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[61108] 2007年 9月 9日(日)18:19:51【1】hmt さん
100年前、国有化の頃の鉄道(1)国有化前史
[61073] Issie さん
明治から阪和間の輸送を担ってきたのは南海鉄道であって,なぜかその南海が国有化されなかったにもかかわらず

たしかに、大阪・和歌山間という重要路線であるにもかかわらず、「南海鉄道」が、明治39年(1906)の 鉄道国有法 第2条による買収対象にならなかったのは、「なぜだろう?」という疑問がわきます。

実は、明治39年3月に政府案として衆議院に提出されて可決された法案では、買収対象 32社 で、その中には「南海鉄道」も含まれていました。それが貴族院の審議で南海など 15社 が除外された 17社 に修正されました。その後は、大混乱の衆議院を経て、結局のところ賛成派(政友会)の単独採決で貴族院の修正案により成立させたという経過でした。

南海は、まさしく瀬戸際で国有化を免れたのでした。

1907年10月1日、17社のうち最後まで抵抗していた関西鉄道と参宮鉄道の買収により幹線鉄道の国有化が達成されました。それから ちょうど100年になります。
この間、80年目の1987年4月に国鉄が分割民営化され、単一の企業体ではなくなりましたが、「JRグループ」という形での統一性は保持されています。

百年という節目にあたるので、「南海鉄道」が国有化されなかったいきさつ調べも兼ねて、「100年前、国有化の頃の鉄道」を振り返ってみましょう。

明治5年(1872)の京浜間に続いて阪神間(1874)京阪間(1877)の鉄道が開通しました。その後、大津までの延伸は実現しましたが、幹線鉄道建設の基本方針は定まらず、資金の目当てもありませんでした。
そうした中で、鉄道建設を民間に委託する方針も生まれ、半官半民の日本鉄道は、将来の中山道幹線鉄道の一部となるべき関東平野部分(現・高崎線)や青森への鉄道(東北線など)を建設してゆきました。
純民間資本の私鉄も明治18年(1885)に開業。これこそ現・南海本線の一部になった阪堺鉄道でした。

結局、東西両京を結ぶ幹線鉄道のルートは東海道線ときまり、明治22年(1889)には全通[49808]
当時、日本鉄道は上野から塩竃まで開通、高崎線の先は官設鉄道で、アプト式で工事中の碓氷峠(横軽間開通は1893)を残して直江津まで開通。
その前年には、馬関(下関)をめざす山陽鉄道が神戸-姫路間を開通させるなど、日本の鉄道網は官設鉄道と私設鉄道とが入り乱れて伸び始めており、「鉄道一千哩祝賀会」が開かれたそうです。

基本方針の定まっていなかった政府も、明治24年(1891)になると鉄道国有主義の代表的人物である鉄道庁長官・井上勝の建議に基づいて、私設鉄道買収法案を衆議院に提出しましたが、否決されました。1890年の経済恐慌後には、民間の一部から買収を望む声も出ていましたが、財界では、まだ鉄道民営主義が主流だったのでした。

政府はあきらめずに、翌年改選された議会での再議をはかり、議員立法の法案との折衷により、明治25年法律第4号 「鉄道敷設法」 として帝国議会で成立しました。(北海道は明治29年法律第93号)
第2条「予定鉄道線路」(リンク)を見ると、この法律が日本の鉄道網の骨格を規定したものであることがわかります。

こうして、長期的視野による将来像をふまえた鉄道計画が実施されることになり、第一期線(第7条)である中央線・北陸線・奥羽線から調査・着工されることになりました。
中央線の予定線路の起点は「八王子若ハ御殿場」で、甲府・諏訪の先は「伊那郡若ハ西筑摩郡」ですから、起点の選定と伊那谷/木曽谷のいずれを選ぶかでルートは大きく変ります。結局八王子起点、木曽谷経由が選ばれたのは、勾配などの技術的理由が主たるものと思われます。

この計画実行に伴なうエピソード。諏訪から木曽谷に出るルートは、現在のように塩尻峠をトンネルで抜けずに、南に大迂回する辰野経由になりました。そのために、鉄道会議のメンバーだった伊藤大八代議士の力により、少しでも伊那に近づけたのではないかという,「大八回し」が伝えられていることは Issieさんの記事[2842] [2897]にあるとおりです。

それはさておき、この法律では既存の鉄道国有化を実現できないだけでなく、幹線鉄道網に私鉄による新線建設をも容認するものでした。
第十四条
予定鉄道線路中未だ敷設に着手せさるものにして若私設鉄道会社より敷設の許可を願出る者あるときは帝国議会の協賛を経て之を許可することあるへし

明治ニュース事典を見ると、鉄道国有に関する新聞記事は明治31年(1898)から急増しています。東京商業会議所の建議(請願)とか、福沢諭吉が「国有は断じて不可」と時事新報で力説した記事などがあります。翌年には政府の調査会が法案を作成したが、政党は意見を集約できず握りつぶし。

このようにして、1900年の営業キロ数は、私設鉄道(軌道を除く) 4674km、官設鉄道 1206kmという私鉄優位の状態で20世紀を迎えます。
[61109] 2007年 9月 9日(日)18:25:24【1】hmt さん
100年前、国有化の頃の鉄道(2)買収を免れた南海鉄道
明治25年(1892)の「鉄道敷設法」で、国による一元管理の基本方針が打ち出された後も、私鉄優位の現実は動きませんでした。
官設鉄道の営業キロ数は、1890年の 886kmから1900年には 1206kmに増加しますが、同じ期間に、私鉄は 1365km → 4674km と、はるかに上回る勢いで増え続けます。

このような状況に大きな影響を与えたのが明治37年(1904)から翌年にかけての日露戦争です。
動員された兵士は、当時広島まで開通していた鉄道によって運ばれ、宇品港から海外派兵されました。

東京を例にとり鉄道輸送の実務を考えると、千駄ヶ谷駅付近の青山練兵場から新宿までは甲武鉄道、そこで反転した山手線は日本鉄道、品川から神戸までは官設鉄道、神戸から先は広島まで山陽鉄道という具合です。
品川・横浜のスイッチバック[49808]こそ解消されていたものの、列車の編成・運行ダイヤ・乗務員手配・費用清算・機密保持などで複数会社にまたがる処理の複雑さに悩まされました。

日露戦争中から行なわれた鉄道国有化のための調査の結論は、その趣旨として「運輸の疎通」、「運賃の低減」、「設備の整斉」の3項目を挙げており、これに基づいて戦後の明治39年(1906)3月の帝国議会に鉄道国有法案が提出されました。

新聞記事によると、原案は 17社買収 だったものが、提出直前に 32社 に改められたとか。
既に記したとおり、貴族院の修正で 15社 が削除されて 17社 に戻り、南海鉄道は買収を免れました。

南海鉄道を含む 15社が買収を免れた理由を一番単純に考えれば、鉄道国有法
第一条 一般運送ノ用ニ供スル鉄道ハ総テ国ノ所有トス但シ一地方ノ交通ヲ目的トスル鉄道ハ此ノ限ニ在ラス
の第一条但し書きによる除外というのがその答えになります。

しかし、買収対象になった 17社 中の 7社 (房総、参宮、七尾、甲武、京都、徳島、西成)は、南海線よりも短距離です。
距離こそ南海よりも長いが、岩越(福島県)、北越(新潟県)、総武(千葉県)は“県内鉄道”。
どうも線引きが不透明です。

短距離または県内であっても、幹線網の一部として買収対象に含まれるのが妥当な鉄道もあります。
中央線の一部である甲武鉄道(御茶ノ水-八王子)、山陰線の一部である京都鉄道(京都-園部)。
まだ「日本海縦貫線」という概念がなかった当時でも、信越線の一部たるべき北越鉄道(直江津-新潟)。

ところが、買収対象線の中で不思議の極致は、西成鉄道(大阪-天保山)です。
僅か7kmのミニ路線ながら、身分不相応な全国幹線ネットワークに入れてもらったのは、瀬戸内海航路への連絡鉄道という視点を強調したロビー活動の成果でしょうか?

“入れてもらった”と書いたのは、この西成鉄道は、営業成績が低迷していたからです。
株価が額面を大幅に割り込んだ状況を考えると、建設費をほぼ回収できる金額で買収してもらえることは大歓迎。
# 西成鉄道も西成区と同様に大阪府西成郡に由来する名前でしょうが、ずいぶん違う場所で「西成」という地名が使われるのには、いささか違和感がありました。現在は線名も桜島線(JRゆめ咲線)になっていますが。

法的には、私鉄条例による買い上げ権が 25年後(日本鉄道だけは特許条約により 50年後)であるという問題もあったようですが、日本鉄道、山陽鉄道、九州鉄道と大手が大勢に従う姿勢をとったために、鉄道国有化は実現することになりました。
17社の買収路線延長合計は 約4550km(資料により相違あり)。
国鉄(1907年4月帝国鉄道庁発足)と私鉄との市場シェアは逆転しました。
買収価格の総額は4億6737万円。うち大手の5社が4億円近くを占めます。1899年頃に論議されていた2億円に比べて、だいぶ高くなっています。

大阪-名古屋間で激烈な乗客獲得合戦を演じて官鉄に対抗した関西鉄道は、国有化に反対の立場で、最初に書いたように法律成立後1年半も抵抗したのですが、結局は屈しました。
関西鉄道の買収によって和歌山線が国有化されたことにより、首都と和歌山県庁所在地との間を国有鉄道で結ぶ形は整ったわけです。

[53947] じゃごたろさん によると、
明治の国道は交通というよりも、東京からの指令等を各都道府県に達するための径路的なものでありますけど。。。
だそうですから、鉄道の場合にも同じ考え方があったとすると、奈良経由でも国有鉄道線路がつながればよかったのかもしれず、このことが“買収を免れた南海鉄道”にも有利に作用した可能性があります。

一部修正すると共にタイトルも改めました。


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