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キーワード「大隈」を含む記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[18896]2003年8月7日
Issie
[18603]2003年7月25日
ペーロケ
[18531]2003年7月22日
N-H
[17566]2003年6月30日
深海魚
[16678]2003年6月12日
U+3002

[18896] 2003年 8月 7日(木)01:16:22【1】Issie さん
茂木県
[18894]ken さん
意外なところの地名由来の名家

鎌倉の八幡宮東隣の谷戸を「名字の地」とする「二階堂氏」も,地味ながら全国に散らばって繁栄した一族ですね。大隈地方出身の元官房長官もこの流れだったかな。

細川興元は細川幽斎藤孝の次男

ああ,そうですか。「慶長15年」というタイミングといい,「元」の字といい,てっきり本家筋の人を探し出して取り立てたものか,と一瞬思ったもので。「1万石」くらいなら,ちょうどいいかな,なんて…。
もう,本家筋をはばかることもなくなった(…くらいに,細川宗家が没落した) ということなんでしょうかね。

足利将軍家・信長・秀吉・家康と見事に主人を乗り換えて

足利義秋(→義昭)担ぎ出し以来の同志で同じ教養人でありながら「馬鹿正直」であった明智光秀と,割りに世渡り上手な細川藤孝…なんて,少し意地悪な対比をしたお話もありますよね。

下野芳賀郡を中心に1万石をもらい、茂木に居所を構え、大名となります。
(略)
常陸筑波郡などを加増、居所を谷田部に移す、

基本的に芳賀郡と筑波郡の領地を2世紀半にわたって守りきった,ということになるのかな。
まさか間もなく廃藩置県が行われるなど夢にも思わなかったとは思うのですが,そのわずか半年前に藩庁を「創業の地」である茂木に戻したのはどういうことなのでしょう。
ま,おかげで,廃藩置県後,宇都宮県に統合されるまでの4ヵ月にわたって「茂木県」が存在したのでした。

さて,以下が本題。

(以前にも触れたことがある気がするのですが…)
相模原市の田名という地区には相模川に沿って「烏山用水」という用水路があります。
「烏山」とは,下野=栃木県の烏山のこと。
なぜこんなところに「烏山」か? というと,ここ(高座郡田名村)が烏山藩・大久保家の領地で,つまりこの用水路は江戸時代後期に烏山藩の事業として建設されたので,そう呼ばれるのでした。
田名に限らず,相模原台地一帯には旗本領に混じって烏山藩の領地が散在していたわけです。
幕府が解体されて,旧幕府領と旗本領は明治政府直轄となり,高座郡の場合は「神奈川県」の管轄となりました。
ところが明治政府には当初,「藩」を解体する方針など全くなかったので(それどころか,版籍奉還を経て,初めて“公式の行政区画”として「藩」を公認するわけです),藩の領地はそのままでした。
つまり,田名村その他は「神奈川県」ではなく,「烏山藩」の飛び地のままだった,というわけ。そして,廃藩置県の結果,藩に代わって「烏山県」の管轄となる。

お隣の津久井郡(明治初めまでは「郡」よりワンランク低い「津久井県」)に属する村々の多くは幕府領または旗本領で,伊豆の韮山代官の支配下に入っていたので,こちらは「韮山県」に属することとなりました。

「茂木県」の場合は,お互いに割りと近接した芳賀郡と筑波郡(の各一部)を主な管轄地域としていたので,県庁所在地が茂木でも谷田部でも,さほど苦労はなかったかもしれません。
けれども,相模原・津久井の(全部ではなく)いくつかの村が,はるか彼方に県庁を置く「烏山県」なり「韮山県」なりの飛び地となっている状態は,どう考えても不合理ですね(高座郡内には外にも「佐倉県(下総)」や「西大平県(三河)」などの飛び地がありました。要するに廃藩置県まで各旧藩の飛び地だったわけです)。

廃藩置県4ヵ月後の明治4年11月,全国の府県の抜本的再編を行って「郡」を単位とする一円的な区画が設定されました。
おかげで高座郡は北の相模原(←当時は,このような呼称はまだなかったらしい)から南の湘南海岸(←やはり,まだなかったらしい)まで全域が「神奈川県」(当初の予定は足柄県)の,同じく津久井郡は全域が「足柄県」の管轄になったのでした。
近代的な地方制度を整備していく過程として当然の措置です。
(この過程で「郡」と「県」の上下関係が逆転しました。)

さて,ここでもしばしば話題になっていますが,山梨県の道志村が神奈川県の横浜市への編入を求めています。
ことの判断は,最終的には横浜市民と道志村民の意思に委ねられるべきものと思うのですが(それにしても,単純な人口数では「わが国最大の人口を抱える“市”」である横浜市と道志村とでは著しく不公平です。ここをどのように解決したらいいのでしょう),1つだけ危惧しているのは,
これが「前例」となって,全国で同じような「空間を超えた合併」が行われ,つまり大小さまざまな飛び地が生まれるとしたら…
これって,明治初めまでの「飛び地だらけ」の状態に戻ってしまうのと結局は同じなのではないのかな,ということなんですね。

…何か,「逆行」してるんじゃないの? と,つらつら思っているところなのでした。
(まさか,こんなことが全国で無制限に行われるとは思いたくないのですが。)
[18603] 2003年 7月 25日(金)00:18:59ペーロケ[utt] さん
いろいろ
[18591]月の輪熊さん
「大隅」に至っては、郡名以前に古代から定着してきた国名でありますが、熊襲・隼人平定後につけられた国名ですし、差別的な意味合いもあるように思えます。
そんなことを言ったら、「遠江」「陸奥」なんかも、もっと言えば、全国の「~後」が付く国名は単に位置を示すだけでなく、全て差別的な命名だということになりますね。しかし、命名当初から1400年以上も経っていることですし、差別的な意味合いはだいぶ薄れたのではないでしょうか??大隈地方に住む人にとっても、今ではそんな劣等感を感じる名前だとは思わないような気がします。

[18594]kenさん
「ふじみ野」がダントツですね。
さいたま市のときみたいに、公募2位の案が採用されないことを祈るばかりです。

[18587]まがみさん
参議院に出入りするような仕事をしている人は、わざわざ金属探知ゲートをくぐりませんよ…
おっと、失礼しました。何分、国会議事堂には縁がないもので。。。(汗)
[18531] 2003年 7月 22日(火)15:13:19N-H さん
半島生まれの半島通い
半島コレクションのページ、および半島談義、なかなか面白く拝見しています。
私は生まれは房総半島、現在は住まいこそ半島ではないものの勤務先は三浦半島にあり、半島には縁の深い人生を歩んでおります。

さて、[18446]にてオーナーグリグリさんがご紹介の半島振興対策実施地域」の表を拝見しました。この中で首都圏に近い房総半島、三浦半島がどのように取り扱われているか興味があったのですが、さすがに三浦半島は影も形も出てきませんね。何せ横浜市南部あたりから三浦半島の領域になりますから。
また房総半島も対象地域は「南房総」となっており、私の出身地は対象となっていません。

ただ、地形的には三浦半島はまさに典型的な半島。私の勤務先からは東側の窓からは東京湾と房総半島が望め、西側の窓からは相模湾と富士山が望めるというきわめて半島らしい光景です。狭く細長い陸地に山あり谷あり入り江ありの変化にとんだ風土で、半島の中核をなす横須賀市は「日本一トンネルの多い町」だそうです(本当かなあ)。

さて、半島の定義に関連してですが、鹿児島県の桜島のことを半島と呼ぶことはまずないですよね(ただし全体が大隈半島の一部とみなされることはあるようですが)。それはついこの間(笑)まで島だったものが、噴火により陸続きになったからでもあるでしょうし、やはり「元は島」というのが一目瞭然だからでしょうか。
陸繋島も微妙なところですね。志賀島や江ノ島も、そこに渡るには一応「橋」を経由しますし、「元は島」あるいは「現役の島」という見方なのでしょうか。

かつて「飛地の定義」をやったように、半島の定義も数学的にやろうと思えばできないことはないでしょうけれど、かなり煩雑なものになると思われるのでやめておきましょう。
[17566] 2003年 6月 30日(月)10:14:53【1】深海魚[雑魚] さん
畏れ多い妄想
昨夜、与党県議団から県知事出馬の要請がありました。散々悩んだ末に、以下の条件で出馬を受諾しました。

○ 急行 「奥久慈」 を復活させる。
○ 急行 「あじがうら」 も復活させる。
○ 白石美帆さんを秘書室にて登用する。
○ 県内における仮名表記の自治体は御法度。
○ 落書帳有力常連さんを県教育委員会に招聘する。
○ ひたちなか市、つくば市も無理矢理、漢字表記にする。
○ 県内の各鉄道路線に残る旧型車両を総て旧塗装に戻す。
○ 「落書帳アーカイブズ」 を社会科地理の副読本に指定する。
○ 県立高校の制服は、男子が学ラン、女子がせぇらぁ服に統一する。

………… 「お父さん、何ニヤケてんのよ。そろそろ会社の時間でしょ。」 と女房に起こされ、一夜の栄華は儚く消えました。就寝前に一瞥した青森県知事選の報道の影響でしょうか。それにしても、落書帳参加者に密かに自治体首長の方がいたら豪気だろうな、と感じた アンニュイな月曜日の朝でした。さぁて、今週もまったりと精勤しませう。(笑)

[17564] スナフキンさん
小さい頃から鉄道の写真の触れるたびに、この 「ハエタタキ」 の存在がフレームのどこかにあったものでした。
そう、非電化線、取り分け SL路線の御約束ですね。給食における コッペパンと牛乳の様な関係とも言えるでしょう。(笑) 当地の場合、数年前まで水郡線に原型のまま残っており、幼少時は同様の規格のものが、鉄道と無関係の一般電柱として地元にもあった事から (途端に自分が年寄りに思えます。) 馴染みがあるのです。水郡線の場合は、常陸青柳-上菅谷 (-常陸太田) -常陸鴻巣-常陸大宮-玉川村-下小川-西金-磐城棚倉-磐城石川-野木沢-泉郷-安積永盛なる区分を以て、12通りの碍子配列 パターンがあったと記憶します。常磐線も土浦付近に残っていたのは憶えています。

真鶴近辺のものはかろうじて数本 (中略) 残存しているはずです。今年始めに通った際にも確認しました。
おお、これは現地調査に向わねば。一本くらいなら、引き取って我が家の裏庭に立てといても良いかな。(笑)

かなり連続してその名残であろうと容易に想像がつく電柱が立ち並んでいますね。
数年前に竜王か塩崎の駅構内で原型通り残っていたものを一瞥しましたが、その後撤去された模様ですね。碍子を支えた横軸を欠いたものなら、割とあちこち残っている様ですよ。学生時代に目撃しその後撤去が確認されていない区間としては、ちほく高原鉄道の釧北峠前後、札沼線の末端区間、五能線の津軽平野区間、小坂鉄道全線、由利高原鉄道の末端区間、山形鉄道の末端区間、小海線の山梨県域、信楽高原鉄道の雲井以東、島原鉄道全線が挙げられます。現況やいかに? 撤去されない内に廃止された深名線や湧網線、大隈線のその後も少し気になりますね。

中国や東南アジア諸国では結構多いですね。数年前、SL撮影で中国に赴いた知人に依頼して何枚か撮って貰いました。日本全国、「鉄」 は多かれど、こんな アングラ趣味に走るのは自分くらいかと思っていましたが、スナフキンさんからかかる レスを頂き、感涙に咽んでおります。(笑)
[16678] 2003年 6月 12日(木)19:55:04U+3002 さん
札幌のある島の名前
島の名は「本州島」「北海道島」「九州島」「四国島」だと思っていました。

[16672]utt さん
「伯方島は愛媛であるが四国ではない」になり、矛盾は全く感じなくなる

「矛盾」はありませんが、違和感は感じますね。

私の感覚では、「四国」「九州」「北海道」すべて周辺の小島を含みます。
やはり、「四国」は阿波など4州、「九州」は筑前など9州でないとウソでしょう。
「北海道」も、五機七道と対比させると、周辺の島を含んでほしいです。

でも、「九州」に壱岐と対馬は含まれませんよね。(沖縄は言うまでもなく)
奄美は大隈国でしたっけ。

「本州」はどうでしょうか。
「沖縄・壱岐・対馬は九州ではない」理論からすると、淡路・隠岐・佐渡・小笠原諸島は本州ではなさそうです。
国生み神話でも、淡路・隠岐・佐渡ははっきり本州と別扱いです。
鳴門から淡路経由で明石に行くなら、「本州に着いた」とのは明石に着いたときでしょう。
逆に、明石から鳴門に行くとしたら、「四国に着いた」のは大毛島(鳴門市)でしょう。

でも、もっと小さい島も含まないような気がします。
しまなみ街道を北上するなら、「本州に着いた」と言えるのは尾道、
南下するなら、「四国に着いた」と言えるのは大三島だと思います。
明らかに非対称ですが、どうしてもこう感じてしまいます。


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