[35428][35433]NTJ会長さん
[35449][35459]N-H さん
[35460][35462]熊虎 さん
[35467]じゃごたろ さん
亀レスですいません。現在千葉県では知事選挙の真っ最中なのですが、千葉県にはアイデンティティーの巨大な分裂線があるような気がしてなりません。まるでパレスチナのように巨大な分裂線があると感じます。この話題は「“千葉都民”による田舎差別を助長しかねない」という理由なのか、タブー視されているようです。
タブー視されるなか、その不満や違いについて触れたWeb文書がありましたので引用しておきます。
三番瀬Do会議 資料ライブラリ より
http://www.ne.jp/asahi/sgmr/3banse/library/No17toNo20
そして、千葉県といえば、「金権千葉」と言われるほどの利権が幅を利かせている風土で、その恩恵に預かれない都市住民(千葉都民)のための生活基盤づくりは遅れています。
がんばろう!日本!! 国民協議会 サンチョパンサの日記 より
http://www.ne.jp/asahi/sgmr/3banse/library/No17toNo20
次期総選挙で政権交代がなるかどうか。そのバロメーターのひとつは、首都圏では千葉あたり(千葉都民と金権千葉の境界線)で国民主権の火の手があがるかどうかである。1区、13区あたりはその試金石となろう。
2つとも政治関係で申し訳ございません。ほかのブログや掲示板ではお互いに口汚く罵倒しあっていますので引用には不適切でして・・・(^^;
あと超長文になりますがうちのポストに投げ込まれていたチラシ(怪文書?)を全文写します。過激な表現もありますが、タイトル「千葉都民のアイデンティティー」についての 今まで目にした中で一番的確な指摘と思います。特に裏面(なのかな…)の「すべり止めベッドタウン」という表現には目から鱗でした。ここに何か重要なヒントが隠されていると思います。
━ 「天動説」で同じ穴のムジナの“黒”と“赤” 価値観の転換と「地動説」にもとづく県政の実現を ━
“黒”(土着旧住民勢力≒千葉自民党)にも“赤”(社会主義・共産主義勢力≒新左翼系エセ市民派・社民党・新社会党・共産党)にも共通していて フツーの一般千葉都民と異なるのは 日常の生活圏の範囲と、そこから生ずる地域の捉え方です。
公務員、市議、学者、市民運動家といった人々は 県・市単位に編成された組合やグループ・サークルに属し、土日は組合やグループ・サークルの活動がメインという生活を送っているため 東京都心に通勤したり東京都心に買い物や遊びに行く大多数の一般新住民とは 地域への認識がおおきくずれてしまっているのです。
たとえば(千葉市・習志野市・八千代市・佐倉市以外に在住の)フツーの千葉都民の方は、千葉市に年何回くらい行ったでしょうか。 年に数回という人がほとんどで、なかには何年も行ってないという人も多いでしょう。
しかし、たとえ松戸や柏であっても“黒”や“赤”の人はちがいます。
市職員でも教師でも陳情や勉強会で最低年4,5回は千葉市に行く。
保守系市議ならパーティーなどでやはり最低年4,5回は千葉市に行く。
革新系市議でも勉強会などでやはり最低年4,5回は千葉市に行く。
行政に雇われたり、または噛み付く学者や 市民運動家も勉強会などで同様回数くらい千葉市に行く。
彼らは公共、民間とわず何らかの県・市単位で組織されたグループに所属してるため 必然的にこのようなライフスタイルになってしまうのです。
都内に行くのは全国単位の会合で行くくらい、といった感じにさえ なってしまっています。
これらの人々は県・市単位に編成された組織で活動しているため 行政区画とは無関係に東京都心に通勤したり東京都心に買い物や遊びに行く一般新住民の生活圏の広がり、範囲がどのようなものかがほとんど理解できていません。
「地元中心の天動説的地域観」か、すこしましでも「千葉市中心の地動説的地域観」でしか地元を見ていない。
一般新住民の持つ「東京都心中心の地動説的地域観」がまったく理解できないでいます。
“黒”の一般新住民に対する口癖は「千葉都民は東京のほうばかり向いて・・・」と非難すること。
“赤”の側も一般新住民の(東京)都心志向・中央志向には否定的で、「地域に誇りを持とう」「みなさん、ちょっと立ち止まって、地域のことにも目を向けませんか」「地域で働く場を増やしましょう」としか言わない。
しかし、 当の一般新住民は「千葉都民は東京のほうばかり向いて・・・」「みなさん、地域のことにも目を向けませんか」「地域に誇りを持とう」という趣旨の発言をする人間を白眼視し 不愉快がる傾向があります。
確認のために詳しく書きます。 一般新住民は 行政や(“黒”“赤”を問わず)政治関係が「千葉らしさ」を推せば推すほど引いてしまい、かえって押し付けがましさを感じて「恥ずかしいからやめてくれ」と反感を抱きます。
ここに気付かない行政・政治関係者の多さには 全く呆れます。 嫌がるのをわかっていて それでもムキになって続ける行政・政治関係者に至っては ストーカーと同じです。 戦前の日本が朝鮮で行った“皇民化政策”と同じ“同化政策”の発想です)。
ですから、一般新住民と“黒”や“赤”のあいだの交流は思う以上に希薄であり、かえって行政問題という共通の土壌にいる“黒”と“赤”のほうが(対立点だらけですが)共通の話題も多くウマが合うという皮肉な現象が起きます。
“黒”も“赤”も 県・市の範囲に忠実な形で行政文化、政治文化、市民運動文化をつくっているために、こうなります。
だから彼らは自市・自県以外を、ひじょうに異質なものとして認識し、県・市境を過剰に意識しがちです。
堂本知事のコピー「東京集権から 千葉主権へ」が 一般新住民との意識のズレの典型、ピント外れの象徴ですね。
強いていうなら 千葉都民の願望は「千葉市集権から 東京主権へ」でしょうに。 これは石原都知事の去就とは無関係です。
ではフツーの千葉都民本位の県政を運営するためにはどうするべきか。
具体的には 行政運営における千葉市中心の価値体系を放棄し(つまり「天動説」の放棄)
《千葉県は 関東地方の一部分を江戸川と利根川のラインで切り取った 実体的なまとまりを伴わない広域自治体である》
《千葉県は 首都東京の外郭の一部分を担当する自治体に過ぎない》
と自らを再定義し、全県的(これは"都市部に対しても"という意味が強いです)に「千葉らしさ」を教育の場や行政広報で打ち出すことを控えるようにすることです。
ただし自治体としての他都県との政策競争は必要ですが。
都市部については それが千葉県というより、あたかも東京都下であるかのように扱った上でハード面・ソフト面共々の整備を行う。 これはもちろん“1県2制度”の実施です。
これだけ都市部の不満が大きいと、戦前の府県で広く行われていた「三部経済制」、 すなわち 府県の財政、予算/決算を市部/郡部/警察に3分割する制度を千葉県で導入して、 都市部(≒ 北西部)/ 地方部(≒ 北東部+南部)/ 警察 に3分割することも真剣に検討するべきではないかと思います。
━ 東京大都市圏(通勤圏)における 千葉県都市部のおかれた立場 ━
…「すべり止めベッドタウン」 千葉県都市部 …
前章『「天動説」と「地動説」』で、 多数派たる“フツーの千葉都民”本位の県政を実現するために必要な価値観の転換、「天動説」の否定と「地動説」に基づいた行政運営の概要 について 解説させていただきました。
次は「東京都心中心の地動説的地域観」で見たときの 東京大都市圏(通勤圏)における 千葉県都市部のおかれた立場について説明してゆきます。
山手線の東西にかかわらず、郊外ベッドタウンへの新規移住者の1/4は 実家へのアクセス面の考慮を理由として移住する場所を場所を選択するといいます。しかし残りの3/4はちがいます。
通常、移住を考えるときは 第1の理由として勤務先へ乗換えがない、資金的に余裕があれば近いところに、または住環境の良好なところを選びたい、という至極真っ当な動機があります。
しかし東京都区部外・いわゆる郊外を選択するときには別の要因が大きく働きます。
千葉県は埼玉県とともに 東京通勤圏のなかで「田舎・ダサい・馬鹿にされる」という固定的なイメージの悪さにとらわれる傾向が強く 郊外を選択するさいに「千葉だから・埼玉だから」という理由で躊躇する人がすくなくありません。
千葉県都市部は、埼玉県都市部とともに(高校・大学受験のさいの第2志望、第3志望、第4志望、・・・のような“すべり止め校”のような)東京通勤圏における「すべり止めベッドタウン」の位置づけにあるといえます。
さらに卑近な例でわかりやすく説明すると、神奈川県に対する埼玉県・千葉県の関係は
1軍に対する2軍、セリーグに対するパリーグ、(サッカー)J1に対するJ2、
早稲田大・慶応大・上智大に対する明治大・青学大・立教大・中央大 のような関係といえるでしょう。
この結果として、千葉県への新規移住者の少なくない人々が 以下の種類の人間で占められる結果となりました。
1. 本当は東京郊外というなら東京都多摩地域か神奈川県に住みたかったけれど、高かったから仕方なくこんなところに住んだ、という「不本意型移住者・居住者」
2. (東京)都心への利便性のわりには東京都多摩地域や神奈川県にくらべて割安だから千葉(埼玉)にした、という「安かろう悪かろう型移住者・居住者」
こうした人々は不動産商品の選択の過程で第1希望の地域の物件に手がとどかなかったために 妥協して千葉(埼玉)に不動産を購入したに過ぎません。
もし彼らが大金を手にしたら、少なくとも半分以上は(もしかして9割近く? 予測不能…)もともと希望していた念願の住宅地に引っ越すでしょう。
彼らが妥協して千葉(埼玉)に買った不動産は第1志望ではありませんので、「すべり止めベッドタウン」は あくまで腰掛け用の不動産商品、という以上のものではないという性質を帯びます。
ですから自分が住む地域への愛情が育ちにくいのは当然すぎることなのです。
もし新たに愛情を持ったとしてもそれは、当初の希望を諦めた、という諦めの気持ちを必ず伴っています。 ですから、当初妥協して嫌々住んだ経験は トラウマとして深層心理を規定してしまうことになります。
経済学的な説明として、千葉都民(埼玉都民)が多摩や神奈川県に劣等感を抱いたり、または感情的な開き直りの強がりに終始してしまうのは
県名差別・地域差別により 千葉・埼玉方面の不動産に「被差別リスク」が生まれ
都心からの同じ利便性という条件の下で 地価の格差(多摩・神奈川県方面の比較優位、千葉・埼玉方面の比較劣位)が生まれ大衆が東京郊外の物件を物色するさいに“ふるい分け”が多摩・神奈川県方面と千葉・埼玉方面で起こり
住民の所得水準、学歴、その地域への好意etcの面でも 多摩・神奈川県方面と千葉・埼玉方面の格差(階層化)が発生すること
に 原因があると考えられます。放っておくともう悪循環の繰り返し、つまり、・・・イメージが悪い→貧乏人・低学歴が住む+白い目で見られる→さらにイメージが悪くなる→さらなる貧乏人・低学歴が集まるようになる。・・・こうなってしまう。 千葉・埼玉の都市部は多摩・神奈川県の都市部に対する“比較劣位”から 永遠に抜け出せないことになります。
つまり「東京通勤圏における 永 遠 の 吹 き 溜 ま り」の地位に 経済構造・社会構造上、千葉(埼玉)の都市部は固定されてしまうことになるのです。 易しいことばで言い換えれば 千葉(埼玉)の都市部が 東京大都市圏の不満分子・妥協組・負け犬の指定席に永久に固定されることになる。
はたして、「田舎と言われてもいいじゃないですか」と嘯(うそぶ)きながら一般新住民の劣等感を嘲笑したがるインテリ風情は、「千葉は 東京通勤圏の被差別エリア/すべり止めベッドタウン/吹き溜まり/2軍/パリーグ/サッカーJ2/明治大の役目…でいいじゃないか」とも 自信を持って言うことができるのでしょうか。
この千葉(埼玉)に対する偏見は 別の厄介な問題も引き起こします。
むろんですが 千葉(埼玉)の、まさにその場所を他に替えがたい魅力ある場所だと感じて千葉(埼玉)の不動産を購入した真っ当な動機の人もいるわけです。
しかしこうした人、別に多摩や神奈川県に劣等感を持たない人さえ、千葉(埼玉)に偏見を抱く人からは やはり馬鹿にされることが多いといえます。
「多摩や神奈川県に移住できる経済力はあるが、あえて千葉(埼玉)を選択した」ということがはっきりわからないかぎり千葉(埼玉)に偏見を抱く人からは「ビンボー人」と心の底でせせら笑われてしまうのです。
それは、たとえば国文学が好きで、国文学研究の名門・国士舘大学に入学しても おおくの人はそれを額面どおりは受け取らないのと同じです。
またスーフリ事件も代表が早大だから「あの早稲田で…」という反響を呼んだのであって、あれの代表が国士舘や帝京なら「やっぱりねー」でオシマイです。
こうしたステレオタイプ的理解は 人権侵害の一里塚だ、という類の批判にしょっちゅうさらされます。
しかし階層原理をささえる上でステレオタイプは非常に大きな役割をはたしていますから 批判する前に分析をするべきでしょう。そもそもステレオタイプがなくなることは永遠にありません。
ところで「チバラギ(ダサイタマ)呼ばわりなんて気にしないよ、バカバカしい! いちいち気にするのやめなよ」とツッコミを入れる人が必ず出てくるので、これについて一言。 この手の人は 世の中の全員が序列・階層を気にしなくなるように啓蒙しようとしたり、またこうした議論を破壊したがります。
しかし世の中、評判や階層、序列を気にしない人が約2割、逆に評判を非常に気にする人も対極に約2割、多少の程度の差はあれその中間に位置するのが約6割。この割合は古今東西を問わず一定なのです。
また、評判を気にする人間がいるからこそ 競争というものが発生し経済が成立していることをわすれてはいけません。
それに、もしみんなが評判を気にしない状態を創出することが可能であるなら とっくに共産主義が実現しています。
東京通勤圏における千葉(埼玉)への偏見の発生を解決するためには まず社会学的な学問的分析をして 千葉(埼玉)への偏見が生まれるメカニズムを解明し、かつその研究成果を基にした経済学的アプローチによって解決していくしかありません。
ただしいまのところ千葉(埼玉)への偏見をテーマとして取り上げた学問的な研究は皆無。
バブル期に博報堂あたりがいい加減なマーケティングしたものくらいでしょう。
前項で挙げたように 千葉県都市部は 東京都心を中心に回る巨大な生活圏(東京大都市圏・東京通勤圏)の一部分にすぎません。ほかの地方のように生活圏が自己完結してはいません。
ですから教育や広報で県民(特に都市部の千葉都民)の意識を改善すればいい、という地方の県のような施策はヌカにクギを打つようなもので、まるっきりナンセンスです。
さらに、千葉県都市部は 東京圏の中で吹き溜まりの立場にさせられているわけなのですから、かえって逆効果。 千葉都民の劣等感を悪い方向に刺激してしまうだけで、火に油をそそぐ結果におわるのがオチです。
そして、その千葉都民に対する意識改善施策の皮肉な結果こそが 県政選挙における都市部の低投票率です。
保守も社共も「千葉都民は東京のほうばかり向いている、地元に誇りを持て、目を向けろ」と言うのは同じ。 保守も社共もこうした認識を前提にしたうえで、後は思想の左右の違いを争点にしているだけの政策を打ち出してきた。 これで白けない人のほうが かえって異常です。 東西冷戦も終わり 批判票を入れる先もないなら、いちばん合理的な選択肢は棄権することです。
チバラギ(ダサイタマ)問題は 地元民の気持ちの問題ではなく 純粋に経済問題です。
千葉・埼玉方面が馬鹿にされなくなる為には
1. 本当は東京郊外というなら東京都多摩地域か神奈川県に住みたかったけれど、高かったから仕方なくこんなところに住んだ、という「不本意型移住者・居住者」
2. (東京)都心への利便性のわりには東京都多摩地域や神奈川県にくらべて割安だから千葉(埼玉)にした、という「安かろう悪かろう型移住者・居住者」
こうした人種が新規に移住してくるのを防止し、根絶すること。 それ以外にありえないのです。
繰り返しますが チバラギ(ダサイタマ)問題は 地元民の気持ちの問題ではなく 純粋に経済問題です。
教育や広報で県民(特に都市部の千葉都民)に洗脳じみた押し付けがましい啓発活動を行っても、かえって逆効果です。
東京通勤圏における千葉(埼玉)への偏見の発生を解決するためには まず社会学的な学問的分析をして 千葉(埼玉)への偏見が生まれるメカニズムを解明し、かつその研究成果を基にした経済学的アプローチによって解決していく方法を採用し、県名差別・地域差別問題の解決に向けた行程表づくりをすすめていくべきです。