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N-Hさんの記事が10件見つかりました

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[76098] 2010年 8月 26日(木)08:34:39N-H さん
どっちを応援するか……
[76097]Issie さん
短時間で2度進行方向が変わるなんて,昔の“房総東線”のDC急行のようです。

これ、千葉駅の配線が今の構造になる前の話ですよね?
さすがにその時代は私も知りません。両国発のSL牽引列車が大網駅で方向転換のため機関車付け替えしてたのはよく記憶していますがね。
房総半島一周電化が完成し、東京地下駅のりいれと前後して大網駅のスイッチバックも解消し、特急の運転も開始されたのですが、これで房総一周特急誕生か、と思いきや、東京地下線内でのATSだかなんだかの装置の関係で、一周すると車両の向きが逆になるために一周は不可能だったようです。
かわりにそのような問題が生じない新宿・両国発着の急行がしばらく房総一周することになりましたが。

甲子園の春と夏のイベントには,私は「熱く」ならないように少し距離を置いて見ているのですが,それでも,まあ,やっぱり…。で,意外なことに神奈川県よりも千葉県の方に今でも帰属意識を持っていることを再確認してしまいました。

これに関して、Issieさんと全く同様の居住地変遷を持つ私も大いに悩みました。どっちを応援してよいものやらと。
思えば習志野高校が夏を全国制覇した時のその習志野の県予選初戦を観戦したのが私の高校野球を生で観戦した唯一の経験でして、そういうこともあって、やっぱり高校野球は今でも結局は千葉、なんですよねえ。
[76035] 2010年 8月 16日(月)12:46:25N-H さん
都道府県庁所在地バージョン
やってみました。
◎:横浜市
○:札幌市、盛岡市、仙台市、山形市、千葉市、新宿区、新潟市、金沢市、名古屋市、京都市、大阪市、奈良市、神戸市、岡山市、山口市、松江市、広島市、徳島市、高松市、福岡市、熊本市、宮崎市、那覇市
●:青森市、福島市、宇都宮市、水戸市、前橋市、さいたま市、長野市、甲府市、静岡市、富山市、津市、和歌山市、大津市、鳥取市、松山市、大分市
△:高知市
▲:秋田市、福井市、岐阜市、佐賀市
×:鹿児島市、長崎市
[76010] 2010年 8月 15日(日)16:08:49N-H さん
経県値(政令指定都市版)
生存照明します。

◎(居住)横浜市、(特別区)
○(宿泊)札幌市、仙台市、川崎市、千葉市、新潟市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市、岡山市、広島市、福岡市、北九州市、(熊本市)
●(訪問)さいたま市、相模原市、静岡市、堺市
△(接地)浜松市
▲(通過)
×(未踏)

千葉市は非常に微妙だと以前書いたことがあります。それは長らくの居住地が千葉市の境界から数百メートル以内にあり、最寄り駅も千葉市で、自宅から深夜駅付近まで往復したことも何度もあり、ある意味◎に近いにもかかわらず明確に宿泊した記憶がなかったからでした。
ところが、その後幕張にある研修施設に宿泊したことを思い出し、今回は安心して○にできます。
現在の居住地に近い川崎市も相模原市もなかなか宿泊の機会はないものですね。川崎市の○は、学生時代に友人のアパートに泊まった経験によります。
[75335] 2010年 6月 11日(金)14:39:22N-H さん
多摩川で分断された地名
多摩川をはさんで東京都側と川崎市側で同じ地名がいくつかあることはすでにここでも過去何回か指摘もあり、今回もいくつかあがっていますが、まだ今回リストアップにはあがってきていないと思われるものを。

東京都大田区下丸子/川崎市中原区中丸子・上丸子ほか
東京都世田谷区等々力/川崎市中原区等々力
東京都世田谷区野毛・上野毛/川崎市高津区下野毛
東京都世田谷区瀬田/川崎市高津区瀬田

どうもこいつらはあがってないようです。検索が足りなくて既出のものが含まれていたらすみません。上記のうち等々力と瀬田は直接は接してはいませんが、明らかに元は同じ地名でしょう。
このほか、おしいのは二子。川崎市には二子という地名が現存しますが、世田谷区側には駅名としての二子玉川があるのみです。
[75301] 2010年 6月 6日(日)10:26:34N-H さん
自治体を超える地名(横浜市内)
[75209] 2010年 5月 29日(土)18:08:27N-H さん
Re: 都市間人口争奪
[75200] 白桃 さん
首都圏においても人口減少に伴う税収の目減りに少しでも歯止めをかけようと、周辺地域からの「人口争奪」を画策している自治体があるようです。
(中略)
三つの政令指定都市を除くと神奈川県で最も人口の多い市です。

この市に住んだことはないものの、かれこれ通算してこの市に20年ほど通い続けている者としても、この市の低落ぶりと画策は目覚しいものを実感します。
やはり最大の敵は地形です。こればかりはどうしようもない。
元々この市がここまで発展した背景には、海軍⇒米軍の存在抜きには語れません。そもそもこの地形に対して元々人口が多すぎるのです。
数週間前の朝日新聞地方版でもこの地の現状が語られていました。「谷戸」地形を貫く鉄道と道路、そしてどんどん山の上まで開発された住宅。
この原型はすでに太平洋戦争中にはできあがっており、多くの人が山の上に居を構えました。それが、今や超高齢化社会を向かえ、老人にはもはや山の上に住む体力がなく、空き家がずらりと並んでいる状況です。
しかし、このうち捨てられた古い住宅が並んだ山の上から見る景色はそれはもう素晴らしいもので、事実それが捨てがたく今でも残る老人もいるのだとか。

とはいえ、元々がいびつに発展した街なのですから、ある程度のところで落ち着かせるぐらいが丁度良いように思うのですがね。
個人的にはこの地の海を埋め立ててまで高層マンションを作るなどということはやめてほしいなと思っています。現に相当建ってしまっていますが。
[75143] 2010年 5月 19日(水)14:34:53【2】N-H さん
横浜市各区の最高地点
そういえば、以前横浜市が出しているグラフ雑誌に、市内各区の最高標高点の特集があり、場所が列挙してあるのみならず、その付近の写真まで掲載されておりました。
なんとまあ地理的にマニアックなものを!といたく感心してもちろん購入しました。
なお、私自身の到達記録ですが、横浜市最高峰は到達済みですが、保土ヶ谷区内最高地点についてはいまだに行ったことがありません。
市内、区内の東西南北端については、市内はいずれも未踏、区内については東、南は踏破してますが北、西は未踏と出ました。改めて調べてみると身近なところでもまだまだ新たな発見があるものですね。

ちなみに、横浜市内で人が到達できる標高が最も高い場所は、もちろん横浜ランドマークタワーの展望台の上にあるホテルのラウンジです。ここは残念ながら未踏です。すぐ下の展望台は何度か行っているのですがね……
[75142] 2010年 5月 19日(水)14:16:02N-H さん
東京特別区の最高地点
[75137] futsunoおじ さん
東京都区部 愛宕山 26m 港区愛宕1

[75138] ニジェガロージェッツ さん
新宿の方に標高40mを越える山があったと記憶しています。新宿区のサイトには区内最高地点として,都立戸山公園内箱根山の標高44.6mと記されています。新宿区のあらまし
小生は関東には土地勘がないので,この地点が区部の最高点かどうか判断できませんが,詳しい方はフォロー下さい。

東京特別区内における標高の最高地点については、いささか古い書き込みですが、拙稿[11064]
23区内で標高がもっとも高い地点は、練馬区の関町南あたりだったかと思います。
と書きました。今回少し調べてみますと、やはり練馬区関町南4丁目で間違いないようです。ウォッ地図で確認してみますと、練馬区と西東京市との境界線が青梅街道と交差する少し手前の練馬区内に標高58mの標高点の表示があります。
実はこの付近は非常になじみのあるところで、意識せずに何度も通っています。
付近は真っ平に近く、あまり標高で話題になりそうな土地には見えませんが、武蔵野の台地は西に行くほど結構標高を稼いでいるのでした。
それが証拠にここからすぐ北へ向かうと急な下りになり富士見池を中心とした武蔵関公園があらわれます。
それにしても「23区の最高地点」で検索してみると、愛宕山が最高峰としているページ、箱根山を最高峰としているページいずれも多いですね。
よく見ると愛宕山は「天然の丘陵としては東京23区内最高峰」などと書かれていたりして、微妙ですね。
確かに練馬区関町南は「峰」ではないし、「丘陵」かどうかもあやしいですから。
[75057] 2010年 5月 3日(月)18:10:45N-H さん
茂原市の長生村内の飛び地
[75056]EMM さん
長生村本郷の中の茂原市六ツ野

あ、この飛び地は私が茂原市で中学生をしていたころ、学校内に貼られていた大きな茂原市の地図で確認していたものに違いありません。
睦沢町(当時は睦沢村)の比較的大きな飛び地と並び、私の飛び地好きの原点となっているのの一つでした。
今までウン十年間忘れていたものです。いやあ、なつかしい。
[74424] 2010年 3月 24日(水)16:30:36N-H さん
むさこ?
ちょうど武蔵小山と武蔵小杉の間ぐらいを生活圏として5年ほどすごしましたが、武蔵小杉は「こすぎ」、武蔵小山は「むさしこやま」と言っていたような。
「むさこ」も言われてみれば武蔵小杉の略として当時から聞かなかったわけではないように思います。一方の武蔵小山は決して「むさこ」や「こやま」と略しては言わなかったなあ。
それにしても武蔵小杉の変貌は著しいですね。
私がよく使っていたころは、まだ東横線と南武線の間に改札がなく、東横線上りのホームから直接南武線ホームに下りることができ、乗り換えは便利なものでした。
新丸子と日吉に友人の家があり、また南武線の中野島に当時付き合っていた子が住んでいたこともあって、武蔵小杉は始終乗り換えていたのですが、そんなわけでほとんど改札を出ることもありませんでした。
以上、横須賀線が東海道線と分離して今の経路を走るようになった最初のころのお話でした。
当時は横須賀線が武蔵小杉の近くを走っているという事実にすら気づきませんでした。


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