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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[8951]2003年2月9日
ken
[8967]2003年2月9日
Issie
[8973]2003年2月9日
ken
[8980]2003年2月9日
Issie
[9017]2003年2月10日
BANDALGOM
[9983]2003年2月28日
KMKZ

[8951] 2003年 2月 9日(日)00:55:57ken さん
re:広域地名論
[8941] 般若堂そんぴん さん
[8938]で地域研究家さんは広域地名の使用に対して好意的な意見を
[8938]の地域研究家さんのスタンスは、広域地名容認ではないと思いますよ。

「土岐市」は是とするけれども、「東濃市」は地域研究家さんにとっては、絶対「否」だと思うんですよ。
「東濃」って言葉、「西濃」もそうですが、結構、定着している地域呼称なんですよね。
中央線(中央道)沿線は、名古屋から出かける際にも、他の岐阜県の地区とは、違った方面という感じが強い。
「東濃」は恵那郡も含んだ地域を指していて、「土岐」は旧「土岐郡」のことであり、現「土岐市」だけのものではない、という論理は、「広域地名使用に好意的」というのとは、ちょっとニュアンス違うと思います。
あくまでも、区域と名称の対応が理にかなっているかどうか、という点にこだわりを持たれているのであって、むしろ名称「土岐」を「土岐市」が独占しているかのような状態や、「淡路」を淡路町が独占しているような状況を否定されているのであって、その意味では逆に「広域地名僭称否定論」ではないですかね。

地域研究家 さんは
広域地名を書いていくつもりです
と書かれていますが、ここで地域研究家さんがおっしゃっている「広域地名」とは、本来広域地名だった名称が、現在、その中の一部の市町村名称として使用されている地名であったとしても、元々「広域地名」であった名称で、合併新区域の呼称として相応しい場合は、現在使用している市町村に、気兼ねをする必要はなく、使用すべきだ。というご主旨だと思います。
あくまでも、合併新区域との区域的一致(上手い表現じゃないな)を主眼とされているのだと思います。

最近、最も遺憾な「広域地名僭称」の例として真っ先に挙げねばならないのは「さいたま市」でしょう。
旧埼玉郡の範囲にない市町村が「さいたま」を名乗るのは、漢字であろうと、ひらがなであろうと、やはりどう考えてもおかしいんですよね。

[8923] まがみさん
旧国名では、「備前市」、「摂津市」、「出雲市」、「筑後市」、「豊前市」、「日向市」、「さぬき市」もありますよね。
まだ抜けてるかな?
市だけの話になってますが、例えば長野県の上水内郡の「信濃町」も、黒姫町、野尻町など、他にもっといくらでも素敵な名前が付けられそうなのに、信濃町は芸がないですね。東京人には千駄ヶ谷の次かと思われてしまう。

旧国名ではないけれど「伊那市」なんてのも伊那谷は広いですからねえ。
例えば「加賀市」は、「大聖寺市」の方が、結局のところ、全国への地名の浸透普及、名前を知られて行く、という観点からは、絶対良かったと結果論的には思います。

「メジャーになりたい」狙いがあだとなり、「没個性」=「埋没」地名となっているところが多いですね。

[CM懐古 番外割り込み/吉野家]
雑魚さん、ご予定されていたら、大変、僭越な振る舞い。お許しください。
「ここは吉野家、味の吉野家、牛丼一筋、はちじゅーーねーーん」
「ヤッタネ!パパ。明日はホームランだ!」

これを、最近の世代の子に聞かせると、凄く驚きますね。
対象自体は「懐かしモノ」ではなく、吉野家そのものは現在進行形で良く知っているので。
特に、酒席などで、だれかが「ここは吉野家を」歌い始めると、ある世代の全員が「ヤッタネ!パパ。明日はホームランだ!」のセリフまで、一気に全員が唱和できるので、あっけに取られるようです。
1899年創業。1999年にもう百年ですから、今年で103年ですか?
「はちじゅーーねーーん」が如何に昔のことか。
「八十年も牛丼やってるのかあ」と、気の遠くなるような数字に思えた80年、その歴史の4分の一以上が既に経過。
TDLも開業20年。TDLのない生活人生よりも、TDLのある生活人生が長くなる。
信じられません。歳は取りたくないものです。
[8967] 2003年 2月 9日(日)10:42:01Issie さん
広域地名か,ピンポイント地名か
[8951]ken さん

私は,基本的には「広域地名」に基づく自治体名は否定しません。
これは今回の大合併に限らず,「昭和の大合併」や「明治の大合併」,あるいはこのような制度になるずっと以前から繰り返しあったことだと思います。
逆にピンポイントな地名がどんどんと拡大されて広域地名となったことも(その最たる例が「ヤマト(大和)」。これは本来,奈良盆地南東隅の「シキ(磯城)地方」,現在の桜井市付近の初瀬川扇状地周辺の地名だったと考えられています。ここがヤマト王権の発祥の地であり,その呼称が順次拡大されていった,ということのようです)。

確かに「東かがわ市」には正直,もう少し工夫したらいいんじゃないの,と思うこともないわけではないし,安易に既存の広域地名を,しかも“ひらがな表記”にして採用してしまうのもどうかとは思いますが,それでもそのような呼称を採用するに至るにはそれなりの事情があるのだろうと,一応の好意的な解釈をしたいと思います。
基本的には地元の意思を尊重したい。もっとも,地域住民の「総意」で決定するのは住民投票にかけでもしない限り不可能でしょう。少し以前の「さいたま市」の区名騒動のように,地域住民の考え方もさまざまですから,「総意」を形成することさえ困難かもしれない。
それでも,その最終判断はその地域住民に任されるべきだろう,と思うのです。

(そうそう,私は「さいたま市」という自治体名は“ひらがな表記”も含めて容認します。逆に言えば,「さいたま(埼玉)」というのは今や旧埼玉郡域の,まして地名発祥の地の行田の独占物ではないからです。ひらがな表記の「さいたま」は,そのような「旧埼玉」の呪縛を断ち切る効果があるのかもしれません。意識されているかどうかは,わかりませんが。)

旧国名ではないけれど「伊那市」なんてのも伊那谷は広いですからねえ。

実は,これは「広域地名」ではないのです。
この町の核となった中心集落が元々「伊那町」という名前でした。
ここが「伊那」の地名の発祥の地かどうかはわかりません。少なくとも,在郷の市場町としての「伊那町」が成立するのは近世に入る前後のことでしょう。
たとえ発祥の地あったとしても,この集落自体は古代にさかのぼるわけではなく,ある一定の広がりを持つ「伊那」という地域の中に成立した商業集落が「伊那町」と呼ばれるようになったのだとすれば,これは昨今の事例とさほど変わらないのかもしれません。

上水内郡の「信濃町」の場合,これは1955年に「柏原村」と「富士里村」が合体したときに「信濃村」としたことに始まります。これとは別に「信濃尻村」というのがあって,これは1889年の「明治の大合併」の際に野尻村を初めとする野尻湖周辺の村が合体してできたものです。
この「信濃村」と「信濃尻村」,それに「古間村」が1956年に合体して「信濃町」となります。
合体の過程で,「柏原」なり「野尻」なりを名乗るのは不適当と判断されることがあったのかもしれません。
私には自治体名よりも,国鉄が駅名を「柏原」から「黒姫」に改称してしまったことのほうが腑に落ちません。

むしろ勿体ないと思ったのは,下伊那郡の「南信濃村」の方です。1960年に「遠山村」と「木沢村」とが合体して発足したのですが,これに残存する「上村」を加えた地域の呼称が「遠山郷」なんですよね。こちらの方を大事にした方がよかった気がする。
もっとも「遠山郷」は,北信“奥信濃”の「秋山郷」(下水内郡栄村)とともに“山国信州”でも「とんでもない山奥」の代名詞ですから,その点で敬遠されたのかもしれません。

なお,「黒姫村」は存在しました。長野県ではなく,新潟県に。
しかも頸城地域ではなく,中越の刈羽郡に。
実はこれは妙高・黒姫山塊のそれではなく,柏崎の南東方,米山とならぶ刈羽地方の名山「黒姫山」にちなみ,この山の麓の3村が1956年に合体して発足しました。1957年に北部の一部が,68年には残った地域全部が柏崎市に編入されて消滅しました。

「丹波」という地名があります。
“旧国”では「丹後」に属する京都府中郡峰山町の旧村名です。
実はここが「丹波国」の地名の発祥地なのです。ここのピンポイントな地名が順次拡大されて「丹波国」なる地域呼称が成立しました。その後の「丹波」は分割され,都(平城京)からより遠いこちら側が「丹後国」となってしまいました。
…という経緯を踏まえれば,このあたりの町村合併で成立する新自治体が「丹波市」を名のる資格は十分にあるのです。
そうしたとき,現在の丹波側はどのような反応をするべきか。
現実には「丹波」が選考対照には上がってきてはいないようですけどね。
[8973] 2003年 2月 9日(日)14:20:47ken さん
re:広域地名か,ピンポイント地名か
[8967] Issie さん
「さいたま(埼玉)」というのは今や旧埼玉郡域の独占物ではないからです

うむ、そう、地域住民の気持ちの問題で、地名の定義範囲なんていうのは、時代とともに変化していくものですからね。
旧地名だろうが、新地名だろうが、所詮、ある判断で、人間が名づけるわけですし。
Issieさんのお考えも、なるほど、と思います。

「なるほど」とは思ったうえで、理屈をこねると。。。。
字で書くと子供の喧嘩のようになって。本意ではないのですが。
例えばの話として、極端なことを言って見ると、、

柏原町,氷上町,青垣町,春日町,山南町,市島町が「兵庫市」を名乗ることには抵抗はないですか?
館林市, 板倉町,明和町,千代田町,大泉町,邑楽町が「群馬市」を
浜田市, 金城町,旭町,弥栄村が「島根市」を
尾鷲市, 熊野市, 紀伊長島町,海山町,御浜町,紀宝町,紀和町,鵜殿村、が「三重市」を
犬山市, 江南市, 岩倉市, 大口町,扶桑町が「愛知市」を名乗ることに抵抗はないでしょうか?
座間市, 大和市, 綾瀬市, 海老名市が合併したとして、神奈川の中央にあるから、「神奈川市」を名乗りますってことには抵抗ないですか?
そんな話はありませんが、仮に小平市と小金井市が合併しようとしたして、東京(都)のちょうど真ん中あたりにあるから「東京市」にしますってな話が、起きたらどう思われますか?

Issieさんへの問いかけというより、皆さんのご感想を伺いたい論点ですね。
上記の例、凄く程度の差があって、「程度問題。一概に決められない。」ということだとは思いますが、じゃあ、その「程度」はどの辺なら許される感じで、どの辺りからは、許せない感じなのか?
[8980] 2003年 2月 9日(日)18:26:53Issie さん
広域地名と代表性
[8973] ken さん

線引きは難しいでしょうね。
「さいたま市」について,私が「まあ,いいだろう」と思う理由はもう1つ。
「さいたま市」が「県都」であるからです。
埼玉県全体を代表する都市であるから,というのが違和感を感じない最大の要素かな。
そして結局は,旧埼玉郡域を含めてほかの自治体が「埼玉」を名乗ろうとしなかったのに今さら何を,という気もあります。
かつて「埼玉」発祥の地に存在した「埼玉(さきたま)村」が1954年に行田市に編入され消滅したことで“既得権”あるいは“独占権”も消滅してしまった,なんて印象があります。

氷上郡域の新自治体が「兵庫市」を名乗ろうとして,どれだけ兵庫県全体を代表できるか。それに「兵庫」は神戸市が区の名称として強く主張していますから,それに取って代わることは容易ではない。それは「神奈川」も同様でしょう。
「伊那市」の場合,中心の「伊那町」が近世以来「上伊那」を代表する地位にあったことが,すんなりと受け入れられることにつながったのだろうと考えます。

長野県の「信濃町」の場合,この町の一部が明治の大合併以来「信濃尻村」を名乗っていたことの効果は大きいかもしれません。それに,漢字表記は違うけれども下高井郡にも「科野村」が1954年まで存在したことも,「しなの村」をさほど突飛なものに感じさせなかったかも知れません。

とはいえ,実のところ,これらは「後付の理屈」に過ぎません。
結局は「何となく…」ってことになってしまうのでしょうかね。
[9017] 2003年 2月 10日(月)13:18:38BANDALGOM[地域研究家] さん
広域地名
[8941][8954]般若堂そんぴんさん
[8951]kenさん
本来広域地名だった名称が、現在、その中の一部の市町村名称として使用されている地名であったとしても、元々「広域地名」であった名称で、合併新区域の呼称として相応しい場合は、現在使用している市町村に、気兼ねをする必要はなく、使用すべきだ。というご主旨だと思います。
あくまでも、合併新区域との区域的一致(上手い表現じゃないな)を主眼とされているのだと思います。
私のスタンスですが、kenさんのこの書き込みと近いです。
ただ、是々非々といったところでしょうか。
「広域地名」が合併新区域の呼称として相応しいにもかかわらず、現在使用している市町村に気兼ねしたがために、渥美郡のように頓挫してしまったり(渥美郡は他にも理由があったようですが)、「新上五島町」のようないびつな名称がついてしまうことには、一貫して否定的に考えています。

「魚沼市」の応募をした時には、郡名と一致する「北魚沼市」に加えて、この際「魚沼コシヒカリ」のネームバリューを前面に押し出してもいいんじゃないか、ということで「魚沼市」も書いたのですが、中魚沼郡市・南魚沼郡への配慮というのは足りなかったですね。
やはり地域の一部分が広域地名を名乗るということは、将来更なる合併をしようとする場合に、渥美郡や上五島のような歴史を繰り返すことにもなりますし。

東濃西部については、やはり恵那郡市を含めた地域名ということがありますから、「魚沼市」「飛騨市」への批判を考慮して、「東濃市」にはしませんでした。


[8951]kenさん
[8967][8980]Issieさん
旧埼玉郡の範囲にない市町村が「さいたま」を名乗るのは、漢字であろうと、ひらがなであろうと、やはりどう考えてもおかしいんですよね。
逆に言えば,「さいたま(埼玉)」というのは今や旧埼玉郡域の,まして地名発祥の地の行田の独占物ではないからです。ひらがな表記の「さいたま」は,そのような「旧埼玉」の呪縛を断ち切る効果があるのかもしれません。意識されているかどうかは,わかりませんが。)
埼玉県全体を代表する都市であるから,というのが違和感を感じない最大の要素かな。
さいたま市は難しい選択でしたね。
実は私も「埼玉市」と書きました。
理由はIssieさんがおっしゃっている事と近いですね。
本来、旧3市が旧埼玉郡域でないというのは知っていましたが、埼玉県を代表する100万都市になろうとしているということ、また浦和と大宮がほぼ同格でライバル関係にあり、どちらも譲らないという雰囲気でしたから、他に適切なものが見当たらなかったということがあります。

「埼玉市」のほかには「与野市」も書きました。
浦和と大宮の主導権争いでなかなか進まなかったことへの皮肉として。
もし「与野市」になっていれば、8万都市から100万都市への大躍進を遂げていたことになりますが(笑)
[9983] 2003年 2月 28日(金)12:42:38KMKZ さん
RE:都道府県名=市町村名=町名
以前からROMしてましたが、私でもレスできる話題でしたので、初めて書き込みさせていただきます。

[9979] 太白さん
都道府県・(郡)・市町村・字または町名が同じという例は他にもあるのでしょうか?

国宝・金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳がある埼玉(さきたま)古墳群一体は1954年に行田市に編入されるまでは埼玉県北埼玉郡埼玉村大字埼玉(村名、大字名はさきたまと読むらしい)だったそうです。そしてこの事実から行田市は埼玉県名発祥の地とされ、浦和・大宮・与野の3市合併では新市名を埼玉やさいたまとするなとクレームをつけたそうですが、結局はさいたま市になってしまいました。

ところで大学の時に埼玉という苗字の方がいました。やはり御先祖はここの出身だったのでしょうね。千葉さんは多いですが、埼玉さんはかなりの珍名だと思います。


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