>88さん
市区町村変遷情報に誤りと思えるところがありましたので報告します。
◎青森県
3 1897.08.27 町制 上北郡野辺地町 上北郡 野辺地村
1897.08.27町制ではなくて1897.08.29町制ではないでしょうか。根拠は
青森県告示第166号(明30.8.29)です。
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野辺地町HP内の
野辺地町110年の歩み(PDF)では1897.8.28町制とありますが。。。
◎山形県
13 1892.03.18 町制 北村山郡楯岡町 北村山郡 楯岡村
1892.03.18町制ではなくて1892.03.15町制ではないでしょうか。根拠は
山形県告示第19号(明25.3.15)です。
14 1892.07.08 分立 最上郡角川村 最上郡 古口村の一部
15 1892.07.08 分立 最上郡豊田村 最上郡 豊里村の一部
これらは1892.07.08分立ではなくて、1892.06.18分立ではないでしょうか。根拠は
山形県告示第49号(明25.6.18)です。
16 1892.07.08 分立 西置賜郡十王村 西置賜郡 白鷹村の一部
17 1892.07.08 境界変更 西置賜郡添川村 西置賜郡 添川村, 豊川村の一部
これらの分立、境界変更は1892.07.08ではなくて、1892.06.21ではないでしょうか。根拠は
山形県告示第50号(明25.6.21)です。
◎千葉県
48 1914.03.01 新設 安房郡館山町 安房郡 館山町, 豊津村
1914.03.01新設ではなくて1914.04.01新設ではないでしょうか。
郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大9.3.31)では大3(1914).4.1新設合併とあります。
また、
館山市HP(PDF)4コマでも
大正3年4月 館山町と豊津村合併して館山町となる
とあります。
◎新潟県
11 1890.12.17 改称 中蒲原郡鳥屋野村 中蒲原郡 鳥屋王村
1890.12.17改称ではなくて1891.2.__改称ではないでしょうか。
おそらく1890.12.17改称とした根拠は
新潟県令甲第86号(明23.12.__)だと思われます。しかしこの明治23年新潟県令甲第86号は翌年二月の
新潟県令甲第17号(明24.2.__)で一度取り消されています。そしてその後改めて
新潟県告示第17号(明24.2.__)で改称されています。
ということは、改称の根拠は
新潟県告示第17号(明24.2.__)であるものと考えられます。
145 1901.11.01 新設 古志郡下塩谷村 古志郡 五日市村, 川谷村, 吉樫村
は正しくは
145 1901.11.01 新設 古志郡下塩谷村 古志郡 五日「町」村, 川谷村, 吉樫村
ではないでしょうか。
例えば明治31(1898)年末の「日本帝国人口統計」を表す
日本帝国人口統計(著・出版:内閣統計局、明34.3.31)では五日町村となっています。
◎石川県
92 1949.06.01 郡変更 石川郡白峯村 能美郡から石川郡に
167 2005.02.01 新設 白山市 松任市, 石川郡 美川町, 鶴来町, 河内村, 吉野谷村, 鳥越村, 尾口村, 白峰村
この二つの事例を比較しますと「白峯村」と「白峰村」となっており、表記が異なります。一体どちらが正しいのでしょうか。
どちらが正しいかではなくて、これも旧字体がらみで、
[67802]で88さんが紹介されていることの一例なのかもしれませんが。。。
なお市制町村制が施行された明治22年4月1日では、
石川県令第23号(明22.3.8)によりますと「白峯村」となっています。
◎山梨県
2 1892.04.01 分立 南巨摩郡穂積村 南巨摩郡 増穂村の一部
3 1892.04.01 分立 南都留郡長浜村 南都留郡 西湖村の一部
4 1892.04.01 新設 東八代郡黒駒村 東八代郡 下黒駒村, 上黒駒村, 藤野木村
これらの分立&新設合併は1892.04.01ではなくて1892.03.31なのではないでしょうか。根拠は
山梨県告示第34号(明25.3.31)です。
ただし、山梨県告示第34号では黒駒村を構成する村として下黒駒村が抜けています。
そこで当時の資料にあたってみました。
明治24(1891)年末の「市町村現住人口」を表した
内務省告示第29号(明25.7.15)では上黒駒村, 下黒駒村, 藤ノ木村とあります。明治25(1892)年末の「市町村現住人口」を表した
内務省告示第37号(明26.7.27)では黒駒村はありますが下黒駒村はありません。そして明治24年末のこれら3村(下黒駒村, 上黒駒村, 藤ノ木村)の人口合計は2740人であり、明治25年末の黒駒村の人口2823人とあまり変わりはありません。
また
郵便区画町村便覧[第6冊]明治25年4月現在巻之1(編著・出版:逓信省通信局、明26.1.27)では明25.4.1現在の町村名の欄で黒駒村大字上黒駒, 同 下黒駒, 同 藤之木とあります。
これらより
山梨県告示第34号(明25.3.31)では単に下黒駒村の記載を漏らしただけなのではないかと私は推測しますがいかがでしょうか。
◎長野県
13 1893.06.30 町制 西筑摩郡福島町 西筑摩郡 福島村
1893.06.30町制ではなくて1893.05.27町制ではないでしょうか。根拠は
長野県告示第56号(明26.5.27)です。
◎静岡県
2 1891.06.11 町制 賀茂郡熱海町 賀茂郡 熱海村
3 1891.06.11 改称 那賀郡中川村 那賀郡 中ノ郷村
4 1891.06.11 改称 駿東郡深良村 駿東郡 深浪村
5 1891.06.11 改称 志太郡朝比奈村 志太郡 朝夷村
6 1891.06.11 改称 長上郡和田村 長上郡 橋田村
7 1891.06.11 改称 長上郡中郡村 長上郡 万斛村
8 1891.06.11 改称 敷知郡曳馬村 敷知郡 曳馬下村
これらの町制もしくは改称がなされたのは1891.06.11ではなくて1891.06.12ではないでしょうか。根拠は
静岡県告示第26号(明24.6.12)です。
10 1891.07.16 改称 敷知郡吉野村 敷知郡 須ノ木沢村
1891.07.16改称ではなくて1891.07.14改称ではないでしょうか。根拠は
静岡県告示第35号(明24.7.14)です。
14 1894.06.01 分立 山名郡南御厨村 山名郡 御厨村の一部
1894.06.01分立ではなくて1894.05.31分立ではないでしょうか。根拠は
静岡県告示第49号(明27.5.31)です。
25 1896.06.29 町制 磐田郡掛塚町 磐田郡 掛塚村
1896.06.29町制ではなくて1896.06.19町制ではないでしょうか。根拠は
静岡県告示第42号(明29.6.19)です。
◎愛知県
9 1890.10.23 分割 北設楽郡上津具村 北設楽郡 津具村の一部
10 1890.10.23 分割 北設楽郡下津具村 北設楽郡 津具村の一部
1890.10.23分割ではなくて1890.10.20分割ではないでしょうか。根拠は
愛知県告示第123号(明23.10.20)です。
68 1895.01.25 新設 渥美郡豊橋町 渥美郡 豊橋村, 豊橋町
1895.01.25新設ではなくて1895.02.25新設ではないでしょうか。根拠は
愛知県告示第20号(明28.2.25)です。
◎三重県
1897.09.30 境界変更 河芸郡玉垣村 河芸郡 玉垣村, 若松村の一部(大字岸岡)
が抜けているのではないでしょうか。根拠は
三重県告示第180号(明30.10.5)です。
#大字岸岡はM22.4.1に
三重県令第13号(明22.3.1)により、若松村の一部となった旧・岸岡村の区域にあたります。
◎島根県
1890.02.18? 境界変更 鹿足郡日原村 鹿足郡 日原村, 小川村の一部(大字瀧元)
この境界変更を入れることはないのでしょうか。根拠は
島根県告示第23号(明23.2.18)です。
島根県令第21号(明22.3.9)によりますと、島根県に町村制が実施された明22.4.1には、瀧元村の字小直字越原の区域は日原村となり、瀧元村の字小直字越原以外の区域は小川村となりました。
なお1890.02.18?と実施日に?をつけているのは、告示の文言が「改称ス」ではなくて「改称セリ」と過去形で書かれているため、正確な年月日が良く分からないという意味合いです。
5 1891.05.31 改称 鹿足郡畑迫村 鹿足郡 喜時雨村
1891.05.31改称ではなくて1891.05.11改称ではないでしょうか。根拠は
島根県告示第45号(明24.5.11)です。
7 1893.07.09 改称 意宇郡来待村 意宇郡 来海村
1893.07.09改称ではなくて1893.07.19改称ではないでしょうか。根拠は
島根県県告示第141号(明26.7.19)です。
◎高知県
10 1899.02.20 町制 幡多郡宿毛町 幡多郡 宿毛村
1899.02.20町制ではなくて1898.12.20町制ではないでしょうか。角川日本地名大辞典高知県(著:角川日本地名大辞典編纂委員会、出版:角川書店、1986)1523頁では明治31(1898)年12月20日町制とあります。
明治30(1897)年末の「市町村現住人口」を表した
内務省告示第92号(明31.9.13)では明治30年12月31日で宿毛村ですが、明治31(1898)年末の「道府県島郡市町村現住人口」を表した
官報(明33.2.1)では明治31年12月31日で宿毛町となっています。
明治31(1898)年末の「日本帝国人口統計」を表した
日本帝国人口統計(著・出版:内閣統計局、明34.3.31)でも、明31.12.31には宿毛町となっています。
また
町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39.2.8)には
香美郡赤岡村の町制施行の記載はあるのに幡多郡宿毛村の町制施行の記載がありません。これは既に幡多郡宿毛村に町制が施行されていたから、とすると上手く説明できます。
宿毛市立宿毛小学校の沿革では
明治32年1月1日 町制施行により宿毛町立宿毛尋常小学校となる
とあり、明治31(1898)年12月20日町制と整合性があります。
◎長崎県
52 1934.10.17 町制 南松浦郡有川町 南松浦郡 有川村
1934.10.17町制ではなくて1932.10.17町制ではないでしょうか。
長崎県勢要覧の
市町村の合併一覧(PDF)3コマによりますと、1934.10.17町制ではなくて昭7(1932).10.17町制となっています。
新上五島町が出来る前の
上五島地域5町合併協議会(PDF)9コマでも、1934.10.17ではなくて昭7(1932).10.17町制と記載しています。
◎鹿児島県
1911.09.30 境界変更 鹿児島市 鹿児島市, 鹿児島郡 伊敷村の一部(大字下伊敷字草牟田)
が抜けていませんでしょうか。大字下伊敷字草牟田とは明治4年に下伊敷村に編入された旧・草牟田村の区域です(
[67581])。ただ、廃藩置県直前に、旧・草牟田村は下伊敷村に編入されているため、これは市区町村変遷情報の収録の範囲外となるかもしれませんが。。。
参考:
鹿児島市例規集、「角川地名大辞典46鹿児島県」(著:角川日本地名大辞典編纂委員会、出版:角川書店、1983)
以上、多数になりましたがよろしくお願いします。