都道府県市区町村
個性豊かな地理ネタ大好き人間の溜まり場

過去記事 [69500]〜[69599]
トップ > 落書き帳 > 過去記事 >

[69500]〜[69599]



… スポンサーリンク …

[69599] 2009年 4月 25日(土)12:01:26桜トンネル さん
第二十二回全国の市十番勝負&韮崎市
一週間沈黙状態が続きましたが、なんとかヒントで分かりました。

問五:鹿島市

こんなペースじゃいつ完答できるか分かんないなぁ・・・。
[69598] 2009年 4月 25日(土)11:58:34ニニウノ さん
十番勝負
問五:赤磐市
問八:沼津市
[69597] 2009年 4月 25日(土)11:53:23伊豆之国 さん
十番勝負
問四:安来市
[69596] 2009年 4月 25日(土)11:38:38k-ace さん
第二十二回・十番勝負
問四:宿毛市
…こんなのヒントなしで分かんないよ~。

問五:鹿児島市
…そういう系か。

問六:国東市
…アレとはねぇ~。

問十:名護市
…これでいいのか?
[69595] 2009年 4月 25日(土)11:37:11EMM さん
十番勝負解答
問八:尾道市

雨中巡礼の苦行の甲斐あってこちらも閃きましたが、同時に泣けてきました。
ところで、何故この解答なのかは、その他諸々も含めて後述。
[69594] 2009年 4月 25日(土)11:27:47おがちゃん[日本人] さん
十番勝負
問九:石岡市

あと二問かな?
[69593] 2009年 4月 25日(土)11:22:50油天神山 さん
十番勝負
ノートパソコンのACアダプターの具合が悪く、最後にきてバッテリー切れになってしまいました(泣)
ラストコール(多分)はケータイから。

問八:村上市
[69592] 2009年 4月 25日(土)11:20:24むっくん さん
第二十二回十番勝負
問六:さくら市
[69591] 2009年 4月 25日(土)11:08:38深夜特急 さん
第二十二回十番勝負
問四:池田市
問六:京都市
[69590] 2009年 4月 25日(土)11:00:11らるふ さん
十番勝負
問六:三田市
問八:静岡市
[69589] 2009年 4月 25日(土)10:47:41おがちゃん[日本人] さん
十番勝負 
問五:高山市

織田信長・・・(謎)
[69588] 2009年 4月 25日(土)10:44:40らるふ さん
十番勝負
問四:長浜市
問五:高島市
問九:西宮市
[69587] 2009年 4月 25日(土)10:43:05まつもとしろくま さん
【第二十二回】全国の市十番勝負
問二:豊後高田市
[69586] 2009年 4月 25日(土)10:40:32ぺとぺと さん
第二十二回十番勝負
問九:周南市

はぁ~。別に油断していたわけではないんですが、基本問題で取りこぼしすぎ。時間があまりなかったのは言い訳にできないな。
[69585] 2009年 4月 25日(土)10:39:44伊豆之国 さん
十番勝負
問六:柳川市
[69584] 2009年 4月 25日(土)10:35:00EMM さん
十番勝負解答
問四:小矢部市

只今、とある山を下っている最中。
雨風に打たれながらの解答は、まさに苦行…
[69583] 2009年 4月 25日(土)10:27:09ぺとぺと さん
第二十二回十番勝負
[69578]なると金時さんに同感!

問四:相馬市
[69582] 2009年 4月 25日(土)10:24:57むっくん さん
第二十二回十番勝負
問一:いなべ市
[69581] 2009年 4月 25日(土)10:21:44なると金時 さん
十番勝負
出かける前におわれたかな?
問八:延岡市。
[69580] 2009年 4月 25日(土)10:15:59なると金時 さん
十番勝負
なるほど、チェック不足。
問六:恵那市。
[69579] 2009年 4月 25日(土)10:15:13ぺとぺと さん
第二十二回十番勝負
この問題、MasAkaさんが栗原市を解答された時点で、ある市との共通点から極めて近いところまで来ていたのに詰めが甘かった。

問六:可児市
[69578] 2009年 4月 25日(土)10:11:52なると金時 さん
十番勝負
これヒントなしで解ける人はすげえや。
問四:紀の川市。
[69577] 2009年 4月 25日(土)10:01:23【1】オーナー グリグリ
【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負(採点その八 & 第一ヒント)
通算八回目の採点を行いました。採点漏れ、採点ミスなどありましたらご指摘ください。
次回採点は、本日午後8時頃を予定しています。

MasAkaさんが前回採点前に問三最後の想定解を解答されたあと、残り9問を一発解答され10問完答4番手となりました。
おめでとうございます。9問リーチは3名。8問2名。7問3名という状況です。

さて、予告しましたとおり第一ヒントです。
いっちゃんさんの自信作で、例によってアナグラムヒントです。並べ替えると共通項につながるキーワードになります。

問一:有珠、千里、福津うすせんりふくつ
問二:伊那モノレールよいなものれーるよ
問三:福島に焦れるふくしまにじれる
問四:君津がド珍事きみつがどちんじ
問五:取手、足尾、多摩とりであしおたま
問六:呉チョコ迷信くれちょこめいしん
問七:伊賀城と霧氷いがじょうとむひょう
問八:大間、那須区域おおまなすくいき
問九:浦賀、津、左京区うらがつさきょうく
問十:入間路の中二いるまじのちゅうに

解答状況の確認ページ:【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負(解答状況)

[69573]EMMさん、ごめんなさいね。
[69576] 2009年 4月 25日(土)09:54:39かぱぷう さん
第二十二回十番勝負 解答
問十:北九州市

採点前のなんとやら・・・(逃)
[69575] 2009年 4月 25日(土)09:41:12おがちゃん[日本人] さん
ブレイクタイム
おはようございます。昨日の解答も誤答となり、ヒント待ちとなっています。日本人です。

今回は全体的に想定解数が多いので売り切れることはなかなか無いと思いますが、少々焦っています。
問四の共通項はもはや意味不明で、多分あっち系でいいんだとは思うけど自信が無いです。

問五は常滑市で詰まっています。完全に。これは全く特徴が掴めていません。

問六はかなり難しいです。本当になんだろう??

問九は掴めそうなのですが・・・掴めません。桜井市が当てはまらないなぁ・・・。

こんな状況ですが、グリグリさんのアナグラムヒント、果たしてどのようなヒントが来るでしょうか。待ち遠しいです。
[69574] 2009年 4月 25日(土)09:40:12【2】Issie さん
Re:米軍統治下の沖縄県の廃置分合規定について
[69553] mi(わ)
1953年琉球政府告示第112号 1953.10. 1 真和志市 市制 ←島尻郡真和志町 1953.10. 1

真和志「村」でしたね。うちんところ,“体系的”に訂正せねば。

[69565] むっくん さん
#この前の法制度はよく分かりません。

1945年9月2日の「無条件降伏」で正式に始まった“連合国軍”による占領下でも,憲法(大日本帝国憲法)と政府は存続して法制度上の“連続性”が保たれた「本土」とは違って,地上戦の場となった本島中南部において,恐らくは「沖縄県」などの通常の行政機構が“消滅”し,米軍の直接占領下に置かれた沖縄では,まずは“ゼロ”から行政機構を構築しなければならなかったわけで,この段階ではまだ恒常的かつ体系的な法制度を行う余裕もなかったのではないかと思います。
特に米軍の設置した“難民収容所”を直接の起源とする 石川市 の場合は,そもそもその発足の経緯が「異常」なものであって,同じく「地方行政緊急措置要綱」によって収容所内に設置された「漢那市」などと同様,その後の状況によっては“解消”されていたものなのかもしれません。占領最初期の混乱状況がある程度落ち着いて「正常」な行政機構が構築される以前の話。
なお,「地方行政緊急措置要綱」については,こちら に解説があります。一応,信頼の置けそうな書きぶりではないかと…。

ところで,「8月15日」というのは,政府がポツダム宣言受諾による戦争終結を決定したことを国民に対して公表しただけ。交戦国に対する同宣言の受諾の申し入れ(「国体護持」の条件つきで)は8月10日,受諾決定に基づく詔勅の発布などの手続きは前日の8月14日,軍の指揮系統による停戦命令は翌日の8月16日に行われています。で,正式に「戦争が終わった」のは,日本政府と軍の代表者が降伏文書に調印した9月2日なのですね。

[69118] の繰り返しになりますが,私は 1945年6月(頃)から1972年5月14日までの沖縄地域(「沖縄県」ではない)について「本土」の法制度の枠組みの中で理解するのは適当ではないと考えています。見た目は(たまたま)同じでも,本質的には別のもの,と理解すべきかと思います。
“その後”の視点から見れば,沖縄が本土に「復帰」し,市町村などの行政組織が「日本国憲法・地方自治法体制」に“編入”されたことが「当然」のように思えるけれども,1969年の日米首脳会談で「沖縄返還」が合意されるまでは,沖縄が本土に復帰する具体的な道筋はなかったわけですから。もしかしたら,沖縄は今の 北マリアナ諸島 のような存在になっていたかもしれません(国連の「信託統治領」であったマリアナ諸島と,日本の「潜在的主権」が認められはした沖縄を同列には扱えませんが)。
[69573] 2009年 4月 25日(土)09:18:46EMM さん
ぼやきのブレイク
[69570] オーナー グリグリ様
そこで、いまさらかもしれませんが、午前10時頃に採点を行ったあと第一ヒントを提示することとします。よろしくお願いいたします。
なああああんてついてないんだぁ(瀧涙)
10時はホテルのチェックアウトのリミット。
たぶん外を歩いていることでしょう。
携帯から対応できればいいのですが、今の天気では少なくとも傘は差していなければいけないでしょうから雨がやむまで携帯の操作は多分無理、きっと無理。
せめて昼食時までは売れ残ってますように…
(携帯からの精査が可能な共通項である、というのが大前提ですが)
[69572] 2009年 4月 25日(土)09:02:54ぺとぺと さん
第二十二回十番勝負
[69538] 白桃さん
ゴルフと十番勝負、いったいどっちが大切なのか胸に手を当ててヨーク半島考えてください。(笑)
胸に手を当ててヨーク考え、愛妻の十番勝負をとりました(笑)
というのはもちろん嘘で、大雨&強風のため期せずしてゴルフが中止になりましたとさ。やはり十番勝負の呪縛からは逃れられないみたいです。まだヒントが出ていなかったので、最後の悪あがき。

問五:春日井市

ふんぎゃあぁぁ。この問題にこれだけ手こずるとは…。
[69571] 2009年 4月 25日(土)08:52:43【1】オーナー グリグリ
資料価値の高い記事の訂正と追記について
[69566] 2009 年 4 月 25 日 (土) 02:42:38 YT さん
いずれファイルでまとめますが、[69108]の1955年の鹿児島郡谷山町の人口36,671人は39,671人の誤りです。
[69108]は資料価値の高い記事なので、私が訂正を行い訂正を行った旨、記事末尾に追記しました。ご了承ください。

今回のような処置はこれまで明示的に行ったことはありませんでした。落書き帳立ち上げ初期の訂正機能を提供していなかった頃には、訂正書き込みを元記事に吸収し整理していたこともありましたが、その後は混乱を避けるため管理人による記事内容の訂正は原則行っていません(原則と言いましたが記憶にある限り訂正は行っていません)。

今後は、訂正が皆さんの利益につながることが明らかな場合には、事前の了解なしに管理人による訂正と追記を行うこともあることをご了承ください。なお、過去にも同様のケースがあると思います。皆さんからご指摘いただければ、妥当性を吟味した上で管理人による訂正と追記を行います。よろしくお願いいたします。

なお、訂正内容については、原則データ(数値、日付、地名など)のみに限定します。文章表現の訂正については、対応が煩雑になることを避けたいので対象外とさせてください。
[69570] 2009年 4月 25日(土)07:46:02オーナー グリグリ
ヒント予告
[69557] 2009 年 4 月 24 日 (金) 22:33:05【1】 いっちゃん さん
この土日は親類の結婚式に出席するために大阪に行きますので、ヒント出しおよび採点はグリグリさんがなされる予定です。ヒントは採点時・・・ではなく、朝に予定されているとの情報が入っております。いつものアナグラムヒントになります。
いっちゃんさん、採点部長職遂行、ありがとうございます。
さて、第一ヒントは本日午前8時からと思っていましたが、事前に予告する時間がありませんでした。そこで、いまさらかもしれませんが、午前10時頃に採点を行ったあと第一ヒントを提示することとします。よろしくお願いいたします。なお、今後の採点は不定期になると思います。
[69569] 2009年 4月 25日(土)07:43:41白桃 さん
十番勝負
問十:南あわじ市

[69562] いっちゃんさん
白桃さんに乱射正解疑惑が・・・。
はい、私もこれでもって最後の乱射としたいです。(恥)
[69568] 2009年 4月 25日(土)06:17:45MI さん
下地町の平良市編入撤回
[69565] むっくん さん
その他3(平良市と下地町の合併話)
 これは私もずいぶん前に見つけておりました。

1963.1.30発行の琉球政府公報号外第4号(PDF)琉球政府告示第21号で、
一九六一年七月十四日告示第百三十九号をもって告示した下地町を廃し、その区域を平良市に編入する処分は、これを撤回する。
とあり、どういういきさつだったのかは不明ですが、編入告示→延期→撤回という、恐らく前代未聞の経過を辿ったと思われます。
[69567] 2009年 4月 25日(土)03:37:34【1】かぱぷう さん
高速基山
[69560]小松原ラガーさん
九州自動車道に基山バス停と言うのがあるかと思います。
小松原ラガーさんが貼られているマピオン地図の縮尺を1/8000にすると右側に現れるミスターマックス(ディスカウントストア)やらがあるショッピングモールに月イチは出没するかぱぷうです。
高速基山の使われ方ですが、
・筑紫野市や春日市、大野城市方面へ行く。
・鳥栖市内へ行く。
・実はバス停のすぐ近くが目的地だった。
いずれも当てはまるかと思います。実は基山のバス停は我が家から車で10分くらいなもんでして、私も迎えに来てもらったことがあるクチです。ただし、けやき台駅への徒歩連絡はあまり聞きません。ほとんどが車での送り迎えはないでしょうか。とはいえ、
・別途交通手段があるのか、
・いやいや徒歩で充分迷わずいけるものなのか、
このエリアに路線バスの設定はありませんので交通手段は徒歩のみですが、3号線の三国の交差点に「高速バスのりば」と標識が立っていますので、さして迷うことなく徒歩での乗り換えが可能です。

[69562]いっちゃんさん
って、ワタクシが反応してよかったのかしら・・・?
「呼ばれて出てきてジャジャジャジャ~ン!」というところでせうか(笑)
基山バス停の存在意義は、近隣住民のためと言うよりもその立地条件、すなわち「九州道」「長崎道」「大分道」の交点(=鳥栖JCT)に近いことによるハブ機能にあります。
少しばかり補足をさせてください。高速基山のバス停にハブ機能が付加されたのは、比較的最近の2007年7月からです(参照)。また、本年2月23日より「高速基山バス停パーク&ライド駐車場」なるものが営業を開始しました(参照(pdf))これは私は使えそうです。

残り5問の十番勝負、多忙でなかなか考える余裕がありません。そんななかこの書き込みに時間をつぎ込んで…
 ハッ!これはもしかして罠???(笑)
[69566] 2009年 4月 25日(土)02:42:38YT さん
鹿児島県の国勢調査訂正、旧樺太庁の国勢調査人口、その他
いずれファイルでまとめますが、[69108]の1955年の鹿児島郡谷山町の人口36,671人は39,671人の誤りです。

また現在樺太の国勢調査人口について調べておりますが、昭和15年度、昭和16年度の樺太統計書によると、昭和15年年末現住人口39万8838人、昭和16年年末現住人口40万6557人に対して昭和15年国勢調査人口41万4891人とあり、昭和15年にも樺太庁で国勢調査が行われたことは確かなのですが、市町村別人口の資料が見つかりません。『外地調査資料叢書』に大正9年、大正14年、昭和5年、昭和10年の国勢調査が収録されており、町村・大字別人口が掲載されておりますが、昭和15年の国勢調査は叢書に収録されておりません。また樺太統計書には、現住人口ベースの昭和15年度の市町村別人口が掲載されていますが、国勢調査ベースの現在人口は掲載されておりません。

同様に昭和19年2月22日調の人口調査では内地としての樺太の現在人口が39万1825人ですが、『人口調査集計結果摘要』収録の昭和19年2月22日調人口調査には内地としての樺太の町村・大字別人口が掲載されていません。

昭和15年と昭和19年の樺太庁の国勢調査・人口調査の市町村別現在人口に関することについてご存知の方がいましたら御教授お願い致します。

[69542] 88 さん

鳥島の人口変遷については[69117]にまとめておりますが、昭和19年の人口調査でも人口の記載がありました。鳥島の記載は大正14年以降の国勢調査で復活しておりますが、大正14年の『国勢調査報告書』では、島尻郡具志川村には*印が、島尻郡鳥島には○印がつけられております。これらは、

×ハ前回調査後名称ノ変更アリタルモノ又ハ新ニ市制ヲ施行シタルモノ、*ハ前回調査後廃置分合等ニ依リ境域ニ変更アリタルモノ、○ハ前回調査後名称ノ変更アリタルモノ又ハ新ニ市制ヲ施行シタルモノニシテ境域ニモ変更アリタルモノナリ。

を意味し、あたかも1920年から1925年の間に行政の変更があったかのようですが、一方で同報告書内の「市町村の廃置分合境界変更及名称変更(大正八年一月一日及至大正十四年十月一日)」の項目には、島尻郡具志川村・鳥島に関する事項はなにも書かれていません。確かに鳥島は単に統計処理上別個に扱っただけなのかも知れません。

[69393] MI さん

我が家には1925年製の英語の世界地図と、満州事変後の日本語の世界地図がありますが、共に赤鉛筆でインドネシアから中国大陸、太平洋に至るまで日本の旗が書き込まれています。「泰ニ割譲地」やら、ガダルカナル島のところに「転進」の註やら書き込まれております。これらを一生懸命書き込んでいた祖父は戦局が悪化する前に病死しましたが、何か物悲しいものがあります。
[69565] 2009年 4月 25日(土)02:40:28【1】むっくん さん
米軍統治下の沖縄県の廃置分合規定について(その2)
[69564]の続きです。

41 1964.06.01 編入 石垣市 石垣市, 八重山郡 大浜町
この根拠は1964.4.28発行の琉球政府公報号外第12号(PDF)1コマに記載されている
-------------
琉球政府告示第78号
大浜町区域の石垣市への編入について
市町村自治法(1953年立法第1号)第3条第1項の規定により、大浜町を廃し、その区域を石垣市に編入することを決定した。
右の廃置分合は1964年6月1日からその効力を生ずるものとする。
1964年4月28日 行政主席 大田政作
-------------
です。

42 1968.07.01 市制 具志川市 中頭郡 具志川村
この根拠は1968.6.28発行の琉球政府公報第52号(PDF)6コマに記載されている
-------------
琉球政府告示第213号
具志川村を具志川市とする処分について
市町村自治法第5条第3項の規定により、具志川村を具志川市とする。
右の処分は1968年7月1日からその効力を生ずるものとする。
1968年6月28日 行政主席 松岡政保
-------------
です。

43 1970.07.01 市制 浦添市 中頭郡 浦添村
この根拠は1970.6.24発行の琉球政府公報第49号(PDF)2コマに記載されている
-------------
琉球政府告示169号
浦添村を浦添川市とする処分について
市町村自治法第5条第3項の規定により、浦添村を浦添市とする。
右の処分は1970年7月1日からその効力を生ずるものとする。
1970年6月24日 行政主席 屋良朝苗
-------------
です。

44 1970.08.01 新設/市制 名護市 国頭郡 名護町, 久志村, 羽地村, 屋我地村, 屋部村
この根拠は1970.7.17発行の琉球政府公報第56号(PDF)8コマに記載されている
-------------
琉球政府告示231号
市町村自治法(1953年立法第1号)第3条第1項の規定により、名護町、羽地村、久志村、屋部村、屋我地村を廃し、その区域をもって名護市を置くことを決定した。
この廃置分合は、1970年8月1日からその効力を生ずるものとする。
1970年7月17日 行政主席 屋良朝苗
-------------
です。

45 1971.11.01 編入 国頭郡本部町 国頭郡 本部町, 上本部村
この根拠は1971.10.29発行の琉球政府公報号外第143号(PDF)1コマに記載されている
-------------
琉球政府告示459号
市町村自治法(1953年立法第1号)第3条第1項の規定により、上本部村を廃し、その区域を本部町に編入する。
なお、この効力は、1971年11月1日から生ずるものとする。
1971年10月29日 行政主席 屋良朝苗
-------------
です。

46 1971.12.01 市制 糸満市 島尻郡 糸満町
この根拠は1971.11.24発行の琉球政府公報第93号(PDF)1-2コマに記載されている
-------------
琉球政府告示第491号
糸満町を糸満市とする処分について
市町村自治法第5条第3項の規定により、糸満町を糸満市とする。
この処分は、1971年12月1日からその効力を生ずるものとする。
1971年11月24日 行政主席 屋良朝苗
-------------
です。


その他1
27 1947.09.01 町制 八重山郡大浜町 八重山郡 大浜村
石垣市市長の大浜長照氏の発言では
大正3年、八重山村の分村により旧大浜間切と旧宮良間切の内、石垣島の東域部を占める字を範域とする「大浜村」が誕生し、戦後の昭和22年9月20日には「大浜町」へと昇格しています。
とあります。
沖縄県作成の八重山要覧平成19年度版>第10章その他の関係資料>2八重山歴史略年表(PDF)3コマでも
1947 昭和22 大浜村が町に昇格(9月20日)
とあります。町制がなされたのは本当に1947.09.01なのでしょうか。


その他2(当時の法制度)
14 1945.09.26 分立/市制 石川市 中頭郡 美里村の一部
うるま市作成のうるま市の概況(PDF)では、
明治41年の沖縄県島嶼町村制の施行に伴い誕生した美里村の一行政区として、昭和初期までその状態が続きました。そして終戦直後、地方行政措置要綱に基づき美里村から分離し、石川市が誕生しました。
と説明されています。どうやら地方行政措置要綱なるものがあったようです。

その後、市町村組織法(1948.7.21付け、軍政府指令第26号)が出来たようです。
#この前の法制度はよく分かりません。
#1953.1.19発行の琉球政府公報号外第1号(PDF)8コマに記載されている琉球列島米国民政府布令第94号(1953年1月8日)で市町村組織法は1953.1.8に廃止されました。ただ、その後の1953.1.22発行の琉球政府公報号外第2号(PDF)8コマに記載されている琉球列島米国民政府布令第94号改正第1号(1953年1月8日)で1953.1.12廃止に訂正されますが。。。

その後、1953.1.12発行の琉球政府公報第2号に掲載されている市町村自治法(1953年立法第1号)(前半(PDF)後半(PDF))が市町村の廃置分合の規定になります。日本へ返還されるまでは、この市町村自治法(1953年立法第1号)が市町村の廃置分合規定であり続けたようです。


その他3(平良市と下地町の合併話)
1961.7.14発行の琉球政府公報第56号(PDF)6コマ琉球政府告示第139号で平良市と下地町の合併が1961.10.30になされることになっていました。
しかし1962.2.28発行の琉球政府公報号外第5号(PDF)1コマ琉球政府告示第40号で平良市と下地町の合併期日を1963.2.1へ変更となります。
この合併話の後の処理が如何になされたのかが、根拠が見つからずよく分かりませんが、沖縄の日本返還時には平良市も下地町も両方ありましたので、結局この合併はなされなかったことととりあえず結論付けておきます。
[69564] 2009年 4月 25日(土)02:40:14【2】むっくん さん
米軍統治下の沖縄県の廃置分合規定について(その1)
[69542]88さん
琉球政府の公的文書を探すことが早道なのかもしれません。
既に[69553]Issieさんから紹介がありましたように沖縄県公文書館で琉球政府の公的文書は公開されています。

このうち市区町村変遷情報に記載する範囲のもの(廃置分合、境界変更(大))のうち、公開されているものすべてを以前に書きとめておいたものがありますので、その全文を紹介します。

20 1946.06.12 村制 島尻郡南大東村 南大東島
21 1946.06.12 村制 島尻郡北大東村 北大東島
この根拠は1946.6.15発行の沖縄民政府公報第2号(PDF)7コマに記載されている
-------------
沖縄民政府告示第4号の1
琉球列島米国軍政府の命に依り大東島を沖縄民政府行政区域に編入し左村を設置す
1946年6月12日 沖縄知事 志喜屋孝信
南大東村
北大東村(沖大東島を含む)
-------------
です。しかし、公布&施行の規定として、1946.6.1発行の沖縄民政府公報第1号(PDF)2コマでは
-------------
沖縄民政府令第2号
沖縄民政府公布式左の通定む
1946年5月20日
沖縄知事 志喜屋孝信
沖縄民政府公布式
第1条 民政府法令は沖縄民政府公報に搭載するを以て公布式とす
第2条 民政府法令は特に施行の期日を掲ぐものを除くの外公布の日より起算し七日を以て之を施行す 但し離島に在りては民政府公報町村役場に到着したる日より起算す
附則
本令は公布の日より之を施行す
-------------
沖縄民政府令第2号の1
沖縄民政府公文公布方法左の通定む
1946年5月20日 沖縄知事 志喜屋孝信
沖縄民政府公文公布方法
第1条 民政府法令は沖縄民政府公報に搭載して之を公布す
第2条 先示諭告及必要と認める訓令は沖縄民政府公報に之を搭載す
附則
本令は公布の日より之を施行す
-------------
とあります。上記公布式の文言を素直に解釈すると、島尻郡南大東村及び北大東村を設置することとした根拠の沖縄民政府告示第4号の1の裁可日は1946.6.12で、公布日が1946.6.15で、村制の施行日は1946.6.22(離島なのでもう少し後の可能性も大)であるような気がするのですが。。。

32 1949.04.01 分立/町制 島尻郡与那原町 島尻郡 大里村の一部
この根拠は1949.4.21発行の沖縄民政府公報第4号(PDF)1コマに記載されている
-------------
沖縄民政府告示第5号
1949年4月1日大里村を分割し左記区域を以て与那原町を設置する
1949年4月1日 沖縄知事 志喜屋孝信

浜田区、中島区、江口区、新島区、森下区、立花区、与原区、大奥武区、上与那原区、板良敷区、当添区
-------------
です。

33 1949.12.04 分立 中頭郡嘉手納村 中頭郡 北谷村の一部
この根拠は1948.12.15発行の沖縄民政府公報第14号(PDF)2コマに記載されている
-------------
沖縄民政府告示第34号
1948年12月4日北谷村を分割し左記区域(戦前)を以て嘉手納村を設置す
1948年12月4日 沖縄知事 志喜屋孝信

国直区、野里区、野国区、星良区、兼久区、東区、千原区、伊舎堂区、嘉手納区、水釜区
-------------
です。
ということで、正しくは
33 1948.12.04 分立 中頭郡嘉手納村 中頭郡 北谷村の一部
ですね。

34 1953.10.01 市制 真和志市 島尻郡 真和志町
この根拠は1953.10.1発行の琉球政府公報号外第30号(PDF)1コマに記載されている
-------------
琉球政府告示第112号
真和志村を真和志市とする処分
市町村自治法第5条第3項の規定により、1953年10月1日から、真和志村の区域をもつて真和志市とする。
1953年10月1日 行政主席 比嘉秀平
-------------
です。
ということで、正しくは
34 1953.10.01 市制 真和志市 島尻郡 真和志村
ですね。

35 1954.09.01 編入 那覇市 那覇市, 首里市, 島尻郡 小禄村
この根拠は1953.8.30発行の琉球政府公報号外第36号(PDF)1コマに記載されている
-------------
琉球政府告示第140号
首里市、小禄村を廃し、その区域を那覇市に編入する処分
市町村自治法第3条第1項の規定により、1954年9月1日から、首里市、小禄村を廃し、その区域を那覇市に編入する。
1954年8月30日 行政主席 比嘉秀平
-------------
です。

36 1956.06.13 改称 中頭郡コザ村 中頭郡 越来村
この経緯につきましては、1956.6.12発行の琉球政府公報号外第30号(PDF)1コマで記載されているように
-------------
琉球政府告示第140号
1956年5月11日付、越総発第162号で申請のあつた越来村の名称変更については、市町村自治法第4条に基いて左のとおり許可する。
1956年6月12日 行政主席 比嘉秀平
越来村の名称をコザ村に変更
-------------
とまず許可が出されます。その後、沖縄市が作成した沖縄市までの主な記録(PDF)2コマによれば、
世論調査の結果、大多数がコザを村名にすることの要望があり、議会は1956年6月13日、条例第24号で越来村の名称をコザ村に変更することを議決した。
と条例で改称がなされたようです。

37 1956.07.01 市制 コザ市 中頭郡 コザ村
この根拠は1956.6.29発行の琉球政府公報号外第32号(PDF)1コマに記載されている
-------------
琉球政府告示第151号
コザ村をコザ市とする処分
市町村自治法第5条第3項の規定により、1956年7月1日から、コザ村の区域をもつてコザ市とする。
1956年6月29日 行政主席 比嘉秀平
-------------
です。

38 1957.12.07 編入 那覇市 那覇市, 真和志市
この根拠は1957.12.17発行の琉球政府公報号外第54号(PDF)1コマに記載されている
-------------
琉球政府告示第242号
市の廃置分合
市町村自治法第3条第1項の規定により、真和志市を廃し、その区域をもつて那覇市に編入する。
1957年12月17日 行政主席 当間重剛
-------------
です。ということで正しくは
38 1957.12.17 編入 那覇市 那覇市, 真和志市
ではないでしょうか。

39 1961.10.01 新設 島尻郡糸満町 島尻郡 糸満町, 兼城村, 高嶺村, 三和村
この根拠は1961.7.11発行の琉球政府公報第55号(PDF)3コマに記載されている
-------------
琉球政府告示第136号
町村の廃置分合
市町村自治法(1953年立法第1号)第3条第1項の規定により、糸満町、兼城村、高嶺村及び三和村を廃し、その区域をもつて糸満町を置くことを決定した。
右の廃置分合は1961年10月1日からその効力を生ずるものとする。
1961年7月11日 行政主席 大田政作
-------------
です。

40 1962.07.01 市制 宜野湾市 中頭郡 宜野湾村
この根拠は1962.6.20発行の琉球政府公報号外第40号(PDF)1コマに記載されている
-------------
琉球政府告示第203号
宜野湾村を宜野湾市とする処分について
市町村自治法第5条第3項の規定により、宜野湾村を宜野湾市とする。
右の処分は1962年7月1日から、その効力を生ずるものとする。
1962年6月20日 行政主席 大田政作
-------------
です。


次稿へ続く。

【2】:真和志村の修正の件を追記
[69563] 2009年 4月 25日(土)02:27:56MasAka さん
第二十二回十番勝負解答
土日は出かけて書き込めなさそうなので、ヒント提示後の解答ラッシュで売り切れる前に解答しておきます。問十がまだ詰めきれていませんが……。

問一:高崎市
問二:行方市
問四:大館市
問五:筑紫野市
問六:栗原市
問七:菊池市
問八:高槻市
問九:さいたま市
問十:玉野市
[69562] 2009年 4月 25日(土)00:30:09【3】いっちゃん さん
基山バス停
[69560]小松原ラガーさん
例えついでに、九州自動車道に基山バス停と言うのがあるかと思います。(中略)どなたかコメント頂けないでしょうか?
ご質問の趣旨からは逸れている気もしますが・・・。
基山バス停の存在意義は、近隣住民のためと言うよりもその立地条件、すなわち「九州道」「長崎道」「大分道」の交点(=鳥栖JCT)に近いことによるハブ機能にあります。
島内高速バスの発達している九州ですが、それらは基本的に福岡を起点とした路線です。そこで基山バス停をハブとすることによって、さほど多いとは思われないが間違いなく需要のある福岡を目的地としない九州内相互の往来を乗り換えによってカバーしているのです。
詳しくはこちらをご覧ください。って、ワタクシが反応してよかったのかしら・・・?

ついでに
2つ答えてからは完全にヒント待ちの状態です。
今回のヒントは結構自信作なので、お楽しみに(笑)。


以下余談・・・
白桃さんに乱射正解疑惑が・・・。
[69561] 2009年 4月 25日(土)00:30:01なると金時 さん
高速のバス停
私もちょっと気分転換に。
[69560]小松原ラガーさん
最近はネットで何でも調べられるので、私も高速バスを乗り継ぎに絡めることが多くなりました。ただ、駅前以外で降りるのはやはりめったになくて、
大阪・津山の高速バスを北条バス停で降りて北条町駅まで徒歩。
ぐらいですかねえ。そんなに時間はかからなかったと思います。
あと、一度調べましたが、大阪・新潟の「おけさ号」の三条・燕バス停は弥彦線燕三条駅に割と近いです。
[69560] 2009年 4月 25日(土)00:04:27小松原ラガー さん
高速のバス停・・・
小松原ラガーです。

今回の十番勝負は想定解が比較的多いことから「のほほ~ん」と構えています。(笑)
というのは冗談で、2つ答えてからは完全にヒント待ちの状態です。問二、問七辺りが想定解が少なくなってきているので、ちょっとやばそうですが・・・。

さて、本題は十番勝負ではなくて、タイトルに示す高速のバス停です。勿論、私自身も高速バスの利用は少なくはない方ですが、大抵の場合がターミナルからターミナルまでの乗車で、途中の「高速○○」とやらの停留場で乗車も下車もしたことがほとんど記憶にありません。いつも車中で「こんなところで降りる人って、誰かが迎えにきてくれているのだろうか?それとも、バス停から歩いて目的地まで到達可能なのか?」などと、一人でブツブツ考えていたりするのですが、実際のところ、高速バスの、特に高速道路上(ICも含む)のバス停で降りた場合、その後の交通機関の利便性って、どうなのでしょうか?

例えば、東名荏田(だったかな?)なんかは「あざみ野駅まで徒歩10分です。」などの車内放送まであったような気がするのですが、一般的に言って高速道路上のバス停って、決して市街地まで近いとは言えず、そのような場合、市街地に行くにはやはりタクシーか何かになるのでしょうか?

例えついでに、九州自動車道に基山バス停と言うのがあるかと思います。基山PAに隣接(PAの中?)してある模様ですが、ここからだと考えられるのが、
・筑紫野市や春日市、大野城市方面へ行く。
・鳥栖市内へ行く。
・実はバス停のすぐ近くが目的地だった。
など、あるでしょうが、筑紫野や春日方面に行くにも鳥栖方面に行くにも最寄のJRの駅はけやき台駅になるかと思いますが、そこまでの道って
・別途交通手段があるのか、
・いやいや徒歩で充分迷わずいけるものなのか、
・とんでもない、徒歩でいけないことはないが標識も少なくわかりにくい
ものなのか、など、どなたかコメント頂けないでしょうか?

因みに、地図でしげしげと眺めていたのですが、基山PAに降り立った場合、福岡方面行きだとほぼ間違いなく佐賀県に「降り立った」ことになる模様ですが、鹿児島方面行きだと福岡県か佐賀県か物議をかもしそうな場所ですね。(参考地図

P.S.
なぜかMapionBBがここしばらくメンテナンス中のままですね。結構お気に入りだったのですが・・・。
[69559] 2009年 4月 24日(金)23:22:5888 さん
市区町村変遷情報小レス 
[69558]の続きです。
■静岡県賀茂郡熱海村→熱海町の町制施行年月日 M24(1891).6.11 or M24(1891).6.12
■静岡県那賀郡中ノ郷村→中川村の改称年月日 M24(1891).6.11 or M24(1891).6.12
■静岡県駿東郡深浪村→深良村の改称年月日 M24(1891).6.11 or M24(1891).6.12
■静岡県志太郡朝夷村→朝比奈村の改称年月日 M24(1891).6.11 or M24(1891).6.12
■静岡県長上郡橋田村→和田村の改称年月日 M24(1891).6.11 or M24(1891).6.12
■静岡県長上郡万斛村→中郡村の改称年月日 M24(1891).6.11 or M24(1891).6.12
■静岡県敷知郡曳馬下村→曳馬村の改称年月日 M24(1891).6.11 or M24(1891).6.12
「総覧」・・・M24(1891).6.11
「幕末以降総覧」・・・M24(1891).6.11
「便覧」・・・M24(1891).6.11
「辞典」・・・M24.6.11
ご紹介のM24(1891).6.12付け静岡県告示第26号に従い、いずれもM24(1891).6.12付け施行と判断し、修正しました(賀茂郡熱海町那賀郡中川村駿東郡深良村志太郡朝比奈村長上郡和田村長上郡中郡村敷知郡曳馬村)。

■静岡県敷知郡須ノ木沢村→吉野村の改称年月日について M24(1891).7.16 or M24(1891).7.14
「総覧」・・・M24(1891).7.16
「幕末以降総覧」・・・M24(1891).7.16
「便覧」・・・M24(1891).7.16
「辞典」・・・M24.7.16
ご紹介のM24(1891).7.14付け静岡県告示第35号に従い、M24(1891).7.14付け改称と判断し、修正しました

■静岡県山名郡御厨村からの南御厨村の分立年月日について M27(1894).6.1 or M27(1894).5.31
「総覧」・・・M27(1894).6.1
「幕末以降総覧」・・・M27(1894).6.1
「便覧」・・・M27(1894).6.1
「辞典」・・・M27.6.1
ご紹介のM27(1894).5.31付け静岡県告示第49号に従い、M27(1894).5.31付け分立と判断し、修正しました

■静岡県磐田郡掛塚村→掛塚町の町制施行年月日について M29(1896).6.29 or M29(1896).6.19
「総覧」・・・M29(1896).6.29
「幕末以降総覧」・・・M29(1896).6.29
「便覧」・・・M29(1896).6.29
「辞典」・・・M29.6.29
ご紹介のM29(1896).6.19付け静岡県告示第42号に従い、M29(1896).6.19付け町制施行と判断し、修正しました

■愛知県北設楽郡津具村を分割し上津具村及び下津具村を設置する分割年月日について M23(1890).10.23 or M23(1890).10.20
「総覧」・・・M23(1890).10.23
「幕末以降総覧」・・・M23(1890).10.23
「便覧」・・・M23(1890).10.23
「辞典」・・・M23.10.23
ご紹介のM23(1890).10.20付け愛知県告示第123号に従い、M23(1890).10.20付け分割と判断し、修正しました(北設楽郡上津具村北設楽郡下津具村)。

■愛知県渥美郡豊橋町の新設合併年月日について M28(1895).1.25 or M28(1895).2.25
「総覧」・・・M28(1895).1.25
「幕末以降総覧」・・・M28(1895).1.25
「便覧」・・・M28(1895).1.25
「辞典」・・・M28.1.25
ご紹介のM28(1895).1.25付け愛知県告示第20号に従い、M28(1895).2.25付け新設合併と判断し、修正しました

■三重県河芸郡若松村の一部(大字岸岡)をM30(1897).9.30付けで河芸郡玉垣村へ境界変更する件について 
「総覧」・・・(記載なし)
「幕末以降総覧」・・・(記載なし)
「便覧」・・・(記載なし)
「辞典」・・・M32._._(月日不詳)に若松村の一部(大字岸岡)を玉垣村に境界変更
ご紹介のM30(1897).10.5付け三重県告示第180号に従い、大字単位(大字岸岡(藩政村である岸岡村))の境界変更で、市区町村変遷情報の掲載対象であると判断し、M30(1897).9.30付け境界変更を追加しました

■島根県鹿足郡小川村の一部(大字滝元)をM23(1890).2.18付け?で鹿足郡日原村へ境界変更する件について
「総覧」・・・(記載なし)
「幕末以降総覧」・・・M23(1890).2.18で記載あり
「便覧」・・・(記載なし)
「辞典」・・・(記載なし)
ご紹介のM23(1890).2.18付け島根県告示第23号を拝見しました。後にも関連して重要と思われますので、この告示を引用しておきます(旧字体は新字体に引用者が変更)。
●島根県告示第二十三号 明治二十三年二月十八日
町村制第四条及第百三十条に依リ本県鹿足郡長ニ於テ同郡小川村大字滝元ヲ同郡日原村ニ編入セリ
#(「瀧」も、常用漢字では「滝」となっているので置き換えました(拙稿[56275] も参照)。
また、M22.3.9付け島根県令第21号も確認しました。

確かに、境界変更された鹿足郡小川村の一部(大字滝元)は、旧滝元村のうちの一部(字小直及び字越原)であり、この境界変更は大字単位ではありますが旧藩政村単位ではありません。旧藩政村の一部です。しかし、今後、市区町村変遷情報において大字名の変遷等を視野に入れて、「大字単位」の境界変更であることを鑑み、追記することとします。

また、ご懸念のとおり、「編入ス」ではなく「編入セリ」となっていることは気になるところです。島根県告示で根拠としているM21(1888).4.25法律第1号町村制の関係条文は、次のとおりです。
第四条
2 町村境界ノ変更ヲ要スルトキハ関係アル町村会及地主ノ意見ヲ聞キ郡参事会之ヲ議決ス(後略)
第百三十条 郡参事会(中略)ヲ開設スル迄ノ間郡参事会ノ職務ハ郡長(中略)ニ於テ之ヲ行フ可シ
これらの条文によると、町村の境界変更については、郡参事会の権限です。もっとも、この時期は制度の黎明期のため郡参事会が開設されておらず、郡長がその職務を行ったと思われます。
つまり、今回の件では鹿足郡長がその権限に基づいて本件の境界変更を決定して施行し、それを受けて上記島根県告示ではその旨を周知したものに過ぎないと考えます。島根県告示の前段として、鹿足郡長が決裁した文書等が正式な根拠になると考えます(鹿足郡告示」の類は、そもそも存在するか否かが不明です)。
このため、今回の実際の境界変更施行日は上記島根県告示のM23(1890).2.18よりは早い日付である可能性があるのですが、現在のところ詳細は不詳であるので、将来は新たな資料を発見できた時点で修正する可能性があるとの条件つきで、M23(1890).2.18付けで鹿足郡小川村の一部(大字滝元)を日原村へ境界変更したと追記しました

■島根県鹿足郡喜時雨村→畑迫村の改称年月日について M24(1891).5.31 or M24(1891).5.11
「総覧」・・・M24(1891).5.31
「幕末以降総覧」・・・M24(1891).5.31
「便覧」・・・M24(1891).5.31
「辞典」・・・M24.5.31
ご紹介のM24(1891).5.11付け島根県告示第45号に従い、M24(1891).5.11付け改称と判断し、修正しました

■島根県意宇郡来海村→意宇郡来待村の改称年月日について M26(1893).7.9 or M26(1893).7.19
「総覧」・・・M26(1893).7.9
「幕末以降総覧」・・・M26(1893).7.9
「便覧」・・・M26(1893).7.9
「辞典」・・・M26(1893).7.9
ご紹介のM26(1893).7.19付け島根県告示第141号に従い、M26(1893).7.19付け改称と判断し、修正しました

■高知県幡多郡幡多郡宿毛村→宿毛町の町制施行年月日 M32(1899).2.20 or M31(1898).12.20 
「総覧」・・・M32(1899).12.20
「幕末以降総覧」・・・M32(1899).12.20
「便覧」・・・M32(1899).12.20
「辞典」・・・M32(31).12.20
まず、日付が2.20というのは単に12.20の入力誤りのようです。
年については、「辞典」の表記や、ご紹介の各種資料の記載から、M31(1898).12.20付け町制施行と判断し、修正しました

■長崎県南松浦郡有川村→有川町の町制施行年月日について S9(1934).10.17 or S7(1932).10.17
「総覧」・・・S9(1934).10.17
「幕末以降総覧」・・・S9(1934).10.17
「便覧」・・・S9(1934).10.17
「辞典」・・・S9.10.17
ご紹介の資料を拝見しました。気になるのは、2つの参考文献が県などの単なる「まとめ資料」に過ぎないことで、この種の資料は「誤りの連鎖」がよく起こっています。長崎県告示など本当の根拠資料を確認できないので非常に不安なのですが、将来再修正の可能性が大いにありとの条件つきで、S7(1932).10.17付け町制施行とみなし、修正しました

■鹿児島県鹿児島郡伊敷村の一部(大字下伊敷字草牟田)をM44(1911).9.30付けで鹿児島市へ境界変更する件について
「総覧」・・・(記載なし)
「幕末以降総覧」・・・M44(1911).9.30付けで伊敷村の一部(大字草牟田)を境界変更
「便覧」・・・(記載なし)
「辞典」・・・M44.9.30付けで伊敷村の一部(大字下伊敷の一部)を境界変更
ご紹介の鹿児島県例規集等を拝見しました。
「大字伊敷字草牟田」は、確かに大字単位ではないため、この限りにおいては市区町村変遷情報対象外ですが、藩政村である草牟田村のすべての範囲と認められ、藩政村の変遷を視野に入れている市区町村変遷情報としては、この境界変更は事実上の藩政村単位での廃置分合に等しいと判断できることから、M44(1911).9.30付け境界変更を追加しました

今回もたくさんの調査・ご指摘をありがとうございました。
[69558] 2009年 4月 24日(金)23:22:5788 さん
市区町村変遷情報小レス 告示日と施行日の関係について など
[69541] むっくん さん
[69553] Issie さん
沖縄県の市町村の変遷について、資料情報などを頂きありがとうございます。じっくり、読み応えがありそうです。また、しっかり読んで理解できれば、沖縄の制度についての理解が深まりそうです。熟読・整理後に、また投稿したいと思います。
―――――――――――――――――――――――――
そのためにも、溜まっているレスを放出しておきます。

[68520][68872][69366] むっくん さん
いつもありがとうございます。
まずは、[69366] むっくん さん で解説のあった、告示日と施行日の関係についてです。以前にも、[65445] むっくん さんで、いろいろとご紹介いただきましたが、今回、私もいろいろと調べている中で、次の資料を確認しました。
「法制執務提要<第2次改訂新版>」(平成4年5月20日第2次改訂版第18刷、編者:佐藤達夫、発行:学陽書房)
編者の佐藤達夫氏は元法制局長官で、他の執筆者も法制局OBが名を連ねています。ちょっと長文ですが、p.342-343を引用します。
 施行期日のきめ方には、いろいろの規定の仕方があるが、前に法令の起案形式の項で詳述した。ただ、附則で特に施行期日を明示しなかった場合にはどうなるか、という問題がある。こういう例は、最近の立法ではほとんど見当たらないが、もしそういうことがあった場合には、法例第一条に、「法律ハ公布ノ日ヨリ起算シ満二十日ヲ経テ之ヲ施行ス但法律ヲ以テ之ニ異ナリタル施行期日ヲ定メタルトキハ此限ニ在ラズ」とあるから、法律については、この規定によることになることは疑いがない。会計検査院規則及び最高裁判所規則についても、同様の規定がある(会計検査院規則の公布に関する規則三条、裁判所公文方式規則三条)。また、地方自治体の条例、規則等についても、同様の規定があり、ただ、この期間を十日としている(地方自治法十六条三項・五項)。
 しかるに、その他の政令や省令等については何ら規定がないので、解釈上問題を生ずる。旧公式令、勅令、閣令及び省令については、右の法例の規定と同様のことを規定していたのであるが、この公式令が廃止されたあと、これに代わるべき立法がなされていないからである。実際問題としては、個個の政令、省令等において、原則として、その施行期日をそれぞれ定めているから、無理に解釈をきめる実益もないが、もしそういう例があれば、一般には、恐らく公布の日から施行すると解すべきであろう。
[65445] むっくん さん で、「法令とその施行日との関係」として、いろいろとご紹介いただきました。
上記文献中に出てくる法例(M31.6.21法律第10号)についても、ご紹介いただきました。
また、地方自治法の規定についてご紹介しておくと、次のとおりです。
第十六条
3 条例は、条例に特別の定があるものを除く外、公布の日から起算して十日を経過した日から、これを施行する。
4 (略)
5 前二項の規定は、普通地方公共団体の規則並びにその機関の定める規則及びその他の規程で公表を要するものにこれを準用する。但し、法令又は条例に特別の定があるときは、この限りでない。
さて、[69366] むっくん さん 及び上述の私の発見した文献から見ると、結果から見ると、告示日(公布日)=施行日という結論は同じのようです。これらにより、特に施行期日が定められていない場合、告示日(公布日)=施行日という結論でよい、と私も考えます。

―――――――――――――――――――――――――
という結論を出したところで、閑話休題。[68520] むっくん さん のご指摘への対応です。

毎回私が参考にしている4文献([55681]冒頭、市区町村変遷情報トップページにも記載)では元号表記なのですが、私が西暦を( )で追記しています。ただし、「辞典」は( )で複数案を併記していることも多いので、混乱を防ぐために西暦併記を割愛しております。

■青森県上北郡野辺地村→野辺地町の町制施行年月日について M30(1897).8.27 or M30(1897).8.29
「総覧」・・・M30(1897).8.27
「幕末以降総覧」・・・M30(1897).8.27
「便覧」・・・M30(1897).8.27
「辞典」・・・M30.8(9).27
ご紹介のM30(1897).8.29付け青森県告示第166号に従い、M30(1897).8.29付け町制施行と判断し、修正しました

■山形県北村山郡楯岡村→楯岡町の町制施行年月日について M25(1892).3.18 or M25(1892).3.15
「総覧」・・・M25(1892).3.18
「幕末以降総覧」・・・S25.3.18(元号のみ誤記とするとM25(1892).3.18)
「便覧」・・・M25(1892).3.18
「辞典」・・・M25.3.18
ご紹介のM25(1892).3.15付け山形県告示第19号に従い、M25(1892).3.15付け町制施行と判断し、修正しました

■山形県最上郡古口村からの最上郡角川村の分立年月日について M25(1892).7.8 or M25(1892).6.18
■山形県最上郡豊里村からの最上郡豊田村の分立年月日について M25(1892).7.8 or M25(1892).6.18
「総覧」・・・M25(1892).7.8
「幕末以降総覧」・・・M25(1892).7.8
「便覧」・・・M25(1892).7.8
「辞典」・・・M25.7.8
ご紹介のM25(1892).6.18付け山形県告示第49号に従い、M25(1892).6.18付け分立と判断し、修正しました(最上郡角川村最上郡豊田村)。

■山形県西置賜郡白鷹村からの西置賜郡十王村の分立年月日について M25(1892).7.8 or M25(1892).6.21
■山形県西置賜郡豊川村の一部の西置賜郡添川村への境界変更年月日について M25(1892).7.8 or M25(1892).6.21
「総覧」・・・M25(1892).7.8
「幕末以降総覧」・・・M25(1892).7.8
「便覧」・・・M25(1892).7.8
「辞典」・・・M25.6.1(M25.7.8)
ご紹介のM25(1892).6.21付け山形県告示第50号に従い、M25(1892).6.21付け分立・境界変更と判断し、修正しました(西置賜郡十王村西置賜郡添川村)。

■千葉県安房郡館山町の新設合併年月日について T3(1914).3.1 or T3(1914).4.1
「総覧」・・・T3(1914).3.1
「幕末以降総覧」・・・T3(1914).3.1
「便覧」・・・T3(1914).3.1
「辞典」・・・T3.4.1
ご紹介の、従来から信憑性が高いと判断している郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大9.3.31)などに従い、T3(1914).4.1付け新設合併施行と判断し、修正しました

■新潟県中蒲原郡鳥屋王村から鳥屋野村への改称年月日について M23(1890).12.17 or M24(1891).2.__
「総覧」・・・M23(1890).12.17
「幕末以降総覧」・・・M23(1890).12.17
「便覧」・・・M23(1890).12.17
「辞典」・・・M23.12.17
ご紹介のM23(1890).12.__付け新潟県令甲第86号M24.2.__付け新潟県令甲第17号、及びM24.2.__付け新潟県告示第17号を確認しました。ご指摘のとおり、一度取り消されていることを確認し、M24(1891).2.__付け改称と判断し、修正しました

■M34(1901).11.1付け新潟県古志郡下塩谷村 新設合併の合併前町村名について 五日市村 or 五日町村
「総覧」・・・五日町村
「幕末以降総覧」・・・五日町村
「便覧」・・・五日町村
「辞典」・・・五日町村
これは単なる入力誤りのようです。五日町村に修正しました

■石川県(能美郡→石川郡)しらみねむらの表記について 白峯村 or 白峰村
「総覧」・・・M22(1889).4.1は白峰村、S24(1949).6.1は白峯村
「幕末以降総覧」・・・M22(1889).4.1、S24(1949).6.1とも一貫して白峰村
「便覧」・・・白峰村
「辞典」・・・白峰村
「新版 漢字源」(1999年4月1日改訂新版第6刷、学習研究社)によると、「峰」(JIS区点コード4286、JIS16進コード4A76)の異体字として、「峯」(JIS区点コード4287、JIS16進コード4A77)が挙げられています。「島」「嶋」の関係と同じです。
このため、明白に「峯から峰への改称」が判明せず、また、「峰」が常用漢字でもあることから、むっくんさんの言及にもあった拙稿[67802]と同様に自動的に置き換えたと判断し、[56275]拙稿で提案させていただいた旧字体の例に倣い、ご紹介のあったM22(1889).3.8付け石川県令第23号の「白峯村」の表記にかかわらず、M22(1889).4.1時点から「白峰村」と表記することとします。よって、S24(1949).6.1付けの能美郡から石川郡への郡変更を「白『峰』村」と修正しました

■山梨県南巨摩郡増穂村からの南巨摩郡穂積村の分立年月日について M25(1892).4.1 or M25(1892).3.31
■山梨県南都留郡西湖村からの南都留郡長浜村の分立年月日について M25(1892).4.1 or M25(1892).3.31
■山梨県東八代郡黒駒村の新設合併年月日について M25(1892).4.1 or M25(1892).3.31
■同 合併前町村名について 「東八代郡下黒駒村,上黒駒村,藤野木村」 or 「東八代郡上黒駒村,藤野木村」
「総覧」・・・3件ともM25(1892).4.1(下黒駒村記述あり)
「幕末以降総覧」・・・3件ともM25(1892).4.1(下黒駒村記述あり)
「便覧」・・・3件ともM25(1892).4.1(下黒駒村記述あり)
「辞典」・・・南巨摩郡穂積村分立M25.4.1、南都留郡長浜村分立M25.3.29(M25.4.1)、東八代郡黒駒村新設合併M25.4.1(下黒駒村記述あり)
ご紹介のM25(1892).3.31付け山梨県告示第34号に従い、M25(1892).3.31付け分立・新設合併と判断し、修正しました(南巨摩郡穂積村南都留郡長浜村、(東八代郡黒駒村)。
なお、下黒駒村の取扱いについては、ご紹介の各資料の記載内容により、ご推察のとおり、M25(1892).3.31付け山梨県告示第34号が下黒駒村の記載が遺漏しているだけと私も判断し、そのままとしております。

■長野県西筑摩郡福島村→福島村の町制施行年月日 M26(1893).6.30 or M26(1893).5.27
「総覧」・・・M26(1893).5.27
「幕末以降総覧」・・・S26.5.27(元号のみ誤記とするとM26(1893).5.27)
「便覧」・・・M26(1893).5.27
「辞典」・・・M26.5.27
これは単なる入力誤りのようです。ご紹介のM26(1893).5.27付け長野県告示第56号もあり、修正しました

続きます。
[69557] 2009年 4月 24日(金)22:33:05【1】いっちゃん さん
【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負(採点その七)
通算七回目の採点を行いました。尾張井戸さんが10問完答となりました。おめでとうございます。新たに白桃さんがリーチとなっております。また、問三が想定解終了となりました。

[69521]グリグリさん
なお、第一ヒントの提示は土曜日を予定しています。
この土日は親類の結婚式に出席するために大阪に行きますので、ヒント出しおよび採点はグリグリさんがなされる予定です。ヒントは採点時・・・ではなく、朝に予定されているとの情報が入っております。いつものアナグラムヒントになります。

解答状況の確認ページ:【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負(解答状況)
[69556] 2009年 4月 24日(金)22:31:34おがちゃん[日本人] さん
十番勝負
問四:沼田市

根拠はあります。でも、ヒント前の悪あがきだと思ったほうがいいのかもしれません。
[69555] 2009年 4月 24日(金)22:21:26EMM さん
全国の市十番勝負(第二十二回)の解答
まだ広島県内におります。帰沢は日曜の予定です。
昨日おとといとホテルに入ってからちょこちょこと考えておりましたが、やっぱり問四・問八ともに糸口が見えません。
でもヒント前にちょっとジャブをはなって見ましょうか…といってもそのジャブを撃つための種もないので、酒仙人様に便乗してみたりして…

問四:米子市
問八:米子市

当たっちゃいないと思いますが、万が一当たっていたらそこから逆算して共通項を考えることになるでしょう(涙)
[69554] 2009年 4月 24日(金)21:59:29白桃 さん
十番勝負
問四:倉吉市
問十:鳴門市
[69553] 2009年 4月 24日(金)21:04:47【3】Issie さん
沖縄県公文書館
[69542] 88 さん
琉球政府の公的文書を探すことが早道なのかもしれません。

既にご承知のことかもしれませんが,沖縄県は公文書の公開に積極的で,沖縄県公文書館の公式サイト で「沖縄民政府」や「群島政府」などの時期からの公報の画像データを公開し,検索ができるようになっています。具体的には以下の組織の各公報(当該ページ より引用)。

--------------------------------------------------------------------
(1)琉球政府 (公布日:1952年4月18日~1972年5月13日)
(2)琉球臨時中央政府 (公布日:1951年7月31日~1952年3月31日)
(3)沖縄群島政府 (公布日:1950年11月4日~1952年5月6日)
(4)八重山群島政府  (公布日:1951年5月5日~1951年8月20日)
(5)奄美群島政府  (公布日:1950年12月15日~1952年1月5日)
(6)臨時北部南西諸島政庁  (公布日:1947年4月5日~1950年11月10日)
(7)沖縄民政府  (公布日:1946年6月1日~1950年10月27日)
-------------------------------------------------------------------

わが家の通信環境には,ちと苦しいものがあるので(表紙ページからして極めて重い),頻繁に見に行くのはためらわれるのですが,じっくり読むと面白いものがあるように思います。

この時期の沖縄県の市町村の変遷が、どのような根拠を持っているのか

ご参考までに,うちのページ(市一覧表市町村コード一覧表)の作成のために手許に控えているデータを並べておきます(さしあたり必要のない異動については控えていないので,悪しからず)。

告示番号告示日施行日
1953年琉球政府告示第112号1953.10. 1真和志市市制←島尻郡真和志町1953.10. 1
1956年琉球政府告示第151号1956. 6.29コザ市市制←中頭郡コザ村1956. 7. 1
1962年琉球政府告示第203号1962. 6.20宜野湾市市制←中頭郡宜野湾村1962. 7. 1
1968年琉球政府告示第213号1968. 6.28具志川市市制←中頭郡具志川村1968. 7. 1
1970年琉球政府告示第169号1970. 6.24浦添市市制←中頭郡浦添村1970. 7. 1
1970年琉球政府告示第231号1970. 7.17名護市合体市制←国頭郡名護町ほか4村1970. 8. 1
1971年琉球政府告示第491号1971.11.24糸満市市制←島尻郡糸満町1971.12. 1

石川市(1945. 9.26 設置),平良市(1947. 3. 7 設置),石垣市(1947. 7.10 設置)の告示については,まだ確認していません。上の引用によれば後2者は“沖縄民政府”の時期に当たるのですね(以前にデータをとった時には,この時期の公報は公開されていなかった)。また,1957年12月17日に施行された 真和志市 の 那覇市 への編入,および1971年11月1日に施行された 国頭郡上本部村 の 本部町 への編入についての告示も確認していません。

なお,「政府」と名乗ってはいても,米軍占領下の“行政(執行)機関”に過ぎない 琉球政府 に「主権」はなく(日本政府の“潜在的”主権も現実には及ばない),公文書の日付は“当然”に西暦。元号(昭和)は用いられません。
[69552] 2009年 4月 24日(金)20:55:23運び屋A さん
【第二十二回】全国の市・十番勝負
問九:千葉市

がっくんさん、ありがとうございます。まさかこういう展開になるとは・・・
[69551] 2009年 4月 24日(金)17:17:18山野[山野] さん
熊本市
植木町に続き城南町と熊本市の合併日が決まり同様に3月23日となりました。(議員専門部会)
これを受け、次回の法定協にて提案される見込み。(28日)

一方、住民投票で反対多数の結果となった益城町は昨日、熊本市との法定協から離脱を表明
両市町の合併は破談となる見込みです。また2度目の住民投票も実施しない方針となりました。

あー、やっぱりね。遂にこうなりましたか。
[69550] 2009年 4月 24日(金)17:01:22鳴子こけし さん
第二十二回全国の市十番勝負解答其の伍
余裕があるのでひらがな市から答えてみましょうか。

問九:むつ市
[69549] 2009年 4月 24日(金)16:44:35つっきー さん
よろしく
これから、サイトの話の中に入ります。つっきーです。よろしくお願いします。
[69548] 2009年 4月 24日(金)16:10:35つっきー さん
十番勝負の答え
問二: 東大和市
[69547] 2009年 4月 24日(金)16:06:51MasAka さん
第二十二回十番勝負解答
ごぶさたしております。
とり急ぎ、売り切れる前に……。

問三:犬山市
[69546] 2009年 4月 24日(金)15:46:44つっきー さん
10番勝負の答え
問三:飯山市。
[69545] 2009年 4月 24日(金)12:48:39JOUTOU さん
【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負
問二:菊池市
[69544] 2009年 4月 24日(金)11:02:19ryo さん
十番勝負 解答
問七 桶川市 

当初の想定解「57~60」の幅の持つ意味に焦点を絞って考えたら答えが出ました。
遅いですね。
[69543] 2009年 4月 24日(金)09:48:40JOUTOU さん
【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負
問三:富岡市

遅ればせながら参戦させていただきます。
[69542] 2009年 4月 24日(金)07:49:19【1】88 さん
市区町村変遷情報小レス(市制町村制施行時 沖縄県)
[69095] YT さん 、[69110] むっくん さん、[69111] hmt さん、[69117] YT さん、[69126] グリグリ さん
沖縄県の伊平屋村と伊是名村について
「総覧」M41(1908).4.1島尻郡伊平屋村として沖縄県及島嶼町村制施行
S14(1939).7.1島尻郡伊平屋村字伊是名、字仲田、字諸見及び字勢理客が島尻郡伊是名村として分立
その後郡変更なし
「幕末以降総覧」M41(1908).4.1島尻郡勢理客村,我喜屋村,野甫村,島尻村,田名村,仲田村,諸見村,伊是名村が合併し島尻郡伊平屋村が発足、沖縄県及島嶼町村制については記述なし
S14(1939).7.1島尻郡伊平屋村字伊是名、字仲田、字諸見及び字勢理客が島尻郡伊是名村として分立
その後郡変更なし
「辞典」M41.4.1島尻郡の伊平屋島(伊是名村,仲田村,諸見村,勢理客村,田名村,我喜屋村,島尻村,野甫村)が村制施行し島尻郡伊平屋村が発足、「合併」との記述はなし、沖縄県及島嶼町村制については記述なし
S14(1939).7.1島尻郡伊平屋村字伊是名、字仲田、字諸見及び字勢理客が島尻郡伊是名村として分立
その後郡変更なし
このように、郡変更についてはどの文献にも出てきません。よって、当面の編集作業として、そのまま郡変更はなかったものとして取扱わせていただきます。
もっとも、[69111] hmt さん に[27598]Issieさんの記事をご紹介いただき、また、[69118] Issie さんでも、次のようにお言葉を頂きました。
そもそも琉球政府には(公式の)行政区画としての「郡」という制度は行われていなかったのだと思います。
(中略)
1945~1972年の沖縄は,要するに一言で言えば「事実として日本ではない」。
私は、市区町村変遷情報の編集作業に当たっては、[55681]冒頭に述べた各種文献(市区町村変遷情報のトップページにも紹介があります)を参考にするとともに、S22(1947).5.3以降の官報に搭載された総理府告示等については、官報情報検索サービスで確認しています(原則)。これには、S47(1972).5.15までの沖縄県の市町村の変遷については官報に登載されていません。にもかかわらず、前述の各文献にはさまざまな変遷が掲載されており、これらを基に、市区町村変遷情報(沖縄県)を作成している次第です。
この時期の沖縄県の市町村の変遷が、どのような根拠を持っているのか、不思議です。琉球政府の公的文書を探すことが早道なのかもしれません。
私自身、沖縄県の制度については十分理解できておりません(北海道と沖縄県は複雑で苦手です)。今後もいろいろと調べたいとは思いますが、皆様からもお知恵・根拠資料の提供・ご教示をいただけると幸いです。

―――――――――――――――――――――――――
[69095] YT さん 、[69110] むっくん さん、[69111] hmt さん、[69117] YT さん、[69126] グリグリ さん
島尻郡鳥島 について
「総覧」M41(1908).4.1島尻郡具志川村として沖縄県及島嶼町村制施行、それ以前の村名等は記載なし
「幕末以降総覧」M41(1908).4.1付けで島尻郡具志川村,上江洲村,仲村渠村,西銘村,仲地村,山里村,兼城村,嘉手苅村,大田村,硫黄鳥島が合併し島尻郡具志川村が誕生、沖縄県及島嶼町村制については記述なし
「辞典」M41.4.1付けで島尻郡の具志川間切(兼城村,仲村渠村,具志川村,仲地村,山里村,上江洲村,西銘村,大田村,嘉手苅村)が合併し島尻郡具志川村が誕生(硫黄鳥島の記述なし)、沖縄県及島嶼町村制については記述なし
「便覧」記載なし(同書は「旧市町村名便覧」であり、島尻郡具志川村は同書刊行時には消滅していないため(現在は島尻郡久米島町)。同書の新版には具志川村自体の記載はあるが同村発足前の村名については同書は記載しない方針なので記述はないと思われる」)

この時期の沖縄県における町村制度の変遷については、[69110] むっくん さんが上手くまとめてくださっていますが、年表形式で再整理します。
M32(1899).1.1M31(1908).12.22勅令第352号沖縄県間切島規程施行(施行日は同勅令附則第20条による)
間切、島を法人(=自治体)とする
M41(1908).1.1M40(1907).3.16勅令第45号
沖縄県間切島並東京府伊豆七島及小笠原村ニ於ケル名称及区域ノ変更等ニ関スル件施行
(第一条 沖縄県ノ間切島ハ之ヲ村ト改メ(後略)  第二条 間切島内ノ村又ハ島ハト字シテ其ノ名称ヲ存ス)
(施行日はM40(1907).10.12内務省令第24号による)
「間切」及び「島」を「村」とする(「村」=法人、自治体)
従前の間切・島の中の「村」「島」は字として名称は残す(≠法人)(≠自治体)
M41(1908).4.1M40(1907).3.16勅令第46号沖縄県及島嶼町村制施行
(施行日はM40(1907).10.12内務省令第25号による)
従前の制度を近代の制度(沖縄県及島嶼町村制)に切換えて施行

要約して再掲すると、
~M31(1898).12.31間切及び島は事実上法人かつ自治体(間切・島の中の「村」「島」は自治体ではない)
M32(1899).1.1~間切及び島を法人(=自治体)として正式に位置づけ
M41(1908).1.1~間切及び島を村に名称変更(間切・島の中の「村」「島」はそのまま「字」で自治体ではない)
M41(1908).4.1~沖縄県及島嶼町村制施行(事実上は何も変わらず)
ここでいう「自治体」とは、「域内のことを自治的に決定する制度がある」という趣旨です。もちろん現行の自治体とは制度は異なるものの、単なる行政上の区画(官公署の所轄範囲)や地理的名称ではない、との趣旨です。

(硫黄)鳥島の島民の全住民がM36(1903)の硫黄鉱の噴出を契機に移住したとのことですが、上記経緯から見ると、この時期の(硫黄)鳥島はいわゆ自治体ではなく、字に相当するものであったようです。[69095] YT さんがご紹介されているように、この(硫黄)鳥島を事実上の「字」でありながら人口統計処理上別計上したようではありますが、何らかの別の事情があったのではないかと推測するくらいしかできませんが。
このため、現編集内容どおり、(硫黄)鳥島の記述は割愛させていただきます。とはいえ、M41(1908).4.1の沖縄県及島嶼町村制施行を市区町村変遷情報では現在のところ事実上の「起点」と捕らえているので、「有史以前」とも言えます。もっとも、「起点」をM32(1899).1.1の沖縄県間切島規程施行と捕らえる考え方もあるかもしれません。

―――――――――――――――――――――――――
[69126] グリグリ さんで紹介していただきましたが、現時点では、市区町村変遷情報では、
明治29年(1896年) 4月1日 沖縄県 沖縄県区制施行 2区設置/沖縄県ノ郡編制ニ関スル件施行 5郡設置島尻郡の設置は、
島尻各間切, 久米島, 慶良間諸島, 渡名喜島, 伊平屋諸島, 鳥島, 大東島 の区域をもって島尻郡を設置
と記載しています。これは、M29(1896).3.7勅令第13号沖縄県ノ郡編制ニ関スル件によります。
ここで言う「鳥島」は、伊平屋諸島の次に掲載されていることから見ても「硫黄鳥島」のことで、鳥島は久米島に含まれていると考える方が自然でしょう。

明治41年(1908年) 4月1日 沖縄県 沖縄県及島嶼町村制 1町48村設置で島尻郡具志川村の沖縄県及島嶼町村制施行の情報で、具志川村となった従前の町村名として、硫黄鳥島を記載していました。

IssieさんのHPの市町村の変遷 沖縄県を拝見して、上記の制度の変遷を当てはめるとみると、確かに、具志川間切については、那覇・島尻郡(1908~1960)を参考にすると、
~M29(1896).3.31具志川間切
M29(1896).4.1~島尻郡具志川間切
(M29(1896).3.7勅令第13号沖縄県ノ郡編制ニ関スル件施行)
M41(1908).1.1~島尻郡具志川村
(M40(1907).3.16勅令第45号
沖縄県間切島並東京府伊豆七島及小笠原村ニ於ケル名称及区域ノ変更等ニ関スル件施行)
M41(1908).4.1~島尻郡具志川村
(M40(1907).3.16勅令第46号沖縄県及島嶼町村制施行)
と、むっくんさんの見解のとおりであることがわかります。
#ちなみに、Issieさんの上記HPによると次の解説が添えられています。
村は旧区画における間切内の区分としては「むら」,町村制(沖縄及島嶼町村制)施行による旧間切については「そん」と読む。

しかし、例えば、M41(1908).4.1~の宮古郡平良村を見てみると、上記IssieさんのHP中の宮古郡の変遷(1908~1960年)によると、旧区画(M26(1893).5)では次の間切であるようです。
 平良間切の一部(東仲宗根村,東仲宗根添村,西仲宗根村,荷川取村,西原村,大浦村,島尻村,狩俣村,大神村,池間村,前里村)
 砂川間切の一部(下里村,西里村,松原村)
 下地間切の一部(久貝村→平良村に改称済)
 多良間島の一部(塩川村,仲筋村,水納村)
ただし、つまり、M41(1908).4.1~の宮古郡平良村に対応する、M41(1908).1.1~3.31までの表現は、
(1)宮古郡平良村
(2)宮古郡平良村の一部,砂川村の一部,下地村の一部,多良間村の一部
のどちらと表現すべきなのかわかりません。これは、それぞれ、
(1)M41(1908).1.1で村(←間切)の再編が行われた(M41(1908).4.1では再編(廃置分合)はなかった)
(2)M41(1908).1.1では村(←間切)の再編が行われず従前の間切・島を村と呼称変更した
(M41(1908).4.1の沖縄県及び島嶼町村制施行時にあわせて再編(廃置分合)を行った
との意です。このいずれであるかの資料を有しておりません。M41(1908).4.1の沖縄県及び島嶼町村制施行時の、従前の村名及び(再編があればその)再編状況がわかる根拠資料を発見できれば、と思いますが・・・。
[69110] むっくん さんの考察を踏まえ、明治41年(1908年) 4月1日 沖縄県 沖縄県及島嶼町村制 1町48村設置の情報をすべて、
村制 島尻郡 具志川村 島尻郡 具志川村
のように、「字」である○○村を町村名のように記述することは適切でないため修正しようと思いますが、上記の情報を追って調査したいと思います。また、いい情報源があればご教示いただければ幸いです。
なお、M41(1908).1.1付けの変遷情報
村制 島尻郡 具志川村 島尻郡 具志川間切
は、やはり、「有史以前」に相当するため、将来構想として市制町村制施行以前に達した場合(他県で言うとM22(1889).4.1以前の合併等を記載するようになってきたとき)まで、保留しておきます(ただし、間切の再編の時期・有無も要調査)。

―――――――――――――――――――――――――
と、実は本日朝6:30頃に本原稿を書き上げ、再度読み返してから投稿しよう、としていたところでその30分後に[69541] むっくん さん の投稿がありました。あわせて読み比べたほうが、読み手にとっても便利と思いますので、先に私も投稿しておきます。本稿の末尾部分の解答がむっくんさんからあったようですが、それに関しては追って対応・投稿します。
[69541] 2009年 4月 24日(金)06:56:09【1】むっくん さん
市区町村変遷情報・沖縄県(市制町村制施行時)
[69153]88さん

以前[69110]拙稿のコメント文で
#明治41(1908)年4月1日の沖縄県の他の箇所の記載もすべておかしいようです。
と書きました。しかしながらこれだけ書かれても、おそらく88さんは「どのように記載すればよいのだろう」とおそらく困惑されるものと推測しました。
そこで[69110]拙稿を書いた後に、沖縄県の間切&島&村&区の変遷を沖縄旧慣地方制度(著・出版:沖縄県内務部第一課、明26.6.24)及び明治30~40年の各年度の沖縄県統計書を基として、IssieさんHPをも参考にしつつ、私もまとめてみました。その表より間切&島&村&区の変遷の概略を以下に記しますので、参考になれば幸いです。

ここで紹介する変遷は那覇と首里に区が設置され、島尻郡、中頭郡、国頭郡、宮古郡、八重山郡の5郡が設置された1896(明29).4.1以降に限定します。

出来事
1903(明36)村々の合併、分立がなされる。
1903(明36).4.__那覇区に一部の村が編入される。
1905(明38).3.31島尻郡鳥島の廃止。鳥島の区域は島尻郡具志川間切の一部となる。
1906(明39).10.__首里区に一部の村が編入される。
1906-1907(明39-40)島尻郡具志川間切の傘下で鳥島が復活。
1908(明41).1.1勅令第352号(沖縄県間切島規定)(明31.12.22)で指定された間切及び島が村へと名称を変える。
参考:勅令第45号(沖縄縣間切並東京府伊豆七島及小笠原島ニ於ケル名称及区域ノ変更等ニ関スル件)(明40.3.16)、内務省令第24号(明40.10.12)
1908(明41).3.31島尻郡糸満町、宮古郡4村、八重山郡八重山村の成立。(注)
県令第22号(島尻郡兼城村ヲ分割シテ二箇町村ト為シ、宮古郡ニ四箇村ヲ置キ及八重山郡ノ全区域ヲ八重山村ト称スルノ件)(明41.3.28付)
1908(明41).4.1沖縄縣及島嶼町村制の施行。
参考:勅令第46号(沖縄縣及島嶼町村制)(明40.3.16)、内務省令第25号(明40.10.12)


ではどのように記載するかですが、1908(明41).4.1には上記にも記しましたように一切の廃置分合はなされていませんので、

1村制島尻郡小禄村島尻郡 小禄村
2村制島尻郡豊見城村島尻郡 豊見城村
3村制島尻郡兼城村島尻郡 兼城村
4町制島尻郡糸満町島尻郡 糸満町
5村制島尻郡高嶺村島尻郡 高嶺村
6村制島尻郡真壁村島尻郡 真壁村
7村制島尻郡喜屋武村島尻郡 喜屋武村
8村制島尻郡摩文仁村島尻郡 摩文仁村
9村制島尻郡具志頭村島尻郡 具志頭村
10村制島尻郡東風平村島尻郡 東風平村
11村制島尻郡玉城村島尻郡 玉城村
12村制島尻郡知念村島尻郡 知念村
13村制島尻郡佐敷村島尻郡 佐敷村
14村制島尻郡大里村島尻郡 大里村
15村制島尻郡南風原村島尻郡 南風原村
16村制島尻郡真和志村島尻郡 真和志村
17村制島尻郡仲里村島尻郡 仲里村
18村制島尻郡具志川村島尻郡 具志川村
19村制島尻郡渡嘉敷村島尻郡 渡嘉敷村
20村制島尻郡座間味村島尻郡 座間味村
21村制島尻郡伊平屋村島尻郡 伊平屋村
22村制島尻郡粟国村島尻郡 粟国村
23村制島尻郡渡名喜村島尻郡 渡名喜村
24村制中頭郡西原村中頭郡 西原村
25村制中頭郡浦添村中頭郡 浦添村
26村制中頭郡宜野湾村中頭郡 宜野湾村
27村制中頭郡中城村中頭郡 中城村
28村制中頭郡北谷村中頭郡 北谷村
29村制中頭郡読谷山村中頭郡 読谷山村
30村制中頭郡越来村中頭郡 越来村
31村制中頭郡美里村中頭郡 美里村
32村制中頭郡具志川村中頭郡 具志川村
33村制中頭郡与那城村中頭郡 与那城村
34村制中頭郡勝連村中頭郡 勝連村
35村制国頭郡名護村国頭郡 名護村
36村制国頭郡恩納村国頭郡 恩納村
37村制国頭郡金武村国頭郡 金武村
38村制国頭郡久志村国頭郡 久志村
39村制国頭郡国頭村国頭郡 国頭村
40村制国頭郡大宜味村国頭郡 大宜味村
41村制国頭郡羽地村国頭郡 羽地村
42村制国頭郡今帰仁村国頭郡 今帰仁村
43村制国頭郡本部村国頭郡 本部村
44村制国頭郡伊江村国頭郡 伊江村
45村制宮古郡伊良部村宮古郡 伊良部村
46村制宮古郡下地村宮古郡 下地村
47村制宮古郡城辺村宮古郡 城辺村
48村制宮古郡平良村宮古郡 平良村
49村制八重山郡八重山村八重山郡 八重山村

と記せばよいものと考えられます。


(注)県令第22号(島尻郡兼城村ヲ分割シテ二箇町村ト為シ、宮古郡ニ四箇村ヲ置キ及八重山郡ノ全区域ヲ八重山村ト称スルノ件)(明41.3.28付)は那覇市歴史博物館に1993年に横内家より寄贈された文書の一つ『沖縄県町村諸規定』でしか現在はその本文を確認できないようです。なお、施行日は郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42.12.10)の記載に従いました。沖縄県勢要略(著・出版:沖縄県内務部、明44.3.3)によれば明治41(1908)年3月中であることには間違いはないようですが。

#現状の市区町村変遷情報では1903年で合併した村は合併が反映されていない形で、分立した村は分立が反映された形で、那覇区&首里区への編入は反映されていない形で概ね記述されているようです。
[69540] 2009年 4月 24日(金)06:51:19がっくん さん
全国の市・十番勝負第二十二回 解答5
連答失礼します。これ?


問六:香美市
[69539] 2009年 4月 24日(金)06:29:21がっくん さん
全国の市・十番勝負第二十二回 解答4
なんでこう・・・毎回このシリーズに弱いのだろう?学習能力なし??


問九:箕面市
[69538] 2009年 4月 24日(金)05:57:38白桃 さん
内山下
という地区がおきゃ~やま市にあります。
♪読み方スタイルいろいろあるが~ゴルフ用品・・・
あ、ゴルフで思い出した。
[69537]ぺとぺと さん
土曜日も朝からゴルフなので、こりゃヒント前完答は難しいかな…。
ゴルフと十番勝負、いったいどっちが大切なのか胸に手を当ててヨーク半島考えてください。(笑)
それにしても、四番と十番の問題がいまだにわかりましぇん。
想像するに、問十は微積分(微かに理解できた積り問題)、問四は悶死、いや高等確率?に帰す問題だとおもうのですが・・・幸手、どうでっ屈斜路湖しゃろ・・・。
[69537] 2009年 4月 24日(金)00:31:59ぺとぺと さん
第二十二回十番勝負
月曜日から出張と飲み会が続いており、ようやく考える時間をとれました。とはいえ、2時間パソコンに向かって、何となくわかったのはこれだけ。土曜日も朝からゴルフなので、こりゃヒント前完答は難しいかな…。

問十:荒尾市
[69536] 2009年 4月 23日(木)23:55:37尾張井戸 さん
第二十二回十番勝負
問八:河内長野市
[69535] 2009年 4月 23日(木)22:48:10尾張井戸 さん
第二十二回十番勝負
問九:名古屋市
[69534] 2009年 4月 23日(木)22:19:15いっちゃん さん
【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負(採点その六)
[69521]グリグリさん
今回完答となりました採点部長のいっちゃんさんに次回から採点を行ってもらうことになりました。
と言うことで、本日の採点を行いました。その前に今回の初仕事として
[69522]油天神山さんに
お手数ですが、ご確認、ご修正下さい。
とご指摘いただいた件の修正を行いました。

さて、新たな完答者はいらっしゃいませんでした。油天神山さんが完答リーチとなっております。

解答状況の確認ページ:【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負(解答状況)
[69533] 2009年 4月 23日(木)19:53:51油天神山 さん
十番勝負
問九:つくば市

一つ答えられたら良かったんですが、つい。
[69532] 2009年 4月 23日(木)19:45:51つっきー さん
十番勝負
問1: 山形市                                    たぶんこれでいいと思いますが。
[69531] 2009年 4月 23日(木)18:37:11らるふ さん
十番勝負
問十:田辺市

多分これなら・・・と思います。
[69530] 2009年 4月 23日(木)17:43:44山野[山野] さん
HP開設
姶良西部合併協議会の公式HPが開設されました。
[69529] 2009年 4月 23日(木)17:42:34まつもとしろくま さん
【第二十二回】全国の市十番勝負
問九:延岡市
[69528] 2009年 4月 23日(木)16:50:57なると金時 さん
十番勝負
あ~これ考えるの忘れてました。
問九・鯖江市。
[69527] 2009年 4月 23日(木)16:37:58まつもとしろくま さん
【第二十二回】全国の市十番勝負
問五:伊勢崎市
[69526] 2009年 4月 23日(木)12:43:50山野[山野] さん
風間浦村
昨日、風間浦村議会にて、むつ市との合併賛否を問う住民投票条例案が賛成多数で可決されました。
住民投票日は早くて5月25日(告示)、31日(投開票)となる予定です。
[69525] 2009年 4月 23日(木)12:25:57なると金時 さん
十番勝負
お目覚め?
問十・大竹市。
該当しない市がなんとなくわかったような。
[69524] 2009年 4月 23日(木)11:13:57むっくん さん
第二十二回十番勝負
問五:大野市
[69523] 2009年 4月 23日(木)09:38:36BANDALGOM[熊虎] さん
佐世保・白岡蓮田
十番勝負の最中ですが、合併関連情報です。

佐世保市と江迎町・鹿町町が20日、長崎県知事に廃置分合の申請を行いました。
6月定例会(6月19日~7月10日)で審議されることになります。

あとは湧別町・上湧別町の動きが気になるところですが、協議会HPのメールフォームから問い合わせてみます。

また、蓮田市・白岡町合併協議会のURLが変更されています。
現在のリンクではつながりません。


[69477]山野さん
ここ最近でるでるさんを見かけませんが、まさか倒れたりしてないでしょうね。
私も心配です。
以前、仕事が忙しく、またパソコンが不調ということを書かれていましたが、1カ月半も更新が途絶えているというのは、さすがにいかがなものかと思います。

88さんが代行して更新していただくか、あるいは以前に比べて(合併の)動きが少ない現状ではありますが、副編集者を置くといったことも検討に値するのではないかと思います。
[69522] 2009年 4月 23日(木)07:41:17油天神山 さん
解答状況の表示の件
[69521]グリグリさん
解答状況の問五、がっくんさんの解答の表示がおかしなことになっております。答えの代わりに記事番号が入ってますね。
お手数ですが、ご確認、ご修正下さい。

あと2問。できれば週末には持ち込みたくないなあ・・・。
[69521] 2009年 4月 23日(木)02:56:08オーナー グリグリ
【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負(採点その五)
遅くなってしまいましたが五回目の採点を行いました。採点漏れ、採点ミスなどありましたらご指摘ください。前回のヌオさんに続きいっちゃんさんが10問完答となりました。おめでとう&ご苦労様でした。また、今回完答となりました採点部長のいっちゃんさんに次回から採点を行ってもらうことになりました。ありがとうございます&よろしくおねがいします。なお、第一ヒントの提示は土曜日を予定しています。

解答状況の確認ページ:【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負(解答状況)
[69520] 2009年 4月 23日(木)00:52:10まりんぶる~ さん
第二十二回 十番勝負
問九:木更津市
[69519] 2009年 4月 23日(木)00:45:44geo さん
第二十二回十番勝負
連投失礼します。

問三:長岡市
[69518] 2009年 4月 23日(木)00:30:53geo さん
第二十二回十番勝負
問一:甲賀市
[69517] 2009年 4月 23日(木)00:16:11zowlings さん
第二十二回 十番勝負
ここがあってればいいなあ

問十:上天草市
[69516] 2009年 4月 22日(水)23:59:12油天神山 さん
十番勝負
詰め切れませんが、堅そうに見えるところで。

問十:石垣市
[69515] 2009年 4月 22日(水)22:37:16あきすて さん
第二十二回 十番勝負
問四:西条市
[69514] 2009年 4月 22日(水)22:00:28伊豆之国 さん
十番勝負
問五:三島市
[69513] 2009年 4月 22日(水)21:43:11油天神山 さん
十番勝負
Yes, I can!

問四:小浜市

出題から四日も経ったんじゃ"Yes, I can."も何もあったもんじゃないですが。
[69512] 2009年 4月 22日(水)20:15:15白桃 さん
十番勝負
問四:境港市
問十:東かがわ市

楽になりたい!
でも、多分、両方ともハズレです。
[69511] 2009年 4月 22日(水)20:03:34つっきー さん
10番勝負答え
問3: 高崎市
[69510] 2009年 4月 22日(水)19:01:00ニニウノ さん
十番勝負
問十:岡山市
[69509] 2009年 4月 22日(水)18:31:09山野[山野] さん
南伊豆地区
反対派が多く協議会離脱案まで可決した議会の町、松崎・南伊豆両町の町長は現在の泥沼状態を打開する策として
賛否を問う住民投票を視野に検討しているとの事。(さて、実施した場合どちらに票が転がるでしょうかねぇ。)
[69508] 2009年 4月 22日(水)15:19:12油天神山 さん
十番勝負
問五:つがる市

何だかひらがな市づいてきちゃったな。
[69507] 2009年 4月 22日(水)13:37:22深夜特急 さん
第二十二回十番勝負
問五:尼崎市

ありゃりゃ,やられた。
[69506] 2009年 4月 22日(水)13:16:15深夜特急 さん
第二十二回十番勝負
問七:淡路市
[69505] 2009年 4月 22日(水)10:43:52ニニウノ さん
十番勝負
問八:飯田市
[69504] 2009年 4月 22日(水)07:06:40桜通り十文字 さん
十番勝負ほか
自信なし
問八:結城市

そういえば、気がついたらマピオンがリニューアルしていました。
[69503] 2009年 4月 22日(水)07:01:26がっくん さん
全国の市・十番勝負第二十二回 解答3
やっと1問わかった・・・。こっち系の問題とはなぁ~(笑)


問五:鹿沼市



未解答都県減らし。いよいよあと5都県。
[69502] 2009年 4月 22日(水)00:07:53尾張井戸 さん
第二十二回十番勝負
問六:さくら市
[69501] 2009年 4月 22日(水)00:01:39まりんぶる~ さん
第二十二回 十番勝負
問七:小平市

ようやく、想定解数が曖昧だった理由を納得できました。
[69500] 2009年 4月 21日(火)23:54:33YASU さん
十番勝負
問三:亀山市


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
個性豊かな地理ネタ大好き人間の溜まり場

パソコン表示スマホ表示