:59白桃 さん
十番勝負
問十:東御市
[102375] 2021年 9月 18日(土)22:29:24白桃 さん
ちょっとブレイク
あ~驚いた。
こんなことってあるんだ!!!
[102373] 2021年 9月 18日(土)22:24:01白桃 さん
十番勝負
問七:宇部市
[102341] 2021年 9月 18日(土)11:03:41白桃 さん
国勢調査人口上位4町今昔ものがたり
先生との進路相談を受けてないのか、台風14号クンの進路はメチャクチャですね。今夜始まる十番勝負における白桃の迷走ぶりを暗示しているのでしょうか?
さて、100年前(正確には、101年前)の第一回国勢調査の話になりますが、人口順位(町のみ)4位までの町の人口を合算してみました。なぜ、4位までにしたかと言うと、都道府県対抗リレーあるいは駅伝でもさせようと思ったからです。適当なバトン、たすき類が見つからず、また、沖縄県には糸満しか町がないので、リレーはあきらめ、単純に4町の合計人口比べに変更しました。
上位8都道府県(大会で言えば、8位入賞)は下の通りです。
道府県Total人口一位二位三位四位
1位東京府224,541渋谷西巣鴨南千住日暮里
2位大阪府179,958豊崎今宮鷺洲鶴橋
3位北海道132,441夕張野付牛網走岩見沢
4位福岡県119,588戸畑飯塚添田後藤寺
5位栃木県109,108足利足尾栃木鹿沼
6位愛知県102,139愛知一宮瀬戸呼続
7位神奈川県86,208小田原保土ケ谷川崎浦賀
8位山口県81.623山口防府徳山小野田
私には栃木県の5位が印象的でした。因みに2020年国勢調査(速報値)では、1位が愛知、2位が福岡、3位が埼玉となっており、大阪府は16位。東京都は38位にまで順位を落としています。なお、1920年第一回の最下位(46位)は山梨県(谷村、市川大門、上野原、鰍沢)で、2020年(第21回)は島根県が最下位(3町しかない大分県が欠場しているので46位)となっています。
Total人口の大会記録は、1930年に東京府チーム(荏原、西巣鴨、渋谷、滝野川)が作った450,564で、この記録は未来永劫、絶対破られないでしょう。
1920年において上位4位に入っているところの殆んどは、後に自ら市になったり、他市に吸収されたりしていますが、以下の16は今もなお町として存続しています。
1920年町名順位人口2020年町名順位人口
青森県野辺地210,240野辺地912,389
岩手県大槌39,254大槌911,013
秋田県小坂314,681小坂74,780
山形県谷地411,000河北317,649
山梨県市川大門26,047市川三郷314,710
山梨県鰍沢44,708富士川※414,225
長野県下諏訪315,608下諏訪319,171
静岡県小山417,563小山518,585
奈良県下市49,475下市155,042
和歌山県湯浅49,470湯浅811,117
鳥取県若桜36,236若桜132,868
徳島県牟岐47,774牟岐143,747
香川県多度津47,444多度津322,459
高知県伊野37,644いの121,394
福岡県添田328,569添田248,805
鹿児島県宮之城314,699さつま120,272
名前も変えず、上位に留まっている下諏訪、多度津は、”いとあはれ”であるが、大きく順位を下げた下市、若桜、牟岐、添田あたりは非常にあわれである。
※富士川の「前身因子町」は増穂であって、鰍沢ではありません。
[102327] 2021年 9月 10日(金)07:15:50【1】白桃 さん
地理の真髄は地誌にあり
小学校一年のとき、彼女(家は酒屋さん)から誕生日プレゼントで貰ったのが「地図帳」で、大学二年のときに地域調査に行った先が「智頭町」。大学で地理を学び、卒業後も学び足りなくて?専攻科(「なにもせんこうか」とも言われる)で一年間地理を探求???、旅行会社に入社(インチキ・クイズキャンペーンに応募してきたハガキを市区町村別に仕分けするのが誰よりも早く、そのことで入社以来はじめて「人間、何か取り柄があるものだ!」と上司に褒められた?)、旅行業協会(出向→移籍)では「四国は国であるから観光客から入国税を取れば良い。」と発言する会長サマの御供で各地の観光資源・地域伝統芸能を視察、そして2002年からは仕事そっちのけで「都道府県市区町村・落書き帳」という本格的?地理?に没頭している私。ですから、「地理」と関わっている時間は相当長い(少なくともお酒を飲んでいる時間よりは)と思います。
ですが、「地理」を「地理学」だと思ったことは一度もありません。
書いているうちに「学」という字にイライラしてきました。
[102325]千本桜さんがそうなるのも当然でしょう。私は、いわゆる「語学」というものは学問では無いのだから、学校教育で学ぶもの、学ばせるものではなく、「ソロバン塾」や「パソコン教室」同様、専門学校などでやれば良いと考えております。(この考えには誰も賛同してくれません('◇')ゞ)。一方、「地理学」は学問として成り立っていない、成り立つものではないのですが、「地理」は学校教育のみならず、一生気軽に学び続けた方が良いモノだと考えています。
では、私の高邁な?思想はこれぐらいにして、
スカンデルベクの鷲さんからご紹介のあった立正大学のHPでは「観光地理学」について
観光地理学は地理学のなかでは比較的新しい研究分野で、地域における観光関連産業の発達、観光地化にともなう生活や文化の変容、観光活動が地域に与える影響などについて研究します。究極的には観光地の地域性を明らかにすることが目的です。近年では、地域活性化の一手段として観光が脚光を浴びていますが、観光地理学では地域資源を活用した地域振興についても考えていきます。
とありますが、これによると、私の卒業論文「蒜山原の観光開発と地域の変容」はまさに「観光地理学」の範疇ですね。しかし、私自身、これを「観光地理(学)」と思ったことは一度もなく、下手な「蒜山地誌」だと今でも思っています。
「観光地理学」は確かに比較的新しい分野には違いないのですが、私の学生時代(50年前)から「温泉地の成立過程」に触れた書物・論文があり、このようなものを系統地理学のなかで「観光地理学」とされていました。近年、「観光学部」「環境ツーリズム学部」等と観光分野に焦点をあてた大学の学部・学科が急増していますが、このような所では、ホスピタリティ関係のカリキュラム以外に「観光地理」が教えられています。その殆どは、各観光地の説明程度に留まっているのではないでしょうか。
一方、上記(立正大学HP)で「地誌学」について
自然と人文の諸事象の相互関係を総合的に考察し、地域的性格を究明する学問です。
地誌とは何か。日本各地について記述した風土誌、あるいは特定の地域の地形や気候、名所旧跡、物産など、自然・人文の諸事象を記述した百科事典的なものというイメージがあります。しかし、学問としての地誌学は、特定地域における自然(地形・気候・水文など)と人文(都市・経済・歴史・交通など)の諸事象の相互関係を総合的に考察し、地域的性格を究明することにあります。この点で、自然や人文のテーマごとに地域を分析する系統地理学とは異なります。ただし、地誌学と系統地理学は補完関係にあります。
とありますが、これは伝統的(悪く言えば保守的)な説明です。私は地誌とは「人間集団が社会経済的活動を展開する場(地域)の性格を考察し地域像を記述する」ものだと考えています。「自然と人文の諸事象の相互関係を総合的に考察」と言うのが諸悪の根源であります。自然環境、例えば、その地域の地形・気候などは「銭湯の壁のペンキ絵」「舞台の書き割り」に過ぎないとは言いませんが、地誌においては、あくまでも人間集団を主体に置かなければならないと考えます。極論すれば、地誌は「地域における人間集団の生態」を記述するものではないでしょうか。
系統地理学の中には、経済地理学(「産業地理学」と言ったほうが適切?)、歴史地理学、交通地理学、文化地理学、集落地理学、人口地理学、政治地理学、疾病地理学…等々ありますが、どれもこれも、地理「学者」の業績は薄く、それぞれの分野の学者の成果にはとてもかなわないと思います。ましてや、地形学、気候学、水文学という「自然地理学」の分野は、地質学、地球物理学、気象学に太刀打ちできるはずも無く、「今は名のみ」残っているのではないでしょうか。
「地理の真髄は地誌にあり」とタイトルに書きましたが、系統地理学では何にもできないので、残っているのは「地誌」だけ、そういう意味ではありません。「地理」の原点は「地誌」であり、その有効性は「地誌」にしか認められないと思うからです。ただ、「地誌こそ地理の命」と言った地理学者が何人かいましたが、私の勉強不足のためでしょうが、残念ながら本格的な「地誌」にお目にかかったことはありません。現在は情報技術の進歩によって、「地誌を読む」事は殆ど無くなりましたが、死ぬまでに、地域に刻まれた歴史を踏まえた読み応えのある「地誌」にお目にかかりたいものです。
最後に、千本桜さんの質問にお答えします。
添乗員にとって、行く先々の地誌の知識が必要かどうかです。
添乗員のメインの仕事は旅程管理ですが、かつて、私も「旅程管理試験」に関わっていて、「観光地理」的というか「地誌」的問題は、試験に出題されていました。例えば、
白石市の名物は次のうちどれか
A.あーめん  B.いけめん C.うーめん
に毛が生えた程度の問題です。
パッケージツアーの場合はガイドがついていますので、添乗員は必ずしも地誌の知識は必要ありません。と言っても、国内旅行の場合なんか、バスガイドの地誌的説明には、20年前の人口が飛び出してきますので、添乗員は寝ててはいけません。そして、旅程管理上、計画通りにツアーを進行するため、A→Bまでの所要時間とか、イベント(祇園祭など)見学にかかる時間なんかは十分承知していないと時として困ったことになります。(旅程を計画した者が必ずしも「地誌」に円熟している者ではないからです。)

以上、長々と述べましたが、あくまでも白桃の「個人的所感」です。
※途中誤って記事終了ボタンを押してしまいました。
[102322] 2021年 9月 8日(水)07:42:21白桃 さん
名邑三世代.その71(石川県・後編)
現在はどうか知りませんが、「旅行業務取扱管理者」(私が関わっていた頃は「旅行業務取扱主任者」)の試験に、著名な観光地・温泉地が何県にあるか、という問題がやたら多く出されていたのですが、旅行会社の人間はともかく、旅行者は足利が栃木であろうが群馬であろうが、津和野が島根だろうが山口だろうが、そんなことは、あんまり気にしていないと思うのです。ましてや、温泉につかりながら、山中温泉のこの宿は何という市にあるのだろう、と考えている人はマズ、いないと思います。そんな事を考えていたら、お風呂から戻らないのを心配した添乗員によって発見されます。(もちろん、死体となって)
私も、温泉の大浴場でそんなことを考えることは全くありません。たとえ、ソコが杖立温泉であったとしても。というのは、温泉地に泊っても温泉に入らないことがあるし、入ったとしても、ウルトラマン同様5分以内に出なければいけないからです。
では、ソロソロ行かなくっちゃんは北海道。
[102299]の続きになります。
石川県の「準名邑」は以下の三つです。
準名邑現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
宇出津能登町宇出津第二表4,401宇出津町5,877
津幡津幡町津幡第二表3,146津幡町3,540
羽咋羽咋市羽咋第二表3,137羽咋町3,950
参考としては以下の通りです。
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
安宅(小松市)安宅第二表2,081安宅町2,126
飯田(珠洲市)飯田第二表1,847飯田町2,498
高浜(志賀町)大念寺新第二表1,743高浜町2,378
穴水穴水町穴水第二表1,573穴水町6,660
高松(かほく市)高松第二表3,623高松村7,192
山中(加賀市)山中第二表2,393山中村3,617
小木(能登町)小木第二表1,679小木村5,412
富来(志賀町)富来第二表1,669富来村2,402
山代(加賀市)山代第二表1,622山代村2,373
木郎(能登町)松波第二表1,464木郎村7,040
田鶴浜(七尾市)田鶴浜第二表1,329田鶴浜村1,286
志雄(宝達志水町)子浦第二表1,290志雄村1,562
寺井野(能美市)寺井第二表1,230寺井野村5,818
櫛比(輪島市)門前第二表461櫛比村3,737
野々市野々市市野々市村第三表2,002野々市村2,051
上記うち、「準名邑」の宇出津、津幡、羽咋と、(参考)に記した安宅、飯田、高浜は”生まれながらの町”です。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

「秀邑」の前にブレイク…小木ですが、その変遷がややこしいので注目しています。
1921年:小木町→1955年3月宇出津町などと合併し能都町に→1955年10月に小木地区が松波町に組み込まれる→1958年松波町が内浦町に改称→2005年能都町・柳田村と新設合併により能登町に
小木には悪いですけど、なんか、主体性なくウロウロしていた感ありです。
さて、大浴場から出てきたところで、この有名な温泉は何市にあるのかジックリ考えてみましょう。(笑)
一番単純温泉は
粟津温泉・・・粟津村→1940年小松町、安宅町ほかと合併して小松市に
次に
山代温泉・・・山代村→1913年山代町→1958年大聖寺町ほかと合併して加賀市に
山中温泉・・・山中村→1913年山中町→2005年加賀市と新設合併で加賀市に
少しややこしいのが、
片山津温泉・・・1942年作見村・塩津村が合併し片山津町に(温泉は両村にまたがっていた)→1958年大聖寺町ほかと合併して加賀市に
そして
和倉温泉・・・1889年端村→1934年田鶴浜村ほかと合併して和倉町に→1939年和倉地区が七尾町ほかと合併して七尾市に
※1934年の合併の際に端村の一部にすぎなかった和倉が、中心だと思われる田鶴浜を差し置いて、なぜ町名となったのか不思議です。なお、和倉地区が抜けた後の和倉町は田鶴浜町となりますが、これは単なる「改称」としてはいけないと考えます。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
ですが、残念ながら「秀邑」も「準秀邑」もありません。
わずかに参考として
名称現自治体---920年 (人口)---1950年(人口)
七塚(かほく市)七塚村6,692七塚町9,990
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
石川県の「卓邑」は、この期に市となった珠洲、羽咋と二種二級の津幡(実質的には卓邑トップ)、四種の山中、野々市、内灘、根上(明徳に五連続敬遠された方や不適切発言の多い元首相の出身地)、能都の八つです。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種三級珠洲(3)珠洲市珠洲市35,827珠洲市19,852
一種三級羽咋(9)羽咋市羽咋市29,556羽咋市25,541
二種二級津幡(5)津幡町津幡町21,836津幡町34,304
四種山中(8)(加賀市)山中町13,650山中町10,195
四種野々市(6)野々市市野々市町8,758野々市町45,581
四種内灘(6)内灘町内灘村7,290内灘町26,560
四種根上(5)能美市根上町10,470根上町15,426
四種能都(5)能登町能都町19,348能都町11,433

参考名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
高松(2)(かほく市)高松町10,639高松町10,826
現在のかほく市においては、高松も七塚も「秀邑」「卓邑」ともに逸しています。なお、かほく市の「前身因子町」は宇ノ気です。
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102316] 2021年 9月 2日(木)05:12:30白桃 さん
♪湊町十八番地?
[102312]ピーくん さん
[102314]ぺとぺと さん
「ナゾナゾ」にお付き合い頂きありがとうございます。
私の想定解は、ぺとぺとさんがお考えになっていた通り、(A)が「港」で、(B)が「湊」です。
合併して「市」や新しい「町」になるときに、元の自治体名にくっつけたり、元の自治体名からとりはずした事例
能代港町→能代市
境町→境港町
もっとも、「湊」は小湊、湊、というのが多く、「湊」をくっつけることはあっても、「湊」をとりはずすことは難しいです。
国語的には「港」も「湊」も殆ど同じように用いられていますが、「湊」のほうが古めかしいばかりではなく、「港」はもともと、「船が進む水路」を表すのに対し、「湊」は「船が集まる場所」の意であるそうです。(※ただ、違うというか、殆ど真反対な説明をしているものもあり、「個人の感想」に留めて置きましょう。)(笑)
以下は参考のために接尾に「湊」「港」が付く「町」を挙げました。
町名現在の自治体町(名)になった年「町」時代の最高人口(調査年)
青森県(八戸市)1924年12,587(1925年)
小湊青森県平内町1928年9,790(1950年)
大湊青森県(むつ市)1928年14,861(1955年)
茨城県(ひたちなか市)1889年14,723(1935年)
那珂湊茨城県(ひたちなか市)1939年20,274(1950年)
千葉県(富津市)1889年5,197(1947年)
小湊千葉県(鴨川市)1928年4,237(1950年)
天津小湊千葉県(鴨川市)1955年12,591(1955年)
新潟県佐渡市1889年2,131(1898年)
新湊富山県射水市1889年24,330(1940年)
大湊三重県(伊勢市)1889年2,662(1940年)
2,768(1918年)
大阪府(堺市)1915年6,442(1918年)
兵庫県(南あわじ市)1927年3,195(1950年)
神湊福岡県(宗像市)1906年2,571(1950年)
長崎県島原市1889年6,355(1920年)
7,167(1913年)
土崎港秋田県(秋田市)1889年18,047(1940年)
能代港秋田県能代市1889年25,756(1935年)
船川港秋田県男鹿市1894年16,865(1950年)
境港鳥取県境港市1954年33,256(1955年)
※上表の最高人口(調査年)について
1901年に夷町と合併して両津町となった新潟県の「湊町」は、1898年「日本帝国人口統計」です。
1920年4月1日に堺市に編入された大阪府の「湊町」は1918年「日本帝国人口静態統計」です。
三重県の「大湊町」と長崎県の「湊町」は、国勢調査開始以前に最高人口を記録した可能性があり、「日本帝国人口静態統計」の現住人口を併記しました。
※現在の自治体の市部が( )となっているのは、当該市の「前身町」ではないことを示しています。
・茨城県「湊町」が改称した「那珂湊町」は、「那珂湊市」の前身町ではありますが、「ひたちなか市」の前身町ではありません。ただし、「湊町」は「ひたちなか市」の「本源因子町」かつ「最古因子町」となります。ややこしい白桃ルール、ドーモすみません。
・その白桃ルールに従いますと、「島原市」の「前身因子町」・「本源因子町」・「最古因子町」(「三冠因子町」)は、「島原町」ではなく「湊町」になります。

以下は、ピーくんさんへのメッセージです。
早くから、私のことを心配していただいたこと大変恐縮しております。下馬評ではそんなに評価が高くなかったにもかかわらず、ベスト4になった西条農業、お見事でした。私の母校もクジ運よくベスト4に残りましたが、予定通り準決勝で敗退。西条農業の場合は、広島新庄相手に本当に惜しかったですね。つい最近のことですが、かつて西条農業で教えていた友人(校長か教頭だったかも?)に、祇園北のことも教えてもらいました。ただ、綾瀬はるかの名はでなかったですね。(笑)
[102309] 2021年 9月 1日(水)07:58:19【1】白桃 さん
朝からナゾナゾなどどうでしょう?
合併して「市」や新しい「町」になるときに、元の自治体名にくっつけたり、元の自治体名からとりはずした事例がある漢字一字(A)があります。いっぽう、(A)と「訓読み」では同じ読み方の漢字一字(B)は、私の知る限り、合併して「市」や新しい「町」になっても元の自治体名からとりはずした事例はありません。(三本松町→大内町、三本木市→十和田市のように、名称自体がまるっきり変わるケースは除外します。)
さて、(A)と(B)はどういう漢字でしょう???
ヒント:
ヘンな話ですけど(A)と(B)は同じヘンです。This is 3 WATER HEN.


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