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ekinenpyouさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[101395]2021年2月9日
ekinenpyou
[101388]2021年2月8日
ekinenpyou
[101384]2021年2月7日
ekinenpyou
[101381]2021年2月6日
ekinenpyou
[100918]2020年12月28日
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[100910]2020年12月27日
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[100905]2020年12月26日
ekinenpyou
[100902]2020年12月23日
ekinenpyou
[100897]2020年12月21日
ekinenpyou
[100895]2020年12月18日
ekinenpyou

[101395] 2021年 2月 9日(火)21:34:56ekinenpyou さん
旧国名駅・宮城島など
皆様、思いのほか楽しんでいただけているようで何よりです。
[101393]駿河の民 さん・[101394]MI さん(美濃下野は[101389]デスクトップ鉄 さんが先行)については当然正解となります。

[101390]N さん
(追加問題の方)早速の正解です。
駅があった位置的な関係で?Wikipediaでは身延線善光寺駅の方に主要な解説があるようですが、
甲斐善光寺は地方鉄道の富士身延鉄道ではなく国有鉄道(鉄道院)の駅でした。

【参考】T6.3.20官報(鉄道院告示10号・中央上)
こうした仮停車場といわれるものは営業実態が把握しづらいですが(書類上だけ存在したものもあります)
確かに旅客を取り扱ったという証拠として鉄道統計資料(T6年度)を示しておきます。

[101389]デスクトップ鉄 さん
停車場変遷大事典で調べたら、そのとおりでした。1917(T6)年4月5日から6月3日まで甲斐善光寺の大開帳と武田信玄公350年祭にあわせて営業したのですね。甲斐大島より2年早かった。
仰る通りです、詳細な解説ありがとうございます。なお最初に旧国名を冠した駅は「筑前植木」であったと考えて良さそうです。

※非常に邪道なのですがこちらの駅開業はM28.12.28(官報M29.1.22中央上「通運」・地名由来は[38328]hmt さん参照)

[101391]千本桜 さん
旧国名の定義次第ですが、奈良時代に短期間だけ存在した石城国がOKなら、伊予石城駅も該当しますね。
鋭いご指摘です、例えば「明治維新期以降」のように年代を明示するなどした方がよかったですね。
(明確な定義を示さなかったので)追加で正解とさせていただきます。

余談ですが、最初に旧国名を冠したと官報に示された駅は現在のJR常磐線「磐城太田」だと思われます。
官報M31.11.26(左下「通運」停車場改称)
※改称日の根拠がやや曖昧な「筑前植木」を除く

【おまけ】[101358]伊豆之国 さん「番外編」のクイズについて
宮城島(沖縄県うるま市)は、かつて別称「高離島」で地図表記されていた島ですね・参考

「宮城島(みやぎしま)」という苗字は、沖縄の苗字ではありません。本土のある場所に集中して見られる苗字です。その場所とはどこでしょうか?
既に第二ヒントのStreet Viewを準備中かもしれませんが・・・過去ログでも仰っていた通り
晩年はそこに行く鉄道は1日たった1往復となっておりある意味?有名でした。
(中高年層以上のメンバーの方で乗りに行ったことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか・・・
次の列車まであまりにも時間が空いたため、片道はバスという方も少なくなかったことでしょう)
[101388] 2021年 2月 8日(月)20:09:46ekinenpyou さん
旧国名駅名など
[101384]拙稿関連小ネタ、こちらも早速のフォローありがとうございます。

[101385]伊豆之国 さん
甲斐大和は比較的最近の改称駅名ですね(会社要覧 2019-2020)2コマ
[101386]まがみ さん
伊賀上野

お二方とも見事正解です、この他山梨県には甲斐上野駅(JR身延線)もありますね。

余力?がありそうなので問題を追加しておきます。(実はこちらが本題???)
内地の鉄道で国名「大和」を最初に冠した駅は「大和新庄」(T4.9.11改称)ですが
「甲斐」を最初に冠した駅をお答えください、大和池尻(右上)のような改称・廃駅など(現在は消滅したもの)も対象とします。

※当時は大阪鉄道所属、現在の近鉄(南大阪線)橿原神宮西口駅

【ヒント】こちらに載っています。くれぐれも「解なし」などとお答えにならぬよう・・・
[101384] 2021年 2月 7日(日)19:15:30ekinenpyou さん
茨城・千葉両県の佐貫と牛久
今年は丑年ということで似た名前同士2駅についての所在地変遷などをまとめてみました。(少々表が見にくい点はご容赦を・・・)

JR常磐線佐貫駅同左牛久駅JR内房線佐貫町駅小湊鉄道上総牛久駅
M22町村制施行時馴柴村牛久村佐貫町明治村
M33.8.14駅開業M29.12.25駅開業
T4.1.15駅開業※1T13.7.15牛久町
T14.3.7駅開業
S29.3.20龍ケ崎市S29.1.1牛久町S30.3.30大佐和町S29.11.15南総町
S46.4.25富津町→9.1富津市S42.10.1市原市
S61.6.1牛久市
R2.3.14龍ケ崎市駅に改称※2

※1 鉄道院告示4号(T4.1.14官報右上)によると所在は(大字)亀田・佐貫とある、
事業者サイト(現状)は亀田ですが付近の地図(マピオン)を見ると佐貫もまばらに点在している。
※2 JR駅のみ(関東鉄道は従来のまま)
JR常磐線佐貫駅駅名改称の取り組み|龍ケ崎市公式ホームページ

【上記外の所在地参考資料】帝国鉄道要鑑(右下)・T14.3.14官報彙報(左下「通運」)
各駅名リンク先は今昔マップ on the web

要約すると、M22町村制施行時には後のJR佐貫駅(茨城)所在地は「村」、対してJR佐貫町駅(千葉)は当時既に「町」
ただし「市」への変更は佐貫駅(茨城)が先行
後のJR牛久駅(茨城)・小湊鉄道上総牛久駅(千葉)の所在地は双方とも「村」だったが、「町」「市」への変更は
JR幹線(常磐線)にある牛久駅(茨城)ではなく、地方私鉄の上総牛久駅(千葉)が先行と少々ややこしくなっています。

当駅は「マザー牧場」最寄りではありません!JR佐貫駅、駅名変更で乗り間違いなくなる?(産経ニュース)
効果のほどは不詳ですが、近くに「牛」が付く駅がある点については・・・

【至極簡単な謎々】
武蔵大和駅のように旧国名が複数連続する鉄道駅をお答えください
※神戸(こうべ・かんべ・ごうど)のように同じ漢字であればOKで読み方は不問とします。

[101383] MI さん早速のフォローありがとうございます、[101381]拙稿関連ついては後日まとめて投稿予定です。
少しネタバレしておくと、参考史料の一つとしてこちらをご紹介・・・
[101381] 2021年 2月 6日(土)09:21:53ekinenpyou さん
Re:小字地名など
本年もよろしくお願いいたします、関連投稿は[101316] 勿来丸さん・[101319]hmt さん

(大字起番の地域など、地図サイトで確認できない)小字地名が残っているか確認する方法の一例として
競売の売却結果-岐阜地方裁判所本庁<開札期日:令和1年7月16日>を見てみると

関市武芸川町八幡(字下池田)・山県市大字東深瀬(字鴻ケ池)
とあり、これらの地域では()内で示した小字地名の記載がある(残っている?)ことがわかります。
いっぽうで各務原市の場合、蘇原東栄町二丁目/鵜沼各務原町二丁目という表記で小字地名の記載はありません。

【参考】
小字 - Wikipedia(小字の廃止)より
都市部では、かつて小字が存在していても、区画整理事業や住居表示の導入によって小字は消滅していることが多い(大字は住居表示実施後の町名に引き継がれることが多い)。

住所・本籍・土地・建物の所在の表し方 横浜市
(住居表示前の住所&本籍には小字地名が無いが、土地では「字 内山」という小字表記が存在→ただし住居表示で消滅)

今昔マップ on the webで各務原市蘇原申子町の近傍を見てみると、
地名の変遷とともに宅地化が進んでおり現在では町名と丁目で区切られた地域になっています。

以上より、各務原市の小字図は全域で小字が残されていた時点のもので現状とは異なる可能性があると推測されます。
(作成過程は不明ですが各務原の地名(平成3年3月発行)の小字地名を記した地図などを参考としたもの???)

※本件に関し、現在でも各務原市に残っている可能性がある小字地名および、資料による小字地名の表記ゆれなどに
ついては少し文章が長くなるので状況に応じて後日追記いたします。

【恒例の?おまけ謎々1点】(簡単なものですが、こちらも後日回答をフォローします)
各務原市 例規集より
○町の廃置分合 昭和38年3月16日自治省告示第24号

地方自治法第7条第1項の規定により、岐阜県稲葉郡那加町、稲羽町、鵜沼町及び蘓原町を廃し、その区域をもって各務原市を置く旨、岐阜県知事から届出があった。

上記の廃置分合は、昭和38年4月1日からその効力を生ずるものとする。
詳細情報(市区町村変遷情報)では
1963(S38).4.1 岐阜県 新設/市制 各務原市 稲葉郡 那加町, 稲羽町, 鵜沼町, 蘇原町
となっていますが、目を凝らしてよーく見ますと、ある字の字体が違うことがおわかりになりますでしょうか?
(この件に関し過去ログをあたりましたがMIさんやむっくんさんなど、詳しい方からのご指摘も無い模様でした)
[100918] 2020年 12月 28日(月)19:16:06ekinenpyou さん
地方公共団体の長の任期
相野田 敏之さんについては[100911]N さんと類似しますが以下の経過をたどったと推察いたします。
S30.3.31 佐伯郡中村(村長)失職(翌日新設合併による任期満了)
4.1 同郡能美町成立(公職選挙法第33条第3項の規定により選挙は設置日から50日以内に行えばよい、この間は職務執行者を置いておく)
4.30 統一地方選挙
5.1 当選人の告示(任期の起算日)・能美町長となる

※多くの方はご存知の通り(地方公共団体の長の)任期4年&任期満了前30日以内に選挙というルールは必須ではない
【参考】群馬県 - 市町村選挙データ集1「任期満了日の変遷に関する調べ」(長)(令和2年1月1日現在)
市町村選挙が統一地方選挙から逸脱した時期と理由(2コマ)

統一地方選挙の度に地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律にもある通り特例法が作られる。
(これらにより通常と異なる選挙期日等のルールが定められることがある)

S30の第3回統一地方選挙の際につくられた特例法は下記参照
地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律(S30.1.24法律第2号)
[100910] 2020年 12月 27日(日)19:29:58ekinenpyou さん
岡山県南広域都市圏など
なぜ実現しなかった!岡山県南百万都市建設計画の頓挫(-岡山の事件簿4-岡山の街角から)より
実は合併の調印式当日に、話は頓挫しました。倉敷市の市長が必要な書類に記入をしないまま、公印を隠して東京へ失踪してしまったのです。勿論、理由は合併反対の為です。
この方のお名前は???回答は過去ログに・・・
[28115]警笛中毒 さん
当時の倉敷市長・高橋勇雄(倉敷レーヨン出身)は合併期日前、公印の市長印を隠して上京し消息不明となり
市長履歴はこちら(8コマ監査役)

上記で示された倉敷歴史ミニ辞典(1月24日(金)「県南百万都市構想」のネットアーカイブ)より
倉敷の名が消えることへの反発や諸々の事情があるのでしょうが、当事者の肉声はあまり伝わってこないようです。

とありますが、地域開発と広域都市圏 岡山県南広域都市圏 (岡山大学学術成果リポジトリ)に当時の実況詳細あり(ごく一部引用)
その5(22コマ)
高橋は37年12月20日の昼過ぎに秘書の中田に「これから上京する,東京に着いたら電話で連絡する。帰るのは27日だ」といい残して市役所を出た,それ以来38年1月7日に登庁するまで所在不明であった。
以下欄外脚注
(54)当時倉敷市の企画室長であった今城松二郎は筆者に「倉敷にいると議決の執行を強要されるので,一緒に上京した。第一ホテルにとまっていると夕刊新聞の記者に見られたので従業員エレベーターで外に出て,日航ホテルに行き私の満鉄時代の知人に頼み偽名で宿泊し私だけ先に倉敷に帰り絶えず連絡をとっていた。」と語った。
その6(2コマ)
当時副知事であった曽我与三郎は生前筆者に「高橋さんが雲がくれしたので助役の保津君に判を押せと激しくつめ寄ったこら、とうとう泣き出したのでどうにもならなかった」と語った。

【おまけ】短い市区町村名・長い市区町村名(市区町村雑学)
過去にも漢字五文字の市がありました。1959年(昭和34年)9月1日に青森県の大湊町と田名部町が合体して大湊田名部市ができました。

上記については前述その4(18コマ)に詳しい経緯が書かれており、
当時の大湊町長が「大湊市」・田名部町長が「下北市」を強く希望したらしく、
町議会の議決がないがしろになるなど泥沼化していたよう・・・この名前は県知事側からの提案だったようです。

[80486]伊豆之国 さん
現市名 新市名(私案) 理由
むつ市 下北市 「むつ」の名に忌まわしい過去を思い起こす人も。この際広く知られた半島名に
[51814]矢作川太郎 さん
何故その代替案が「むつ市」だったのでしょうか。どちらかの旧町名を採用するのはまずいとしても、「下北市」辺りが妥当では無いでしょうか。(自分は今回(平成)の合併で駅名・郡名に因んで「下北市」になると思っていた。)
以上は過去の経緯より使用に抵抗があったのかもしれません・・・
[100905] 2020年 12月 26日(土)08:40:03ekinenpyou さん
香川県人口(1995境域組替)の追加版
拙稿[100902]での投稿予定分です、以下略号(a)は1920年・(b)は1889年人口とします。
([100896]サヌカイト さんの表順番に準拠したが、2015境域・比率は容易に計算できるため省略)

市町村1920年(a)1889年(b)備考
高松
-高松144,869129,622(b)寺井村(774人)を含む
-国分寺7,8167,947
-牟礼6,5516,276
-庵治5,3254,772
-香川8,4408,836(b)東谷村(1,071人)を含む、寺井村(774人)を含まず
-香南5,7966,112
-塩江8,1666,969(b)東谷村(1,071人)を含まず
丸亀
-丸亀47,45948,976
-飯山8,1077,859
-綾歌9,5449,824
坂出44,60934,386
善通寺27,15119,242
観音寺
-観音寺31,50836,024(b)本大村(1,066人)&木郷村(1,306人)を含む
-大野原14,14016,792(b)木郷村(1,306人)を含まず
-豊浜8,60310,820
三豊
-高瀬15,72716,452
-豊中10,45610,838(b)本大村(1,066人)を含まず
-詫間15,05513,475
-仁尾7,0288,081
-三野8,3328,772
-山本7,5669,096
-財田5,3405,561
さぬき
-志度14,79616,852
-長尾9,69310,650
-津田7,7349,079
-寒川5,4626,316
-大川7,5588,256
東かがわ
-大内12,65414,669
-白鳥10,18211,968
-引田9,32511,196
三木21,87623,135
綾川
-綾南12,50913,433
-綾上9,98610,434
宇多津5,9215,371
多度津18,46618,591
琴平10,98913,806(b)五條村(1,097人)を含む
まんのう
-満濃14,29613,429(b)五條村(1,097人)を含まず
-仲南5,5375,568
-琴南5,6805,897
土庄21,29322,758
小豆島
-池田8,5649,590
-内海14,79911,373
直島2,9441,640

出典について、(a)はT9.10.1国調人口(香川県合計677,852人)・(b)はM22.12.31市町村現住人口(香川県)
※(b)合計は670,743人で日本帝国人口静態統計などでの合計(668,548人)と若干相違がありますが、
近似値で支障なしと解釈(いくつか原因は思い当たりますが確証は無いので記さず)

原則として前述人口を(町村別に)1995境域各エリアごとに分類合計したものですが、
別々のエリアに分割された町村人口については(比率按分はあえて行わず)人数が多いと思われる片方へのみ計上しています。
なお(b)は後の大字単位になっているため、(大字単位に分解できない)(a)と異なるエリアに計上したものがあります、
(備考にも記しましたが)詳細は以下の通りです。()内は分割&境界変更時の(直前国調ベース)人口異動数で当然(b)とは異なる。

(1)S31.9.5 香川町の一部(553人) → 一宮村(現在の高松市)・S33.4.1香川町の一部(369人) → 高松市
寺井(北部&中部)が高松市に編入
(2)S31.10.25 塩江町の一部(1,548人) → 香川町 東谷(ほぼ全域?)が香川町に編入
(3)S30.4.10 紀伊村(分割編入) → 観音寺市(1,178人)&大野原町(2,255人) 木郷(全域?)が観音寺市に編入
(4)S31.3.31 満濃町の一部(964人) → 琴平町・S32.10.10 満濃町の一部(477人) → 琴平町
五條(条)(ほぼ全域?)が琴平町に編入

【参考】香川県市町行財政要覧(令和2年3月発行)11.市町村の変遷-168-185香川県公布類纂. 明治21,22年
自治体越えの地名(地名コレクション)(香川県)
[100902] 2020年 12月 23日(水)19:04:18ekinenpyou さん
Re:茶番第15回 2020国勢調査発表を前に
[100896]サヌカイト さん
国勢調査結果がもうすぐ(といってもまだかなり先ですが)発表されますが、比較対象が1995年までだと寂しいので、自分の住んでいる香川県の2015境域と1995境域(市町村名の前に「-」)で組替人口を作ってみました。一応、分割や境界変更等も考慮しましたが、かなり大雑把に、しかも電卓でやったので恐らく間違いだらけとなっていると思われます。
2015・1995年は恐らく問題ないようです、(中高生の方の作品?としては)非常によくできていると思います。

香川県全体の人口ですが1970年(10.1)は907,897人/1950年(10.1)は946,022人になるはずですが
(サヌカイト さん作成の表をもとに)合計すると若干足りず905,206人/928,392人になってしまっているようです。

(2015境域のみで1995境域の内訳は省きますが)以下の通り変更が適切と推察いたします。
1970年は観音寺(64,962→66,653人)&三豊(74,210→75,210人)に変更
1950年は高松(251,977→269,160人)&琴平(16,115→16,087人)&まんのう(30,926→31,401人)に変更

どのように計算すると上の値になるかについては、年明けの十番勝負の後にでも(まだ興味があるようでしたら)
チャレンジしてみてください。

本当は1945年でして2020年ができたら25年ごとになりちょうどよかったのですが、あるはずもないので1950年となり、微妙な間隔となっています。
ご要望のものかどうかはわかりかねますが、1920・1890年の分も(分割や境界変更等による人口異動については
ほとんど考慮せず相当妥協してありますが)一応データが手元にあるので後日当方より投稿します、少々お待ちください。
[100897] 2020年 12月 21日(月)19:32:13ekinenpyou さん
地名の表記ゆれ?など
[100804]白桃 さん
「戸」の由来だけでなく、「四戸」がどこにあったかについても諸説あるようですが
上記については「四戸」はどこにあるの?「戸」地名について(落書き帳アーカイブズ)でも議論されたようですが、
「戸」の由来(岩手県)にも詳しい解説がありました。

前置きが少し長くなりましたが、1件小ネタを投稿しておきます。
大坂→大阪のようにかつては別の字を用いた表記が幅を利かせていた地名を2点ほど示します。

【1】金田一(現在の岩手県二戸市)
国郡全図天保郷帳(陸奥国郷帳下・89コマ左側)・官板実測日本地図(畿内 東海 東山 北陸)
ではいずれも「金田市」でした、なお金田一村 - Wikipediaには以下の記述もあります。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、二戸郡金田市村、野々上村、釜沢村、下斗米村(一部)が合併し、金田一村が成立。

地名索引(真ん中下部)は「金田一」とあり、合併前村名は金田一村で支障ないと思われます。
[65241] じゃごたろ さんより
四戸氏は、軍事的に勢力を拡張してきた九戸氏への抑えとして現在の二戸市に移され、それが金田一氏のとなったとも言われています。現在地名として失われた「四戸」ですが、二戸市内に「四戸城跡」があるのもそのためと考えられているわけです。

(明治初期?)四戸(後の金田一)氏と字を揃えた表記が定着していった?
余談ですが、Issie さんのサイト・郡の変遷(東北地方)にもある通り、
二戸郡は明治4年の1次府県統合では青森県でしたが、明治9年に岩手県の管轄になりました。
【参考】宮城県下気仙郡青森県下二戸郡岩手県ヘ管轄伺

【2】宇多津(現在の香川県宇多津町)
国郡全図天保郷帳(讚岐国郷帳・16コマ左側)・官板実測日本地図(山陰 山陽 南海 西海)
ではいずれも「宇足津」でした、宇多津町の歴史より
町名の由来ですが、古代鵜足郡(うたのこおり)の郡津に由来しています。

とある通り、讃岐国名勝図会(鵜足郡42コマ)右側表記は「鵜足津村」ですが、左側は「宇足津全図」とあります。

地名索引(左側中央)は「宇多津」とあるので町村制施行前の村名は宇多津村で支障ないと思われます、大日本地名辞書 上巻 二版(左下)鵜足郡に古訓は「宇多」とあり、(明治初期?)これに倣う形に回帰した表記が定着していった?

【おまけ・ある程度の年齢以上の方には簡単すぎる年内最後の謎々】
明治新政府は慶応4(明治元)年閏4月の政体書公布からほどなくして府藩県の印鑑を作成するよう命じました、復古記(左側参照)
その印影を収めた箇所はこちらで府藩県の印影ははじめおわりの範囲内にあります。例えば[100893]白桃 さん
オグリキャップ、デビューの地
の県印については105コマ(左pp.193)右1列目の上から2番目がその印影と思われますが、
四国の讃岐国にあった「丸亀藩」の藩印はどこにあるでしょうか?
(若い方でもサヌカイト さんとか地元の方ならすぐに答えがわかる???)

年明けまで時間も短いので(回答を解説しなくても良いように)大甘ヒントつき、[100864]hmt さん
立派なヒゲの百円札
より百円券(日本銀行サイト内)を見ると・・・

※府藩県三治制について詳しくはIssie さんのサイトを参照のこと(以下引用)
公式名称でないのであれば,同一の藩に「伊達藩/仙台藩」「毛利藩/長州藩/萩藩」などというようにいくつもの呼称があるのも不思議ではないわけです。
上記の通り「正式な藩名」なるものは恐らく無いのですが、「某藩印と刻すべし」と命じたにもかかわらず、
その通りにしない(少数派ひねくれ?)藩に対し新政府は(作り直しは命じず)大目に見ていた模様です・・・
[100895] 2020年 12月 18日(金)08:34:19ekinenpyou さん
Re:「茂原→睦沢は無かった」など
[100878]白桃 さん
睦沢町には川島という飛地があって、そこは茂原市に隣接していますが、面白いのは茂原市の地区名に川島飛地があるのです。「川島」と「川島飛地」は隣接していないのですからこれまた面白い???
「飛地」の漢字を含む町域名は千葉県に多くあるようで、このうち(現在は茂原市内にある)川島飛地ですが、
茂原市モバラの地名由来では成立年代不詳だが(睦沢町)川島の飛地であった?という旨記載がありました。

これらは多くが非常に狭い領域のようで今昔マップ on the webで確認したものの5万図はいずれの年代でも
地名表記がありませんでした。(地理院地図でもズームレベルを最大の18にしないと表示されない)

以下は推測になりますが・・・
千葉県新旧町村対照 : 附・新旧戸長役場之位置長生郡東郷村(当時は長柄郡)の旧町村名に「川島村飛地」とありこの時に成立?

※(上記の類は大字には分類されないため?)市町村大字読方名彙などには記載がありませんが、
千葉県長生郡統計書. 明治41年の東郷村に「川島飛地」という地名が確認できます。(統計書では大字として便宜カウント?)

[100887]未開人 さん
へき地の学校には興味があります。ちょうど情報提供しようと思っていたのが全国へき地教育研究連盟のへき地学校一覧ですが、情報が古かったり福島県など一部県の情報がなく不完全です。
「へき地学校」の一覧が掲載された資料は文部科学省から出版されているか(レファレンス協同データベース)によると
かつては「へき地学校便覧」という資料があったようですが、現在は刊行されていないようですね。

【参考】本州唯一のへき地5級校を訪ねる旅佐井村立牛滝小中学校 - Wikipedia
Wikipediaの脚注リンク先に青森県例規集のへき地手当等(昭和35年04月26日 人事委員会規則第7-51号)が示されており、
下部の別表というものに一覧が掲載されています。
他県の例規集でも似たような別表があるようですが、千葉県のようにネット上で別表が確認できないものがあり
(数が少ないので省略されている?)そうした場合は問い合わせるなどしないとわからないかもしれません。

【参考】高知県例規集のへき地等学校等を指定する規則(平成16年3月30日教育委員会規則第2号・下部別表)
福島県例規集の市町村立学校職員の給与の支給に関する規則(昭和35年12月8日 人事委員会規則第8号・下部別表)
千葉県例規集のへき地手当等の支給に関する規則(昭和四十六年三月二十六日人事委員会規則第七号)
別表に掲げるへき地学校(市原市及び君津市に所在するものに限る。)
(上記のようにあるが、ネット上で別表が閲覧できない)

※福島県・千葉県は例規集へのURLをうまく示せないため条例Webアーカイブデータベースで代用


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