[21138][21142]N-H さん
[21139][21143]深海魚 さん
汽車道についてですが、
私はどうもあのレールについては「あやしい」と思っています。一旦レールは完全に撤去された後からもっともらしくレール様のものをはめこんだだけのような感じがするのです。
元々が単線仕様だとして、大岡川河口の トラス橋部分で海側に偏って敷かれているのは不自然ですし、車両限界の点でも 「怪しい」 存在ですが、高層 ビルを擁する ウォーター・フロント地区でのこうした 「遺構」 は 「妖しい」 存在でもありますね。
まず、「汽車道」についてですが、レール部分は昔からの本物です。3つのトラス橋ですが、2つは本物、ご指摘の1つは別の場所からの移設です。桜木町駅側から新港埠頭方面を見て、順番に「港一号橋梁」「港二号橋梁」「港三号橋梁」と名前がついていますが、このうち一号と二号は1909年(明治42年)にこの場所に架けられました。一方の「港三号橋梁」ですが、実はこの場所に架るのは3箇所目になります。元々は1906年(明治39年)に北海道の夕張川橋梁として作られたものを、1907年(明治40年)に作られた総武鉄道江戸川橋梁と共に、1928年(昭和3年)に生糸検査所引込線として転用・架設されました。このうち旧・夕張川橋梁の橋長を短縮し1997年(平成9年)に現在の場所に移設したものです。移設されたものですが、紛れも無く鉄道橋として使われていたものです。線路とずれた位置にあるのは、汽車道を整備する際に元々敷かれていたレールを剥がすことなくそのまま利用した為です。この部分について、レールは港三号橋梁の移設に伴って敷き直しても良かったのかなとかも思いますが、それはまた別のお話。
赤煉瓦 パークに敷かれた線路は明らかに復元物と思われます。
こちらは復元物ですね。赤煉瓦パーク内にあるホーム跡ですが、海上保安庁の設備を整備する際に約半分に切られてしまいましたが、実際の横浜港駅跡です。ただ、傷みが激しかったこともありずいぶんと手を加えていることもまた事実です。屋根材はまるっきり新材です。ただ、線形はほぼ当時のままですから雰囲気は充分です。
山下公園前の高架については、敷設されたのは実はかなり新しく、昭和30年代になってからのはず。当時景観問題も起きたようです。
東横浜~山下埠頭2.8kmについては、1962年(昭和37年)に建設が始まり、1965年(昭和40年)に完成したものです。しかし、1986年(昭和61年)にこの区間を含む高島~山下埠頭は廃止されました。
ちなみに、山下埠頭部分の線路ですが、埠頭入口の交差点で道路を横切る線路以外はなくなっています。駅の跡も見ることは出来ません。ただ、山下埠頭自体が港湾機能として脆弱で、商用地転用も検討されていますから、もし公園なんぞになったあかつきには復元されるかもしれませんね。
ところでこれらの廃線跡はなぜ今まで残っていたのでしょう?わたしが推測するには、高島~東横浜~山下埠頭の区間はそのほとんどが港頭地区ですから、その部分はおそらく横浜市港湾局の管理地区だったと思われます。最近でこそみなとみらい地区として再開発されていますが、それまでは当然道路も港湾道路だった訳ですから、一般車両の通行もないこともあって線路の撤去などを積極的にせずともよく、むしろ多額の費用がかかるこれらの撤去には消極的で、半ば放置されていたのだと思われます。ちなみに、山下臨港線プロムナードの高架下は倉庫として長らく使用されていますし、代替設備のこともありますから撤去せずにこういった形で整備することで結局は万々歳だったのでしょう。