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北の住人さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[53991]2006年9月16日
北の住人
[53977]2006年9月15日
北の住人
[53968]2006年9月14日
北の住人
[53953]2006年9月13日
北の住人
[53894]2006年9月10日
北の住人
[53883]2006年9月9日
北の住人
[53882]2006年9月9日
北の住人
[53799]2006年9月3日
北の住人
[53798]2006年9月3日
北の住人
[53775]2006年9月2日
北の住人

[53991] 2006年 9月 16日(土)11:41:17北の住人 さん
百交差点
私は既に飽きてしまいました。暗算が難しい歳になったので挫折したと言った方が合ってますが。で、交差点ではないですが、こんなのも見つけました。管内の国道番号の和が100の倍数です。
500 福岡県添田町

やってて感じたのは重複部分の多さですね。道内各市の国道本数を数えてみたのですが、地図上では札幌市の9本が最多で、他を離していると思いましたが、重複を調べてみると釧路市や網走市も9本でした。
[53977] 2006年 9月 15日(金)22:46:51北の住人 さん
昔の事は良くわかりません
[53936] 88 さん
石狩市を構成する郡について、実はまだ問題があり、当初の郡域が良くわからないのです。[53882]は、明治29年地形図での郡域を元にしており、それが当初の郡域と一致するのかは不明のままなんです。

[53970] むっくん さん
私は外野として一連の記事を読んでいますが、「新修大津市史」「滋賀県市町村沿革史」は下阪本村と坂本村が大津市に合併したあとに書かれたものではないでしょうか?明治発行の地形図のほかに、両村が存在した時代の資料で確認したい所です。正誤の判断はそれを待っても遅くは無いのでは?(地形図にも、これ合ってるの?と感じるのがあるんですよね。特に古いのは)
[53968] 2006年 9月 14日(木)22:40:00北の住人 さん
北海道地方費
手元の本を読んで見たところ、北海道地方費の設定は、明治31年から39年まで北海道長官だった園田安賢が、明治34年の北海道10年計画の中で発案したようです。
開拓使以来国費のみで進めていた北海道開発を、国費と地方費に区分し、また、国費を行政費と拓殖費に分け、地方費については北海道会を設けて自治権を認めようという案です。それまでは全て国庫に入っていた税収の一部を、府県の地方費に相当するものとして分離させたわけです。
一見、自治を望む道民の期待にこたえたような感じですが、実は人口増に伴って増大していく地方費相当分を別に設ける事で、将来の国費の負担を浮かし、その分を拓殖費に充てようとする思惑もあったようです。道会の設立で自治を得た形になりましたが、議決事項は地方費の収支に関してのみで財産処分は行えず、実際の執行は北海道庁(国)が行っていたわけです。
[53953] 2006年 9月 13日(水)22:25:06北の住人 さん
地方自治法以前の北海道
難しい話なので、近寄らない様にしていましたが、こんな感じではないでしょうか。
中央の官庁である「北海道庁」(地方自治団体ではなく、長は知事より権限の強い長官)が北海道の事務を行い、地方自治の仕組みとして「北海道会」という議会(府県会より権限が弱い)があった。また、「北海道地方費」は「府県費」と同じ性格である歳出入(地方税等地方の収入で賄う)を指しており、「北海道会」の議決事項であった。例えば、道路や高校を作る場合、「北海道会」の議決により決定し、「北海道庁」が「北海道地方費」から支出する、といった仕組みになっていたのではないかと考えられます。(hmtさんが詳しく書かれていますが、私はあまり調べていませんです。)

なお、例の素敵な道路のサイトによると、「地方費道」以前は「假定縣道」「縣道二假定ス」という表現が使われていたようです。
[53894] 2006年 9月 10日(日)21:33:20北の住人 さん
三つ巴?三すくみ?
[53861] オーナー グリグリ さん
秋田県大仙市・協和上淀川? の交差点ですが、13と46も重複してるかもしれません。地図の雰囲気からは、交差点の北側が13と46、南側が13と341、東側が46と341だと思います。
[53883] 2006年 9月 9日(土)22:58:20北の住人 さん
政令指定都市について
どなたかが既に書かれていたと思いますが、指定都市は他都市と比較する規定では無く、自治についての特例ではないでしょうか。過去記事に委譲事務の一覧があったと思いますが、県の事務には広域的なもののほか、一定以上の人口規模が必要なものがあり、人口の多い都市では自らそれができるわけです。指定都市だからといって、地方に権限が委譲されるわけではなく、都道府県と市との関係での委譲です。住んでる人から見れば、安全で住み良い街なら、指定都市でもそうでなくても良いわけで、住民としては都道府県と市町村との関係を意識しなくとも生活することはできます。

指定都市が効率的かというと、規模の点からは県のほうが効率的ではないでしょうか。少数精鋭という言葉がありますが、指定都市になる事で組織が肥大化し、小回りが効かなくなる恐れもあります。
一方、人員や財政が大きくなれば、やりたい事、力を入れるべき所に集中的に投資する事ができるのでしょう。投資対象はそれぞれの市によって異なると考えられ、より広域的な事を考えねばならない県より、住民の意思を反映させることができると思います。
[53882] 2006年 9月 9日(土)21:40:24北の住人 さん
石狩市域は4郡か
[53492]後段で石狩郡・札幌郡間の境界変更の可能性について書きましたが、北海道庁告示に次のが見つかりました。
明治三十二年十二月十四日 告示 第三百九号
石狩国札幌郡石狩郡境界ノ内札幌郡下手稲村山口村及石狩郡樽川村ニ連絡セル郡界ヲ今般内務大臣ノ許可ヲ経テ左ノ通リ変更ス 但境界図ハ札幌支庁ニ備置ク
発寒川ト追分川ノ落合ヨリ追分川ヲ溯リ殖民区画第三線道路ニ沿ヒ西北運河ニ至リ更ニ西南ニ折レテ新川ニ出テ「オタナイ」川ニ達スルヲ以テ郡界トス
この告示の「西北運河ニ至リ」までは、現在の札幌市・石狩市境界と同じです。明治29年地形図・明治43年地形図の郡界の違いと合わせて考えると、石狩郡・札幌郡間で郡域の交換があったようです。

ということで、石狩市域は石狩郡・厚田郡・浜益郡・札幌郡の4郡になりました。また、[53585]で札幌市は「実際には小樽郡だけ」としましたが、札幌郡・小樽郡・石狩郡の3郡でした。
[53799] 2006年 9月 3日(日)23:02:45北の住人 さん
続、百交差点
参考記録ですが、ここは道でしょう?重複区間が合っていればですが。 新潟県三条市須頃3丁目 700=8+289+403
[53798] 2006年 9月 3日(日)22:38:53北の住人 さん
百交差点
参考記録ですが既出でしょうか? 秋田県大仙市協和上淀川 400=13+46+341
しかし、皆さんこの手の問題はどのようにして探しているんでしょう。私的には、地図を見ながら1つずつ潰していくのが、早くて確実じゃないかと思うんですが。(見落としもでてきますが)
[53775] 2006年 9月 2日(土)13:05:51北の住人 さん
クイ図の解答
問一:鳥栖市
あえて小縮尺でいってみました。

問二:水戸市
この問題は探すのが大変なので、あきらめです。

クイ図の感想ですが、どの地図を使うのかと、縮尺をどうするかですね。私のネット環境ではブロ-ドバンド用地図の表示に時間がかかり過ぎ、解答された方のリンク先を見るのを止めたのがあります。縮尺は大縮尺の方が良いですが、そのものずばりの建物が表示されると解くのが簡単になりそうです。


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