[70296]いっちゃんさん
その辺の話は[65249]も参考にしていただければと思います。
これは見落としていました(汗)。
5年生で行く林間学校は福島県(裏磐梯あたり)なので、距離的にはそっちの方がず~っと遠いのですが。
私もそうでした。
6年生の修学旅行は日光でしたが、5年生の林間学校は信州・菅平高原でしたから・・・。
と書いたところで、実際には八潮-鎌倉と八潮-裏磐梯の差から比べれば大した差はないわけですが、日光へは柏からずっと東武で移動したのに対し、碓氷峠を越え、軽井沢から(鬼押し出しを経て)バスで移動した菅平は、心理的に遠く感じられたものです(と無理やりこじつけます)。
金沢オフの時、長野回りで行き、上田で新幹線からしなの鉄道に乗り換えましたが(
[54420])、上田駅前で真田家の六文銭のオブジェを見て、久々の上田だなぁ、と思うと同時に、そういえば菅平も上田市になったんだな、と思いを新たにしたものです。
この時は上田市の認市度は「接地」でしたが、林間学校(もう四半世紀前か・・・)の時は上田城を見学し、上田駅まで歩いたので、その時点では「訪問」でした。
しかし、真田町が上田市と合併したことで、自動的に「宿泊」になったわけです。
ところで、前段で「日光」と書こうとしたとき、1次変換は「日航」と出ました。
そこで思ったのが、あの日航ジャンボ機墜落事故が起きたのは、私が修学旅行で日光へ行った年だったということ。
思えば、当時まだ日本人さんは生まれていなかったわけですね・・・。
事故現場は安中からも比較的近いですし、日本一海から遠い臼田も
当時のニュースで出てきますが(情報が錯綜している中、「富岡市」も登場しましたが)、考えてみれば、羽田から大阪までほとんど海の上を飛ばなければいけない飛行機が、日本一海から遠い所の近くに墜落したことになります。
改めて、事故で犠牲になった方々が味わった恐怖に思いを巡らせ、そのご冥福と空の安全を願ってやみません。