[24187] では 明治11年(1879)の東京府移管まで しか記しませんでしたが、伊豆諸島の帰属を巡っては、まだとんでもない履歴がありました。
島庁、支庁の設置、都制施行は さておき、なんと 伊豆諸島が日本でなかった時期があったのです。
1946年1月29日(たまたま今日と同じ日付ですね)、連合国軍総司令部(GHQ)の覚書 「特定外周領域の日本政府よりの政治的行政的分離に関する件」 により伊豆諸島全域が 日本政府の統治領域から外されてしまいました。
戦後の混乱期とはいえ、3月22日に日本に復帰するまでの53日、下田よりも北にある伊豆大島が 日本でない時期があったとは!
しかも この間に伊豆大島では 独自の憲法草案まで作られたというから驚きです。
復帰の日付は 菅田正昭さんの「島風とシマ神」
[24183]によりましたが、同じ著者の 「日本の島事典」(三交社1995)
[22569]には、昭和21年1月29日から3月12日とあるので 43日になります。どちらかがミスプリントでしょう。
なお、伊豆諸島といっしょに日本でなくなった トカラ列島 下七島 (北緯29度と30度の間) の復帰は 1951年12月5日で、これにより 鹿児島県大島郡には、1946年に北緯30度線で分断された際に 日本に残った上三島と共に 2つの十島村(じっとうそん)が存在することになりました。翌年2月10日には上三島が 三島村(みしまむら)に、下七島が 十島村(としまむら)になり、同名は2ヶ月で解消しました。現在は両村共に 鹿児島郡。
北緯29度以南の奄美諸島復帰は、トカラ下七島復帰から2年後の 1953年12月25日になりました。
なお 小笠原諸島の日本復帰は1968年6月26日。沖縄復帰は1972年5月15日。北方四島は未復帰です。