先日、桜川市真壁町に行ってきました。
真壁の歴史は
[68559]Issieさんで書かれており、現在は
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。ただ現在では路線バスの「大空白地帯」(
[89422]みかちゅうさん)で普段は公共交通機関では行けません。ですが、
[77731]白桃さんも触れられていますが、「
真壁のひなまつり」の時期だけ関鉄観光バスの
臨時バスが運行されており、岩瀬駅から和の風号を利用しました(つくば駅から真壁のひなまつり号も出ています)。ひなまつり自体は町おこしのため2003年に始まり、今回が14回目ですが、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている街並みとマッチしていました。
桜川市の誕生は2005年10月1日ですが、2005年3月22日の稲敷市誕生時まで茨城県内の全く別の所に桜川村がありました。
臨時バスの車内ガイドの中で桜川市の由来が市内を流れる桜川とありました。桜川の上流部に桜川市があるわけですが、その河口は土浦市で、旧・桜川村はかすってもいません。
こちらの記事では茨城県内に4つの桜川が流れていて、桜川市を流れる桜川もその1つなのですが、旧・桜川村には4つの桜川の何れも流れておらず、流れているのは野田奈川。この野田奈川の別称が桜川とのこと。
続く記事では桜川市は桜の名所?という話題に。その歴史は古く、古来より「西の吉野、東の桜川」と並び称される桜(=山桜)の名所とのこと。平安時代には紀貫之が歌に詠み、室町時代には世阿弥作の謡曲「桜川」の舞台にもなっているとのこと。
江戸時代も引き続き桜川は花の名所として知られました。元禄7年(1694)には前の水戸藩主黄門徳川光圀が観桜に訪れ、また、寛延3年(1750)には、当地の桜30本が江戸城内の庭に植樹されました。
私が岩瀬のある店で貰ったパンフレットでは徳川光圀が当地の桜を持ち帰って偕楽園前の小川に移植したとも記されています。
ただ明治初期に誕生したソメイヨシノ(染井吉野)が急速に広まり、桜=ソメイヨシノが主流になっていきました。桜川市の誕生をきっかけに、地元の桜川市岩瀬商工会は「サクラサク里プロジェクト」を発足させました。サクラサク里プロジェクトは国の天然記念物「磯部稲村神社近くの桜並木」の保護・育成、啓蒙活動等に取り組んでいます。