[84268]デスクトップ鉄 さん
いいえ、桜木町駅です。[84255]で
シウマイ市の「某駅」は、1872年に「市名と同じ駅」として開業した駅ではないでしょうか。
と書いた通りで
失礼しました。見落としてましたね。
たしかに、みなとみらい地区の集客力は高まっていますが、みなとみらい地区≠桜木町です。みなとみらい地区の66街区にある日産自動車の本社は、横浜駅東口のすぐ先にあり、桜木町駅よりもよほど近い。
元々みなとみらい地区というのは「桜木町と横浜駅の間の海側の造船所等の跡地」に相当しますので、桜木町はその一方の端ということになります。そもそも横浜市が開発を始めたみなとみらい21計画の最初に完成したビルはそごう横浜店のはいる「横浜新都市ビル」で、これが1985年の完成です。あそこもみなとみらい地区なのです。
私事になりますがこの年に私は就職して横浜市民になったので、よく覚えています。
ただ、一般の人の感覚だと、あそこは横浜駅東口駅前であって、みなとみらいの一部だとはあまり思われていないものと感じます。
そしてその次の一連の開発は、横浜博覧会を経た後の桜木町寄りのインターコンチからランドマークタワーに至る一帯で、これがビジュアル的にも目立つため「みなとみらいは桜木町から」的イメージとなったものと思われます。
ちなみに現在はみなとみらい線が開通しましたので、ますます「みなとみらい地区≠桜木町」からは遠ざかってきているものと感じます。
ところで、
[84262]ペーロケさんが書かれている山崎まさよしの「「One more time,One more chance」の舞台について。
彼自身桜木町駅からほど近い場所に住んでいたわけで、いくつかの現実の風景の一部が歌詞に反映していると思われます。「向かいのホーム」というのは、当時の桜木町駅は東横線が島式ホーム、JRは折り返し線を真ん中に挟む3本ホームでしたから、根岸線ホームの下りと上り間か、JRホームと東横線ホームの間かということになりそうです。
一方「急行待ちの踏切あたり」という歌詞が出てきますが、これがちと現実から離れている。急行はJR線には走っていないので、東横線ということになるのですが、東横線の踏切はこの付近にはなく、横浜を過ぎて東白楽駅の先に行くまで存在しませんでした。
桜木町付近の踏切というと、根岸線に並行する貨物線に当時は2箇所ありました。ひとつは高島町駅に近い場所にあったかなり大きな踏切で、もう1箇所はいまも現役の小さな歩行者専用の踏切です。
でも、この2つの踏切はどうにもあの歌詞の踏切とはイメージが違うような気がしますので、ここは山崎さんの空想の産物なのかなと。このほか桜木町駅の海側に残っていた貨物線に踏切が残っていた可能性もありますが、これらは当時から現役ではなかったはずです。