都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
YTさんの記事が5件見つかりました

… スポンサーリンク …



[82923] 2013年 2月 23日(土)15:52:03【1】YT さん
1980年の幸手町の人口水増しの件について 【訂正あり】
1980年(昭和55年)11月11日火曜日の読売新聞朝刊23/30頁からの引用です。

国勢調査で人口水増し
「市」になりたい幸手町
“町民が熱心の余り…”

【久喜】市制施行を目前にした埼玉県北葛飾郡幸手町(田口勝美町長)で、人口五万人以上という“市制の条件”を満たそうと、一部町民が先月一日に実施された国勢調査の際、人口を水増しして調査表を提出していたことが、十日までに明らかになった。町当局では、「町民が熱心のあまりやったことで、町としては関知してない」として、確認された水増し分を差し引いた人口「五万六人」を県に報告したが、それでも十月の人口増加が極めて不自然な伸びをみせていることから、事態を重視した県では、改めて調査票の綿密なチェックを進める一方、場合によっては幸手町の国勢調査のやり直しも検討している。

“幽霊”315人引きスレスレ5万

 水増しが発覚したきっかけは調査票を回収中の十月初め、同町周辺の同郡杉戸町、草加市、茨城県 猿島郡五霞村などから、「うちの住民が幸手町の住民として、でたらめな調査票を提出している」と県統計課や同町に抗議が相次いだことから。
 同町で調べたころ、周辺の市町村に住んでいながら、世帯ぐるみで幸手町の勤め先や親類宅などに住んでいるよう調査票に書き込んでいたり、同町に寮を持つ民間企業の社員がそれぞれ自宅で住民登録、生活しているのにこの寮で長期間寝泊まりしているようにして、調査票の住所を同町にしているなど、計三百十五人の“水増し”が明らかになった。
 同町の話では、この不正工作は市制施行を熱望している一部町民が、熱心さのあまり、近隣に住む地元出身者を手分けして探し出し“協力”を呼びかけたものらしく、調査員も抱き込まれていた疑いもあるという。
 町では、確認されたこの水増し分を差し引き、町人口を五万六人として県国勢調査対策本部に報告したが、同本部では訂正して提出したこの調査票の中にも、まだかなりの水増し分が隠されているのではないかという疑いを捨て切っていない。
 これは地方自治法で規定されている市制施行の条件の“五万人”をうまいことに六人だけ上回ったという“間のよさ”もさることならが、十月の人口増加がそれまでの同町の人口動態とは明らかに違った推移を見せているため。
 九月一日現在の同町の推計人口(県統計課調べ)は四万八千九百五十五人。町の修正報告が正確だったとすれば、十月一日までのわずか一か月間に千五十一人も増えたことになる。ちなみに、八月から九月にかけての人口増加は六十六人だけ。いろいろな条件を考慮に入れても、極めて異常な伸びであることは確かだ。このため、同本部では改めて調査票の再審査を行う一方、この審査結果によっては町に調査報告の再修正を求め、さらにひどい場合は改めて同町の国勢調査のやり直しも検討している。
 幸手町では、商店主ら約四十人で市制施行推進協議会が結成され、「市制が施行されてば、町のイメージアップになる」などと熱心に運動する動きもあった。
 田口町長の話「町としては、去る七日に町村合併二十五周年の記念事業をやったばかりで、人口を水増ししてまで今、無理に市制施行する気など全くない。町民が熱心さのあまりやったことだと思う」

新聞記事のアーカイブに検索をかけた限りでは、この事件に関して後に逮捕者が出たという記事がなく、調査員レベルでの捏造ということで済んだようです。

人口水増しに関する統計法違反では、羽幌町に関する新聞記事が見つかっただけです。松本敏治町長ら町幹部四人が統計法違反、虚偽有印公文書作成、同行使事件に問われ、旭川地裁で1973年6月27日に判決が言い渡されています。

町長:懲役一年六月、執行猶予三年
元助役:同一年、執行猶予二年
前総務部長:同八月、執行猶予一年
前庶務部長:病欠のため9月3日に判決言い渡し

【訂正】[82925] にまんさん

引用部分なのですが
同町周辺の同郡松戸町、草加市、茨城県 猿島郡五霞村などから、
は、同郡杉戸町ですよね

すみません。ご指摘通り本文を松戸町から杉戸町に修正しました。
[82913] 2013年 2月 20日(水)22:02:21YT さん
天保郷帳における石高の記述について:追加検証
[82890] むっくんさん

以前YTさんが[76916][76917][76918][76919][76920][76921]にて天保郷帳の複製本(編:史籍研究會、1984)(YTさんはこの本のことを『原本』と表記されています)とその『解読篇』についての詳細をまとめられていました。

そして[79622]拙稿にて村数の差異について推測を述べ、[79623]YTさんにおいて確認をして頂きました。その続きです。

天保郷帳の石高について、活字化された近世歴史資料研究会編『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳 第3分冊 解読篇 (近世歴史資料集成)』(2009年)の石高と天保郷帳原本(『複製本』こと、史籍研究會編『天保郷帳(内閣文庫所藏史籍叢刊)』(1984年)にせよ、国立公文書館デジタルアーカイブの『天保郷帳』にせよ、国立公文書館所蔵の原本からコピーなり画像なりを起こしているので、そこに書かれている集計結果の石高は『原本』の石高と表現しても問題ないと思いますが)の石高を比較した際、両者に村数や石高の差が生じてました。『解読篇』の解説によると
(7) 村ごとの石高の集計をより正確にすることを目的として、改めて石高の再計算を行った。その結果、郡や國の石高が原本の数字と合致しない場合が確認された。この件に関しては、原本のではなく、再計算された数字を採用したことをお断りしておきたい。
とありましたが、改めて[79622][79623][82890][82891]で検証されたように、実際には原本における冊子のたたみ方の誤りが原因(『複製本』では一部の頁(信濃国伊那郡)が脱落し(『デジタルアーカイブ』では修正済)、一部の頁が誤った箇所に差し込まれ(『デジタルアーカイブ』で修正済:上野国碓氷郡⇒利根郡、土佐国高岡郡⇒吾川郡;『デジタルアーカイブ』でも誤ったまま:和泉国泉郡・日根郡⇔南郡、武蔵国入間郡⇒高麗郡、出雲国神門郡⇒飯石郡))で、少なくとも村数に関しては『出羽国郷帳五』収録の出羽国平鹿郡(2村多い)、扱いの特殊な伊豆諸島・蝦夷松前以外は天保郷帳の集計が正しく、石高についても郷帳の集計がかなり正確なことが示されました。

そこで『解読篇』と『原本』の石高が異なる他の旧国郡についても、『解読篇』の石高の数字と『デジタルアーカイブ』の郷帳の画像とを比較しながら、改めて石高のチェックをしてみたところ、『解読篇』の石高にいくつか間違いを見つけました。

まず手始めに以前[77085][77086]でまとめた出羽国置賜郡の石高をチェックしました。[77085][77086]で記載した天保郷帳の村別石高は、実際には『解読篇』で活字化された数字です。ところが『解読篇』で619.11899石とされている北和田村の石高は、『出羽国郷帳一』の5/36頁目では、「高六百拾九石壱斗壱升八合九勺八才」、つまり619.11898石となっており、『解読篇』の石高に1才の誤りがありました。よって出羽国置賜郡の村別石高の合計も216,161.22023石となり、完全に原本に記載されている出羽国置賜郡の石高と一致しました。一方『解読篇』による出羽国置賜郡の石高は216,161.2202となっていますが、これは本来なら加えるべき4才(正しくは3才)を脱落させてしまったものと考えられます。

以上を踏まえ、『解読篇』と『原本』の村高を比べたところ、『解読篇』において以下の村高の間違いが認められました。なお石高は毛(10^-6石)の桁で揃えています。

旧国郷村『解読篇』石高『原本』石高石高差デジタルアーカイブ参考コマ頁
尾張国中嶋郡横地村252.711000253.7110001.000000尾張国郷帳 74/134
武蔵国豊島郡穏田村94.57170094.571070-0.000630武蔵国郷帳 5/190
武蔵国豊島郡池袋村601.655700601.655070-0.000630武蔵国郷帳 7/190
武蔵国豊島郡2村合計696.227400696.226140-0.001260
上総国市原郡門前村220.798600212.798600-8.000000上総国郷帳 55/159
下総国千葉郡神窪村52.77860052.778060-0.000540下総国郷帳 97/213
下総国印旛郡寺崎村804.602000804.062000-0.540000下総国郷帳 141/213
下総国印旛郡馬渡村540.924600540.924060-0.000540下総国郷帳 144/213
下総国印旛郡2村合計1,345.5266001,344.986060-0.540540
常陸国茨城郡大故山村135.619500135.619050-0.000450常陸国郷帳 25/225
常陸国那珂郡湊村2,645.8160002,645.815000-0.001000常陸国郷帳 41/225
常陸國久慈郡真弓村218.505000218.055000-0.450000常陸国郷帳 62/225
常陸國真壁郡古殿村261.228300261.228030-0.000270常陸国郷帳 124/225
近江国甲賀郡小山村689.351700689.035170-0.316530近江国郷帳 90/201
美濃国加茂郡細目村464.818000465.8180001.000000美濃国郷帳 156/216
信濃国筑摩郡埴原村1,558.5656001,558.565060-0.000540信濃国郷帳 101/211
信濃国高井郡深沢新田村322.144000332.14400010.000000信濃国郷帳 202/211
上野国群馬郡大久保村1,237.1570001,237.151000-0.006000上野国郷帳 69/164
下野国河内郡東蓼沼村813.905000813.9605000.055500下野国郷帳 6/180
下野国芳賀郡堀越村740.477150740.477105-0.000045下野国郷帳 51/180
陸奥国田村郡守山村622.256620622.2566700.000050陸奥国郷帳二 50/71
陸奥国安達郡塩沢村1,881.1732701,881.1732900.000020陸奥国郷帳二 55/71
陸奥国宇多郡大坪村1,005.6090001,105.609000100.000000陸奥国郷帳三 73/76
出羽国置賜郡北和田村619.118990619.118980-0.000010出羽国郷帳一 5/36
出羽国村上郡松原村1,664.7541001,564.754100-100.000000出羽国郷帳二 20/58
出羽国村上郡幾右衛門新田15.40900015.049000-0.360000出羽国郷帳二 56/58
出羽国秋田郡新館村109.322000119.32200010.000000出羽国郷帳五 22/130
出羽国由利郡長磯村121.466800121.466080-0.000720出羽国郷帳五 125/130
越前国坂井郡大年村464.799000465.7990001.000000越前国郷帳 117/200
越中国礪波郡清水村1,057.2990001,157.299000100.000000越中国郷帳 152/179
越後国頸城郡下増田新田464.823000465.8230001.000000越後国郷帳上 119/141
越後国蒲原郡日出谷村1,086.0890001,186.089000100.000000越後国郷帳下 61/238
佐渡国羽茂郡小比叡村26.86100036.86100010.000000佐渡国郷帳 36/38
日向国諸県郡井崎田村1,312.6580001,312.7580000.100000日向国郷帳 17/67

一方下総国葛飾郡、下総国河内郡、出羽国村上郡、出羽国田川郡については、原本の才の桁(10^-5石)を有する村高を足した結果を比較したところ、原本が記載する郡高との才の桁の数字が等しくなり、原本の数字は正しく集計されているものと推測されます。おそらく出羽国置賜郡の例に見られるように『解読篇』でこれらの郡の才の桁の数字を脱落させてしまったと考えられます(出羽国置賜郡については省略([77085][77086]参照))。

旧国郷村『解読篇』石高『原本』石高石高差デジタルアーカイブ参考コマ頁
下総国葛飾郡鷲巣村443.943670443.9436700.000000下総国郷帳 11/213
下総国葛飾郡深輪村660.889550660.8895500.000000下総国郷帳 12/213
下総国葛飾郡尾崎村648.205970648.2059700.000000下総国郷帳 15/213
下総国葛飾郡舩形村1,907.5775801,907.5775800.000000下総国郷帳 15/213
下総国葛飾郡駒木村116.482740116.4827400.000000下総国郷帳 23/213
下総国葛飾郡市野谷村313.720730313.7207300.000000下総国郷帳 26/213
下総国葛飾郡幸谷村511.906480511.9064800.000000下総国郷帳 30/213
下総国葛飾郡岩瀬村132.228330132.2283300.000000下総国郷帳 35/213
下総国葛飾郡中矢切村174.620670174.6206700.000000下総国郷帳 37/213
下総国葛飾郡高根村341.956980341.9569800.000000下総国郷帳 38/213
下総国葛飾郡奉免村62.10033062.1003300.000000下総国郷帳 38/213
下総国葛飾郡11村合計5,313.6330305,313.6330300.000000『解読篇』は3才を脱落か
下野国河内郡五分一村294.223410294.2234100.000000下野国郷帳 14/180
下野国河内郡木和田島村845.212910845.2129100.000000下野国郷帳 19/180
下野国河内郡石名田村878.248360878.2483600.000000下野国郷帳 19/180
下野国河内郡大町村1,701.0133301,701.0133300.000000下野国郷帳 21/180
下野国河内郡坂之上村460.633570460.6335700.000000下野国郷帳 21/180
下野国河内郡下蒲生村347.050230347.0502300.000000下野国郷帳 22/180
下野国河内郡三間在家村915.673290915.6732900.000000下野国郷帳 23/180
下野国河内郡上川島村109.432930109.4329300.000000下野国郷帳 26/180
下野国河内郡中川島村137.226920137.2269200.000000下野国郷帳 26/180
下野国河内郡別当河原村136.474620136.4746200.000000下野国郷帳 26/180
下野国河内郡下坪山村852.756940852.7569400.000000下野国郷帳 27/180
下野国河内郡11村合計6,677.9465106,677.9465100.000000『解読篇』は1才を脱落か
出羽国村上郡山形町25,809.22647025,809.2264700.000000出羽国郷帳二 7/58
出羽国村上郡小白川村1,364.7636201,364.7636200.000000出羽国郷帳二 7/58
出羽国村上郡植野村608.216360608.2163600.000000出羽国郷帳二 13/58
出羽国村上郡大野目村831.572620831.5726200.000000出羽国郷帳二 13/58
出羽国村上郡落合村1,445.9008901,445.9008900.000000出羽国郷帳二 13/58
出羽国村上郡南青柳村698.002790698.0027900.000000出羽国郷帳二 13/58
出羽国村上郡北青柳村890.909710890.9097100.000000出羽国郷帳二 13/58
出羽国村上郡谷柏村1,855.0146101,855.0146100.000000出羽国郷帳二 20/58
出羽国村上郡8村合計33,503.60707033,503.6070700.000000『解読篇』は7才を脱落か
出羽国田川郡中野京田村463.629430463.6294300.000000出羽国郷帳四 12/86
出羽国田川郡南野村654.168970654.1689700.000000出羽国郷帳四 36/86
出羽国田川郡町村632.178930632.1789300.000000出羽国郷帳四 44/86
出羽国田川郡興屋村348.698950348.6989500.000000出羽国郷帳四 44/86
出羽国田川郡朝丸村234.822160234.8221600.000000出羽国郷帳四 44/86
出羽国田川郡茗荷瀬村463.700530463.7005300.000000出羽国郷帳四 44/86
出羽国田川郡払田村206.411650206.4116500.000000出羽国郷帳四 44/86
出羽国田川郡常万村350.897730350.8977300.000000出羽国郷帳四 45/86
出羽国田川郡西小野方村374.939370374.9393700.000000出羽国郷帳四 45/86
出羽国田川郡大野村209.764900209.764090-0.000810出羽国郷帳四 45/86
出羽国田川郡田谷村116.832730116.8327300.000000出羽国郷帳四 45/86
出羽国田川郡中野村201.576160201.5761600.000000出羽国郷帳四 45/86
出羽国田川郡南野新田村152.102400152.102040-0.000360出羽国郷帳四 45/86
出羽国田川郡13村合計4,409.7239104,409.722740-0.001170『解読篇』は1才を脱落か

以上より、『出羽国郷帳五』以外においては、天保郷帳記載の国郡別石高は、正しく束ねられた状態ではそれぞれの村高と完全に等しいと推測され、そこには村数(伊豆群島・松嶋を除く)・石高の計算間違いは存在しないと推測されます。残るは秋田久保田藩が責任をもってまとめたはずの『出羽国郷帳五』ですが、少なくとも秋田郡新館村と由利郡長磯村の村高が間違っていました。しかしながら秋田郡の合計石高の違いは解消したものの、由利郡の合計石高の違いを説明できません。また仙北郡、平鹿郡の村高については、現時点で間違いを見つけらずにおり、仙北郡・平鹿郡・由利郡においては、実際に天保郷帳記載の郡別石高合計に誤りがあるようです。これについては項を改めて検証します。
[82891] 2013年 2月 15日(金)21:46:03YT さん
天保郷帳での記載について、石高の追加検証
[82888] オーナー グリグリさん [82889] 白桃さん
昨日、公益財団法人統計情報研究開発センター、通称Sinfonicaが主催する、統計情報セミナーに行ってきました。初めて参加したのですが、今までよく知らなかった国勢調査のデータの種類や調査方法などが分かり、とても有意義なセミナーでした。

昨年CD-ROMを購入したためでしょうか、実は私の所にもセミナーへの招待状が葉書で来てました。ただ私の方は仕事の関係で残念ながら出席できませんでした。

現在[82204]で投稿した都道府県・支庁・市区郡別人口の変遷のまとめを、明治初期まで拡大した表を作成中ですが・・・府県別現住人口と郡市別現住人口が異なる(明治30年以前は、現住人口算出の際にわざわざ各階層内での人口異動を除いている)ので、合計による数字のチェックができないという問題を抱えています。加えて毎年1月~3月は個人的に非常に忙しい!と言いつつ[82890]のむっくんさんの投稿を読んで、さっそく石高を検証してみたくなるという、サボり癖を発症中です。

[82890]むっくんさん

[76919]YTさん
---------

旧國旧郡村数『解読篇』石高村数『原本』石高石高差
和泉國泉郡8938,432.6906008931,077.9622007,354.728400
和泉國南郡6730,120.0766006737,289.234600-7,169.158000
和泉國日根郡7656,414.3006007656,599.871000-185.570400

---------
この三ヶ所についてもおそらく天保郷帳の編集の際のミスであろうと以前から推測していました。
そこで天保郷帳(和泉国)及び天保国絵図(和泉国)とを比較し、以下に、誤りと考えられるところを挙げます。

さっそく石高を計算してみました。

村名石高
土生村2,714.3240
尾生村1,225.8000
上松村735.5340
下松村979.7070
額原村326.9680
小松里村1,521.6770
下池田村505.9466
中井村564.9840
福田村150.0940
鳥羽村253.2090
新井村144.2620
小瀬村644.2080
永吉村87.8600
久保村376.0610
半田村689.0880
作才村373.6420
西之内村935.8110
別所村236.9880
沼間村540.2480
岸和田村2,118.5042
津田村228.3673
堀村496.0320
嶋村23.3400
貝塚村381.5570
泉郡→南郡小計16,254.2121

村名石高
春木川村99.6570
大沢村463.5710
父鬼村135.8950
大野村205.0360
坪井村238.7370
佛並村413.6380
下宮村199.5790
小野田村344.0090
鍛冶屋村244.3410
唐國村494.4210
内田村557.2070
春木村473.4960
松ノ尾寺村341.2330
久井村401.7200
若樫村334.4350
内畑村1,230.9491
観音寺村438.0380
寺門村111.9700
和気村348.6796
和気郷庄244.5000
小田村715.1424
今福村129.6420
寺田村263.1163
箕形村470.4713
南郡→泉郡小計8,899.4837

村名石高
五門村324.9040
紺屋村101.9097
野田村583.2539
小垣内村417.0520
小谷村390.6760
久保村1,253.2703
土丸村342.6720
大木村624.6510
畠中村413.3497
石才村393.2750
橋本村813.2630
堤村339.2840
地蔵堂村283.1880
王子村721.7020
七山村232.2941
大久保村694.7600
南郡→日根郡小計7,929.5047

村名石高
三田村898.1482
包近村628.7779
中村460.6081
稲葉村670.8256
積川村316.4937
河合村469.4730
相川村173.8380
塔原村166.8200
箕土路村484.0026
両大路村388.9296
大町村400.4196
池尻村481.3200
今木村370.1710
田治米村797.3444
新在家村637.6556
摩湯村399.1070
日根郡→南郡小計7,743.9343

郡名石高増減備考
泉郡-7,354.7284= 8,899.4837 - 16,254.2121
南郡+7,169.1580= 16,254.2121 + 7,743.9343 - 8,899.4837 - 7,929.5047
日根郡+185.5704= 7,929.5047 - 7,743.9343

よって和泉国の天保郷帳における郡別石高が村別石高と一致しないのは、国立公文書館が所蔵している原本冊子の綴り方の誤りが原因と推測され、それがそのまま複製本、解読篇、国立公文書館のデジタルアーカイブに引き継がれてしまっているという実態が確認できました。

解読篇と複製本で石高が異なるのは、残りは端数の問題だけですね。これに関しては何れまとめて検証したいです。
[82405] 2012年 12月 31日(月)03:07:49【2】YT さん
平成22年10月1日の境域における各回国勢調査時の市区町村別人口・追加修正案 2
●昭和15年以前の十島村・三島村の人口の扱い
 → 『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口』では三島村の人口をゼロとし、すべて十島村の人口に割り振っているが、昭和30年の十島村・三島村の人口比で按分して計算し直すべきか

これだけは現時点では引き続き検討課題ですが、一応昭和5年10月1日以前の人口の推計を計算しました。

現時点では[82244]で示した以上の情報は得られておらず、『十島村誌』(1995年)内の引用されている該当部分の頁のコピーを入手したものの、内容としては羽原清雅氏による「トカラ・十島村の「格差」と地域の政治―どうなる七つに分散する離島村の闘い」以上のものはありませんでした。そこで昭和5年10月1日以前の人口につていは、昭和10年10月1日の南北トカラ列島の人口比から算出することにしました。以上により、昭和25年10月1日以前の十島村、三島村の人口は以下のように推計されます。

年次十島村三島村備考
大正9年3,3381,273昭和【10】年の人口比による
大正14年3,3401,274昭和【10】年の人口比による
昭和5年3,7231,420昭和【10】年の人口比による
昭和10年3,6671,399羽原清雅氏の論文による
昭和15年3,5641,232羽原清雅氏の論文による
昭和22年1,304
昭和25年2,9381,484確定値

但し上の数字は暫定値で、十島村を構成する島々の戦前の国調人口については、引き続き調査します。また昭和25年の十島村の人口が欠けていたのは、『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』の明らかなミスです。

●以上のほか、白桃さんよりメールにて、『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』の誤りが指摘されています。
1961.4.1に行われた旧美方町と旧村岡町の境界変更に伴う
人口異動を反映した1960年以前の国勢調査人口の数値が誤って
いるようです。
原因は、異動人口4,506人を1,506人と誤認したことによるもの
だと推察いたします。

ただ、美方郡村岡町と美方郡美方町は、平成17年4月1日に城崎郡香住町と合併し、美方郡香美町が発足していますので、平成22年10月1日境域における昭和35年以前の人口においては上記の計算間違いは影響しません。

【追記】[82404]で示した八条村の一部(立野堀)の計算方法が間違っていました。

※昭和22年10月1日の八条村立野堀の人口745人は、昭和22年10月1日の八幡村・潮止村・八条村の人口合計12,591人と、昭和55年10月1日境域による八潮市の人口11,846人の差
として計算しましたが、
昭和54年4月1日 草加市の一部(32人)が八潮市へ
の存在を忘れていました。

昭和55年10月1日境域からの計算が不可能となったので、八丈村内の八潮村、草加町への昭和50年10月1日異動人口の比から、八条村の一部(立野堀)の人口を推計すると、昭和22年10月1日の八丈村の人口3,965人に、草加村へ異動した八丈村の昭和30年10月1日の人口797を乗じ、昭和30年10月1日の八丈村の人口4,216人で割ることで、750人と計算されます(745人より5人増える)。同様に八幡村・潮止村・八条村(立野堀を除く)の人口は11,841人に修正されます(11,846人より5人減る)。ここで、八潮市と草加市に関し、
昭和55年10月1日境域から昭和50年10月1日境域に数字を戻す作業を行
ったところ、ちゃんと八潮市の人口が11,846人から11,841人に修正されたことから、上の計算は間違いでなかったことが分かります。なお、
昭和22年10月1日の人口に水害地の人口を加え、昭和55年10月1日境域に再び戻すという作業を行っても、四捨五入した数字の上では水害地分の人口に変動はありません。
という事実には変わりありません。

というわけで、[82404]の水害地の人口の按分自体には全く問題ありません。
[82404] 2012年 12月 31日(月)03:03:43【1】YT さん
平成22年10月1日の境域における各回国勢調査時の市区町村別人口・追加修正案
11月末から予想以上に忙しい日々が続きましたが、何とか今年中に平成22年10月1日の境域における各回国勢調査時の市区町村別人口に関し、[82194]で挙げた修正を検討し終えました。

●昭和35年の長野県西筑摩郡山口村と岐阜県中津川市の間の境界紛争地域(73人)
 → 『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口』では境界紛争地域の人口を除外しているが、最終的に山口村は中津川市に越境編入しており、この73人も現在の中津川市境域内の人口に加算するべきか

※中津川市・恵那郡・長野県西筑摩郡山口村における昭和22年10月2日~昭和55年10月1日の人口異動を伴う境域変遷情報
昭和58年4月1日中津川市の一部(24人)が恵那郡福岡町へ

平成17年2月13日に長野県西筑摩郡山口村、岐阜県恵那郡福岡町は中津川市に編入されており、昭和35年の長野県西筑摩郡山口村と岐阜県中津川市の間の境界紛争地域の人口はすべて現中津川市内と考えて問題ありません。長野県西筑摩郡山口村と岐阜県中津川市の間の境界紛争地域の人口73人を岐阜県中津川市の人口に加えることで、平成22年10月1日の境域による昭和55年の中津川市の人口は82,747人に修正されます。

市町村修正前修正後
中津川市82,67482,747

●昭和22年の臨時国勢調査における「町村に配分せられない水害地の調査洩れ数」
 → 『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口』では三県の調査洩れ数を除外しているが、これらについても按分して計算し直すべきか

◎宮城県内
○宮城県玉造郡の町村に配分せられない水害地の調査洩れ数21人を大崎市の人口に追加
○宮城県栗原郡の町村に配分せられない水害地の調査洩れ数71人は以下の様に按分
境域水害地を除く昭和22年の人口水害地の人口
昭和22年の栗原郡136,39571
昭和22年の栗原郡内の現栗原市126,53866
昭和22年の栗原郡内の現大崎市9,8575

※昭和22年10月1日の栗原郡内の現大崎市境域の人口は、昭和22年10月1日の長岡村・宮沢村・清滝村の合計11,294人より清滝村小山田地区の人口1,437人を除いたもの。清滝村小山田地区の人口1,437人は、昭和55年10月1日の境域による昭和22年10月1日の高清水町の人口5,793人と、昭和22年10月1日の高清水町の人口4,356人の差。

※玉造郡・栗原郡・志田郡・遠田郡の昭和22年10月2日~昭和55年10月1日の人口異動を伴う境域変遷情報
昭和29年8月1日志田郡敷玉村の一部(4,291人)が古川市へ
昭和29年8月1日志田郡敷玉村の一部(1,799人)が遠田郡小牛田町へ
昭和30年3月31日志田郡下伊場野村の一部(978人)が志田郡松山町へ
昭和30年3月31日志田郡下伊場野村の一部(1,129人)が志田郡三本木町へ
昭和30年4月10日玉造郡岩出山町の一部(251人)が古川市へ
昭和30年4月14日古川市の一部(1,459人)が栗原郡高清水町へ
昭和30年4月1日栗原郡姫松村の一部(2,380人)が栗原郡栗駒町へ
昭和30年4月1日栗原郡姫松村の一部(1,824人)が栗原郡一迫町へ
昭和30年7月10日古川市の一部(1,405人)が志田郡三本木町へ
昭和30年10月1日志田郡三本木町の一部(292人)が志田郡松山町へ
昭和31年1月1日遠田郡小牛田町の一部(909人)が古川市へ
昭和31年8月10日栗駒郡栗駒町の一部(393人)が栗駒郡築館町へ
昭和31年8月10日栗駒郡栗駒町の一部(237人)が栗駒郡一迫町へ
昭和32年4月1日玉造郡岩出山町の一部(30人)が古川市へ
昭和44年9月1日遠田郡田尻町の一部(9人)が遠田郡小牛田町へ

昭和30年4月10日に玉造郡岩出山町の一部(251人)が古川市へ、昭和30年7月10日に古川市の一部(1,405人)が志田郡三本木町へ、昭和32年4月1日に玉造郡岩出山町の一部(30人)が古川市へ異動していますが、玉造郡岩出山町、志田郡三本木町、志田郡松山町は最終的に大崎市の境域となるので、昭和22年の人口の修正の際には考慮の必要はありません。昭和30年4月14日の古川市の一部(1,459人)の栗原郡高清水町(旧清滝村小山田地区)への異動は、昭和22年の人口の修正の際に考慮する必要があります。

○宮城県登米郡の町村に配分せられない水害地の調査洩れ数60人を登米市の人口に追加

※登米郡の昭和22年10月2日~昭和55年10月1日の人口異動を伴う境域変遷情報
昭和27年11月1日登米郡石森町の一部(8人)が登米郡上沼村へ
昭和32年4月1日登米郡中田町の一部(2,427人)が登米郡迫町へ
これらは最終的に登米市の境域となるので考慮の必要はありません。

○宮城県本吉郡の町村に配分せられない水害地の調査洩れ数55人は以下の様に按分
境域水害地を除く昭和22年の人口水害地の人口
昭和22年の本吉郡106,30455
昭和22年の本吉郡内の現登米市(津山町)7,1254
昭和22年の本吉郡内の現気仙沼市71,20437
昭和22年の本吉郡内の現南三陸町23,51812
昭和22年の本吉郡内の現石巻市(十三浜村)4,4572

以上をまとめると、平成22年10月1日の境域による昭和22年10月1日の宮城県内の人口は、水害地の様差漏れ数を加えることで以下のように修正されます。
市町村修正前修正後水害地
石巻市171,858171,8602
気仙沼市71,20471,24137
登米市123,110123,17464
栗原市126,538126,60466
大崎市138,925138,95126
南三陸町23,51823,53012

◎栃木県内
○栃木県下都賀郡内二村の町村に配分せられない水害地の調査洩れ数60人は以下の様に按分
境域水害地を除く昭和22年の人口水害地の人口水害地を含む昭和22年の人口
生井村・部屋村10,5426010,602
生井村4,338254,363
部屋村6,204356,239

下都賀郡生井村は昭和30年4月25日に下都賀郡野々田町を経て、昭和38年4月18日に小山市に編入、下都賀郡部屋村は昭和30年3月31日に下都賀郡藤岡町を経て、平成22年3月29日に栃木市に編入されます。

※小山市の昭和30年4月25日~昭和55年10月1日の人口異動を伴う境域変遷情報
昭和49年12月1日下都賀郡南河内町の一部(5人)が小山市へ
昭和53年1月1日野木町の一部(11人)が小山市へ
昭和54年7月1日下都賀郡大平町の一部(15人)が小山市へ
以上の外、昭和55年1月1日以降の諸境域異動等を全て考慮して改めて境域変動に伴う推定人口を計算し直しましたが、結局端数処理した後に昭和55年10月1日の境域による昭和22年10月1日の市町村別人口に変化が生じたのは、小川市と栃木市のみでした。

○栃木県足利郡内四町村の町村に配分せられない水害地の調査洩れ数207人は、足利郡毛野村・山前村・小俣村・山辺町で按分されるべきものですが、これらはすべて現足利市に編入されており、該当地域には特に複雑な人口異動を伴う境域変動が存在しないので、足利郡の水害地の人口は全て足利市の人口に加えます。

以上をまとめると、平成22年10月1日の境域による昭和22年10月1日の栃木県内の人口は、水害地の調査漏れ数を加えることで以下のように修正されます。
市町村修正前修正後水害地
栃木市131,230131,26535
小山市82,12382,14825
足利市143,149143,356207

◎埼玉県内
○埼玉県北葛飾郡の町村に配分せられない水害地の調査洩れ数321人はまず以下の様に按分
境域水害地を除く昭和22年の人口水害地の人口
昭和22年の北葛飾郡121,659321
昭和22年の幸松村・豊野村8,36322
昭和55年境域の栗橋町・昭和22年境域の桜田村の一部15,67241
昭和55年境域の杉戸町16,61744
現松伏町8,82723
昭和55年境域の庄和町15,56541
現三郷市16,22243
現幸手市24,62265
現吉川市15,77142
※昭和22年10月1日境域の桜田村の一部(大字八甫・西大輪・東大輪・外野・上川崎)の人口3,957人は、昭和55年10月1日境域の南埼玉郡鷲宮町の人口8,768人と、昭和22年10月1日の南埼玉郡鷲宮町の人口4,811人の差
ただし春日部市、杉戸町、庄和町に関しては、昭和55年10月2日以降の人口異動を考慮しながらさらに昭和22年10月1日人口を修正する必要があります。

なお、以下の境域変遷情報は、昭和55年10月1日境域による昭和22年10月1日の人口として織り込み済みです。
※埼玉県北葛飾郡の昭和22年10月2日~昭和55年10月1日の人口異動を伴う境域変遷情報
昭和23年4月1日北葛飾郡栗橋町の一部をもって静村(4,877人)を設置
昭和23年4月1日北葛飾郡栗橋町の一部をもって豊田村(2,715人)を設置
昭和30年1月1日北葛飾郡桜田村の一部(3,849人)が南埼玉郡鷲宮町へ
昭和30年1月1日北葛飾郡桜田村の一部(784人)が北葛飾郡幸手町へ
昭和30年4月1日北葛飾郡豊田村の一部(845人)が北葛飾郡幸手町へ
昭和30年4月1日北葛飾郡豊田村の一部(1,085人)が北葛飾郡泉村へ
昭和31年1月1日北葛飾郡幸手町の一部(475人)が北葛飾郡杉戸町へ
昭和35年11月3日北葛飾郡杉戸町の一部(993人)が北葛飾郡庄和村へ

○埼玉県南埼玉郡内八村の町村に配分せられない水害地の調査洩れ数84人はまず以下の様に按分
境域水害地を除く昭和22年の人口水害地の人口
八村合計31,81084
桜井村・新方村・増林村10,40327
八幡村・潮止村・八条村(立野堀を除く)11,84631
八条村の一部(立野堀)7452
須賀村4,00511
鷲宮村4,81113
※昭和22年10月1日の八条村立野堀の人口745人は、昭和22年10月1日の八幡村・潮止村・八条村の人口合計12,591人と、昭和55年10月1日境域による八潮市の人口11,846人の差【追記:この計算は間違い!】

なお、以下の境域変遷情報の内、昭和31年9月28日八条村の分割は、昭和30年11月3日の北足立郡草加町から南埼玉郡越谷町への境域変更の後ですが、昭和54年4月1日の草加市と八潮市の間での境域変更は考慮する必要があります。もっとも昭和55年10月1日境域から昭和50年10月1日境域に数字を戻す作業を行い、昭和22年10月1日の人口に水害地の人口を加え、昭和55年10月1日境域に再び戻すという作業を行っても、四捨五入した数字の上では水害地分の人口に変動はありません。
※埼玉県南埼玉郡の水害を受けた八村に関連する昭和22年10月2日~昭和55年10月1日の人口異動を伴う境域変遷情報
昭和30年1月1日北葛飾郡桜田村の一部(3,849人)が南埼玉郡鷲宮町へ
昭和30年11月3日北足立郡草加町の一部(1,249人)が南埼玉郡越谷町へ
昭和31年9月28日南埼玉郡八条村の一部(3,419人)が南埼玉郡八潮村へ
昭和31年9月28日南埼玉郡八条村の一部(797人)が北足立郡草加町へ
昭和54年4月1日草加市の一部(32人)が八潮市へ

○埼玉県北埼玉郡内六村の町村に配分せられない水害地の調査洩れ数53人は、利島村・川辺村(後の北川辺村)と、東村・原道村・元和村・豊野村(後の大利根村)で按分されるべきものですが、これらはすべて現加須市に編入されており、該当地域には特に複雑な人口異動を伴う境域変動が存在しないので、北埼玉郡の水害地の人口は全て加須市の人口に加えます。

以上において、八潮市、草加市、杉戸町、宮代町、春日部市、越谷市、庄和町に関しては、昭和55年10月2日以降の境域変更についても再計算が必要ですが、実際のところ境域変更を考慮しても、四捨五入された水害地の人口には変更はありませんでした。

以上をまとめると、平成22年10月1日の境域による昭和22年10月1日の埼玉県内の人口は、水害地の調査漏れ数を加えることで以下のように修正されます。
市町村修正前修正後水害地
加須市80,67380,72653
春日部市46,42346,48663
草加市27,71727,7192
越谷市42,51342,54027
久喜市58,61658,67054
八潮市11,84611,87731
三郷市16,22216,26543
幸手市24,62224,68765
吉川市15,77115,81342
宮代町10,45310,46411
杉戸町16,61516,65944
松伏町8,8278,85023

以上、三県における昭和22年10月1日の水害地の人口の按分を行いました。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示